#17.そのばにいたかった
「……」
「……」
かくして、シャーリンドンハウスである。
ただ送り届けるだけのつもりだったシェルビーは、シャーリンドンの婆やに「まあまあ」と謎の笑顔と抗いがたい雰囲気に押し負け、手を引かれるままお茶会に巻き込まれることになってしまった。
「お前の婆やさんって、いつもあんななん……?」
「……解りませんわ」
二人、テーブルを挟んで対面させられる形で座らされ、お茶だけを出され。
肝心の婆やは「お茶菓子を買い忘れていましたわ」などと言いながら居なくなってしまったのだ。
二人して居心地が悪いったらなかった。
シャーリンドンなど、むくれてそっぽを向いてしまっている。
「私がシェルビーと……恋人同士みたいに思われてるのも、なんだか嫌ですし」
「わざわざ嫌って言われるとそれはそれで傷つくが」
「あっ、ごめんなさい……その、悪気はなかったんですのよ?」
「謝られると余計にズシリと来るな」
複雑な男心であった。
面倒くさくてシャーリンドンは「どうしろって言いますの」と眉を下げてしまう。
「いやまあ、気にしなくていいんだけどさ」
一々本気に取るなよと手をフリフリ、気にしてないアピールをするシェルビー。
本当は少しだけ、ほんのちょっとだけ悲しい気持ちもあったが。
「んな事より、さっき飯食ったばかりでお茶とか飲まされても……なんていうか」
「そうですわね。私はそんなに食べていないですが……でも、婆やの淹れるお茶は絶品ですのよ?」
「そうなのか……お茶に関しては全くこだわりがないんだが」
ずず、と啜るお茶の味など、シェルビーには全く分からなかったが。
それはそれとして、この娘と二人、こうした形で会話になるのは珍しい事だと思えた。
「……考え方を変えるか」
「はい? 何がですの?」
「いや、どうせだからこの際、解らんことを色々知るのもありかと思ったんだ」
わざわざこんな場を用意されて、困惑もしていたが。
このシャーリンドンという娘が何を考えているのか、どんな人間なのかを知るにはいい機会かもしれないと、そんな風に考え方を変えることにしたのだ。
「そんな訳で何か話そうぜ。好きな食い物とか」
「エクレアですわ」
「エク……なんだって?」
「エクレアです。シュークリームを細長くして、チョコレートを掛けて冷やした……」
「ごめん、シュークリームがよく解らねえわ」
誰でも簡単に答えられそうなところをとっかかりに、会話の糸口を見つけようとした矢先に壁にぶち当たっていた。
「好きな酒のつまみとか」
「お酒、飲みませんわ!」
「そういやそうだったな……なんでそんなに酒が嫌いなん?」
「お父様がお酒の席で大言壮語を語って、それが原因で没落したからですわ……」
(うわ地雷踏んだよ)
会話の第一歩で早速地雷を踏んでいた。
シェルビーは自分のコミュニケーション能力の低さを呪った。
「……この会話は止めよう。なんか育ちとかの所為で地雷踏みまくりそうだ」
「むむむ……なんだか嫌な事だけ思い出させられて損した気分ですわ」
「んじゃ、損した分だけお前も俺に何か質問していいよ」
「えっ? うーん、そうですわねえ……」
なんでも聞け、と言われ、シャーリンドンは視線を上に向け少し迷った風を見せる。
(なんだ? こいつ、俺に何か聞きたいこととか、そんなにあるのか? 別に一つとは言ってないからいくつでも聞いてくれていいんだが……)
「こほん……そうですわね、それでしたら、ずっと気になっていたことがありましたので」
その様子にちょっと不思議なものを感じていたところで、考えがまとまったのか、また見つめ合う形になる。
シェルビーも、それで「おっ」と、またシャーリンドンへと意識を向ける。
「シェルビーって……もしかして、見た目に反してすごく……おじさんですの?」
「ぶっ……なんだそりゃ」
予想もしてない方向性の質問で、思わず吹きそうになってしまっていた。
口の中に紅茶が入っていたら悲惨な事になるところである。
「だって、事あるごとにお酒の事を気にしたり、お酒に絡んだことばかり語ったり……お酒が好きすぎますし」
「若くたって別に酒くらい飲むだろ? セシリアだって結構飲んでたぞ?」
「セシリアさんは……別に、若くてお酒を飲むことそのものがっていうお話ではございませんわ」
話がそれそうになっているのを感じてか、シャーリンドンは抗議めいた視線を送る。
だが、当のシェルビーとしても、どう会話を運ぶものかと迷ってしまっていたのだ。
(見た目よりおじさんとか……そんな事言われてもな。酒好きなのは昔からだし)
シェルビーとしては、自分が今まで生きてきた中で、酒はコミュニケーションを円滑に進めるために有効なツールでもあったので普通に会話に出していただけで、冒険者をやっていて酒そのものが嫌いというこのシャーリンドンは、かなり想定外の存在だった。
名無しのように子供ならまだ解るし、子供の扱いならまだなんとかなると思っていたが。
「今まで、冒険者やってて酒が嫌いって奴に会ったことなかったからさ、酒がどうとか話すと、大体『解る解る』とか『俺もそうなんだよなあ』とか、乗ってくれる奴が多くって」
「そうなんですの? 確かに前のPTの方々も、事あるごとにお酒を飲んでいた気がしましたわ」
「だろ? ここのPTはポーターちゃんもいるし、難易度も高めのダンジョンだったから酒どころじゃなかったけどよ」
シェルビーとて、冒険の際にはある程度自制し、飲まずに過ごすこともあるのだ。
ダンジョンの中で斥候の手先や判断力が鈍るという事は、それはすなわちPTの全滅に直行しかねない自殺行為そのものなのだから。
「それにそれに、いつまでも無精ひげ生やしたままなのも、すごくおじさんっぽいですわ!」
「これは俺のトレードマークなんだよ」
「絶対嘘ですわ! 横着してるだけでしょう!!」
とやかく言ってくる娘であった。
今まで冒険者をやっていてこんなに色々うるさく言われることも無かったので、シェルビーも「なんでそんなこと気になるかねえ」と面倒くささを感じてしまう。
「関係ねえだろう。王様の前だって俺は気にしなかったぜ? 王様も気にしなかった」
「それは……そうですが」
「お前が気になるってか? 気にし過ぎだろ。お前は俺のかーちゃんか?」
からかうようにおどけてみせれば、シャーリンドンはまたも「むむむ」と頬を膨らませてしまう。
まるでリスのようで子供っぽく、道歩くときに感じていた「年頃の娘さん」みたいな感覚はとっくに消え失せてしまっていた。
「――お嬢様は、隣に歩く方の身なりが気になるんでしょう」
「おわっ」
「婆や? も、もう、帰っていたならすぐに仰って!」
図らずも会話に意識が向いていて、二人して婆やが帰ってきたことには気付けず。
そして横からの婆やの一声に驚かされてしまっていた。
「ふふ。お二人が会話を楽しんでらっしゃるなら、もう少し時間をかけてもよいと思ったのですが……どうにも、喧嘩になってしまいそうですので」
空気を読みましたわ、と、木製のトレイに小さなお茶菓子がいくつも乗ったお皿を一つ。
テーブルの中央に置いて一歩下がった。
「……座ります?」
「いえいえ、お気になさらず」
婆や、という響きに反して、まだまだこの婆やはかくしゃくとしていて、シェルビーの気遣いにもすまし顔で応えるのだ。
どうやらまだ二人で会話をさせたいらしい、と、その意図を読みながら「そうすか」と、またシャーリンドンの方を向く。
シャーリンドンは……むくれていた。
「婆や? シェルビーは、私を送って下さっただけですのよ? それをこんな……引き留めて」
「あらあら、送っていただいた殿方をそのままお返しするのは、流石に失礼に過ぎると思ったのですが?」
「それは……そう、かもしれませんが」
「そもそも、お嬢様が冒険者などという不向きこの上ない事を無理に続けなさるのも、婆やは反対しているのですが?」
元令嬢がむくれているのも構わず、婆やはすまし顔のままどんどん話を進めていってしまう。
「私は、私なりに、お家を再興しようとしているだけですわ。お金も――」
そこまで言いかけてはっと気付き、懐からお金の入った袋を婆やに見せ、テーブルの上に置く。
婆やも少しばかり驚いた様子で片眉が動くが、中身を確認し、そしてそれを受け取り、またすまし顔に戻ってしまった。
「まあ、きちんと生活費を稼いでこれたのですね。ようございました。これで当面の間は、借金取りに身体を捧げずに済みますわね」
「そ、そういう事にはなりませんわ!」
やめてください、と、明確に強い口調で婆やに抗議するシャーリンドンを見て、シェルビーは「珍しいなあ」と感じていた。
この娘がそこまで強い口調で反抗するなんて、早々見られるものではない、と。
しかし、そこまで考えて「いや」と、瞬間的にではあるが、これ以上の怒りを見たのを思い出してもいた。
(前のPTの奴らに笑いものにされたとか話してた時に、滅茶苦茶怒ってたっけな)
再会した直後の事だった。
元PTメンバーらから「胸と尻にしか中身が詰まってない」と言われた時の事だ。
あれは聞いていて侮辱的にも思えたし、シャーリンドンに全面同意したものだが。
「シェルビーもいるのに、そういうお話をするのはやめてください」
「これは失礼しましたわ。ただのPTメンバーの方なら、むしろお嬢様の置かれている状況を理解していただけた方が、より協力的になっていただけると思ったのですが」
「余計な事ですわ。同情で仲間扱いされても、嬉しくありませんもの!」
「それは甘い考えですわ。利用できるならどんなことでも利用すべきです。お嬢様はもう、そこまで落ちているのですから」
いちいち気にすることではございませんわ、と、あくまで変わらぬ声色のまま、しれっと聞かせてくる。
聞けば聞くほどシャーリンドンが劣勢になっていくのは、シェルビーにも解っていたが。
(……この婆さん、何企んでやがるんだ?)
シェルビーは、この婆やが、ただ話している通りの事を聞かせる為だけにこんな回りくどい事をしている訳ではないであろうことを、うっすら感じ取っていた。
少なくともこの家に来るまでに、シャーリンドンから聞いた『婆や』という言葉からは、そこまでネガティヴなイメージが感じられなかったのもある。
だから、その言葉裏に何が隠れているのか、気になり始めていたのだ。
「――婆やは、冒険者などしていただかなくとも、お嬢様には元ご令嬢として、再起を図れるだけの教育を施したという自負がございます」
「う……それは……」
「家事全般に始まり、貴族の娘として必要な教育は全て叩きこんでおります。貴族に限らず、高家や豪商、名のある名家にいつ嫁いでも恥ずかしくないはず」
「……そんな事、ありませんわ」
「ですが、婆やには解らないのです。お嬢様が、本当に冒険者として向いてらっしゃるのか? 今の今までまともな報酬も稼げず、今日になってようやくですわ」
先ほどの袋を今一度確認し、「額はまあまあですが」と、見た目ばかりはにこりと笑っても見せるが。
だが、その瞳は厳しさを残したままなのは、シェルビーからもよく解った。
「――シェルビー様。お嬢様は、冒険者としてそんなに優秀なのですか? いないと困るほど、お役に立ちますか?」
「……婆やっ」
「ふふ、聞いてはいけませんでしたか? これは失礼いたしました。婆やがシェルビー様にお話を聞くのは、悪い事でしたでしょうか? 腹が立ちますか? それとも」
こつ、こつ、と、再びシャーリンドンの傍に寄ってきて……しかし、今度はその背後に回り、肩にトン、と、手を置いて。
それで、シャーリンドンがびく、と震えたのが、彼には見えてしまったのだ。
「――それとも、怖い、ですか? 役立たずと言われるのが。婆やはお嬢様の幼少のみぎりからお仕えしておりますわ。お嬢様の事なら何でも解りますのよ? お好きな事、お嫌いな事、言われたら傷つく言葉、どんな言葉をいつも人に求めていらっしゃるのか、初めてのお友達がどんな方なのか、理想の殿方のお好みも、それから――」
謡うように語って聞かせ、シェルビーに対してはにこり、まるで慈母のごとき笑みを見せてもいた。
脅したいわけでも泣かせたいわけでもないのだろう、とシェルビーは感じ取り安堵したが。
同時に、それが見えないシャーリンドンは、事あるごとに肩に乗せられた手がぽん、ぽん、と軽く叩いてくるのを感じ、その度にびく、びく、と、震えてしまっていた。
怖いのだ。怒られていると思ってしまったのだ。自分が、何かとんでもない間違いをしてしまったのだと、そう怒られているのだと感じ始めてしまっていた。
「――お嬢様が、運動が苦手な事も。バランス感覚が悪くて、いつも躓いてしまいそうになることも。体力がなくって、些細な運動で息を切らしてしまう事も」
「……もう、やめて、ください」
明確に自分のダメな部分を指摘されていた。
それも自分の面倒を見てくれた、一番近しい、現状最大にして唯一の身内とも言える人から、ばっさり斬り捨てられていたのだ。
少なくともシャーリンドンはそう感じてしまっていた。
「はははは、どんくさいくらい、今まで何度でも言われてただろ?」
だからか、シェルビーは笑ってしまった。
突然笑い出したように見えて、シャーリンドンは顔をあげ、目を白黒させる。
「シェル、ビー……? どうなさいましたの、そんな、突然……笑いだして」
「いや、なんか婆やさんから言われてすげえ思いつめた顔してるから、つい面白くなって笑っちまったよ」
「……っ、シェルビー! 貴方!!」
「悪ぃ悪ぃ! でもよぅシャーリンドン。お前、本気でそんなこと気にしてたのか? 俺も今までさんざんお前の事ドンくさいとか言ってたし、はっきり言ってお前は冒険者に向いてないと思ってたけどよー」
そう、シャーリンドンが冒険者向きじゃないのは、ほかならぬシェルビーが十分に分かっていたことだった。
セシリアPTと比べても、シャーリンドンの方がまだ付き合いが長かった。
どれだけ彼女がダメな娘なのかくらい、とっくに理解していた。
「でも、お前はそれでもついてくるんだろ? やりたいんだろ? 冒険者」
シェルビーにしてみれば、なんでこんな恵まれた容姿の、それこそ育ちにしたって、没落して尚自分なんかよりよっぽど良い暮らしをしていそうな元お嬢様が、向いても居ない冒険者をしているのか不思議でならなかったが。
はっきり言って役立たずな面もあって足手まといになってた時も少なからずあったが。
それでも、そんなのは笑い飛ばしていい程度の事だと、そう思ってしまっていたのだ。
「好きでやってたんじゃないのか? 誰かに強制された?」
「ちが……違いますわ。私が、自分でなりたくて――」
「お前がなんでやりたいのかとか知らねえし、知るつもりもないけど、それならそれでいいじゃん?」
冒険者なんて、誰かに強制されてやるようなものではない。
食い詰めた奴だとか、財宝見つけて一攫千金の夢を持ってだとか、名声を求めてだとか、色々と目的は人によって違うだろうが、それでも。
「冒険者っていうのは、好き好んでやるもんだぜ? やりたいと思ったなら、それが一番の動機だ。理由だ」
そういうもんなんだぜ、と、婆やの方にまた目を向ける。
にこやかであった。そも、最初からこの婆やは怒ってなどいない。
ずっと笑顔だった。
どんな回答がシェルビーから出ようと、あるいは最悪彼が何の擁護もしなかろうとも、それがそういうものと、受け入れるつもりだったのだろうと、彼はそう解釈した。
「だから、お前がついてきたきゃ、ついてくりゃいいんだよ。少なくともPTリーダーの――セシリアの許可は下りてるんだからよ」
「あ……」
もう仲間なんだぞ、と、手を伸ばし、その柔らかな小さな手を握り、引っ張り上げ。
二人して席を立つ形になると、婆やはもう、シャーリンドンの後ろからは離れていた。
「まあ、そんな訳だよ婆やさん。役立たずでドンくさくて失敗ばかりする頼りない新人だけどよ、こいつは俺たちの『仲間』だ」
「そのようでございますね。ま、お嬢様になんと言って聞かせようと、今更どこそこに嫁入りして貴族の地位を取り戻して、というのはやりたがらないようですし、婆や、解っておりましたわ」
「……だって、嫌なんですもの。復興の為とはいえ、そんな……」
「ま、お嬢様がこんなですから、私は私なりに苦労させられているのですが。その苦労が幾分かでも和らぐなら、今少しの間はお嬢様の好きにさせてみようと思いますわ」
頼りない方ですが、と、主ににこり、微笑んで見せ。
「婆や……? あの、それって……」
「なんか、心配させてるみたいだからすみませんね。たまには家に帰らせますから」
「ええ、お願いしますわね。『保護者』さん?」
「……へっ?」
「ば、ば、婆や!?」
こうしてシェルビーは、めでたくシャーリンドンの保護者に就任した。
この時のシャーリンドンの叫びは、二軒先まで届いたという。




