05/神田実穂
早退した。
あのコンクリ塊に向かって無様に弁明するよりも、今日一日とゴールデンウィークを経て私の噂がどう変遷していくのかを見るほうが賢明だ。その上で今後の身の振り方を考える。
「……身の振り方、ね」
知らず、唇を噛んだ。
どうせ選択肢なんかないだろうが。
いったん家に帰ってから外に出る。この時間帯、警察に見つかれば補導されることもあるが、私に限って言えばその心配をする必要はない。自分の顔立ちが同年代のそれと比べて大人びていることは自覚している。
なので、服装にさえ気を付ければ補導されることは無い。実際今までも平日の昼に外出した時に警察の巡回とすれ違たことがあるが、何も言われることは無かった。もっともその警官が私の存在など気に留めていなかった、という可能性もあるが、この田舎でそれはないだろう。無駄な思考を一旦頭から振りはらい、私は玄関の扉を閉めた。
朝方、憎らしいほどに照り輝いていた太陽も、今は雲の壁の向こう側だ。まるで私の心情描写のようじゃないかと少し思ったが、もしそうならこの町はずっと雲に覆われたまま、太陽が覗くことはないだろう。
どこへ向かっているかなんて知らない。なるべく何も考えないように勤め、ただただ時間を浪費するためだけに歩みを進める。
今日ほどのことではないにしても、私は何かがあった時、こうして当てのない散歩をよくする。燦々と輝く太陽の光も、肌に冷たい雨も、今日のような重たい曇りの空気も、私は嫌いではない。人が作り出す空気でなければなんでもいいのかもしれないな、と自分の単純な嗜好に少し笑った。乾いた笑いは湿った空気に溶けることなくいつまでも目の前に留まっている気がして、私は目を閉じ、それまでとは反対の方向へ足を向けた。
私は、自分で思っている以上に今日の出来事にショックを受けていたのかもしれない。学校側の対応に、ではなく、自分の愚かさにだ。
常に最悪の事態を想定しておく。日々私が気を付けていることだった。そんな大層なことを言っておいて、この様だ。最悪の事態にならなかったことに油断した。淡い期待を世の中に抱いてしまった。そんなもの持っても裏切られるだけだというのに。
もちろん、期待は裏切られることもあれば応えてくれることもある、ということは知っている。しかし、それはあくまで知識の上での話。経験がない以上、私にとって「期待」と「裏切り」は数学の公式のように、疑いようのないイコールで結びつけられていた。
そんなことをうだうだと思い浮かべながら歩みを進めるうち、自分の足が無意識のうちにある場所へ向かっていることに気がついた。家からすぐの駅、母恋駅からまっすぐに伸びる道に出る。
――地球岬か。
一週間前、私が発見された場所。私が命を絶とうと思ったらしい場所。成る程、今の私を戒めるにはもってこいの場所だ。
この町で暮らしていると母恋駅と地球岬はそこまで遠くないように思えてしまうが、実際はそんなに近くはない。というか、歩いて行くとなると結構遠い。そんなこともあってか、観光地でありながら地元の人間の多くはあまり足を運ばない。今日のような平日は特に、道中気を付けていれば誰か知り合いに会うということもないだろう。
案の定、最寄り駅から地球岬に向かって歩いていても、知り合いはおろか、ほとんど誰ともすれ違わない。田舎のこういうところは私にとって有り難い。逆にこういうところが嫌いで出ていく人も多いのだろう。
私は、どっちだろうか。
人がいないのは都合がいい。しかし、それを好きと言ってしまうのは、自分にとって有益かどうかでしか好き嫌いを判断できないみたいで不愉快だった。だけど、そう思うということはつまり、その側面を捨てきれていないということでもある。不愉快さの中には、図星を突かれて口を閉じる子供みたいなバツの悪さも含まれているんだ。
展望台に続く坂道を一人、ひたすら歩く。その作業めいた動きは自虐気味な思考で火照った頭を冷やすのに存外、有効だった。
目に入るのは、人が住んでいるのかどうかもわからない民家ばかり。過疎化が進むこの町では空き家率が年々増えていると聞く。枯れ木も山の賑わいとはよくいったもので、そんな家でも駅から離れて少なくなるにつれ、どこかさみしさを感じる自分がいた。
標高も少しずつ高くなっていく。坂道を駆け下りるように強い風が吹き、誰も遊んでいない公園のブランコを揺らす。さあ、ここまでくればあと少しで到着だ。やがてまばらだった民家も全くなくなり、道路の脇には森林が広がる。最後に道路から斜めに伸びる細い道に入って、地球岬に到着した。
地球岬の、そんなに広くもない駐車場には車が一台駐車してあるだけだった。それ以外には人影が二つ、外国人観光客だな。車も彼らのものだろう、ナンバーを見てみると案の定、そこには「わ」の文字があった。二段になっている展望台の一段目から楽し気に海の写真を撮っているのが、遠目からでも確認できる。
平日の地球岬。地元の人間は誰もいなく、乾いた二つの笑い声だけが風に流される。人のいない出店や閑散とした空気も相まって、見た目以上の寂しさをたたえていた。
地球岬。元はアイヌ語で「チキウ岬」。その音と、展望台から見る水平線が弧を描いていることから地球岬と呼ばれるようになったとか。チキウというのは何かしらの地形を意味するアイヌ語だったはずだが、そっちの方は忘れてしまった。
今日は人が少ないが、休日、特に夏休み中ともなればツアーバスも来たりしてそれなりに賑わいを見せる。どうせなら誰もいない方が良かったのだが、まあ贅沢も言っていられない。写真を撮ることに夢中になっている外人二人を横目に、私は展望台の階段を上る。さすがに観光地である、GW間近と言うこともあってか、寂れていても整備や清掃は行き届いているようだった。
ゆらゆらと歩いて前方の柵に手を着く。鉄柵は刺すような冷たさを持つわけでも、まして独特の生暖かさを持つわけでもなく、不思議と私の手のひらによくなじんだ。
顔を上げる。
目に入るのは白い空と群青の海、混じり合う水平線は鼠色。ここから見る海は空よりも広い気がした。
はっきりとしない自然の色味は、どうしてか私の胸に刺さる。すでに忘れてしまった過去が、思い出せと戸を叩くように。それが煩わしく、私はただ俯いた。
先ほどまでの広々とした風景とは打って変わった眼下の景色。波を受け、削られた岩盤、えぐられた崖。今も打ち付ける波は激しく、どこか自分を責めているようですらあった。荒い白波を見ていると、先ほどまでは感じなかった潮風を否応なく意識させられた。
地元のことだからあまり大きくは言いたくないけど、私はこの景色はいいものだと思う。晴天でも、曇りでも、雨でも。ここの景色はそれぞれで違った表情を見せる。天気のいい日しかここに来ない人は、今日のような静かに荒ぶる岬を知らないのだろう。
体を反転させ柵に体重をあずける。さっきよりも気持ち強く感じる潮風を背中に浴びる。目に入る景色は海の青とは反対の緑だ。折り重なるようにして広がる山と森は、雲間に差し込む光の濃淡で鮮やかなグラデーションを見せていた。
やっぱり、ここはいい場所だ。だからこそ言える、私はここで自殺しようとは思わない。どうせ死ぬなら景色のいい場所で、という思いはあるが、この美しい場所を私なんかの死で、ましてや自殺で汚すのは忍びない。それに、何と言えばいいのか。私はここで死ぬべきじゃない。そんな気がするのだ。けれど、それは決して死に対する忌避感でも、道徳心からくる拒否感でもない。ましてや恐れなんて、そんな可愛げのあるものでもなかった。
意外だと思われるかもしれないが、私は自殺については否定派の人間だ。常々思っていたことがある。いじめだけじゃない、経済的事情や家庭環境から自殺を選ぶものがこの世界には大勢いる。その人たちはもうこの世の地獄を見て、どうしようもなくて死を選ぶのだろう。だけどどうして、この世でそれほどまでの苦悩を味わっておきながら、どうして死ねば楽になれるなどと楽観的に考えることができるのだろう。死の先に安息があるなんて、誰も証明していないというのに。
自分が認識をやめない限り地獄は続く。死の先に人生以上の苦しみが無いとは限らない。
奇しくも、これと同じ考えを仏教の考えの中に発見してしまったことがある。荷を引く牛の話だったと思うが、詳しく読む前に自分と仏教の考えが同じだったことにげんなりとして本を閉じてしまった。自殺未遂なんて事態になるんだったら、少しは読んでおくべきだったか。それで何が変わるとも思えないが、自殺なんてしていないという自分の意思だけは、もっとしっかり持てた気がする。
山の方を見ていると外人二人の背中が駐車場に見えた。もう写真は撮り終え、車で移動するようだ。なんとなくその背中を目で追っていると、二人と入れ違いのように青年が展望台に上がってくるのに気がついた。日本人のようだが、服装が少し特殊と言うか、奇抜だ。アシンメトリーと言うやつだろうか。少し年上、高校生くらい。いや、私が言うのも何だが高校生ならこの時間に私服で一人はおかしい。近隣か、あるいは都会から観光に来た大学生かもしれない。
何の気なしにその青年を見ていると、向こうもこちらが見ていることに気付いたのか、突然顔を上げた。展望台の上と下で視線が一本に束ねられる。
やばっ。
って、何がやばいんだ。
人の良さそうな青年だ。不躾な視線の合い方にもかかわらず、こちらにむかってにこやかに微笑みかけてくる。人の害悪なんて一切考えたことがない。一切受けたことがない。そんな顔。
私には出来ない顔。
なんだか見ていられなくて、視線を海に戻した。さっきよりも風が出ている。潮風を強く感じたのは気のせいではなかったようだ。短くした髪がウザったく舞い上がるのを押さえつけながら、再び水平線を視界に収める。先ほどよりも気持ち濃くなった鼠色に、そこはかとなく呑気な印象を受けた。
――さっさと散ってしまえばいいのに。
崖際に打ち付ける波のように、綺麗に無くなって、散って仕舞えばいい……。そんなことを思った。それが何に対する感情だったのか、自分ですらわからない。
常日頃から、考えないようにしている事がある。
自分の将来についてだ。
志望校は決まっている。室蘭市内の高校で、西条高校という。偏差値で言えば市内でトップと言われているが、私の成績ならば幾分か余裕をもって入れる筈だ。
本当なら市外へ出て、私を知っている人が誰もいない場所へ行きたかった。私にあれだけ無関心な母親だ。それくらい簡単に許しがでると思っていたのだが、ようやく家のローンを返し終えたばかりで、一人暮らしが許せるほどの仕送りをする余裕は無いと言われた。まあ、高校生の独り暮らしを認める方がそもそも珍しいだろうと納得した。
西条高校へ入学したとして、そこでの生活はどうなるだろう。当然同じ中学にも西条高校を志望しているものはいる。今程ではなくなるだろうが、順調な高校生活を送ることは難しいだろう。いや、仮に同じ中学のものがいなかったとしても、これまで他人との関わりを絶っていた私がまともな人間関係を築けるとは思えない。
これは弱音ではなく、自分を客観的に見られていないとかでも、きっとなく……。
一切の想像ができないのだ。
まともな関係も、友達も……。
そんな人間に対して周りが向ける感情が、いったいどんなものになるのかも。
――どうすればいいのだろう?
自然と湧き上がる自らへの疑問。
――私は、どうしたいのだろう……?
それに答えるように生まれる新たな疑問。
……ほら。
考えれば考えるほど、私は動けない。
いま、どんな顔してる?
未来を考える私の顔は、きっと今日の空のように曇り切っているのだろう。
柵に寄りかかる腕に表情を沈める。
次に顔を上げたとき、いつも通りの自分がいることを願って。




