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やり直し

作者: 入道雲

Twitterで投稿情報などを呟いています。


ID:@nyudogumo_narou

「なぁ、“やり直し”ってどう思う?」


 問いかけてきた男の顔は、なんとも不思議な人相をしていた。

 肌ツヤや黒々とした髪の毛からは二十代の若さを感じられるのに対し、もう消えそうにない目の下の濃い隈や、疲れ切った声色からは、三十代、四十代、ややもすれば五十代の哀愁が感じられた。


「呆けた顔すんなって。お前だって一度くらいは思ったことあるだろ? あの時に戻れたら、とか、あの失敗をやり直せたら、とかさ。その“やり直し”だよ」


 そこまで言って、男は軽薄そうな笑みを浮かべた。やせた頬も相まって、死神が笑っているようだった。


「俺にはその“やり直し”が何度でもできる、って言ったら……まぁ、そんな顔になるわな。でも周りを見てみろよ。二十九歳でこんなところに住める奴がそこいらにいるか? いねぇだろ。それこそ、人生二周目、三周目ですって言われた方が納得しねぇか? ……とは言っても、俺は百周を超えてからは数えてねぇけどな。カカカ」


 周囲を見回すと確かに、この些か広すぎる部屋は、都心にある高層マンションの最上階であるようだった。道路に列を成す車がおもちゃに見える。いったい月にいくら払っているのか、一般人には予想すらできないであろう。

 調度品に至ってもどれもこれも品があり、並大抵の小金持ちではとても揃えられそうにない物ばかりであった。


「な?」


 こちらの目を見て、男はにやりと笑う。

 だが、その笑みからすらもどこか疲れが見て取れた。深い隈のせいだろう。


 一人暮らしにしてはやけに広い部屋で、二人向かい合う。

 少しの沈黙を置いて、男は「ともかく」と切り出した。


「そっちが信じようと信じまいと、俺は“やり直し”ができるんだよ。そんで、二十代でここまでの財と地位を築き上げた……自慢に聞こえるか? だが違う」


 とそこで、男は一つ咳払いをした。


「結論から言おう。俺の、この人生は、大失敗に終わった。何百回何千回と“やり直し”を繰り返して完璧を目指したハズの人生は、大失敗に終わったんだ!」


 声は段々と大きくなり、ついに男は両腕を広げて叫んだ。そして、だらりと腕を下ろす。


「それもこれも、誰のせいでもない、全部が全部、俺自身のせいだ。まぁ、過ぎたことはもうどうでもいい。本題は別にある」


 姿勢を正した男は、両手を組んでこちらを真っ直ぐに見据える。

 簡単には目を逸らせない迫力が、その男の視線にはあった。


「アドバイス……ではねぇな。あー、なんつーんだろうな。ともかく、今から俺が長々と話す内容は、お前にとっては多少なりとも嬉しい内容だと思うぜ。なんてったって、これから話すことを一言で要約すれば、『やり直しはクソだ』になるからな」


 へへっと、男は自虐めいた笑みを浮かべた。


「そんじゃまぁ、俺の最初の人生から話させてくれよ」


 そう言って、男は語り始めた。


「俺の最初の人生は、そりゃあもううだつの上がらないもんだった。とは言っても、高校まではそれなりだったんだぜ? ただ、大学受験で失敗したんだ。ありがちだろ?」


 特に同意を求めているわけではないのか、男はこちらを見ることもなく語り続ける。


「志望校のワンランク下の大学に入って、バカな俺は無気力に学生生活を無為にした。そんな奴が一流の大企業に就職できるわけもなく、百人が聞けば九十九人が知らねぇと答えるような中小企業に入社したんだ。ククク、笑えるだろ? ……別に笑えねぇか」


 カカっと、男は乾いた笑いを溢す。


「入社してからは、ちょっとは心を入れ替えたんだぜ? 真面目に精一杯目の前の仕事をこなして、後輩の育成だって頑張った。そこで、最初の女房に出会ったんだ」


 男の目は、遥か昔を懐かしむような目をしていた。


「釣り目の、気の強い女だった。会社で事務員をしていた女房に一目惚れしちまった俺は、柄にもなく自分からアタックを仕掛けた。そしたら、あれよあれよと結婚までこぎつけられた。夢みてぇだと思ったよ。人生で初めて、地力でつかみ取った幸せだった」


 空を掴むように、男は解いた右手をギュッと握り締めた。


「そっからの生活は悪くなかった……いや、今思えば最高だった。何かするたびに女房にごちゃごちゃ言われたが、アイツの言うことはいつも正しかったし、俺のことを思っていた。残念ながら子宝には恵まれなかったけどよ、俺はそれでも良かった。二人の時間を楽しめば良い、それだけのことだった」


 遠くを見ていた男の視線がこちらを捉え、男は「だが」と続ける。


「そんな生活は、長くは続かなかった……カカカ、これまたありがちだろ? 会社の具合が悪くなったんだ。社会全体の景気が悪くなって、その影響をもろに受けた感じだな。そうすると、社内の雰囲気がピリつき出すんだよ。俺はあの雰囲気が大嫌いでね。おかげで、仕事に集中できなくなった」


 忌々しそうに、男は吐き捨てた。


「そして、しょうもないミスが増えた。もちろん、全力でカバーはした。だけど会社が求めるのは、そもそもミスを犯さない人材だった。だから、俺の評価は着実に落ちていった。とんとん拍子で出世していた俺は、そこで出世街道から外れちまったんだ。そうなると、仕事ってのが途端につまらなくなった。仕事がつまらなくなると、ストレスが溜まる。ストレスが溜まると、どうでもいいことが気に障っちまう。それが、いけなかった」


 男は俯き、慚愧の念を吐き出すように呟いた。


「女房と喧嘩しちまったんだ。それも大喧嘩だ。原因はハッキリと覚えてる。女房がいつもの如く豪快に俺を励まして、その雑さにちょいとイラついて酷い言葉を返しちまったんだ……最低だろ? いいさ、言われなくても俺が一番わかってんだ。ただ、俺がちょっと言い返したくらいで怯む女じゃない。女房は俺に強烈なビンタをかましたあと、『頭を冷やせバカ野郎!』つって実家に帰っちまった。スゲェ女だよな」


 ポツリポツリと、男は項垂れながらも語りを止めない。


「激しく後悔したが、その時の俺には、誰かに頭を下げて謝る余裕がなかった。くだらねぇよな。ああ、くだらねぇよ。女房がいなくなって、俺は更に落ちぶれた。その時思ったんだ。強く強く、心の底から──あの頃に戻ってやり直してぇ、って」


 そしてゆっくりと、男は顔を上げる。


「次の瞬間、俺は高校生になっていた。それも、失敗に終わった大学受験前の最後の夏休みが始まった頃──七月二十七日だった……意味がわからねぇだろ? 俺だってわからなかった。夢だと思ったね。だが、現実だった。現実だと理解するのに三日、その事実を受け入れるのに一ヶ月かかった……っと、悪いな。一気に喋り過ぎたか。水、飲むだろ? 入れてくる」


 そこで男は一度立ち上がり、水の入ったグラスを二つ持ってきた。



 カタンと、それらをテーブルの上に置く。男はぐいっと一気に飲み干して、再び語り始めた。


「俺は歓喜したね。原理も理屈もさっぱりわからねぇが、あの頃に戻れたんだと。そしたらお前、やることは決まってるだろ?」


 そこから男は、矢継ぎ早に、まくし立てるように話し出した。


「ひとまず俺は、このタイムスリップが一回きりなのかを確かめた。一度っきりでも十分嬉しいが、何度でもやり直せるならもっと嬉しい、そりゃそうだろ? 俺はギュッと目を瞑って、もう一度強く願った。『あの頃に戻りたい』と」


 当時の興奮を思い出したのか、男の口調は少し速まっていた。


「そしたらどうだ。今度は七月三十日に戻れたんだ。そこから色々と試して、それでほぼ確信したよ。俺は何度でも過去に、それも好きなタイミングの過去に戻れる、ってね。そうなりゃお前、後は何するかなんて言わなくても予想がつくよな?」


 当然だろ? と言わんばかりの口ぶりで、男は言う。


「やり直しだよ。これまでに人生で犯した失敗を、細大漏らさず、全部やり直した。全部、全部だ!」


 少し浮きあがった腰を落として、男は話を続ける。


「まず受験だ。失敗に終わった受験をやり直した。バカみてぇに勉強して、志望校にストレートで合格してやった。とは言っても、実は合格までにもう一回やり直してるから実質二浪みてぇなもんだがな」


 カカカっと、男は笑う。


「大学生活だってもちろん全力だ。俺は何度も何度もやり直しをして、べらぼうに優秀な成績を修めて卒業したよ。そして、一周目の人生と同じ会社に就職した。理由は当然、女房と出会うためだ。人事部の奴らは首を捻ってたね。キミほどの人材が何故ウチの会社にそこまで拘るのか、さっぱりわからない、ってな。だが、俺にとって女房は世界に一人しかいない女だ。拘るに決まってるさ。なのに──女房にとってはそうじゃなかった」


 ここで男は、がくりと声を落とした。


「俺は前の人生以上にとんとん拍子に出世した。後輩の育成だって要領よくやった。そりゃあもう余裕だった。なのに、女房は一向に俺に振り向かなかった。前の人生ではアタックしたら拍子抜けするくらいあっさり応えてくれたのに、だ。何をミスったのかさっぱりわからない。それでも女房を諦めきれない。だから俺は、腹を括って何百回と“やり直し”た。費やした時間はざっと十年を超えるだろうよ……結構な根性だと思わねぇか?」


 思うだろ? と男は言う。


「なのに、ダメだった。女房は別の、頑張っちゃいるが大した能力もない、別の男と結婚した。納得できなかった。でも、結婚までされちゃあ、諦めるしかなかった。何百回と“やり直し”をして、実質十年近くアタックし続けた──しかも一度は結婚までした人を、だぜ? こんなにやるせないことはねぇよ」


 浮かない顔で空になったグラスを握り締める男の手は、指先が白くなる程力が込められていた。


「そんならこんな会社に用はねぇってことで、俺はまた “やり直し”た。今度は百人が聞いたら九十九人が知ってるような、大企業に入社した。女房のことなんか忘れて、しゃにむに働いたよ。何度かドデカいミスをやらかして、その分“やり直し”をするハメになったけどな。まぁそんなことはどうでもいい。そこで、二人目の女房と出会った」


 そう語る男の顔は、浮かないままだった。


「やっぱり気が強くて、転んでもただじゃ起きないような女だった。今度は子宝にも恵まれた。大満足だった。幸せの絶頂だった。今度こそ上手くいく、完璧な人生を送れるってな。だけど──」


 そうはならなかった、と男は呟いた。


「今度は景気のせいじゃねぇ。会社のせいでもねぇ。俺自身のせいだった。きっかけは、息子の育て方に関する、小さな食い違いだった。気の強い女だ、一歩も引かなかった。対して俺は、いざとなりゃ“やり直し”がある。そりゃあやり直すのも色々と気を遣うさ。けどよ、既に“正解”を、そうでなくとも確実に“不正解”を知ってるんだ。苦労なんて一つも無い。答えを知ってるテストを解くのに億劫になる奴がいるか? いねぇだろ。つまるところ、一所懸命な女房とは対照的に、俺は余裕の態度だった」


 それが、いけなかったんだろうなぁと、男はしみじみと言葉を溢した。


「女房が出て行く寸前、強烈なビンタを喰らったよ。身に覚えのあるビンタだった。その時にアイツが言い放った言葉が、俺の目を覚まさせてくれたんだ」


『人生は一度しかないんだよ! なのにアンタはまるで何度でもやり直せるみたいにヘラヘラして! この子の人生を何だと思ってるのさ!? 余裕ぶっこいてんじゃないわよ!』


「ってな。その通りだった。俺は、“やり直し”に毒されていたんだ。何かあればやり直せばいい。“正解”を引くまでやり直せばいい。そんな思考、普通は許されるわけがないんだよ」


 男の目尻には、光るものが滲んでいた。


「俺はともかく、女房も、息子も、人生は一度きりなんだ。正解とか不正解とか、失敗とか成功とか、言ってる場合じゃないんだ。その時その時を必死に生きるしかないんだよ。そもそも、人生が失敗か成功かなんて、死ぬ直前にしかわからないんだ。それを俺は、その場しのぎの“正解”でやり過ごして、まだ終わってもないテストで百点を取った気になって、バカみてぇにはしゃいでたんだ」


 目尻から流れ落ちるそれを、男は拭うことはしなかった。


「それに俺は、一番恥ずべきことに気付いていなかった」


 そう言って、男は両の拳を固く握りしめた。


「俺は、自分のためにしか“やり直し”を使ってなかったんだ。たとえば同じ大学を志望していたけど不合格になっちまったクラスメイトのためとか。たとえば仕事で大失敗しでかしちまった同僚のためとか。物語の主人公なら真っ先に助けていそうな奴を全部スルーして、自分のためにしか“やり直し”を使わなかったんだ。それに気付いた瞬間、この能力は俺には過ぎた力だと悟ったね」


 高級そうなカーペットに、男の涙が染み込んでいく。


「だから俺は、最後の“やり直し”をすることにしたのさ。お前はさしずめ、うだつの上がらない男の懺悔を聞き届けるシスター、ってところか? カカカ、悪くねぇだろ?」


 一度泣いたからか、それとも覚悟が決まったからか、男は先程よりも晴れやかな顔をしていた。


「戻るタイミングは当然、最初の“やり直し”をする前だ。つまり、一人目の女房にビンタ喰らって出て行かれた直後だな。何故かって? 今度こそやり直すためだよ。余裕ぶっこいて全部わかった気になってるガキじゃなくて、先なんか見えなくても必死こいて足掻く大人になるためだよ」


 その声には、気迫が籠っていた。覚悟が籠っていた。幾度とない“やり直し”を経た男が、やり直さないことを決めたのだ。当然であった。


「まずは、女房の実家に行って頭下げてくるよ。許してもらえるかはわからねぇ。それでも、もう“やり直し”は使わない。こんな能力は要らなかったんだ。いや、『こんな能力は要らなかったんだ』って笑って死ねるような人生に、俺自身の力でしてみせるんだ」


 目には光が宿り、これから先の未来を──過去を、真っ直ぐに見据えていた。


「ここまで聞いてくれてありがとよ。お陰で何の悔いも無く最後の“やり直し”ができそうだ」


 そこまで言って、男は言い辛そうに頬を掻く。


「……まぁ、あんまし説教臭いことは言いたくねぇが、あんたもこれまでに何度も“失敗”して、これからも幾度となく“失敗”するだろうよ。けどな、それが本当に失敗だったかどうかは、最期のお前が決めることなんだ。どんだけ迷っても良い、あちこちふらついても良い。それでも、前に進んでほしい。この言葉だけは、覚えておいてくれよ」


 こちらを真っ直ぐに見据えて、男は微笑んだ。


「じゃあ、いってくるわ」


よろしければ感想、いいね、評価をよろしくお願いします。


『定食屋を継ぎたかった勇者』という長編も書いています。是非ご一読ください。


第一話URL:https://ncode.syosetu.com/n7408jd/1

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