序 男の休日
とある日の休日、某競馬場にて――
突然だが、馬は好きだろうか。ここで言う馬とは競走馬のことだ。
馬は良い。走る際に伸縮する筋肉にはそれまでの努力が刻まれている。ただ速さだけを求めるその身体には一切の嘘が無い。その事実だけで俺の心は満たされる。嘘にまみれた世界での唯一の癒やし、それが競馬である。
だから、結果などはどうでもいい。本当にどうでもいいのだ。ただ美しい馬たちが速さを求めて競い合う、その瞬間を眺めるだけで、満足なのだから。
ん?その右手に握りつぶされた紙コップのジュースは何かって?ハハッ、なにちょっと、立ち上がった際に力が入っただけさ。決して怒りに我を忘れた訳では無い。本当さ。じゃあ、その左手に持っている名刺サイズの紙束は何?だって?ハハッ、これはもう用済みさ。こんなものはゴミ箱にでも捨てておけばいい。何の価値も無いのだから。
ふう・・・。えっと、何の話をしていたのだったか。・・・そう。馬が好きかって話か。ああ、もちろん。俺は馬が・・・
言いかけたところで、左胸の内ポケットに入れていた携帯が震えた。
全く、だれだ。人が貴重な休日を謳歌してる最中だというのに・・・
不機嫌になりながらも、着信名を確認する。
・・・どうやら、俺の休日はここまでらしい。
俺は、鞄にしまっていた赤いスーツを羽織り、競馬場を後にした。