#30.にせめいど
狭い暗い通路。
その中で、ところどころ鏡が飾られており、カンテラの光によって、通り過ぎた者の姿を映してゆく。
影が壁に映る度、不気味に揺れ。
けれど、モンスターらしいモンスターなど一匹たりとも存在しない、静かな道だった。
「これなら、クレイジーモンキーどもに襲われてる方がよっぽど安心できるぜ」
「ああ。道中に何もいないというのは、とても不安にさせられる」
「怖いはずのモンスターでも、賑やかしになりますものね……」
何が起きるか解らなくて怖い。
どこに何が潜んでいるか解らなくて怖い。
いつ突然、背後から襲われるか解らなくて怖い。
恐怖ばかりが募り、不安ばかりが増してゆく。
だというのに、進まなくてはならないのだ。進まなくては。
『――しますか?』
『――ないわ。一旦――いて……』
シェルビーにしか聞こえなかった声が、やがてセシリア達にも少しずつ聞き取れる声になっていって。
そうしてダナンが「やっぱりそうだ」と嬉しそうに笑う。
「旦那とメイドの声だ。この先に、二人がいる」
「シェルビー」
「そこの扉の先だな。ちょっと待ってな」
逸りそうになるダナンを制し、シェルビーが扉の脇に立つ。
いくらか扉について調べていたようだが、やがて「これは開かねえな」と一人ごちりながら腰からかぎ型の工具を取り出すと、扉の蝶番にコキコキと手を加えてゆく。
すぐにぽろ、と、ヒンジを固定していたネジが外れていった。
「セシリア、蹴り飛ばせ。他の奴らは少し下がってろ……ああ、それくらいでいい」
「解った」
《ズガンッ》
セシリアキックは岩の扉くらいなら容易く破壊する。
しかし、それでも一撃では凹みもせず、耐えていた。
「……硬い」
「防御魔法だな。俺は魔法の種類までは解らねえから、トラップの類も警戒したんだが。まあ、念のためセシリア以外はそのままの位置で居てくれ」
思ったより慎重らしい、と、感心しながらシェルビーは「もう一度だ」と指示し。
セシリアもそれを聞くと同時に大きく足を振り被り……蹴った。
《ガゴンッ》
鉄靴のつま先が当たると同時に扉が歪にねじ曲がって吹っ飛んでいき、扉の先の部屋の壁へと激突していく。
「うぉっ」
「あら」
その奥に座っていた男女に当たりそうになった扉が、不意に霧散し消えていく。
男の方は驚いた様子で慌てて防御魔法を発動したようだったが、女の方はどこ吹く風と、表情一つ変えずにセシリアたちを見ていた。
「君がクローヴェルか? 私はセシリアという。セレニアの冒険者だ」
「……セシリアだと。名前くらいは知っているが……そうか、かち合ったのか」
「後発ではあるがな。そちらのクリスタルメイド装備のお嬢さん……は、君のメイドで合っていたか」
「まあ、そういった感じだ」
警戒するように自分たちを見てきた相手に、剣をしまいながらつかつかと歩き、数歩ほどまで近づいたところで足を止めた。
それ以上は、攻撃されると思ったのだ。
それくらい、クローヴェルの目は疑心に満ちていた。
口調の上では普通にコミュニケーションが取れてはいるが、少しでも妙な動きをすれば、モンスター扱いされて攻撃されかねない、そんな緊張感を纏わせていたのだ。
その証拠に、クローヴェルは手に持った杖を、いつでも向けられるようにぎゅっと握りしめていた。
それが、セシリアには解ったのだ。
「私達も仲間の偽物に罠に掛けられたようでな。突然足元がばっくりと崩れて、このフロアに落とされたんだ」
「……シーフか斥候が仲間にいるのか」
「うむ。そこの彼だ。シェルビーという」
「どうも」
自分の仲間の紹介も大切ではあるだろうが、まず、彼らを助けたいと願った彼らの仲間と会わせてやるべきだと思い、セシリアが一瞬ダナンの方へと視線を向けた、その矢先だった。
「ダナンだと――そいつは偽物だ! 殺せ!!」
「なっ――」
『――おっと、余計な事はしないでもらおうか?』
「えっ……ダナン?」
クローヴェルの叫びに合わせたかのように、ダナンは……隣り合って立っていた名無しの首を腕でぐい、と、引きずるようにして、抱き上げた。
驚きの余りに仲間達の誰もが固まった中で、唯一動いたのが、クローヴェルだった。
ダナンを狙おうと杖を向け……ダナンは顔を引きつらせながら名無しを見せびらかす様に浮かせる。
『下手に攻撃してみろ。この子が死ぬぜぇっ!!』
「やめろダナン! クローヴェル!! 誤解かもしれない!!」
「ポーターちゃんに当たるだろっ、攻撃するんじゃねえっ」
「ほ、本当に偽物なのですかっ?」
さっきまで普通にコミュニケーションを取っていたダナンが偽物だなどと、セシリアたちは疑いきれなかった。
彼の話していた話が真実であると、そういう前提で考えてしまっていたのだ。
「――ダナンの死体は、そこにある。そいつは、間違いなく偽物だ!」
クローヴェルが顎でくい、と示した先には、既に息絶えていたダナンが寝かされていた。
ダナンだけではない、彼の仲間と思しき者達が何人もそこに居たのだ。
「かと言って、仲間を殺される訳には……」
「プリーストがいるじゃないか。ポーターが死ぬくらい、何だって言うんだ」
「それとこれとは、別問題ですわっ」
子供が死ぬところなんて誰も見たくはない。
そういう想いが、どうしてもセシリアPTにはあった。
そういう意味では、クローヴェルは間違いなくプロフェッショナルであった。
他人の、どうでもいいPTメンバーの子供が死んだところで、どうでもいいのだから。
「邪魔をするな。今殺さなかったら、お前らが殺されるぞ」
「もしお前がその子ごと殺すなら、私はお前を殺してしまうかもしれない」
「……くそっ、使える奴らが来たのかと思えば、こんな――」
『へっへっへっ、そうやって仲間割れしててくんな。偽物のPTめ。よくも旦那達を殺してくれやがって』
「ダナン……」
何一つ違いのない偽物の腕の中で、名無しは、悲しそうに床の上の、もう動かない本物を見つめていた。
『――ふはははっ、セシリアぁ! あんたは旦那の偽物を殺すんだ! メイドなんてどうにでもなる! その偽物を、殺せ!!』
「……偽物、だと」
『そうだとも! そいつこそ偽物だ。一目で解るね!! 旦那達を襲撃した偽物が、そいつらよぉ!!』
――支離滅裂じゃないか。
彼自身が語った内容と明らかに異なる状況がそこにあった。
仮に目の前のクローヴェル達が偽物だとしても、間違いなく彼は、嘘をついたのだから。
(しかしポーターちゃんを人質にされるとは……どうする? 上手く隙をついて――うん? メイドが、いない?)
どうにかこの状況を動かそうとシェルビーが場を見渡すと、さっきまでクローヴェルに守られるように後ろに控えていたメイドが、いつの間にか見えなくなっていた。
クリスタルメイド装備なんていうキラキラとした目立つ装備をしていたのだ。
声こそほとんどあげなくとも、自分ならば見失うなんてことはないはず。
そう思い違和感を覚えたあたりで……不意に「おぅっ」と、偽ダナンの方から情けない声が聞こえ、シェルビーは意識を偽物へと戻した。
……偽ダナンが、倒れていた。
「これで問題はなくなったわね?」
メイドだった。
いつの間に偽ダナンの背後に回ったのか、表情を全く崩すことなく、首だけを傾げセシリアらを見る。
手には、小さなナイフが一本。
「う……解放、された」
偽ダナンが消え去ったおかげで無事解放された名無しが立ち上がり、一同安堵の息を漏らす。
「よかった……」
「助かったぜメイドさん」
「あの、ありがとうございますっ」
「ふん、都合のいい奴らだ……」
メイドに向け礼を告げるセシリアたちに対し、クローヴェルは皮肉げにそっぽを向きながら、メイドへと寄って行く。
「なんて無茶な事を……あれほど決して前に出るなと言っていたのにっ」
「でもこうしないと、状況が最悪な方向になっていたし。良かったでしょう?」
「だとしても、他に方法が……もっと身体を大事に……っ」
「ああもううるさいわね。取り繕う気もなくなったの?」
「はっ……」
メイドとの口論、必死の口調。
メイドから指摘され、クローヴェルは自身が冷静さを失っていたことに気づき……そして、セシリアたちから、ジト目で見られていたことにも気づく。
「メイドに尻に敷かれているのか……」
「なっ、そういう訳では――」
「もしかして普段はメイドになんでもかんでも任せっきりにしてるのか? んで人前でだけ偉ぶってるとか」
「そんなはずなかろうっ」
「なんだか……メイドに対してするような気遣いではない気遣い方をしていたように思えましたわ」
「いや、それは――」
「こいびとどうし……?」
「そそそ、そんな訳が――」
セシリア達からの矢継ぎ早の疑問に、クローヴェルは尚必死になって反論するが。
最後の名無しの疑問とそれに対しての反応に、メイドは頬をぴく、とわずかに動かし、「そんな訳が?」と、オウム返しする。
すると、クローヴェルはびく、と反応し「いや、なんでも」と露骨に視線を逸らすのだが。
……この二人の奇妙な関係性。
ただのメイドと主人とも思えぬ何かがあるように思えて、セシリアたちは尚も疑問を深めた。
「――まあいいわ」
今一釈然としないクローヴェルの態度に、メイドも深くため息をつき。
そして、主のはずの男へと、軽く手を振った。
「彼女たちと手を結びなさい、クローヴェル」
「えっ……でも、しかし……」
「協力者が必要だわ。プリーストもいる」
「……む、ぐ」
シャーリンドンを指さしながら、俯いてしまうクローヴェルの顔に手を伸ばし。
そして、顎を掴んで正面から見つめた。
いや……睨んでいた。
「――命令よ」
「……はい」
強く言われてはどうにもならぬと、クローヴェルはその場でがくりと膝をつき、メイドに傅いた。
「えっ、えっ……これって、その……」
「……主従が逆転してるじゃねえか。どういう事だ?」
困惑げに口元に手を当てあわあわするシャーリンドンと、何が起きてるのか飲み込み切れず口元をひくつかせているシェルビー。
セシリアも驚きは隠せておらず、口が開いたままになってしまっていた。
名無しは……名無しだけはきらきらと目を輝かせ「こいびとなの?」「つきあってるの?」とらんらんとしていた。
「まあ、こんな格好をしていたら紛らわしいかしら。私の名はテレサ。ゴールデンリバーの守護を任されしアンゼロット領主家の長女よ」
「アンゼロットの……名前は聞いたことがある、確か錬金術師の――」
「そう。そしてこのクローヴェルは、私の執事……恋人では、ないようね?」
「……っ、そ、それは」
さほど残念でもなさそうな声色ではあったが、クローヴェルは思う所があるのか、主人であるテレサには逆らえない様子だった。
そして、観念したようにまた俯いてしまう。
「ま……クローヴェルの態度は、全て私を守る為のものだったのよ。悪く思わないで頂戴。侍従が主を守るのは、当然の事だからね」
それくらい解るでしょう、と、セシリアを見て、テレサは初めて口元を緩める。
セシリアも「そうだな」と小さく頷き……テレサをじ、と見つめた。
「もちろん、事情は説明してくれるんだろう?」
「ええ。こんな状態だもの。手を取り合わないと」
助け合いは大切、などと当たり前のような事を言いながら。
けれど、その視線に油断ならないものを感じ、セシリアは緊張気味に頬を引き締めていた。
クローヴェルが、再び魔法で扉を形成し、退路を断つようにしたのもある。
「――それじゃ、まずは私の家の事情から説明しようかしら、ね」
さっきまで座っていた場所に再び腰かけ。
クローヴェルもその後ろに控える様に――元の主従関係に戻った様子で、セシリア達がそれを正面から囲むように、説明が始まった。
「そちらのセシリアの言うように、私の家は代々錬金術によって国に貢献し続けてきた家系でね。ああ、まずは錬金術について話した方がいいかしら?」
「私も、錬金術の名は聞いていても、何をするのかまではよく解らないな」
「確か、この世にない技法によって、ない所から何かを生み出したりする技術、ですわよね?」
「あら、よく解る人がいるじゃない。大体はそれであってるわ」
詳しくは知らないセシリアに対し、意外な理解を見せるシャーリンドンにシェルビーも「すげえじゃん」と素直に感心してみせるが、普段なら自慢げに「そうでしょうそうでしょう!」と胸を張りそうなシャーリンドンは、俯いて小さくため息をついてしまう。
まるで聞いて欲しくない事を聞かれたかのように。
不思議すぎる反応で、他の仲間達は首を傾げた。
「……お父様が、『錬金術をやれば金を沢山作れるぞ』とかいいながら、俄か知識で始めて……大失敗してましたから」
「うわあ」
知りたくもなかった没落の原因であった。
「酒の席での失敗だけじゃなかったか」
「資金繰りがよくなくなった貴族の典型例のような失敗の仕方をしているな……」
「ざんねんきぞく」
全力で引いているシェルビーのみならず、セシリアも名無しも残念なものを見るような目でシャーリンドンを見ていた。
本人には何の非も無いが、いっそ哀れに思えたのだ。
「ていうか、金を作れるとかすげえじゃん。成功したら大金持ちか?」
「大金持ちでしょうね。おかげでこの国では金貨は大した価値ではないでしょう?」
銀の方が上よね、と、抑揚の余り感じさせない口調で説明するテレサに、一同「確かに」と頷いた。
「錬金術師はね、いくつかの『命題』を果たすために日夜研究しているの。そのうちの一つが、貴方達の言っていた『金を産み出す技術』」
「既に実現してはいるのか」
「そうよ。それをやったのは私の家ではないけれど……その気になれば、私だって金くらい産み出せるわ」
容易くはないでしょうけど、と付け加えながら、指を三本、セシリアたちに見える様に立てる。
「私の知る限り、この辺りの錬金術師達は、流派によって異なる三つの命題の解を探し求めているの。一つは『金の精製』。これは金自体は産み出せるようになっているけれど、効率の改善だけでなく、金以外の全ての金属の精製が可能になる技術が追及されているわ」
「鉱山から掘らなくても、鉄や玉鋼や銀が手に入るって事か?」
「突き詰めればそうなるでしょうね。あるいは、鉄や銅など比較的採掘しやすい金属を元に、より採掘が難しいプラチナやエレニア銀などの金属が作れるようになるのかも」
他流派の考えることは完全には解らないわ、と、手をフリフリ。
さほど興味もなさそうに指を折った。
「二つ目は、『不老不死』。これは未だ解が見出されていない命題だわ。不老不死そのものを達成した者はいるけれど、技術として確立されていないの」
「達成はできてるのか……」
「すごいですわ」
「でも、やっちゃだめ」
「そうね。教会の教え的にも、あまり好ましくない物らしいわね。何せ、自身を異形の化け物にするだとか、生命倫理的にやってはならない実験をしたりだとか、とかく当人の人間性を歪めたり、誰かしらの犠牲を求めがちな、危険な行為も平然と行う人が多いから」
一番倫理観がぶっとんだ連中なのよ、と、眉を下げながら語る。
あまり表情の変化が豊かとは言い難いテレサではあったが、この短いやり取りでも既に、それが「この人視点でもダメな事やってる奴らなんだな」と、セシリアたちには感じ取れた。
また、指が折れる。
「三つめは『魂の追求』。これこそが我が流派……そして私の家の追求し続ける命題よ。人間を人間たらしめる、人間以外の生物が、何故人間と異なるのかを追求し続け……やがて、神々と自分たちとの境目を見出し、乗り越え、生物として昇華するために必要な、とても重要な技術の確立と追求」
他よりもやや早口に。
けれど他の命題と比べ、より重い事であるかのように感情が込められているように、セシリアたちには感じられた。
「神々を乗り越えるって、自分たちが神様になるって事か?」
「そんな、大それたこと……」
「すごくばちあたり」
セシリア以外の三人はテレサの説明に反発を感じていたが、セシリアだけはじ、と黙りこくり、テレサを見つめていた。
彼女の本気を窺っていたのかもしれない。
テレサもセシリアにだけ視線を向け……そして、に、と、口元を歪めた。
「魂の追及は、人間の進化そのものを含めた、生命としての人の在り方を求め続ける学問だわ。人は、人のままであってはいけないから」
「神々は、人の在り方を、そのままであるべきと望んではおられない」
「そういう事。だからこそ生物は変化し、変異し、進化する。人間は……あまり変わらないままのように思えるけれど、実際には進化もしているのよ」
気付かないだけでね、と、指を立てるのをやめ、掌をゆら、と、セシリアたちに見せた。
あまり健康的とは言えない、青白い、けれど染みも汚れも一つもない、綺麗な肌であった。
「……セシリアは、なんでそんな簡単に受け入れられるんだ? なんか、すげえ事言ってねえ? このお嬢様」
「私もそう思いましたわ。なんで……」
「なんとなく。そんな風に思えたんだ。何故だろうな? 頭ごなしに否定する気にはなれなかった」
「ふふ……まあ、こんなところまで来るくらいなんだから、何かしら魂の在り方に気になるところでもあったんじゃないの? 無意識に」
目元は一切変わらず、口元だけを緩める儚い笑みを見せ、「それはそうと」とセシリアたちを見渡す。
「私達の……というか、私の目的はね、この『ビャクレンの園』が、ある特異な、魂の在り方を歪める儀式を行っていると、そう考え、実際にそれが正しいかを調べる事なの」
「ミルヒリーフで行われている儀式の事か」
「ええ。町人に協力を仰げればよかったのだけれど、どうにもよそ者扱いしてその辺りだけは絶対に教えてくれないようだったから……強行突入したわ」
「私たちに協力してくれた方は……すごく不満そうでした」
「でしょうね。誰だって、自分たちだけの聖域を穢されて、いい気持ちはしないでしょうから」
それくらいは解っているのよ、と、あくまで住民の反発を理解した上で、それでもやったのだと白状し。
けれどそれ自体は悪びれた様子もなかった。
セシリアも、そこはそれ以上追求する気はなかったので、仲間達に「まあそれくらいで」となだめる様に話を戻そうとテレサに促す。
テレサもまた、小さく頷き、寝かせたままの死体に視線を向け……また口を開いた。




