#15.せんりのみちはとおかった
国王の朝は早い。
陽が昇る前には既に起床し、玉座の間にいなければならなかった。
「陛下、本日もお日柄がよろしいようで」
「……ねむい」
「ほほほ、朝も早いですからな」
今玉座に座っているのは、綺麗なドレス姿の名無しであった。
国王に「じょうしゅになりたい」と願い、国王がそれを聞き届けたからである。
「いつもこんなにはやい?」
「うむ。いつもこんな感じじゃなあ」
隣に控えるのは元国王。
今は随分気軽な格好で、着こなしから品こそよさそうに見えるが、街中を散歩していたら商家のご隠居とでも間違われそうないでたちであった。
「陛下、早朝はまだ謁見もなく、こうして私共、侍従や政を司る者達と方針を決めるのが我が国での習わしなのです」
「う……?」
「何をしたいか決めるんじゃ」
この国の宰相だという法衣の壮年が、現国王の少女の前に傅きながら説明する。
それだけではこの少女には理解もできないので、元国王が解りやすく補足して、少女はようやくそれを理解した。
「陛下は何をしたいですかな?」
「セシリア様の部屋を、ボクの部屋の隣にしたい!」
「かしこまりました、すぐにでも」
宰相が周りに並ぶ侍従のいくらかに視線を向けると、侍従らもすぐに動き始めた。
王の方針である。すぐに叶えるべき案件であった。
「――大丈夫かねえ、あいつ」
「なんだか、すごい事になってしまいましたわね……」
少し離れた場所から新国王に就任した名無しを見つめるのは、かつてのPTメンバーたち。
心配そうに見ているシェルビーやシャーリンドンに対し、セシリアは特に不安な様でもなく、「まあ大丈夫さ」と楽しんでいる様子であった。
「あと、シェルビーの馬小屋は豪華にする。ふかふかの草でいっぱいにする」
「承知いたしました、シェルビー殿の部屋は馬小屋に」
ちょっとだけグレードがアップした馬小屋がシェルビーの住居になった。
「結局馬小屋からは逃れられなかったかー」
「くすくす、馬小屋だなんて、大変ですわね」
いつぞやの少女の描いた未来予想図そのままである。
迷いなく決められていく様を見て当のシェルビーは「参ったなこりゃ」と、バツが悪そうに後ろ手で髪を掻く。
「まあ、シェルビーはいいとして、私はどうなるんでしょう? ちょっと気になりますわ。ぬいぐるみ一杯の可愛いお部屋かしら? それともキラキラとした豪華なお部屋? ポーターちゃんを挟んで、セシリアさんと逆隣りでも――」
セシリア、シェルビーと来て、次は自分の順番だと思い、シャーリンドンはキラキラとした期待に満ちた瞳で待っていた。
「では陛下、シャーリンドン殿はいかがなさいますかな?」
「え……シャーリンドンは……シャーリンドンは……」
既に迷っていた。
名前を呼ばれる事すら想定していなかったのだ。
「わくわくわくわく」
「口で言ってるよ……」
「――スラムで」
「かしこまりました」
「スラム!?」
「ぶふぅっ! スラムって、お前、スラムって……!」
「小屋ですらなかったな」
まだ友好度が足りていないらしかった。
「う、うう……スラムでも……例えスラムでも、私は強く生きてみせますわ! お家の再興のために!!」
そしてシャーリンドンはくじけない女だった。
膝をつきながらも、涙目になりながらも、健気に前向きに生きようとしていた。
「お前のその無駄なポジティブさって何なん……?」
「婆やから教わりました! 『どんな時もエンジョイ&ハピネス』と!!」
「いい婆やだな……肝心のご令嬢は明後日の方向突っ走ってるけど」
「はい?」
「いやなんでも……」
やってる事が完全に不向きな冒険者でなければ、心から応援してあげたいと思う元お嬢様奮闘記である。
だが今はただのどんくさプリーストであった。
「陛下、当面のところの我が国の軍事方針はどのように致しましょうか?」
「う?」
「この国をどんなふうにしたい?」
「さいきょうこっか?」
「ほほほ、心強いのう」
「流石は我らが陛下ですな!」
宰相以下、その場にいた者達が「ははは」と笑いながら国王の言葉を受け取る。
シェルビーは「まあ子供の言う事だし真に受けないよな」と安堵する。
傍に元国王も控えてるし、変な方向に捻じ曲がる心配はなさそうであった。
「では、我が国はこれより周辺国家に宣戦布告いたします!!」
「血だ! 大陸中に血の雨を降らせるぞ!!」
「国王陛下は世界制覇をお望みだ!! 騎士団に通達し、まずは街道を制圧しろぉ!!!」
「本気にしてるじゃん!?」
「えぇぇっ!?」
周りの大人たちは、本気の眼をしていた。
本気と書いてマジのマジである。
「そりゃ本気にするだろう。国王の言葉じゃぞ?」
「えっ、えっ……」
当の国王本人が周りの大人たちの豹変にびく、となって困惑していたのに対し、元国王は当たり前のように笑い飛ばしていた。
「――国王の言葉は、その国の在り方を決める。そしてその国の、民の未来をも、変えてしまうんじゃ」
「くにのありかた……たみの、みらい」
「うむ」
元国王の言葉を、足をパタパタさせながらも反芻するように繰り返す国王。
けれど、難しかったのか、うんうん悩み始めてしまう。
「ほほほ、じゃからな? 怖くなりそうなときは『やっぱりやめた』と言うんじゃ。できるだけ早くな?」
「……やめた。さいきょうこっか、やめる」
「承知いたしました。宣戦布告は止めにいたします」
「国王陛下は戦争をお望みでない。覇道は中止じゃ!」
「騎士団に『ごめんやっぱりさっきの無しで』と伝えよ! 国王陛下のお茶目であったと!」
「街道に出た軍には旅人たちの為の治安維持行動に移らせることにします」
言われるままにそれを中止し、それに従って周りの大人たちはすぐさま言動を翻す。
先ほどまで厳しい目つきをしていた大人たちが、しかし今は、どこか嬉しそうな顔をしていた。
やっていることは、極めて真面目であるが。
「……はー、一瞬ドキっとしちゃったよ」
「私もですわ……雰囲気ががらっと変わってしまって……」
「それはそうだろう。彼らはお遊びなんてしない。いつも真面目さ」
国王の言う事は、いかなる些事であろうとも本気で受け止められる。
それが、王の言葉であった。
「う、う……どうしたらいいか、解んなくなってきた」
「迷ったらな、宰相にこういうんじゃ。『よきにはからえ』とな」
「よきにはからえ……?」
「承知いたしました。後はお任せくださいませ。後ほど報告に上がります」
元国王にアドバイスされるままその文言を告げると、宰相はその場にて恭しげに頭を垂れ、立ち上がって去ってゆく。
周りの従者らも「では私どももこれで」と、宰相の周りに付いて去っていってしまった。
残されたのは、現国王、元国王、そしてPTメンバー達だけ。
しん、と静まり返った、朝の玉座。
「あれで、よかった……?」
「超便利なオート機能じゃからな。大概の事はあやつに任せれば片づけてくれる」
「べんりすぎる」
「便利だが、任命するのは国王自身じゃからな」
結局、その便利な人材を見つけることが大事なのだと語りながら、老爺となった元国王は、玉座から離れる。
「朝食の時間じゃ、参ろうか、国王殿?」
「おなかすいた……」
朝食の誘いに、国王は目をキラキラさせながら老爺の後をついてゆく。
セシリアもそれに続き、彼女に「いくぞ」と声を掛けられ、シェルビーとシャーリンドンもそれに従った。
「――食べたい」
「まだ駄目です。毒見がまだですので」
「ほほほ、あったかいスープじゃのう。初めて飲んだわ」
そして通された食卓は、意外にもシンプルで、必要以上に飾った様子のない、静かな場であった。
テーブルこそ大きいが、窓のない部屋、そして周りに控えるメイドたちの他、侍従の一人が国王の隣に控え、料理をひとつ、またひとつ、ほぐしてゆく。
「王族の料理っていうからどんなもんが出されるのか気になってたけど、庶民とあんま変わらねえんだな……金持ちの飯の方がすごそう」
「貴族でも、清貧を良しとする方々を除けば、このような食事はあまりないだろうな」
「私はこれでも十分豪華に思えますわ……おいしい♪」
そして、仲間達もまた、同じ卓について食事を取っていた。
テーブルに並べられているのは、バスケットの中の白パン、皿に盛られたスープ、青々とした葉物野菜のサラダ、それからチーズ。
どれも品質のしっかりとした、見栄えのいいものではあるが、品目そのものは酒場の朝の食事とさほど変わらない内容である。
量ばかりは幾分多めではあるが、豪華絢爛な、食べられないほどの食事を想像していた庶民代表・シェルビーには、ちょっと意外なメニューであった。
「ワシらは基本的に座り仕事がメインじゃからな。必要以上に食べるとどんどん太っていってしまう。実際、ワシの父上は肉とワインばかり好んでいたから、40を過ぎたあたりでブクブクと太ってしまってのう。それはそれは醜く膨らんでおったわ」
「まあ、肉と酒で運動もしなかったら、太るわな」
「そういう事じゃ。じゃから、基本的に贅沢はせん。何もないのに豪華な食事ばかりとったら、楽しみもなくなるしのう」
時々美味いものを食うからいいんじゃよ、と、年季を感じさせる事を言いながらスープを啜る。
まだアツアツの、湯気を保っているそれが、元国王にはなんとも新鮮らしく、しきりに「美味いのう」と舌鼓を打っていた。
「う……まだ? 冷めちゃう」
「スープは熱い内は毒を感じ取れない事もありますので、しばしお待ちくださいませ」
「……冷めちゃう」
「冷ますのです」
「……あぅ」
そして国王はというと、隣で毒見済みの料理を少しずつ供されてはいるものの、他の仲間達が美味そうに食べる中で、一人涙目になりながら冷めた料理を口に含んで「うぅ」とか「はぅ」とか、切なそうな声をあげていた。
「――王は、毒殺されることが多くてのう」
ゆったりとした優雅な仕草でパンを取り、ちぎってスープに浸しながら、元国王はしみじみ語る。
「特に食事の場は、簡単に毒を仕込まれてしまう。一時はそれで大陸中の国王がバタバタと倒れていってのう」
「大戦争のきっかけになった、大陸の大混乱期のお話ですね」
「うむ……それで、毒殺が成功しようと失敗しようと、やれ『誰が毒殺を企てた』だの、やれ『あの国が我が国を侵略するつもりで仕掛けてきた』だの……まあ、戦争の切っ掛けになりうる、とても重い出来事なんじゃよ」
「まあ……それでは、毒見に時間がかかるのも、仕方ないですわね」
「うむ。仕方ないんじゃ……仕方ないが、それでも冷めたスープを毎回啜るのは、虚しくてのう」
これに関しては本当に辛かったようで、元国王は深くため息をついていた。
それだけに留まらず「毒見役は大儀であろうがな」と、今毒見をしている従者へのフォローも欠かさない。
「今はいいんすか?」
「国王じゃないからのう。国王以外を暗殺した結果国王が警戒して生き残ったら意味がないじゃろ? 本末転倒という奴じゃ」
「はあ……そういうものなのでしょうか」
「そういうものらしいな」
さほど気にした様子もなく、静かにパンを千切り、口に入れるセシリア。
元令嬢らしく楚々とした仕草で少しずつ食事をするシャーリンドンとは対照的に、とても早く食べ進めていた。
「う、う……」
既に心がずしりときてしまい、ぐらつき始める国王。
国王の食事の場は、少女にとってあまりにも面白くないものであった。
「――では次の謁見者です」
「ねむい……」
「ははは、後10人ほど終えたらお昼ですので」
朝食が終わった後に始まる謁見は、横に宰相を控えさせてのものだった。
こうして隣に彼が控え、何かあったら宰相に言い含めたり、宰相に問うてみたりするのが謁見というもの、というのが元国王の話で、それだけ伝えると、元国王は「久しぶりに妻と街でデートしてくるわい」と、意気揚々と去っていってしまった。
老人なりに余生を楽しむ気満々であった。
「おなか、空かない?」
「慣れておりますので」
「いつも、遅い?」
「私は政務もございますので、夕方にお昼を食べることも、珍しくはありませんなあ」
合間合間に宰相が雑談のような感じで話を聞いてくれるので、退屈というほどではなかったが、少女にはあまりに長すぎる時間であった。
「――これはこれは国王陛下、就任おめでとうございます。私、商人ギルドの主宰をしておりますボルシアと申しまして」
(どんなやつ?)
(悪徳商人でございます)
(しょけいして)
(はい)
いかにも人相の悪そうな男だったので宰相に小声で聞いてみて、どうやら悪い奴だと解ったらしいので、即決即断だった。
「――こほん。商人ギルド主宰、ボルシアよ」
「は、はい。いかがなさいましたかな? 宰相殿」
「そなたの不正蓄財と、国内の不穏分子――賊や悪漢と、よからぬ関りを持っているとの噂を耳にしましてな?」
「……な、何の事でしょうかな?」
謁見の場で、急に始まる追求。
これにはそれを見学していた仲間達も「何か始まったぞ?」と慌てだす。
国王も目をぱちくりし「え」と、何も言えずにいた。
「私の配下の調査院――解りますな? 情報が入ったのです。今従うなら――」
「あっ、はっ、も、申し訳ございませんでしたっ! へへーっ!!!」
宰相が何事かぼそり、告げると、見る見るうちにボルシアは顔を真っ青にしていき、その場に突然跪いた。
「ふむ……陛下。やはりこの者、悪しき企てをしていたようです。どうぞ御裁断を」
「しけい」
「ひぇっ……」
「かしこまりました。ですが陛下。この者はまがりなりにも商人ギルドを立ち上げ、この国の商業発展にも多少なりとも貢献はしております。我が国において、死刑は不名誉極まりなき処刑となりますれば、いくばくかの温情を向けるのも、王の器というものかと」
「う……?」
「少し罰を軽くしてやると、後々役に立つという事です」
そっと耳打ちしてきたことで国王も幾分わかりやすくなったため、すぐに「わかった」と、頷いた。
そしてそれを了承の意と見なし、宰相は「ただいま陛下より温情が下された」と、大層な言い方で以て、この悪徳商人に対し、罰が告げられていったのであった。
「……つかれた」
「ほほほ、大変じゃったかのう? どうじゃった、城主の気分は。楽しかったか?」
「つかれた」
その日一日の仕事が終わると、国王はもう、ぐったりとしたまま玉座にもたれかかっていた。
座り心地こそはいいが、決して楽とは思えない、そんな一日だったのだ。
「荷物を持って、冒険してる方が楽」
「そうかそうか。では、もう城主にはなりたくない?」
「そんなことない。城主は……城主は、ボクの夢。いつか、セシリア様と一緒に暮らすお城を持つのが、ボクの夢」
「……そうかそうか」
疲れ果てて尚、現実を思い知って尚、少女はまだ、夢を捨ててはいなかった。
だが、王となり、周りの者に目一杯補佐されて、それでようやく何とか成り立っていた程度の一日。
こんなものを、毎日やらなくてはいけないのは、少女には相当な負担のように感じられた。
「まだ、ボクは城主になれない」
「そう、思うか?」
「うん、そう思えただけ、すごくきちょーな体験だった」
「それは良かった」
正面に立つ老爺に、国王は自らの上の王冠を手に取り――差し出した。
「それは、我が国を治める者が被るべき冠じゃ。安易に他者に預けてよいものではない」
「うん……だから、返す」
「ほほほ、ワシに、国王に戻れと? ワシはこのままただの年寄りの方がいいんじゃがのう? 妻と毎日でもデートしたい」
「……おねがい、します」
「そうか……うむ、解った」
多少もったいぶって、でも、少女の真摯な言葉に、老爺は笑いながら……しかし、嬉しそうに王冠を取り戻し、頭にかぶった。
「では、その玉座はワシのものじゃ。降りなさい」
「座り心地がいいから持ち帰りたい」
「維持費が高くつくんじゃよ。我慢せい」
「……うん」
その座り心地のいい椅子には、いくらか未練があるけれど。
それでもやっぱり、少女はまだ、ポーターだった。
「またね、王様」
「またな、ポーターちゃん」
そして二人、手をあげながら別れる。
そんな、一日だった。