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04/神田実穂


――まぶしくて、目を細める。


ここは一体どこだろう、私はここにいていいのだろうか。目を開けられないまま、ただ考える。


目を開けられないのは本当に眩しいから、それだけか?  目を開けない方が都合がいいと、わかっているからじゃないのか?


目に映るものが怖くて、ただ逃げているだけじゃないのか?


昔読んだ絵本、その一節を思い出す。


寒い朝、目覚めたばかりの狐の仔は日の光を反射する白銀の雪を直に見てしまう。「お目々に針がささった!」 それを聞いた母狐は大慌てで我が子の両目を見て、安堵の声を漏らす。「なーんだ、光を直接見てしまったのね。少しの間目を閉じていなさい、次目を開けた時には、真っ白で綺麗な雪があなたを待っているわ」


私の見る世界は私を傷つけるのかもしれない。けれど、そんなものは幻想だ。私には心配をしてくれる母も友人もいないけど、一人だからこそ傷がつかないこともある。かりそめの傷を恐れるな。痛みを生むのは自分自身だ。


目を開けよう。そこに広がる光景を、受け入れなければ始まらないのだから。


白銀に覆われた森林で私は目覚める。日の光が降り注ぎ、雪はキラキラと光輝き私の目覚めを祝福している。


歩く、歩く。――ここに私の足跡を刻む。


あぁ、私は今ここにいる、異形の友に囲まれて、私は今、ここで生きている!


私の居場所だ。この世界を守るためなら、私はなんだってしようじゃないか。


例えそれが……。




わかっている、これは夢だ。


入院してからこれと同じような夢を何度か見た。居場所を見つけた少女の希望に満ちた夢、なのだろう。そんなキラキラしたものを見せつけられて、こちとら朝から憂鬱だ。


シャワーを浴びに一階へ降りる。春先の北海道でやるには少し勇気がいるが、冷たいシャワーを浴びればこの陰鬱とした気分も少しは晴れるだろう。


鏡越し、自分の目を見る。首を、肩を胸を、そして足まで全身を。


綺麗な体だと思う。一週間の入院で体にある傷の類はあらかた消えたようだ。昨日の体育で受けた暴力も、痣になることはなかった。


そのままの流れで指先に目をやる。と、右手の中指で目の動きが止まった。ああ、少し前に爪を剥がされたんだ。その爪だけが他と比べ歪な形にとどまっている。

しかし、我ながら感心する。よくもまあ短期間でここまで傷が治るものだ。爪の一件があったのはいつだったか、確か十日か二週間くらい前だったかな。あの時ばかりは片山たちも先生たちも慌てていたっけ。


それこそバスケの授業中、至近距離から片山が思いっきりボールを投げつけてきたのを取り損ねて転んだんだ。そしてボールを取りに走った誰かが、地面に手をついた私の指を思いっきり踏んで行った。骨は折れてなかったけど爪からの出血がひどくてすぐに病院に行った。医者は爪母がどうのと言っていたけど、専門的な話はよくわからなかった。


さあっ、と冷水が降り注ぐ。冷たさに身を縮めたのは一瞬だった。


手で揉み梳かすように髪を洗う。なんだろう、左右で重さというか、抵抗が違う。そう言えば昨日、学校で通りすがりにバッサリやられたんだっけ。時間はあるし、少し揃えるか。このくらいなら五分あれば大丈夫だろう。


背中まであった髪は、シャワーを終えた頃には肩口まで切りそろえられていた。少し、切りすぎたかも。


久しぶりの自宅で迎える朝だと言うのに、今日も家には私以外の姿はない。父はいない。早くに離婚したらしく、私は顔も覚えていなかった。母は仕事の都合だと言って深夜に返ってきて、早朝に家を出る。


いつも私が家を出るのは始業に間に合うギリギリの時間帯だ。シャワーを浴び、髪を切った今朝でも朝食を用意する時間は十分にある。だから親がいなくて困るということは無い。それでも今日は、なんとなく、いて欲しかった気がする。


朝食もそこそこに家を出た。いつもより三十分は早い。けれど、まあ良いところだろう。おそらく写真の件で片山から何かしら動きがあるだろうし、面倒ごとを避けるには従順に振舞っておくのが一番だ。


……なんて、悠長に考えていた私が馬鹿だった。




学校は朝から異様な喧騒に包まれていた。なんでも正面玄関の掲示板に、『下着姿の女生徒の写真』が貼ってあるらしい。お陰で私は登校するなり校門で待ち構えていた担任及び生活指導の先生に保健室へ連行される羽目になった。


いや、冷静に考えよう。馬鹿なのは私じゃない。圧倒的に片山の方だ。彼女は私を言いなりにする機会を失った。最終的に到達するであろう地点に一足跳びに着地したのだ。私を貶める事には成功したが、自分自身が得することに関しては失敗している。最終的な損得を考えれば、これは愚策としか言いようがない。


だってそうだろう。私はこの学校において失うものなど無いのだから。彼女らに潰される程度のプライドなんか、私はもともと持ち合わせていない。片山は得られるはずのものを得られなかった。その上、これは私にとってチャンスだ。今までは見て見ぬ振りで通すことができたが、先生たちだってここまでのことを知りませんでしたでは済まされない。


うまくいけば片山たちに一矢報いるまでは行かなくても、表面上は平穏な生活を送ることができるかもしれない。


そんな、都合のいいことばかり考えていた。今までは何もしてくれなかった教師たちが、学校が、今度こそは私をみてくれるのではないかと淡い期待を抱いてしまった。だから、


「神田、何故こんなことをした」


という担任教師の言葉を聞いたとき、私は自分の耳を疑ってしまった。


「……は?」


「だから、どうしてこんなことをしたのかと聞いているんだ。こんな、質の悪い悪戯を」


悪戯? ああ、そうだろう、悪戯だろうさ。私をターゲットにした、な。


あまりにも論理的ではないその言葉に、思わず生徒指導の先生の方を見やる。私と同じく、「何言ってんだ、こいつ」と言う顔で担任を見ている。そんな映像を期待して。


まあ、そんな期待は一秒と待たずに崩れ去ったわけだが。


「何とか言ったらどうだ、神田。どれだけ先生たちが迷惑してると思ってる」


呆然とした、と言うよりは、ただ単純に呆れたと言うべきだろう。だがそれも一瞬のことだった。


何を期待していたんだろう、私は。


頭がすうっと冷えていくのを感じた。自分でも怖いくらいだった。目の前にいる二人の大人が、その辺に転がっているコンクリートの塊にでも見えてくるようだった。面白いな、このコンクリ、人間みたいな顔ついてる。


わかったよ、そういうことね。


そういうことにしたいわけね。


成程、話し合いの場を保健室にしたのは私を周囲の視線から守る為ではなく、自分たちを守る為だったわけだ。二人の態度から察すれば、それは明らかだった。だから私はとりあえず、


「いいですよ、飯田さん、渡辺さん。そういうことで話を進めてください」



これを「先生」と呼ぶことをやめた。



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