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03/神田実穂

空気は空気らしく、テストも試合もいつも通りにこなして、体育の授業も無難に終える。その筈だった。いや、私はいつもと同じようにしていた。それなのに……。


「はぁ……」


自然とため息が出た。


今、私は学校近くの空き家にいる。もちろん自発的に来たのではない。片山の呼び出しだ。今まではこんなことは無かった。それはきっと、片山にとって私がいじめの対象ではあっても警戒の対象ではなかったからだろう。


それが、体育の授業で変わった。


今日の体育の授業、レイアップシュートの試験で私はシュートをすべて成功させた。それだけならば偶然で済んだだろう。その後の練習試合が問題だった。


試験でいい成績を出した私を、片山は「調子乗ってる」 とでも思ったのだろう。彼女は自分のチームをバスケ部員で固め、私のいるチームに試合を挑み、そして引き分けた。そう、「引き分けた」 のだ。


引き分けの原因はすべて私にあった、と、少なくとも片山はそう思っているのだろう。実際、試合で私の立ち回りは我ながらおかしかった。

妨害すればボールを奪え、シュートを打てば入った。何と言えばいいのか、リズムゲームをしているようだった。このタイミングでこの動きをすればシュートが決まる、そんな感じ。

お陰で私は試合中、敵味方のチーム問わず暴力級の妨害を受ける事になった。



「生意気」



その一言に思考がゆり戻される。そうだった、私はいま呼び出されてここにいるんだ。

片山と他二名。三人ともバスケ部だ。今日、顔に泥を塗られたと思っている奴ら。確かに、部に所属して毎日(かは知らないが)一生懸命(とも言い切れない)練習している者がただの帰宅部と引き分けたのだ、不機嫌にもなるだろう。


しかもその相手が普段から見下している、言うなれば“攻撃対象”だ。


現に今も着々と目の前の三人の機嫌は悪くなっていく。あぁ、でもこれは多分私が悪い。さっきから私は表情を何一つとして動かしていない。それが彼女らの求めている反応ではないのだろう。


「さっきから何? なめてんの?」


ここに来てから片山以外の声を初めて聴いた。こいつは……駄目だ、名前忘れた。でも体育の時いたし、同じクラスなのか。しょうがない、右の奴と呼称しよう。


「逆でしょ」


何も言わなければ状況はどんどん悪くなるだろう。かといってご機嫌取りみたいな台詞を吐くなんて考えられない。と言うかそんな台詞を言ってもこいつらは止まらない。ならば私にできることはただ一つ、正論を言うことだけだ。


「は?」


「だから、逆でしょう? なめて、見下して、そんな状態で私がバスケ部と引き分けられるわけないでしょ。だから、逆。あなたたちが私のことをいつも見下しているから今日の試合は引き分けで終わったの」


「っ!」


私の態度は相手の神経を逆なでするようだ。


正論と言うのは、今の「右の奴」のように怒っている相手に対して使えば火に油を注ぐかのごとき効果が出る。加えて、私の口調や態度はそれらを増長する効果があるらしい。


「あんた、なめてんの?」


それはもう聞いたよ、右の。


「あんた自分のこと何様だと思ってるわけ? あたしらに口答えするとか許されると思ってんの?」


「さっきから疑問を投げかけてるのはそっちでしょ」


これはちょっと屁理屈っぽかったかな。反省だ。


「神田、ちょーし乗んなよ。ちょっといいとこ見せたからってあんたの価値が変わったわけじゃないんだかんね」


右のはさっきからやかましいな。そんなにさっきの試合がショックだったのか。別に虚勢を張ってるわけじゃあないのだろうけど、ここまで突っ張られると少し悪いことをした気になってしまう。


「まあまあ、右野。ちょっと落ち着きなよ」


うのっ!?


おっと、まるで某ボードゲームのあがり一歩手前の時のような声を出すところだった。


しかし「うの」 か。もしかして右野って書くのだろうか。だとしたらなかなかの偶然だ。出席番号で考えれば割と近い場所にいそうなものだが、覚えていないものだな。それにしても、片山は一体何を考えているんだ。呼び出した張本人のわりに何もしてこないし右の、改め右野の暴言を諫めるし、まさかこれまでのことを謝るわけでもあるまい。


「神田にだって、いいところがあるのかもよ? 実際今日の試合なんて驚いたしね」


なんか、雲行きが怪しい。片山はこれまで私を肯定する言葉など一片も放ったことなどなかった。それが急に、ここまでの余裕を見せるだろうか。


「だからさ、」


片山はわざとらしく言葉を区切り、制服のポケットを探り始めた。


「どうせならもっと自分の価値を知ってもらおうよ。ほら、これでオトコノコにも大人気だ」


瞬間、顔をしかめてしまったことを私は深く後悔した。


片山の手には自分のポケットから出したスマートフォンが握られている。その画面には下着姿の私の写真がでかでかと写し出されていた。授業後の着替えの時だ。別に私は容姿も体も普通だから、油断していた。


今まで無表情で相手をしていたのが裏目に出てしまった。些細な表情の変化でさえ片山にはありありと読み取れただろう。驚きも、嫌悪も。


つまりこれは、片山からの警告だ。これ以上舐めたことするならこの写真学校中にバラまくぞ、と。そして私がそれを鵜呑みにし、今後そういった行動を控えれば、警告は脅迫へと変わる。


私が黙りこくったのを見て、片山たちは満足気に、陽気に手を振って空き家から出て行った。想像通りに事態が進行すれば、片山の警告の段階はすぐに通過するだろう。明日いっぱいもてば良い方か。その後は脅迫。私が今まで全て無視してきたパシリの扱いあたりがエスカレートしていくはずだ。それが過ぎれば次は金、万引きあたりをやらされるのだろうな。


ゴールデンウィークを挟むのは、もしかしたら不運だったのかもしれない。連休中に呼び出しを受けたら、それは確実に今思い浮かべた類のことをやらせるためだろう。当然のことだが、片山は忍耐強い方ではない。学校が始まるまでの五日間をただ待っていることなどできるはずがない。


思ったより、動揺している。


自分の裸を見られることがそんなにショックなのだろうか。それよりも写真をエサに碌でもない奴らにいいように使われる方がずっと屈辱的ではないか。今までは、そう考えていた。


なぜだろう、いざ現実にその状況が突きつけられると、印象はガラリと変わってしまったようだ。

いわゆるいじめを受けている事について、私はかなり反応が薄い方だろうと思っている。誰かを自分の足元に置いておかないと立つこともできないような、そんなクラスメイトの幼児性にわざわざ付き合う必要もないし、他人を自分の装飾品程度にしか思っていない連中との友達ごっこなんか、金を払われたってごめんだ。


だがその一方で、誰かに自分を認めてもらいたい、という素直な欲求についてなら理解ができる。できてしまう。自分でも情けない限りだ。空気であることを期待される私は、けれどもやはり人間であるしかなくて、



時々、自分が何なのかわからなくなってしまう。





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