#25.かけおち、する?
「――では、今日の目的をもう一度確認するぞ」
翌朝の事。
鍋を囲みすっかり元通りに関係を修復したセシリア達は、改めてボルトアッシュよりの手紙をテーブルに置き、話し合っていた。
「まず最初の目的は、ボルトアッシュ殿の住んでいる……あるいは住んでいた家を見つける。緑のハンカチーフが結んである家だ」
「これを皆で手分けして見つける、と」
「見つけるだけに留めて、絶対に尋ねていったりしないようにな。場所を住民に聞くのも、止めた方がいいだろう」
「あくまで、私たち自身で見つけないといけないのですね」
「見つけたら、皆で会いに行く」
「そういう事だ」
町に訪れてからの最初の目標は、ボルトアッシュ邸の発見にあった。
その先の、情報に関しての話は、取りこぼしがない様に全員で行いたい、というのがセシリアの判断である。
「昨日のシェルビーたちの話を聞くに、ここの住民はどうも、話してはいけないタブーを持っているようだから、必要以上に話しかけるのもまずい、かな」
「日常会話くらいは問題ないと思うぜ。その範囲ならむしろ、気さくだ」
「たぶんいい人たち」
「……なら、余計な事をして刺激する必要もないな」
今の段階では、ミルヒリーフの住民を敵に回すのは得策ではない。
調査を進めていくうちに、何がしか彼らにとって不都合な事があったとしても、可能な限り敵対はしたくない、というのがセシリアの方針だった。
各々が話しているうちに、シャーリンドンが少し気まずそうにおずおずと手をあげる。
「どうしたシャーリンドン。何か?」
「あ、いえ……昨日、カレンさん、という住民の方とお話して……前に、この町にきたPTに、あんまりいい印象を持っていないみたいなお話をされまして」
「それって、クローヴェルのPTの事か? 昨日のうちに言やいいのに」
「わ、忘れてましたの! 鍋が、おいしそうだったので……あはは」
シャーリンドンとしては、カレンからお願いされたことに関しては、今のところは隠しておこうという気持ちがあった。
年頃の若い娘の、周りを気にしてのお願いだったのだ。
いかにPTメンバーと言えど、調査に関係ない事は話すべきではない、という意識が働いた。
「ちっ、この腹ペコシスターめ」
「ひどいですわ!?」
そして誤解を受けて涙目になっていた。
「くすん……実際に私達の前に来たのがクローヴェルという方のPTなのかは解りませんが、彼らの仲間である、とか、身内、みたいな事を言うと、あんまりよくないかもしれません……」
「なるほどな。彼らが何をやらかしたのか解らないが、わざわざ不興を買うのもよくないし、気を付けるとしよう。皆もいいな?」
「あいよー」
「きをつける」
幸い、それ以上の追及も無く、そう絶たずにその日の指針は決定した。
「――約束の時間までには、まだまだ間がありますわね」
都合よく、町の東側はシャーリンドンの担当になった。
西はセシリア、北は名無し、そして南はシェルビーである。
町の構造としては東側が一番家屋が少ないらしく、緑が多い地域であった。
(モックの木……今のうちに、見ておきましょうか)
実際に時間になった時に迷っては困るからと、木の元を目指す。
人気もまばらな朝の雑木林。
その先に、遠くからも見えたモックの木が見えた。
(はあ……間近で見ると、本当に大きいわ。きっと、何十年もここに立ってたんでしょうね……)
都会暮らしが長かったシャーリンドンには、町の中にありながら、悠然とした自然を見せつけてくるモックの木に、感慨深いものを感じていた。
何せ、自分の何倍も、もしかしたら、何十倍も生きたかもしれない存在なのだ。
風に揺れるだけで、動けもしない木ではあるが。
それは確かに、一個の生命。
(……なんでかしら。とても落ち着くわ)
セレニアにいても、こんな自然的な光景は見られなかった。
冒険者として初めて街を出た時も、ここまで雄大な存在は、見られなかった。
強いて言うなら、『グラフチネスの揺り籠』のジャングルパーク。
あれこそはまさに原初の緑といった自然に満ちた世界だったが……彼女にはそれは、明らかに不自然な自然のように思えたのだ。
そうあるように造られたかのような。
「……すぅ」
深く深呼吸する。
ただそれだけで、肺の中に新鮮な空気が入り、心地よくなるような気持ちがして。
そうして、胸いっぱいに吸い込んだ後、巨木を前に、祈りを捧げる。
本来は運命の女神に仕える以上、それは背信行為のようなものであるが。
何故だか、そうしなくてはいけないような気がしたのだ。
(いけないわ)
ダメな事をしていると思いながらも、何故だが晴れがましく。
そう、「正しい行いをした」という、妙に満たされたような気分になり、シャーリンドンは不思議な気持ちになった。
「うーん、見つかりませんね」
東側には、数えるほどしか家がない。
道を歩きながら、家主や通行人から不審がられないようにちら、ちら、と、視線だけそちらに向くように軒先を見るが、緑のハンカチーフなどどこにも見られなかった。
ここではなかったのかもしれない。
そう思いながら、シャーリンドンは「これからどうしようかしら」と、空を眺める。
まだまだ、陽が登り切ってすらいない。
お昼ご飯にすら早すぎるくらいの時間で、どう考えても時間を持て余していた。
(こういう時、どうしたらいいか、聞くのを忘れてましたわ)
他の人の手伝いに行けばいいのか、それとも、宿屋で待つべきか。
一応何かあっても困らないようにと、お小遣い程度に少額のお金を渡されてはいるので、お店さえあればそこで時間をつぶすくらいはできるのだが。
生憎とこの町には、ティーショップなんて小洒落た店がある様子もなく。
ゆったりと過ごせるような場所は、そんなにはなさそうだった。
(そうなると、やっぱり……あそこしか)
思い浮かべるのは、さっき訪れたモックの木の前。
思い出してみれば、座るのに手ごろな大き目の岩もあったかもしれない、などと思いながら、そこへと足を延ばしてみる。
「あ、あれ、シャーリンドンさん?」
「あら、カレンさん」
すると、何故かカレンがそこにいた。
約束の時間まで、まだまだ先だというのに。
そして、シャーリンドンの顔を見て「どうして」と、首をかしげていた。
けれど、すぐに人のよさそうな顔になる。
「もしかして、下見とか、ですか? 迷わないように」
「え、ええ、そんなところですわ」
実際には下見はもう終えたのだが、時間をつぶしに来ただけ、というのも「何のために?」と聞かれて大変そうなので、シャーリンドンは敢えて乗ることにした。
「真面目な人なんですね。よかった。町の人たちが、新しく冒険者の人たちが来たって、皆噂してたから……シャーリンドンさん達の事ですよね、多分」
「ええ、恐らくは……皆さんに、心配されるような事がなければ、とは思うのですが」
「うふふ、大丈夫ですよ。シャーリンドンさん、いい人みたいだし」
きっと大丈夫、と、ニコニコと愛らしい笑みを浮かべながら、キラキラと綺麗な赤髪を煽る。
風に揺れ、美しく散り舞うその赤は、シャーリンドンから見ても「わあ」と感心してしまうほどで。
そしてその視線が自分の髪に向いているのを見て、カレンは恥ずかしそうに「やだなあ」と頬を赤らめる。
「髪なんて……シャーリンドンさんみたいに綺麗でもないのに」
「そんなことありませんわ。カレンさん、十分綺麗にしてますもの」
年頃の乙女のよく手入れのされた髪は、瑞々しく美しく。
それは、自分だって負けないくらいに気を付けてはいても、やはりずっと町にいる女の子と、旅をしている自分では、同じではないと思っていたのだ。
だから、素直に綺麗だと思えた。
「えへへ……ありがとうございます! あの、用事なんですけど、今でもいいですか? 実は夕方、別の用事が出来ちゃったみたいで」
「あら、そうなんですの? ええ、もちろん」
シャーリンドンとしても都合が良かった。
ここから夕方まで待つのは流石に厳しいものがあったし、あまりに家がなさ過ぎて、これではさぼっているかのようで、自分でも複雑な気持ちになりそうだったのだ。
にっこり笑って受けると、カレンもまた、可愛らしい笑みを見せて「よかった!」と喜んでいた。
「実はあの……恋愛の、相談なんです、けど」
「ふぇっ、れ、恋愛の……?」
「ええ、その……町の外の人に話すのは、本当は恥ずかしいんだけど……」
どんなお話かと思えば、と、驚きを隠せずぽかん、と開いてしまった口を慌てて手で覆う。
幸いカレンは照れ照れと頬を赤らめ、ちらちらと周りを見るだけだった。
「……私、将来を誓い合った、恋人がいるんです。アレフっていう、商人をやってる家の人で。彼とは幼馴染で、ずっとずっと、好き合っていて……」
「まあ、素敵ですわね」
「ありがとうございます。でも、私の家……昨日も言いましたけど、父が町長をやっていて。アレフの家とは、ちょっと、仲が良くないんです」
「……それでは、互いの家の親御さんが、結婚を反対して……?」
「反対というか……家がそんなだから、中々切り出せないでいたら、いつの間にか私の結婚の話が決められてて。次の誕生日に、別の家の人と、結婚しなくちゃならなくなって」
恥じらいも消え、俯き呟くように語るカレンの背中は、どこか煤けているようにも見え。
望まぬ婚姻が迫っている事が、それほどに辛いのが、シャーリンドンにも伝わった。
「私! そんなの絶対嫌だから、彼と駆け落ちしたいんです。彼だって、私の事は愛してくれてます! だから……町の外に、逃げたくって」
「……もしかして、駆け落ちのお手伝いを、私たちに?」
「はい! 貴方達が来るとき、馬車で入ってきたそうじゃないですか! その馬車に、こっそり私とアレフを、乗せていってくれないかな、なんて……」
無理ですかね、と、申し訳なさそうに眉を下げながら、けれど縋る様な目でじ、と見つめてくる。
これには、シャーリンドンも抗い難かった。
(こ、これは……絶対に、絶対に関わっちゃダメな奴ですわ!)
解っていた。絶対に面倒ごとになるパターンなのだ。
恋人同士の駆け落ち、それ自体はロマンある美しき若者たちの無茶と言えるだろう。
シャーリンドンだって、年頃の乙女である。
好いたわけでもない人と結婚させられるのは嫌、というのは、むしろ元貴族令嬢だからこそ、そして手段をほとんど選べななかった没落令嬢だからこそ解るのだ。
だが、間違いなくそれは、PTに迷惑をかける選択だった。
少なくとも独断で決めていい話ではないはずだった。
もしそんな事をしたら、絶対に……絶対にシェルビーに皮肉の一つも言われるから。
(それだけは、嫌だわ!)
他の人に怒られるのはよくても、シェルビーに非難されるのはなんだかすごく嫌な気持ちになるのだ。
自覚がある事でも怒られたくない、悪く言われたくないという強い拒否感があった。
普段のお人好しな彼女なら、断るに断り切れず、絶対に流されてしまう展開だ。
そんな彼女を押しとどめたのは、その超個人的な「ちょっと嫌なこと」だった。
「あ、あのっ」
すぅ、と深く息を吸い込み、深呼吸すると、少しだけ落ち着けた。
冷静になれば、何を言うべきかはすぐに解った。
「――条件が、あるのですが」
「うーん? 見つからねえなあ? こっちは外れだったか……?」
同じころ、南側では、シェルビーが頭の後ろに腕をやりながら「ねえなあ」とぼやいていた。
ぱっと見は観光気分。
ちょいといい女を見つけたら色目を向けるくらいのつもりで歩いていた。
どう見てもよそ者が、ちょっと変わった景色目当てにふらついてるくらいにしか思われないだろう歩き方である。
「よう兄ちゃんどうしたよ? 何か気になるのか?」
「酒を飲むにはまだちょいと早い時間だよなあ?」
そうこうしていると、コワモテの男達から話しかけられる。
大工仕事でもしているのか、腰にはノミやらキリやらが下げられていて、剣呑にも思えた。
シェルビーはにや、と口角をあげながら「いやね」と腕をだらんと降ろす。
「俺ぁ他の町から来たんだけどよお、故郷の村がこんな感じの緑が多いところでさ、ちょっと、懐かしんでたんだよ」
「そんだけじゃあるめえ?」
「何か隠してやがるな、おい」
あくまで表向きは機嫌よさげに。
けれど、ずかずかと近づいてきて、その丸太のように太い腕で、左右から首の後ろに手を回してきたのだ。
そのまま、男達の顔の前に立たされる。
もう逃げられるような状態ではなかった。そも、逃げなど打てるはずもないが。
こうなっては仕方ない、と、ち、と、舌打ちしながら、「バレちまったか」と深く息をつく。
「実はさ……俺、おっぱいのでかい女が好みなんだ」
「マジかよ、解るぜ」
「俺たち友達になれるかもしれねえな」
「ほんとに? なあ、町のおっぱいでかい女の子教えてくれよ兄弟。酒場で一杯やりながらよぉ」
「いいねいいね! ちょっと早いが一杯引っかけるか!」
「ちょい飲みくらいならかかあだって怒らねえぜ! さあ行こう兄ちゃん! 気に入ったぜ!!」
がはは、と豪快に笑いだす男達。
やはりおっぱいは正義だった。
その一言で男達は解り合えたのだ。
(すまねえな兄弟たちよ、俺は別におっぱい好きな訳じゃねえんだ)
悪いなあと思いながら、このおっぱい好きな男達に合わせるように笑い、そのまま酒場に向かおうとしたのも束の間。
『どこにいくんだいこの怠け者ぁっ!』
『仕事もせずに、どうせ飲みに行くつもりなんだろこの万年酒樽男が!!』
「うひぃっ!?」
「か、かーちゃん、違うんだよ! 誤解だってぇ!!」
男達はこの世で最も怖い女達にどやされ、まるで悪事が見つかった子供のように萎縮しながら慌てて戻っていった。
(……女って怖ぇ)
結婚しても尻には敷かれたくねえなあ、と、儚い気持ちを抱きながら、シェルビーは立ち去る。
「~~~♪」
ぴゅー、と、軽めの口笛を鳴らしながら。
遠くで自分の嫁さんに頭を叩かれる男達を前に、「やっぱ女は太腿だぜ」と呟いた。




