お母さんの宝物
土曜日、塾を終えて帰宅すると、リビングで母さんがアルバムを眺めていた。
12月、大掃除の時期になると毎年、母さんは押入れからアルバムを引っ張り出し、僕が幼かった頃を懐かしむ。
「おかえりぃ」
ねっとりとした言い方だった。すまし顔をしているけど、母さんはガサツな人間だ。ノックもせず僕の部屋に入ってくるくらいは当たり前。僕が中1の頃、僕のマンガを勝手に読んで、父さんもいる夕食の間中、そのあらすじとヒロインの人物像について文句を言い連ねた。当然、僕は抗議したけど、母さんはその後も何度か同じようなことをくり返した。また、僕と父さんがTVでモーツァルトの協奏曲を聴いていたときには、トイレから戻ってくるなり、
「お母さんこの曲知ってる。何だっけ、クラリネット? フルート? の、協奏曲よね。何ていったっけ? お母さんも好きな曲なんだけど。ねえ、お父さん、これ何ていう曲だっけ?」
などとしゃべりたてて、鑑賞の邪魔をしてきた。そんな人だ。だというのに、年末にアルバムを開いたときだけ、愛情深く健気で上品な母親であるかのようなツラをする。
「今、翔くんのアルバムを見てたのよ」
そんなことは見れば分かる、と思ったけど、口には出さなかった。母さんはいつも、言わなくても分かること、言う必要がないこと、言わない方がいいことを言う。バカにされているみたいでイライラするし、正直怒鳴りつけたくなるけど、そうすると逆ギレされたり、『イヤね、反抗期は』とか『難しい年頃ね』とか言われたりするから、頑張ってなるべく言い返さないことにしている。僕は頼まれて買ってきた牛乳と卵を黙って冷蔵庫に押し込んで、代わりに烏龍茶を取り、食器棚からはコップを取った。その間も、母さんは勝手にしゃべり続けている。
「1歳のときは、お母さんがちょっとでも離れると『ママッ! ママッ!』って寂しがってたの。お父さんがあやそうとするんだけど、全然泣き止まなくてね」
その話、千回くらい聞いた。
今の僕は高1なわけだけど、物心ついた頃にはこの話を知っていたし、小学1年生の頃にはすでに聞き飽きていた記憶がある。母さんは僕が幼い頃から、それだけ何度もこの話をし続けてきた。
だから、僕はこの後の展開を知り尽くしている。
――幼稚園に行き始めてからも大変だったわ。毎朝、バスが来るたびにお母さんとお別れしたくなくて駄々《だだ》をこねるの。お父さんが先に仕事に行っちゃった日は、お母さんが1人で宥めないといけなくて、服を握ってしがみつく翔くんを引き離すだけで一苦労だった。それから、ほら、これを見て。3歳のとき、翔くんが初めてお母さんにくれた誕生日プレゼントよ。お母さんの似顔絵だって。ぐちゃぐちゃで何も分からないけど、お母さんは翔くんに誕生日を祝ってもらえて、とっても嬉しかったの。これはお母さんの宝物よ。
僕がキンキンに冷えた烏龍茶を飲んでいる間、誤差はあるにせよ、母さんは今回もほとんど同じ内容の話をした。耳に胼胝ができるとはこのことだ。ウザったいのを必死に我慢して沈黙を守った僕を、誰か褒めてほしい。
母さんはまだ話の途中だったけど、僕は構わずリビングを出て、自分の部屋に入った。
週3で塾に行っているとはいえ、僕はまだ受験を意識する段階には入っていないし、志望校どころか文系/理系のどちらを選ぶかも決めかねている。数学の成績が落ちてきた気はするけど、頑張ればまだどうにでもなりそうでもある。そんなことより僕が重きを置いているのは、学校での人間関係のことだ。
部屋着のスウェットに着替え、鞄からバーネットの『小公女』を取り出して、ベッドに腰かけて開く。これは先週、坂本さんという人に貸してもらった本だ。新潮文庫、訳は伊藤整。正直、僕は翻訳家の違いなんて意識したことないんだけど、坂本さんは「古い訳だから読みにくいかも」と言っていた。
坂本さんは同じ高校、同学年の女子で、僕と同じく図書室に入り浸っている。カップルみたいになるから同じ机は使わないけど、図書室が閉まる時間まで勉強や読書をしている者同士、図書室を出てから駅に行くまでの道中に話すことがちょくちょくある。
坂本さんは背が小さく、垂れ目で鼻が丸く、顔も丸っこい。人より若干スローテンポで話し、言葉を選ぶとき上を見る。どうやら本人は自分のことを「顔が地味で幼児体型」と思っているらしく、たまに「千年前ならモテモテだった」とか「22世紀のタヌキ型ロボットを先取りした体型」とか笑えない自虐ネタを言って、僕を困らせる。もちろん、「そんなことない、坂本さんは可愛いよ」とでも返せばいいんだろうけど、照れくさいというより、どんなテンションで言えばいいのか分からないから、口を噤むしかない。
坂本さんと話すことは本の話題よりも、こう言っていいなら「哲学的」なテーマの方が多い。たとえば「意識は脳の内側にあるのか外側にあるのか」、「死後の世界は黒いのか白いのか」、「天国は場所が心地よいのか、集まってくる人(死後の魂)が心地よいのか」などだ。坂本さんがこういう問題に本気で興味を持っているのか、僕はまだいまいち掴めていない。でも、おしゃべりの題材として突飛で退屈しないとは思うから、僕も何も知らないなりに、それっぽく理屈をこねる。時には、僕の方から坂本さんにお願いして、そういう話題を出してもらうこともある。現在の西洋科学ではデマやオカルトとして研究対象にさえならない事柄が多いと嘆く坂本さんからすると、僕は物質主義的な偏見に凝り固まっているそうで、「目に見えるものしかない世界なんて、つまんないじゃん」とよく窘められる。僕は僕で坂本さんに「それはさすがにぶっ飛びすぎじゃない?」などと言いがちだから、お互い様だ。話はいつも決着しないけど、少なくとも僕は満足して帰る。
そんな坂本さんが「小さい頃読んだ本だと、『小公女』が大好きだった」と熱く語るものだから、「僕も読んでみようかな」なんて言っていたら、翌日その本を学校に持ってきてくれることになった。探せば図書室にも置いてあるだろうけど、坂本さんは「訳を読み比べてみるのもいいと思うよ」と冗談交じりに言った。上手く言えないけど、誰かと本を貸し借りするってちょっと憧れるし、たぶん坂本さんも誰かに本を貸してみたかったんだろうから、僕は素直にお礼を言った。言葉にすると大仰になるけど、思い出の詰まった本を預ける相手として、坂本さんが僕を選んでくれたことが嬉しかった。
水曜日から読んでいるし、頑張れば今日中に読み終えられそうだ。そう思って読み進めていると、1時間ほどして、
「翔くーん、晩ご飯よー!」
という無遠慮な声がした。すぐに動かないと、普段から大きい声をさらに張り上げて「晩ご飯よ!!」をくり返すし、無視しようものなら部屋に押し入ってくる。母さんは僕が部屋の戸を開ける音に耳をすましている。母さんが忙しいと10分以上放置されるけど、暇だと1分未満で2回目が来る。僕が読んでいる箇所はかなり中途半端で、せめてあと3ページは読みたかったけど、だからといって中断しないという選択肢はない。
渋々《しぶしぶ》リビングに行くと、食卓の真ん中に、白菜・ネギ・シイタケを主とした鍋が鎮座していた。白身魚は多少あるようだけど、肉は見当たらない。でも、肉のことは別にいい。問題なのはシイタケだ。僕は昔からずっとシイタケが嫌いで、いくら食べ続けても一向に克服の兆しが見えない。料理として出されたときは、いつも噛まずに飲み込んでいる。このことはもう何度も母さんに言ったし、出す必要があるにしてもせめて控えめな量にしてほしいと頼んだ。なのに、母さんは何とかの一つ覚えみたいに「シイタケは体にいいのよ」と言って相手にせず、様々な料理に大量のシイタケをぶち込んでくる。そんな母さんは昔、ダイエットを試みてジョギングをしたり食事制限をしたりしておきながら、2週間もせずことごとく放り出したことがある。それ以来、僕は健康に対する母さんのこだわりを信用していない。たぶん、母さんはシイタケが好きで、自分が食べたいだけなんだと思う。
「翔くん、食事をする前に――」
「……いただきます」
家族での食事中、母さんは案の定、久しぶりにアルバムを見た話、幼少期の僕がいかに手のかかる子供だったかという話をした。毎年のことなのに、父さんが良い反応をして所々で情報に補足を入れるものだから、母さんは調子に乗って、思い出したことを思い出した順で、脈絡もなくまくしたてる。1歳の僕が電車の中で粗相をして泣き叫び、周りの人たちの顰蹙を買ったということを懐かしそうにしゃべる両親は、16歳で食事中の僕がそれを強制的に聞かされて、どんな思いでいると思っているのだろう。きっと、というか確実に、何も考えていないに違いない。食べ足りないのに食欲が失せた僕は、食事を早々に引き上げ、リビングを出る。お腹が減るようだったら、両親が寝た後に冷蔵庫を漁ることにしよう。
部屋に戻った僕は、ささくれ立った精神を落ち着かせるためにウォークマンで音楽を聞く。モーツァルトの交響曲第40番、ト短調。どんなテンションで聞いても耳に馴染む名曲だ。精神を安定させるついでに、学校で出された地理の課題に取り組むことにした。暗記科目なのに僕は全然覚えられないから、自己採点用の模範解答を丸写ししていく。面倒だし単純作業だから、明日やるつもりだったけど、早く片付けられるならそれに越したことはない。集中できたとは言い難いけど、とりあえず無為に時間を潰さなくて済んだ、と思う。集中力が出始めて少しして、課題が半分ほど埋まった頃、
「翔くん、お風呂入りなさーい!」
ノックもなしで部屋に踏み込んできた母さんが、そう言った。僕はうなだれた。イライラして力任せに机を叩きそうになるのを堪えていると、さらに大きな声で、
「翔くんってばぁ! 冷めちゃう前に入りなさぁい、は・や・く!」
と急き立てられた。
学校でも塾でも友達はあまり多くないし、誰かと話しても後になって『あんなこと言うんじゃなかった』、『もっと上手い返し方があったはずなのに』と後悔することが多い。クラスメイトがその場にいない人の陰口を言っているのを聞いて、疑心暗鬼になっている自覚もある。でも、それら全てを合わせても、家にいるときの方が圧倒的にイライラしている。
もちろん、母さんも父さんも世に言う毒親ではないし、高校の校則でアルバイトが禁止されているとはいえ、とにもかくにも不自由なく高校生活を送れている点で、僕は充分恵まれている。でも、父さんはまだしも母さんはデリカシーがないと思うし、そこには改善の余地があるような気がしてならない。
それとも、僕がイライラしているのは、思春期でホルモンバランスが不安定な反抗期だからであって、大人になれば気にならなくなるのだろうか。いつかは、全部笑って許せるようになるのだろうか。
その後も母さんはずっとうるさかったけど、僕はその夜、坂本さんに借りた『小公女』を読み終えることができた。
翌日の日曜日は何の予定もなかったけど、僕は朝から市立図書館に出かけた。大掃除が昨日で終わったにせよ終わらなかったにせよ、母さんは家にいると気まぐれにうろ覚えの歌を歌うから、どこかに避難しておかないと僕の身がもたない。読み終えた『小公女』は、外で汚しては大変だから部屋に置いておいた。高校の図書室で借りた角川ビギナーズクラシックの『枕草子』があるから、今日のスキマ時間はこれを読むことにしよう。
ラノベ脳かもしれないけど、こうして市立図書館に来るたび、もしかして知り合いの誰かに会ってしまうんじゃないか、と不安半分に期待してしまう。でも、そんなことは全然なくて、誰とも出会わず、何事も起こらない。僕は学校の課題をこなして、その後には本を読む。集中が続かなくなったときは、図書館の棚を見て回ったり、近所の公園に足を延ばしたりする。
12月は日が短い。夕方には家に帰った。母さんと顔を合わせても仕方ないから、玄関からまっすぐ部屋に行く。
戸を開けた途端に、違和感があった。部屋が片付きすぎている。閉めていたカーテンは開け放たれ、ベッドのシーツが変わり、枕元に置いていたマンガとスマホの充電器がどこかに行っている。いち早く読むべき順に本棚に入れておいた本も、順番が変わっている。そして、勉強机に置いておいた『小公女』がなくなっている。頭に血がのぼっているのを自覚しつつ、僕はとりあえず『小公女』を探した。机にも、本棚にも、それ以外の場所にも、見当たらない。僕は部屋を飛び出して、リビングに殴り込んだ。
「ちょっと母さん!」
母さんは台所で何かやっていた。野菜を切ったり、それをフライパンに入れたりしていたようだが、そんなことはどうでもいい。
『小公女』は、食卓にあった。
「翔くん、おかえり」
「勝手に僕の部屋に入るなって、いつも言ってるだろ!」
僕は怒鳴った。でも、母さんは全く動じないし、悪びれた様子もない。僕がどうしてこんなに怒っているのか、どれだけの精神力で怒鳴るだけに留めているか、想像もできないらしい。
「だって、埃が溜まってたんだもん。シーツも変えなくちゃいけなかったし」
「これは!?」
『小公女』を指差して、僕は詰問した。母さんはむしろ嬉しそうに言った。
「翔くんもこういうの読むんだね。お母さんも昔好きだったのよ。懐かしくなっちゃって、ちょっとだけ借りるつもりで結構読んじゃった」
僕は腹が立ったが、言葉がまとまるより先に舌打ちが出た。それでも、たぶん聞こえていないのだろう、母さんは元気に続けた。
「ポテチを食べながら読んだからちょっと油がついちゃったけど、まあいいよね!」
「はぁ!?」
「そんなにカリカリしないでよ。反抗期ってイヤねぇ」
反抗期……? 反抗期とかいう問題なのか? この親はこんなときまで反抗期を持ち出すのか?
どこから批判すればいいのか分からなくなりながら、僕は辛うじて言った。
「勝手に部屋に入って、無断で本を拝借して、しかも油で汚して! 何やってくれてんだよ!」
「そんなに目立たないわよ。読むのには問題ないって。メルカリに出すなら値段下げないといけないけど、これくらいならお母さんが買い取るし」
「そうじゃなくて、借り物なんだって!」
「え? 学校の本? でも、マークないよね?」
母さんは呑気に、ようやく手を洗って、『小公女』に目を向けた。母さんが手を伸ばす前に、僕は『小公女』を取り上げて、ページをめくって状況を確かめた。
――マジだ。マジで油汚れと食べかすがついてやがる。
「誰に借りたの?」
「誰に借りたかじゃなくて、借り物を汚している時点で――」
「そんなに慌てなくても、新しいの買えばいいじゃない。弁償するのよ。お母さんがお金出すわ。平和堂の本屋さんに売ってるでしょ」
腹の底から、『このクソババア!!』と叫びそうになった。自分の母親に対してそんな言葉を言いかけるなんて、16年余り生きてきて初めてのことだった。それでも、最低限の品性を守るために、僕は必死で堪えた。それに、罵倒の浴びせ合いになったら、言葉に詰まりがちな僕よりも、躊躇なくまくしたてる母さんに軍配が上がることは目に見えている。過去の経験からもそれは分かっている。
僕はとにかくリビングを出た。戸を閉める音が大きくなったけど、それどころじゃない。『小公女』が汚されてしまった。坂本さんが僕を信頼して、自分が大好きな、思い出の詰まった本を預けてくれたのに、そんな小さな信頼にさえ応えられなかった。母さんは弁償すればいいと言うけど、代わりの本を買って済む話じゃない。僕が坂本さんから借りた本を、傷も汚れもつけずに坂本さんに返す、それを完遂することにこそ意味があったのに!
「翔くーん、お母さん今は手が離せないけど、あと15分したら車出せるよ」
リビングから間延びした声が聞こえてくるから、感情任せに「うるさいっ!」と叫んだ。母さんが言った平和堂の書店に行くならバスを使いたいけど、今からだとバス停でたぶん20分ほど待つ必要がある。当然、そんな気分じゃないから、父さんの古い自転車を引っ張り出した。タイヤの空気が抜けていたけど、気にしないことにした。
古本屋も含めて3件の書店を回ったけど、坂本さんに借りたのと同じ本はなかった。今の新潮文庫は畔柳和代訳、角川文庫は羽田詩津子訳、岩波少年文庫は脇明子訳といった具合で、伊藤整の訳はどこにも見当たらない。ネット通販でなら手に入りそうだけど、新品とはいかないようだ。背に腹は代えられないから、僕はひとまずネットで、なるべく状態の良いものを注文した。
帰りの道中、僕は坂本さんにどう謝ろうか考えた。
『ごめん、坂本さん。貸してもらった本なんだけど、僕の留守中に母が無断で僕の部屋に入って、本を持ち出して汚しちゃったんだ』
事実ではあるにしても、こんなみっともない言い訳はできない。母さんが部屋に入ってくるのも、部屋のものに手を付けるのも今に始まったことじゃないから、今回のことは僕の危機管理が甘かったせいだ。汚れたページを潔く見せて、『坂本さんの大切な本をこんなふうにしてごめんなさい。全て僕の責任です』と言うしかない。『代わりの本をネットで注文したから、届いたら渡します』。坂本さんはそれで許してくれるだろうか。僕はそれで許されていいのだろうか。何にしたところで、二度と坂本さんから本を借りる資格はなくなった。誰が許しても、僕自身がもう納得できない。
結局タイヤから空気が抜けきった自転車を押しながら、何とか家に帰り着くと、会社の人たちとのゴルフに駆り出されていた父さんはもう帰宅して寝ていた。母さんはお風呂のようだ。脱衣所に怒鳴り込むわけにもいかず、僕は腹立たしさを持て余す。リビングを覗くと、皿に盛られた野菜炒めにラップがかけられていた。ラップ越しでも、シイタケがたっぷり入っているのが見える。
リビングの隅には、昨日母さんが見ていたアルバムがあった。目に入った途端、蹴り飛ばしたくなった。分厚い表紙をボコボコにして、写真を踏みつけて、ズタズタにして、母さんお気に入りの似顔絵を、丸めて、引き裂いて、ぐちゃぐちゃにしたくなった。でも、それをしてしまうと取り返しがつかなくなるという思いが、僕の自由を奪った。どんな金縛りでも、こんなに苦しくはなかっただろう。やがて、僕はリビングを飛び出して、自分の部屋に駆け込んだ。
部屋は夕方に見た通り、母さんにいじられたままで、今の僕に馴染まない。僕はウォークマンを取り出し、イヤホンを耳に当てて、私服のままベッドに潜る。昨日も一昨日も聞いた、モーツァルトの交響曲第40番、ト短調。今だけは母さんが部屋に入ってこないことを祈って、僕は目を閉じた。