#12.いもうとはちょーへん
《カポン》
気の抜ける水鳴りの音。
大浴場で、シャーリンドンは一人、身体を泡だらけにしていた。
「ん……ん……っ、と。客人として迎えられたのは有難いのですが、まず真っ先に、お風呂に入れられるなんて……んん……っ」
こしこしと柔らかなスポンジで身体をこする。
その度に乳白色の膨らみが揺れ、たわむ。
「やっぱり、汚れてると思われていたのかしら……変なにおいとか……うぅ、恥ずかしいですわ。念入りに綺麗にしませんと……!」
ぎゅ、とスポンジを握ると、ぶしゅ、と泡が飛び散り、頬に張り付く。
『んぎゃーっ、いや、もういいっすから! 背中はもう――遠慮とかじゃなくって!!』
「そ、それに……先ほどから壁の向こうで聞こえてくる声……シェルビーのもの、ですわよね……?」
何が起きてるのかしら、と、その悲鳴じみた声が聞こえてくるたびにびく、と身を震わせる。
かつては友人として付き合っていたアルテミシアの屋敷でもある。
流石に恐ろしい事にはなっていないと思いはするが、心配になってしまう。
「あら、まだお湯に浸かってませんでしたのね」
「ひゃぁっ!?」
がらり、扉が開かれ、一糸まとわぬアルテミシアが現れる。
タオルで隠しすらしていない。
とても貴族の令嬢とは思えぬ堂々としたたたずまいであった。
華奢ではあるが、まるで愛の女神が如く美しかった。
「あ、アルテさん……?」
「はい、アルテさんですわ」
「その、どうしてこちらに……? お風呂に入るには、少し早いのでは……」
「私も、少し走って汗をかいてしまいましたので」
「少し……?」
「はい! 姉様と再会できた嬉しみでつい!」
先ほどアルテミシアが全力疾走した距離は、わずか30メートルほどである。
走り出したのを見てからセシリアが前に出てきた為であるが、流石にこれくらいならどんくさいと言われるシャーリンドンでも余裕だった。
(アルテさん、意外と汗かきな方なのかしら……?)
「それはそうとシャーリィさん! お身体を洗っていらしたなら丁度いいですわ!」
「ふぇっ? 丁度いい? 何がですの?」
「こういう時、貴族の嫁入り前の娘はお互いの身体を綺麗に洗いっこするコミュニケーションが最近の流行なのです! シャーリィさんはご存じないかもしれませんが!!」
「まあ、そうなのですか!? わ、私、そういった事は疎くて……恥ずかしいですわ」
※この国の貴族の娘の名誉のためにもそんな事はないと断言します。
「特に! 親友同士ではスポンジやタオルを使わずに直接お肌で以て洗いっこするんですのよ!!」
「そ、そんなことまで……」
「という訳で私達も――」
《ガララ――ピシャン》
「ふぅ、やはりまずは風呂に入らないとな!!」
「姉様っ!?」
「きゃぁっ!? せ、セシリアさん……?」
そして三人目の登場である。
やはり何一つ隠すことなく、堂々とした、本当に堂々としたたたずまいであった。
まさに古代芸術の最たるもの、彫刻品が如き力強き美そのものである。
「ああ……なんて素晴らしい光景なのかしら……尊敬する姉様と、大切なお友達のシャーリィさんが、私の前、で……」
「あ、アルテさん……?」
「ははは、もうのぼせたのか?」
「もうですか!? お湯にすら入ってませんわよ!?」
シェルビーのいない場では、シャーリンドンは大変貴重なツッコミ要因だった。
「う、ふ、ふ……ふへ……すばらしいです。すばらしいですわ。ああ、ありがとうブグロー先生」
「何を言ってらっしゃるんですか……?」
「アルテは時々おかしくなるんだ」
「確かにおかしいですが……」
大丈夫なのかしら、と、友人の変容に困惑するシャーリンドンだったが。
「はっ、いけない。感動している場合ではありませんでしたわ! 流行!」
「流行? なんだそれは?」
「あ、そうでした。今、この国の貴族の若い娘の間で、洗いっこするという流行があるとかで……」
「なんだそれは? そんなものが流行ってるのか? よく解らないものが流行るんだな」
「はい! 本当にそうですわよね! でも、流行だから仕方ないのです! 私たちは流行だから仕方なく流されて洗いっこしなくてはならないのですわ!!」
じゃないと恥をかいてしまいますから! と、鼻息荒く力説する妹に、セシリアは「そういうものなのか」と、特に考えもせず受け入れてしまう。
シャーリンドンも何かおかしな気がしたが、流行に疎い自覚があったので流されてしまった。
「そんな訳でぇ♪ 三人で洗いっこしますよぉ♪ 私はシャーリィさんのお身体をスポンジでゴシゴシ♪ しますからぁ、姉様は私をお願いしますぅ♪ 終わったら今度はシャーリィさんが私を、私が姉様を洗ってさしあげますわぁ♪」
「わ、解りましたわ」
「ああ、解った。なんだか懐かしいな。子供の頃のようだ」
若干緊張気味になるシャーリンドンに対し、セシリアはいつの日かを思い出したようで、頬を緩め微笑んでいた。
「あっ、あっ、アルテさん、そんなところ――」
「うふふっ、ふへっ、だ、大丈夫、大丈夫ですわ。これくらいなら、これくらいまでならふつう……んぎぎぎぎぎっ! 姉様っ、ねえさまちょっと強っ――」
「昔はこうやって、いつも風呂に入る度にアルテの背中を洗ってあげたものだ。恥ずかしがることはないぞ」
「ちがっ、あのっ、そのっ、力っ、姉様っ、あのっ!」
最初こそ極楽のごとく貴族令嬢がしてはいけない顔をしていたアルテミシアだったが、最終的にはセシリアの力加減を誤ったスポンジ紅葉おろしの刑により別の方向で貴族令嬢がしてはいけない顔になっていた。
「おや、スポンジがなくなった」
「う、うぐ……あ、アルテは、幸せ、ですわ……」
「だ、大丈夫ですか? アルテさん……」
「ふぅ、ふぅ、大丈夫です……さ、さあ、今度は逆になる番ですわ!」
命の灯が付きそうになっていたが、アルテミシアは根性で耐えしのいでいた。
一生分の頑張りをした気分であった。
「では失礼して……あの、痛かったら言ってくださいましね?」
「ああんっ、もう、シャーリィさん、私たちは親友ですのよ! ですから!!」
「ほへ?」
「そのっ、お胸で――」
『んぎゃぁぁぁぁっ! ちがっ、それは振りとかじゃなくてほんとに! いやっ、これ以上足の裏押さなくても――ぐぎぃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』
「……」
「……」
大変瑞々しく美しい光景が広がりそうになっていたが、壁の向こうからのシェルビーの絶叫になり、全てが台無しになっていた。
内心で「ちっ」と舌打ちしながらも、アルテミシアはニコニコ顔でシャーリンドンの方に向き直り、「流してお風呂に入りましょうか」と、無難なルートに引き戻す。
「シェルビーのアレは、きっと爺の仕業だな。よく、鍛錬に疲れた父上や若い連中の背中を流してやったり、疲労回復のマッサージをしてやったりしていたらしいから」
泡だらけの身体を流し、湯船に入る三人。
セシリアの落ち着き払った説明に、シャーリンドンも一旦は不安をしまいこんだ。
「ではシェルビーは……」
「うふふ、お疲れの様子でしたから、爺にお願いしましたのよ」
「爺のマッサージはとても痛いらしいからな。それで門下生たちもまた、我慢比べみたいな感じでそれを耐えようとするものだから……でも、中々耐えられないらしい」
よほどなのだろうな、と、懐かしむように噛み締めるように、静かに一人頷く。
「ま、安心していい。一時はとても痛いらしいが、身体のツボとやらを押すことで、回復力が瞬間的に30倍くらいまで回復するらしいからな」
「それは……ヒール要らずですわね……?」
「私にもしてくれればいいのだが、『お嬢様には効果がありませんで』と言われて固辞されてしまうんだ」
「姉様は自動回復スキルが邪魔すぎるのですわ。あれはバフまで打ち消してしまいますから」
大体の毒や呪いすら自動解除する自動回復スキルは、ある意味で弊害にもなっていた。
「ああ、これがあるおかげで温泉とかに浸かっても有意な回復効果とか望めないからな……風呂に入ってもリラックスはできるが、これすら風呂から出ると消えてしまう」
「なんだか、難儀な体質ですわね……体質、ですのよね?」
「ああ、これは体質だよ。生まれ持ってのモノだ。別に騎士だから自動回復スキルがある訳ではないからな」
冒険中においては無双の活躍の源泉とも言えるスキルだが、一方で弊害もきちんと存在していた。
そしてその弊害は、割と目に見える形でセシリアにとって苦々しいものともなっていた。
「例の呪いか加護とか関係ないのですか?」
「多分ないと思うが……これ自体は、希少ではあるが他にも生まれ持っている者もいるらしいからな」
「呪いと加護、ですか? 何やら物騒なお話に……」
「ああ、私達が一旦街に戻ったのも、これを調べるためで――」
そういえば事情を話していなかったな、と、セシリアはアルテミシアに、一連の事情を説明していった。
「――では、姉様がたは、その呪いか加護の正体を突き止めたくて……」
「そうなんだ。アルテは何か知らないか? 勉強は得意だろう?」
事情を聞き、わずかばかり考える仕草になるアルテミシアであったが。
んん、と唸った後、申し訳なさそうに眉を下げ、小さく首を振った。
「私は……どちらかというと、魔術とかそちらの方のお勉強ばかりですので、歴史に関してはあまり……ですが、姉様が気にしてらっしゃるなら、私もお手伝いしますわ」
「ああ、頼む。私達は明日、登城して陛下に報告しないといけないから、実際に調査に回れるのはその後になるしな」
「お任せください。運動はできませんが、調べものでしたら私、誰よりも姉様のサポートができましてよ」
力になりますわ、と、嬉しそうに微笑む様は、聖女のごとく愛らしかったが。
(ああ、姉様とまた一緒に居られる……しかもシャーリィさんまで! できるかぎり引っ張って、毎日お二人とお風呂……うふ、うふふふふふふ!!)
内面は淀んだどす黒い魔女であった。