Act.04 正しいスライムの倒し方
しばらく歩いていると森の雰囲気が少しばかり変わってきた。
相変わらず鬱葱としているが少しばかりジメジメとした感触が足元よりやってきた。
靴を見てみると泥らしきものがこびりついていた。どうやら、ここは湿地帯のように地面がぬかるんでいるようだ。
注意して歩かないと滑ってしまいそうだ。砂漠とか荒野をメインで歩いている俺にとってこれ以上にないほど歩きなれない場所だ。
キャシーを見てみるとこれまでと変わらぬスピードでズンズン進んでいる。
さすがは肉体派。滑りやすい場所でもしっかりと歩けている。
いつの間にかまとわりつくような視線や気配は消えていた。湿地帯はあのゴブリンもどきたちのテリトリー外なのだろう。
これで警戒度を緩められるわけだが歩きづらい道のせいで一向に気を休めることはできなかった。
「アキラ、遅れてるわよ」
「わかってるよ。俺は頭脳派なんだ。肉体派のキャシーと比べないでくれよ」
「頭脳派でも死の商人ならもうちょい踏ん張りなさいよ」
こっちは重いキャリーケースを牽引しているのだ。少しくらいいいだろう?
と思っているが口には出さない。短い付き合いだけど彼女の人となりはなんとなく理解できているつもりだ。
「それにしてもここはなんなのかしら」
キャシーからこぼれた言葉。それはずっと疑問に思っていることだ。
目の前の問題に目移りしてぜんぜん考えなかったこと。この場所はいったいどこなのか。
成田空港ではもちろんありえないし、日本のどこかといわれてもあんなゴブリンみたいな奴が日本に住んでいるなんて初耳だ。
そして、この鬱葱とした森。世界中を探してもこんな森があるのは南アメリカ大陸かアフリカか東南アジアくらいにしかないだろう。
残念ながら俺はそのどれにも行ったことがないので比較のしようがない。
「アマゾンとかとは違うのか?」
「全然違うわよ……ってなんで私がアマゾンに行ったこと知ってるのよ」
「別に機密情報でもないだろ……ほら、おやつは8ドルまでって書いてあるくらいだし」
「十分に機密情報よ。それにおやつじゃなくて持ち込み食糧のことよ」
「違わんだろう? チュ●チャップス持っていくくらいだし」
「な、なんで知ってんのよ! 誰に聞いたのよっ!」
「さぁ、ジョン・ブルにでも聞いてみれば?」
「あのイギリスビッチね、今度会ったらとっちめてやるんだから!」
情報というものは身近なところから漏れるものである。
秘密体質のCIAにとってはいくら同盟国でも他国の諜報機関は信用できないであろう。
俺が知っているCIAの情報のほとんどはジョン・ブルさんからの提供である。どこの国も一枚岩ではないのだ。
そう和気あいあいとキャシーとの冒険を楽しんでいると不気味な音が聞こえた。
べちゃ。べちゃ。
まるでズブズブに濡れた雑巾を学校の廊下にゆっくり落としたみたいな気持ち悪い音。
その音は這いずり回るように俺たちの目の前に姿を現した。
「ひ――」
キャシーから冷たい悲鳴が漏れる。
それは先ほど現れたゴブリンもどきよりも珍妙な生き物(?)だった。
半透明の身体に暗がりでもよくわかるヌメッとした体表。
ずんぐりとした図体に顔もなければ足や手といったものは存在しない。
そう、そいつはRPGゲームとかでよく見るスライムという奴だった。
「うう、なんでこんな気持ち悪い奴ばかり現れるのよ!」
そういいながらキャシーは背中に隠した拳銃を引っ張り出す。
「おい、こいつに威嚇は意味ないだろ」
「知らないわよ! スライムは乙女の天敵なんだから」
乙女の天敵の意味はわからなかったがキャシーはどうやらスライムを毛嫌いしているようだ。
確かにプニプニとしててヌチョッとしてるから気持ち悪いといえば気持ち悪いかもしれない。
べちょ。べちょ。べちょ。
スライムはキャシーの拳銃を気にも止めず俺たちのいるほうへ向かってくる。
ってかスライムに目なんてあるのか?ただ、感覚に従ってこっちに来ているだけではないのか?
しかし、そうした疑問もキャシーの発砲音によってかき消された。
放たれた32ACP弾がスライムにズブッと突き刺さる。ダメージはないようだ。
続けてキャシーが発砲する。
「おいおい、弾の無駄遣いはよせ」
「うるさい、死の商人のクセにいちいちケチ臭いのよ!」
計5発。スライムの体内に鉛玉が文字通りめり込んだ。だがやはり、ダメージは見当たらない。
べちょ。べちょ。べちょ。
多少、速度は落としたもののスライムは直進する。
そして、もぞもぞとスライムは大きく広がるとキャシーへ襲い掛かった。
「きゃ、きゃあ!」
間一髪。
スライムのヌメッとした身体はキャシーの服を少しだけ溶かして空振りに終わった。
ってか触れただけで服が溶ける溶解液ってすごく恐ろしい。そして、すごく頼もしい。
わずかに溶けた服の隙間からキャシーの素肌がわずかに見て取れる。
スライムの執拗な攻撃をキャシーは避け続けるが少しづつ服は溶けていき、ついには――おっと、ゲフンッゲフンッこれ以上はお子様厳禁だ。
「ちょっと、何見てんのよ! 少しは助けなさいよ!」
やれやれ、もうちょっとでおいしいものが見れそうなところだが助けてやろうか。
警察のクセに一市民である俺に助けを求めるとは警察の風上にもおけんな。
俺はキャリーケースを開くと日本では違法なモノを取り出した。
むろん、拳銃であるがキャシーが持っているチャチなものでは当然ない。
RSH12。
アンダーバレル方式の大口径回転式拳銃である。
もともとはロシアのとあるメーカーで開発され、拳銃でも珍しい12.7mm×55mmの銃弾を発射できる銃だ。
12.7mm×55mmといっても理解しづらいと思うがベレッタやグロックのような一般的な9mm×19mmの拳銃弾ではなく狙撃用のライフル弾を発射できるといえばわかるだろう。
悪名高いデザートイーグルにも引けを取らないほどの威力を持つこの拳銃ほど頼もしい味方はない。
昔、とある知り合いからもらって以来、俺の相棒として利用している。
続いて弾丸を取り出してRSH12へと装填する。
大型拳銃は取り回しは難しいと思われがちだが慣れると案外簡単だ。
約十数秒で準備を終え銃口をスライムへと向ける。
当然のごとくスライムにおびえるそぶりなどはない。
ゴブリンもどきのようにキャシーの豆鉄砲で逃げてくれればよかったのだが、やっぱりこの軟体生物には感情はないようだ。
「リボルバー? アキラ、こいつ《スライム》にそんなモノ効かないわよ」
「キャシーが5発も無駄撃ちしたから十分に理解できているよ」
「うきーっ! 無駄撃ちっていうなっ」
「まぁ、みてろよ」
地団駄踏むキャシーをしり目に俺は引き金を引いた。
バスンッという火薬音と大きな反動とともに弾丸が発射される。
大口径の拳銃だけあって反動もなかなかのものだ。
俺もこの拳銃の反動に慣れるまで相当な時間を訓練のために費やしたものだ。
俺が放った弾丸は正確にスライムの身体へとズブリと突き刺さると内部からスライムごと弾けた。
ゼリー状の物体があちこちに飛び散りスライムは一瞬で哀れな姿へと変貌する。
「ひゃあっ……ス、スライムがこなごなに……あんた何撃ったのよ」
「猟師向けの対獣弾だよ。内部で破裂する弾丸だ。ほら、通常弾だと動物の毛皮とかに必要以上な傷を負わせてしまうだろ。この銃弾なら一発で中身がこのとおり、ぐちゃぐちゃになる」
身体をあちこちに飛散されたスライムはもう動かない。どうやら、この弾丸ならスライムを一撃で葬れるようだ。
正直、こんなファンタジー的な軟体動物なんてどれくらい程度ダメージを与えれば倒せるかなんてぜんぜん検討もつかなかった。
「そんな危険な弾丸持ち込んで何するつもりだったのよ……」
おびえた視線でこちらをうかがうキャシー。
先ほどまでの威勢はどこへやら。
「日本で売るつもりはないって言ったろ。俺の私物だ」
うちの会社経由で銃弾メーカーへRSH12用の特注弾を作ってもらったのだ。
これ以外にもいくつか特注弾を持っているがコレクションの披露はまた今度にしよう。
「そっか……んーでも、これでスライムもへっちゃらよね」
「おいおい、確かにこの弾丸があればスライムも一撃だが弾がそんなにあるわけじゃないぜ」
「あーそうだよね。私も持ち合わせが少ないわ」
「そりゃ、ただでさえ日本の警察は一度に持っていける銃弾に制限がかかっているというのに考えもなしにバカスカ撃つからだろ」
「仕方ないじゃない、乙女のピンチだったのよ」
「はいはい、それは置いといて残弾は?」
「1発よ」
「はいぃっ!?」
「なによ、予備のマガジンなんて持ってきてないからマガジンに入ってるだけよ」
ゴブリンに2発。スライムに5発。計7発キャシーは発砲している。
日本の警官が使うSIG SAUER P220の装弾数は8発。しかし、事前にチャンバーへ弾を装填しておけば9発のはずだ。
「事前に弾を装填してなかったのか?」
「あのねぇ、別に私はあなたと銃撃戦をしようとなんて考えてなかったのよ。ただのハッタリと護身用程度で持ってただけなのよ」
たしかに日本の警察は拳銃の取り扱いにうるさい。
交番の警官が持つ装弾数5発のニューナンブですら、やれ紐をつけろやホルスターにきちんと納めろと規則がガチガチだ。
「さすがの俺でもブローニング弾は持ってないぜ」
「いいわよ、休暇中なんでしょ? 期待なんてしてないわ。その拳銃を持っているだけで十分よ」
そう、キャシーは言うが俺の重たいキャリーケースには他にいくつかの銃器が収められている。
銃弾やハンドロード用の機材も詰められている。
当面はこれで凌げることができるであろう。
「さてと、そろそろキャンプしないと夜になるわよ」
周囲の背景はすでに夜の色と同化してしまいそうだった。
もう下手に動くよりこの場でキャンプしたほうがいいんじゃないのか。
そう思ってキャシーへ向けて口を開こうとして止めた。
「なによ、どうしたの突然」
異変に気付いたキャシーが心配そうに見つめる。
俺はしっと人差し指を口元に立てると黄昏の静けさに耳をゆだねる。
べちゃ。べちゃ。
「ひっ――」
キャシーも気づいたようだ。
短く悲鳴を上げて残弾1発となった拳銃を震えながら構える。
べちゃ。べちゃ。
嫌な音だ。
つい先ほど聞いたばかりの軟体動物がこちらへと近づく音。
スライムだ。
俺もキャシーに見習って拳銃に弾を装填して準備を整える。
逃げてもいいが追ってこられても面倒だ。ここで始末しよう。
べちゃ。べちゃ。べちゃ。べちゃ。
暗がりでスライムの姿はうかがえないが音だけで嫌な予感がした。
「ねぇ、ちょっと……これって」
べちゃ。べちゃ。べちゃ。べちゃ。べちゃ。べちゃ。
「ふ、複数体かっ」
スライムが2、3……4。計4匹現れた。しかし、周りから聞こえる音はこの4匹のものだけではないもっとたくさんいる。
「ちょっと、どうするのこれ!」
「1、2匹なら相手するがこの数は……ヤバい」
冷や汗をかく。いくら一撃必殺とはいえこの数を相手にすることなど不可能。
逃げるにしても今後活用できるキャリーケースを放置しなければならなくなる。
RSH12以外でスライムを効率よく倒せる武器は手持ちにはない。
「キャシー」
「なによ」
「逃げるぞ」
ここはキャリケースを放置してでも逃げて生き延びるしかない。
俺はキャシーとともにこの場を離れようとした。
その時だった。
べちょべちょという不快な音に交じって奇妙な鳴き声が聞こえたのは。
「え?」
続いてパカラッパカラッという4つ足の生き物が駆け回る軽快な音が聞こえた。
そして、その音は俺たちの前へとやってきた。
『ヒヒィィィンン!』
馬だ。茶色い普通の馬がスライムを踏みつぶして豪快に登場する。
松明の明かりが馬と周囲を照らす。
馬の背中には銀色の甲冑を着た騎手いや、騎士が騎乗していた。
騎士はスライムを一瞥すると持っていた長剣で薙ぎ払った。
「な、なにが起こってるの?」
キャシーが呆然とつぶやく。俺もキャシーと同じ感想だ。
スライムに襲われてピンチだったところにヒーローもとい騎士が現れるなんて思いもよらなかった。
襲撃を受けたスライムたちはあっけなく倒されついには敗走していく。
騎士はそれを見逃すと馬をゆっくりと止め、こちらへ視線を向けた。
フルフェイスの兜で表情は見えなかったがどうやら敵意はないらしい。騎士は剣を収める。
「なぁ、助けてくれたのか?」
俺の問いに騎士は答えない。
答える代わりに彼は彼の後ろを指さした。
彼の背後から複数の騎馬たちが現れる。
皆、同じような銀色の甲冑をまとい、腰には長剣。彼らは騎士団かなにかなのだろう。
終始無言の彼ら。その間に一人だけ騎士ではない人間がいた。
「彼らがそうなのね」
被っていたフードを外しながら彼女が口を開く。
綺麗な女性だ。俺と同じか少し上くらいだろう。
彼女は小さく微笑むとお辞儀をした。
「わたしはエルミルダ王国、第3王女ミーシャ・エルミルダ・トパーズです。ようこそ、異世界の勇者様。わたしたちはあなたがたを歓迎いたします」
こうして、死の商人である俺の勇者としての物語が始まった。