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お嬢様が悪役に染まりつつあります

お嬢様は悪役を貫き通すおつもりのようです

作者: 佐崎咲

「オーホッホッホッホッホ!!!」


 目の前には倒れ伏すイレーネ。彼女はヒロインの皮を被った性悪な小細工大好き娘(小物)です。

 彼女を見下ろす私は、腰に手を当て高らかに笑いました。


「お嬢様。悪役を貫き通すおつもりですか」


 後ろに立つ家令のサハーが私に気づかわしげな声をかけるので、私はくるりと振り返ります。


「だって。イレーネ様ったら、せっかく殿下が見逃してくださったのに、性懲りもなく我が家に上がり込み、なにやら細工を仕掛けようとするんですもの」


 今は我が家が主催しているガーデンパーティの真っただ中。

 ガーデンパーティなのにお邸の中にいるのは、先日の舞踏会で私に「ざまあ」を食らった後、姿を消していたイレーネがこっそりお邸に忍び込むのを見かけたから。

 何をするつもりかと家令のサハーと共に声をかけたら、物凄い勢いで舌打ちをされ、物凄い勢いで突き飛ばされかけたので、軽くいなしたのです。結果として、イレーネはそこに倒れ伏すこととなりました。

 殿下のお傍に侍るとなればいつ何時命を狙われるかもわかりませんので、護身術は婚約者の嗜みの一つです。人を陥れることしか頭にない小娘になどやられるわけがありません。


「それは存じておりますが、何故悪役じみた高笑いを発されたのでしょうか」

「だって掃いて捨てても沸いて来るんですもの。だからこれまでが生ぬるかったということかと思って、徹底的におそろしい女を演じようと」

「はあ、ですが、そもそもイレーネ様はそのようなことではたじろがないから殿下とお嬢様に手をお出しになられたのであって、それくらいで引いていただけるとは」

「うーん。そうなのよね。じゃあどうやったらさっさと退場してくれるのかしら。正直私、もう面倒に感じてしまって。だってイレーネ様ったら、やることなすこと小物クサいんですもの。仕掛けることがみみっちいんです。その手にハマれば多大な痛手も負うでしょうけれども、ハマらなければそれまでなんですもの」


 イレーネは顔を青くしたり赤くしたり、総じて憎々し気な瞳を私に向けています。

 大抵一度やられたら諦めて去るか、もっといい手を考えてやってくると思うのですが。

 こういうところが小物なんですよねえ。


「うるっさいわね! あんたも殿下も、もうどうでもいい。ただやられっぱなしじゃなんだから、遠くへ行く前に置き土産でもしてやろうかと思っただけよ」


 置き土産、ですか。

 ふと見れば、倒れたイレーネの傍には小袋が落ちていました。

 家令のサハーも気が付いたようで、鋭い目を私に向けます。

 こくり、と私が頷きを返すと、サハーは静かにイレーネに近づきさっと小袋に手を伸ばします。


「あっ、それは……」


 イレーネが慌てて手を伸ばしますが、サハーの方が早く小袋を手にしました。

 そっと紐を解き、中を確認すると、サハーは一層厳しい目を私に向けました。


「おそらく神経毒の一種かと思われます。水差しにでも混入するつもりだったのでしょう」


 それはそれは……。

 まさかそこまでとは思いもしませんでした。

 やることは思い切っているものの、その手はあまりに赤ん坊のように幼い。

 計画性も熟考も感じられない。ただの感情任せの復讐です。


 本ッ当に、やりがいのないお方です……。

 全然高揚しません。

 全然手ごたえを感じません。

 全然やる気にもなれません。


 もはや悪役っぽさを演出することすら無意味だと知りました。


「一体どういうことだ」


 背後から突然声をかけられ、私は驚いて振り向きます。

 そこにいたのは、殿下。私の大好きなあなた。


「殿下! 見てください、先程私は突き飛ばされ、足をくじいてしまったのです。これでは歩けません……。あ、痛いっ」


 せっかくこれから血祭りにあげようかというところ、タイミングよく現れていただいたのはいいのですが……。


 演じることにしか意識が向いていないイレーネには、見えていないのでしょうか。

 殿下の手には、黒の皮靴。足元を見れば当然靴下で、それでも勇ましく仁王立ちしていらっしゃいます。

 おそらく、足音を立てずに忍び寄るために脱いだのでしょうけれど、そんなものを手に現れた殿下に媚びを売ろうとするイレーネも相当な神経をしていると思います。私でしたら、まず靴を履かせてさしあげたいと思うばかりで、頼ろうなどとはとても思えないお姿なのに。

 本当に格好のつかないお方。そんな抜けているところも私が傍でフォローしてさしあげたいと思う理由なんですけれども。

 靴を持ったままのあなたは、きっ、とイレーネを睨めつけました。


「今度こそ、私は全て見ていたぞ! もう見逃してやることはできない。毒を用いたとなれば、これは紛れもない犯罪だ。おい、サハー。兵を呼んで来い」


 サハーは恭しく礼をとると、カツカツと急ぎ足でお邸を出て行きました。


「いえ、違うのです、これは毒なんかではありません。滋養強壮のお薬なんです。仲直りのしるしにと」

「サハーは毒に精通している。見立てを間違えることはない」

「そんな……。殿下は騙されているのです!」

「すべて見ていたと言ったぞ。お前は俺の目すら疑うというのだな?」

「いえ……! 決してそんなことは!!」


 言い募るイレーネに、慌ただしい足音が迫りました。

 あっという間にイレーネはサハーが連れて来た兵に腕をとられ、立ち上がらせられました。


「殿下! 殿下! お話を聞いてください! 聞いてくだされば私が罠に嵌められたのだということがおわかりになるはずです!」


 イレーネは最後まで見苦しくも弁解を重ねながら、捻ったと言ったばかりの足を元気に突っ張って抵抗していました。

 どんどん声が小さくなるのをため息を吐いて振り切り、あなたはこちらをくるりと振り向きました。


「怪我はないのか」

「ええ。私はそれほど弱くはありませんので」


 ご心配をおかけしないようにと言葉を尽くして答えれば、先程よりも深いため息が返ります。

 何故でしょう。


「おまえはいつもそうだ。何があっても俺の助けなど必要ない。自分でなんとかしてしまう。先日の舞踏会での一件でもそうだ。困れば俺を頼るかと黙ってみておれば、完膚なきまでに叩きのめしてしまう。俺など居てもいなくてもいい存在だった。俺とて、おまえがやったわけではないことはわかっていたのに……」


 あなたはどこか悔し気に顔を歪めました。

 かわいげがない、と言いたいのでしょう。


 でもあなたの婚約者として、ご迷惑をおかけするわけにはいかなかったのです。何より売られた喧嘩は自分でカタをつけたかったのです。それが女の矜持です。

 私は守られるための存在ではありません。共に並び立つ存在なのですから。

 だからこれまで勉学も護身術も政治も礼儀作法も、全てにおいて全力で励んで来たのです。その自負があるからこそ、イレーネになど負ける気はなかったのです。


「私はあなたの婚約者ですから」

「そうだ。だがそれは親が決めたものだ。おまえにとっては義務も同じ。心がない婚約など、あってもおまえを縛り付けるだけだろう。だから自由にしてやろうと思ったのに。何故素直に従わない?」


 どういうことでしょうか。

 私は思わず首を傾げました。


「ほら、おまえはいつもそうやって顔色を変えない。何を言われても平静なまま。何を考えているかもわからない。いや、本当に何とも思ってないんじゃないかと俺は思った。こんなへたれな俺になぞ、好意の欠片も寄せていないのだろう。そんな婚約、解消した方が互いのためだ」

「ですが、先程仰られたようにこれは決められたものですし」


 それに、と言いかけた私の言葉はあなたの叫ぶような声に遮られました。


「何故俺ばかりがおまえを想わなければならない! 何かしてやりたいのにいつも不要不要と言われ、気持ちを伝える術すら持たない。おまえからは何の気持ちも滲み出ていない。そんなの耐えられるわけがないだろう!」

「好きですよ」


 ぽつりと言うと、あなたははっとして顔を上げました。


「先ほどの続きを申し上げます。これは決められた婚約ですから、殿下が心から私と婚約破棄をしたいと思えば、応じなければと思っていました。それなのに、私個人の感情などお伝えしては、そのときに重荷になってしまうかと思ったのです」

「なん……で、そんなことを……」

「ですから、好きだからですよ。あなたを縛りたくはなかった。あなたのお心がないのなら、婚約など私にとっては辛いだけでしたから」


 まさか、あなたまで同じように考えていたとは思いませんでした。

 私たちは互いを思いやり過ぎて、大切なことを見失っていたようです。


 言葉はすらすらと出てまいりました。

 でも、顔は。

 さすがに赤らんでしまったのを隠すことはできません。

 そんな私を、あなたは信じられないというように凝視しています。


「あまり見ないでください」


 乙女に恥をかかせないでほしいものです。

 それなのにあなたは、何故か嬉しそうに笑うと、まだ手に持っていた黒い皮靴をぽいっと放り、私の元へとすたすたと歩いてきます。

 恥ずかしい。

 そんな近い距離からこの顔を見ないでほしい。


 そう思うのに。

 手を伸ばせば触れられるところまでいらしたあなたを、心のどこかで喜んでいる私がいました。

 これほどまで近くに感じたことは、どれほどぶりでしょうか。

 ずっとすれ違っていたのかもしれません。


「予想もしていない答えが返ってきて、聞き逃してしまった。もう一度きちんと聞きたい。俺が好きか」


 こんな距離で答えないといけないなど。辱め以外の何ものでもありません。

 それでも私は答えます。

 もうすれ違ってしまいたくはないから。


「はい。好きです。幼少の頃よりお慕いしております」


 ヘタレなあなたを支えたいのです、という言葉は勿論呑み込みました。

 代わりに、苦手なのですけれど、懸命に口元を微笑ませました。

 あなたは私の顔を見て、満足そうに笑まれました。


「そうか。なら先日申し渡した婚約破棄は撤回する。すまなかった。おまえの気持ちを試したいがばかりに、心にもないことを言った」


 存じておりました、と言いかけたのも呑み込みます。婚約破棄など最初に却下しますと申し上げました、とも。

 またかわいげないと思われるのが目に見えていましたから。これでも私も学習しているのです。


「それでは、私はまだ殿下のお傍にいてもよいということでしょうか」

「ああ。ずっと傍にいてほしい。必ず俺がおまえを幸せにするから」

「ふふ……。私はもう幸せですよ」


 本当にわかってないお方。

 私はあなたに幸せにしてほしいわけじゃありません。

 あなたと共に、隣に立つことが喜びなのです。共に、支え合って生きることが。


 私たちはしばらくの間見つめ合い、先程まで私が高笑いしていたその場には静寂が訪れていました。

 そこに、いつの間にか戻ってきたサハーが、「お嬢様」とそっと声をかけました。


「本来であればお伝えする義理もないのですが、イレーネ様からの伝言があります」

「いいわ。教えてちょうだい」

「『悪役令嬢なんかに負けるわけがない。私が正統なヒロインよ!』だそうです」


 文字をただ読み上げるように平坦に述べたサハーに、私はくつくつと笑いを漏らしました。


「ふふ……。ふふふふふ……。あの子は本当に小物ね。何にもわかっていやしないわ。最後に幸せになった方がヒロインなのよ。二人で競い合うものじゃない。奪い合うものじゃない。それぞれに、それぞれの幸せを見つければいいだけなのに。誰かが欲しているものを奪えば幸せになれるわけじゃない。自分が本当に欲しいものを手に入れてこその、幸せなのよ」


 私が口元に手を当て笑っていると、あなたは言いました。


「おまえは本当に悪役が似合う。だが確かに俺にとってはヒロインはおまえだな」


 クサい台詞を言っていただけるのも、ヒロインの特権です。


「光栄です」


 そう笑った私の頬に、あなたはそっと口づけてくれました。

 決めるところは、決める。そんなことができる人だとは思ってもいなかったので、不意打ちに私はまた赤面してしまいました。


 あなたの思いに報いることができるよう、私は言いました。


「これからも私と殿下の間柄を妬むご令嬢は後を絶たないことでしょう。ですが殿下の手は煩わせません。あなたがまつりごとに集中できるよう、尽力するのが妻の務めですから。どんな火の粉も魔人のごとく振り払って見せますわ」


 そんな私たちの背後でサハーがぽつりと呟いたのが聞こえました。


「お嬢様、やはり悪役を貫き通すおつもりなんですね」

「ええ。誰かにとっての悪。だからこそ私はヒロインなのよ」


 私は晴れ晴れと、くくくくっ、と笑いました。

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[気になる点] >「殿下! 見てください、私、【イレーネ】様に突き飛ばされたんです。足をくじいてしまい、歩けません……。あ、痛いっ」 これイレーネのセリフですよね?
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