#23.みるひりーふにとうちゃく
「――もう無理よ! こんな町にいたら私達、一生一緒になる事なんてできないわ!!」
「落ち着いて、落ち着いてよカレン。気持ちはわかるけど……今は、まだ」
静かな落ち着いた田舎町。
訪れたものに、そんな印象を抱かせる王国東部の町の隅っこで、若い男女が何やら騒いでいた。
町の中でも人気の余りない地域で、だからか声を気にする必要もないのかもしれないが、愛を語らいあう、といった控えめなものでもなく、娘の方は青年に向かって、かなり大きな声で心情を吐露していたのだ。
「まだって、いつならいいの?」
「えっ、そ、それは……」
「いつなら連れ出してくれるの? ねえ、貴方前にも同じ事言ってたわよね? 私、その時は貴方を信じて待ってたわ。だというのに、貴方はいつまで経っても……」
「時間が、必要だと思うんだよ。今すぐに行動しても、絶対に失敗するって、そんな気がして」
駆け落ちの相談だった。
こういった田舎町にはよくあることで、愛し合う若い男女が、望まぬ将来から逃れるためにする、ただの一幕。
だが、この二人の漂わせる雰囲気は、そんな、必死だけれど互いの愛を守ろうという思いよりは、スレ違いの方が強く前に出てしまっていた。
「……アレフ。私、貴方の事が好きよ。愛してる。結婚は、貴方じゃなきゃイヤ」
「僕だって……ずっと好きだったんだ。子供の頃から」
「ありがとう。でもね……でも、私達はこの町にいたままじゃ、絶対に結ばれないわ。解ってるわよね?」
「うん……だけど、今は待ってほしい。今すぐに無茶なことをしたら、絶対に町の年寄りたちが邪魔してくると思うから……」
あくまで駆け落ちを迫っているのはカレンと呼ばれた娘の方で、それを恋人のアレフが落ち着かせようと説得している、といった段階。
まだまだ段取りも何も決まっていない、ただ一方が言い出しているに過ぎない状況だった。
「……解ったわ」
「カレン」
「ごめんねアレフ。わがまま言って。でも、でもね……私は、貴方じゃなきゃイヤなの。それだけは覚えておいて」
「解ってるよ。愛してる。カレン」
「ん……」
惚れた弱みか。
カレンも結局はアレフの言葉に折れ、最後にはキスをして頬を赤らめ、ようやく恋人同士らしい、甘い雰囲気を少しだけ纏わせて、互いに別々の方向に去っていく。
(なんとか頑張って、親父を説得しなきゃな)
(アレフが決断してくれるようにするには、どうしたらいいのかしら……)
互いに考えていることは別々で。
だけれど、互いに、相手と一緒に幸せになれる為にどうすればいいか、考えながらだった。
――同時刻。
町の入り口に、一台の馬車が入ってくる。セシリア一行である。
衛兵すら一人しか立っていない入り口で所定の手続きを取り、入ってすぐの旅籠に馬と馬車を置かせてもらい、旅の疲れを癒す為に受付で教えられた部屋に入ってゆく。
「――カニはやっぱり油で炒める方が美味いだろ」
「いいや、カニはゆでるに限る」
「私はお酒で蒸した方が……」
「なまがいちばん」
町に入る前に突如始まった「カニの一番おいしい食べ方」談義で、一行は最悪のムードのままであった。
「ふ、ふん、調理法は百歩譲ってだな、ライムと塩で食うのが一番だろう?」
「いいや、カニには醤一択だ。あの芳醇な香りは捨てられない」
「私は果物を使った酸味のある、だけれど甘めのソースでいただく方が……」
「なにもつけずにそのままばりばり」
まずもってどこ産のカニが一番かで揉め、更にそこは辛うじて乗り越えたものの今度は捕獲の仕方で揉め、調理方法で揉め、今度は味付けで揉め始めていた。
「醤とかお前、それは反則だろ。輸入でしか手に入らない金持ち専用のじゃねえか」
「何を言う。私の言う醤とは騎士団自家製の、魚をじっくりと漬け込んだ――」
「輸入品以上の手間がかかる奴だろ!」
食べ物に関していうならば、人は中々妥協ができない。
己が常識にフォークで横やりを入れられているようなもので、互いに譲り合うという事ができないのが人間という生き物の浅ましさであった。
「間を取って、果物とライムは一緒という事で一つ……」
「何ひっそりと同一化しようとしてるんだよ。ライムは甘くないだろうが」
「うう、でもこのままだとお話がまとまりませんわ」
「よけいなもの入れない方が美味しい」
――なんでこんな下らない事で喧嘩みたいになってるんだろう。
一つの部屋に集まりながら、やっている事は顔を突き合わせ喧嘩まがいの論争。
相手を打ち負かす為に過激になりそうな意見をギリギリのところでとどめてはいたが。
それでも、その場にいた全員が「こんなつもりじゃなかったのに」と内心でくったりとしていた。
皆最初は「この話題で盛り上がれたら楽しいだろうな」と思いながら話題に乗ったはずなのだ。
「……もういいですわ、私、ちょっと散歩してまいります」
居心地の悪い部屋の中、まず最初にシャーリンドンが堪えられなくなり、部屋から出てしまっていった。
「追いかけなくていいのか、保護者殿?」
「たっ、なんで俺が保護者やんなきゃいけねえんだよ。あいつだってガキじゃない」
セシリアからの言葉も鬱陶しい皮肉のように感じられ反発するも、シェルビーはため息交じりに「酒場行ってくるわ」と、部屋を出てしまう。
「素直じゃない奴だ」
「……セシリア様も」
シェルビーのいなくなった部屋で、名無しと二人きり。
けれどなんとも微妙な雰囲気のままで、セシリアは珍しく「ふぅ」と深い息をついた。
「食べ物の事で揉めるなんてな。私とお前だけだったら、素直にごめんなさいができるのにな」
「……うん」
いつも自信に満ち溢れているセシリアではあったが、こんな時ばかりは弱音も出る。
リーダーとして人の上に立つ身ではあるが、それでも人間なのだ。
こういう時、その普段隠している人間らしさが表に出てしまう。
「――それでも、今の方が楽しい」
「うん」
さっきは少し間をおいて返答した名無しが、これにはすぐに頷いて見せた。
顔もさっきよりも少しだけ明るめで。
「父上は……こんな時にどうしたらいいかは、教えてくれなかったな」
ベッドに座り込み、また小さくため息を吐き。
そうしてどこか遠くを見る様に視線を上向け、そのまま倒れ込み。やがて目を閉じる。
「セシリア様。ボクも買出しに行く」
「ああ。そうしてくれ。私は少し、休みたい」
元々、今日一日は休息のために予定をフリーにしておいた。
ボルトアッシュ邸を探すのも、ダンジョンについての情報収集をするのも、翌日以降と考えていたのだ。
長期間の馬車旅は、どうやっても体力的・身体的な負担が大きい。
「……行ってくるね」
「うむ」
小さな声に小さく答え。
やがてドアが開く音が聞こえると、セシリアはそのまま、静かに意識を落としていった。
『――どうした、何故そんな程度で剣を落とす』
膝をつき、両手を地べたについて泣き出している少女が居た。
『ひっく……ひぐっ、むり、です、こんなの……っ』
その少女の前に立ち、厳しい表情で「早く剣を持て」と、突き放すように言う父親が居た。
(ああこれは……夢か)
子供の頃に実際にあった事。
騎士の家に生まれ、女系相続の家である以上は自身が剣を覚えねばならぬと叩き込まれていた、その最初の日々だった。
『もう、立てません』
『そんな事はあるか。立てる。お前ならば立てる』
『足に力が入らないんです。手だって擦り切れて……』
『そんなものはすぐに回復する。お前はそういう力がある』
実際に、セシリアには自動回復という力があった。
生まれ持っての、世界でも割と希少な回復能力。
これによってセシリアは、何もせずとも傷が治り、病気が治り、体力も回復し、痛みや精神的なダメージ、果てには些少ならば呪いすら回復していく。
致命の一撃以外は瞬く間に回復し始めるその様はまさしく神から与えられし特別な力であり、セシリアの身体に流れる『高貴なる血』を証明するものであった。
『お前の母親も、幼少の頃から剣を握っていたと聞く。お前のおばあさまも。ずっとずっと、お前の身に流れる血脈は、その時代その時代の傑出した騎士として、確かに実績を知らしめて来たのだ』
だからお前もやれる。やらなくてはならぬ。
そう言われながら、セシリアは剣の腹で肩を叩かれ、立ち上がる様に命じられた。
決して生易しいものではない、これが他の家ならば、虐待とも言われかねない鍛錬の風景。
そんな状況に立たされ、幼少のセシリアは、やがて涙を手で拭い、立ち上がった。
ちら、と後ろを見る。その日も自分を見守る妹が、屋敷の窓に見えた。
『剣を拾え』
『……はいっ』
母の名を出されれば、セシリアは絶対に折れる訳にはいかなかった。
物心ついてからはほとんど話したことも無い、ずっとベッドの中に居ただけの母ではあったが。
それでも尊敬していたし、家の者から若かりし頃の活躍を聞かされて、自分もそうなりたいと思っていたのだ。
そんな母が亡くなってから、どれだけ経ったか。
尊敬する母の娘であるならばこそ、少女は、子供のままではいられないのだ。
『この門外不出の鍛錬法は、私がお前の母親から直に聞いたものだ。間違いない。これを続けていればお前は、間違いなく国一番の騎士となれる。この私を凌駕し、母や祖母、代々の継承者らを乗り越え、大陸一の英傑となるのだ』
『……』
少女の眼にはもう、苦しみや悲嘆は残っていなかった。
乗り越えなければならない目標があった。
父親以上の実力者となる事。国一番の騎士となる事。
そして何より――
『アルテを守る為にも、私は……っ』
『今はそれでよい。参るぞ!!』
『はいっ!!』
――妹を守り切れるような、強い姉で居たい。
か弱く病弱な妹に、少しでも自分という姉がいることを誇ってもらいたい。
妹が少しでも生きる希望を抱ける、そんな光のような存在でありたい。
ただそれだけ。姉であったからという理由で、強くなろうとしていた。
「――ははは」
目が覚めれば、実にバカバカしい事で喧嘩をしていたように思えた。
強くなる意味は半分くらい果たしていたようなものだった。
国一番の騎士というのは、未だ拮抗する実力者が他にもいるので達成できていなかったが。
妹はよく自分の事を誇っているようだし、そこは満たせているのだから。
実際にはそこから結婚相手が見つからずという本格的な困難が待ち受けていたので、余計にそんな事が、今の彼女にはどうでもよく思えていた。
「皆に謝ろう。そして、今夜は美味しいご飯にしよう」
ダンジョンに入れば、またモンスター由来の大味な食事ばかりになる。
今しか楽しめない美味しい食事を皆で味わいたい。
そう思い立てば、セシリアはまた、立ち上がれた。
ベットから起き上がれば、安物のベッドはぎし、と情けない音を立て軋む。
軽く手を付き立ち上がり、また一息「ふぅ」と息をつき、今度は晴れがましい表情になり、部屋から出る。
「――今夜は鍋だ」
市場に顔を出し、食材を仕入れるべく、セシリアもまた、村へと繰り出した。




