01/川上理央
高校生にもなって学級レクとは、このクラスの担任も焼きが回ったな――と、始める前はそんな風に思っていたが、準備を進めているうちにレクに対するクラスメイトの期待値が予想以上に高いことに気が付いた。
「企画するのが川上だからみんな楽しみにしてるんだよ」 とは友人の関沢の談だが、さすがにそれは考えられないだろう。そういった期待はいわゆる「人気者」、その関沢のような者にこそかけられるのであって、俺のようなひねくれ者とは無縁のものだ。
もっともこのレク企画はクラスごとではあるものの、昨年の冬に中止になったスキー研修の代わりだというから、楽しみにしていたものは多いのかもしれない。担任が言っていた修学旅行の予行演習という言葉も影響しているのだろう。
しかし、一番乗り気でない者にその企画を一任するというのは些か無責任に過ぎるのではないだろうか。確かにクラス委員長である俺が責任の多くを背負うのは当然だが、提案だけしておいて肝心の実行に関しては全て他人任せだなんて……。
しかもその内容が「学校キャンプ」 ときた。よくもまあ、クラス委員長が準備できるギリギリのラインを思いつくものだ。
大体、俺は責任感が強い人間でもなければやる気に満ち溢れた人間でもない。まして、クラスのみんなと輝かしい青春の一ページを――なんてこれっぽっちも思っちゃいない。周りが気づいているかは知らないが、小、中、高校と委員会やら生徒会に所属していたのは全く別の理由からだ。
去年の暮れに関沢と交わした会話が思い出される。
「川上、とりあえず一年間お疲れさま。なんか、いろいろと面倒押し付けちゃって悪かったな」
昨年の一二月、冬休みに入る直前。関沢はまるでクラス担任みたいなことを口にした。この年、俺はクラス委員長の他に保健委員と教室内の衛生係(花瓶の花を変えたり黒板消しクリーナーを掃除したりする、要は雑用だ)を引き受けていたので、そのことについての謝罪だったのだろう。
だが主観としてそれほど大きな仕事をしたとは思っていないし、むしろ目の前にいる関沢の方がここ一年での気苦労は多かったのではないかと思う。それに、俺自身は「いろいろ面倒」 と言うほどの面倒を引き受けた記憶もない。
「俺ほど面倒くさがりな奴もいないと思うけど」
そもそも俺は面倒なことが大嫌いなのだ。
しかしまあ、はたから見れば関沢の言い分にも一理あるのかもしれない。
「でもお前、いろんなことやってただろ? クラス委員の他にも、誰もやりたがらない仕事率先して引き受けてたし」
「それは、他人に任せるより自分でやった方が楽だからだよ。その方が確実だし、ちゃんとこなしていればその件で他の誰かと関わることもない。俺はそういう人間関係が面倒で、なるべく被害を受けたくないから引き受けてるだけだよ」
この世界において何よりも面倒なのは人間関係だ。職業調べ学習において、職場での悩みを聞いた時に人間関係がTOP5に入らなかった職業を俺は知らない。
そして何より益がないのは時間の浪費だ。学校は連帯責任と言う言葉が大好きだ。無駄に長い話し合いの末、押し付け合いで決まったクラスの代表者が何かミスを犯せばクラス全員の責任だなんて、そんな無駄、無益、面倒なことは何が何でも回避しなければならない。回避できなければ、最終的には一言で表せてしまえるほどに内容が薄く、その上無駄に長い教師の説教が待っている。面倒、ここに極まれり。
「だとしてもさ、それだけのことをこなせるスペックが無けりゃあ無理な話だよな。ほーんと、羨ましいぜ」
最後は茶化すように笑って、関沢はそばに置いてあった鞄を肩に掛けた。もうそろそろ帰ろうか、ということだろう。しかし「羨ましいぜ」 なんて言われるとひねくれ者を自覚している身としては何か言い返したくなってしまう。
「……そうかな」
自分で思っていた以上に、自嘲的な声が出た。
「俺はお前みたいに、誰とでもいい距離感を保って付き合える奴の方がうらやましい」
すでにドアに向かって歩を進めていた関沢は足を止め、肩越しに振り返った。
「今言ったことも、お前が俺にとって心地いい距離感を図ってくれるって、わかってたから言えたことだ。面倒なことを、面倒だと解りながらこなす奴の方がよっぽど……羨ましい」
本当はあの時、「かっこいい」と言いたかったのだろう。自分にできないことを平然とこなす奴は、羨ましいしかっこいい。そんな当然のことさえ口に出さなければ伝わらない。
そんな人間関係がもどかしく、面倒だ。
好きで一人でいるわけではなかった。ただそれ以上に誰かと一緒にいることがたまらなく苦痛だった。親も教師も当然のように友達を作れと、それこそ耳にタコができるほど聞かされていたが、昔から俺にとって「誰かに言われた友達」は足枷以外の何物でもなかった。
なんて、いろいろ考えているうちに準備が完了して今に至るのだから、我ながら無駄に有能だ。今日は五月四日。ゴールデンウィークを利用した二泊三日の学校キャンプも佳境に入り、今は二日目のメインイベント、肝試しの真っ最中だ。企画者である俺は現在、誰と周るでもなくコースの安全確認兼、脅かし役として待機中というわけだった。
安全確認と言っても肝試しのコースは室蘭市に複数存在する展望台の一つであるトッカリショ。その
周辺にある林道を道なりに行って帰ってくるだけというごく単純なものだ。学校からは少し離れているが、地元の人間ならば一度くらいは足を運んだことがあるだろう。安全確認なんて必要なはずがない。
脅かし役にしたってそうだ。ペア決めだけは企画者の俺の手から離れ、クラス一のお調子者の手によって決められた。そこへ生真面目に脅かしに行くほど無粋なことはないだろう。
要は暇人である。
こんなことならおとなしく学校で待機していればよかった、とも思うが、企画者である俺にそんなことが許されるはずもなく、春の夜空の下、海風に凍えながら膝を抱え待機しているという図が出来上がっていた。
いつまでも待機しているのもしゃくだ、せっかく近くに展望台があるのだからそこまで足を運んでみよう。その考えに至るまでにそう時間はかからなかった。
今日は満月。空を遮る雲もない。夜の散歩と洒落込もうじゃないか。
展望台があるくらいだ、ここはそれなりに標高が高い。通っている学校もそれなりに高い場所にあるのだが、山の中腹といった感じで景観はあまりよくない。肝試しをするだけなら学校周辺の山道を通るだけで十分だったのだが、それではあまりにもつまらないだろうということでルートはこの展望台周辺で落ち着いた。高校の専用バスの借用手続きなどは増えたが、こうして歩いているとそれだけの労力をかけた甲斐はあったと思える。
この辺りは時間帯に限らず交通量が極めて少ない。今も、林を抜けて出た道路には自分の姿しかないようだった。
歩きながらふと、空を見上げた。深い闇だ。
雲のない夜、いつもならば空の奥行きがわかるほどの星々が瞬くのだが、うるさいほどの光を放つ満月に、星の多くはなりを潜めていた。
「っと、もう着いたのか」
展望台は予想以上に近かったようで、時間を感じる暇もなく着いてしまった感じがした。それともこの散歩に柄にもなく興奮していたのだろうか。
展望台は切り立った崖の上に建っていて、その先には海が広がっている。なかなかに劇的な景色だったはずだ。分かりやすく例えるのなら火曜サスペンス劇場のクライマックス。山と港が隣接している土地ならではの風景だろう。これだけお膳立てされた立地だ。あまり変な話は聞かないが、身投げの類も多いのではないだろうか。
階段を登ろうとしたところで広場の方にある石碑が目に入った。たしか、慰霊碑だ。二十年前に起きた震災、北日本大震災の。
その震災が起こるまでこの展望台は、いや室蘭にある海沿いの港や展望台、その全てがもっと沖まで伸びた陸や崖の上にあったらしい。それが崩れ、あるいは呑まれ、今あるものは全て再建されたもののようだ。
当時のことは学校で郷土史の授業を受けた程度の知識しかないが、崩落した岩やら瓦礫やらを、遅れた救援隊に代わって学生、生徒が率先して片づけただとか、救護の手が足りずに看護学生までもが治療に駆り出されたとか、当時同年代だった若者の活躍をこれ見よがしに聞かされてうんざりした覚えしかない。
例えばだ、例えば今同じような地震が起こったとして、自分たちは当時の彼らのような行動がとれるだろうか? そんなことを伝えたかったのだろう、大人たちは。そんなものわかるわけがないのに。緊急時に自分がどんな行動をとるかなんて平時の自分にわかるはずがない。それが自分以外の誰かのため、となればなおさらだ。ましてや震災なんて規模になればそれは町の復興ため、多くの人の命のため、なんて大規模な話になっていく。
自分勝手の体現者みたいな俺が考える話じゃない。
そんな益体のないことを考えながら展望台につながる階段を上る。階段はあまり手入れがされていないのか、タイルの間からは雑草が生え始めていた。
階段を登り切り、景色が目に飛び込んでくる。いや、目の前を覆い尽くすといった方が正しいか。
「――ふ……」
雲一つない夜空と波のない治められた海面は、どこが境界かわからないほど穏やかに混ざり合っている。夜空にぽっかりと浮かぶ満月は水面にも同じように穴をあけ、海月とも思わないほどにくっきりとその姿を映していた。
危険とわかっていながら、展望台に設置されている柵に腰かけ前を見る。
まるで月が二つある異世界の宇宙に浮かんでいるようだった。
「これが報酬っていうなら、学級レクも悪くはないかな」
ここで、クラスメイトの感謝の言葉が何よりの報酬だ――なんて微塵も思わないところが実に俺らしい。ただ、これが報酬と言うなら前払い分、まだ残っている仕事もきっちりこなさなくてはならない。
あぁ、実に憂鬱だが仕方がない。林の中へ戻るとしよう。
柵から慎重におり、背を向ける前にもう一度だけ、と全身でこの景観に浸る。
二度と忘れないようにと景色を目に焼き付けた俺は、今度こそ持ち場に戻ろうと目の前の絶景から足元へと視線を外す。と、そこに拳大の石ころを見つけた。
この絶景が報酬だと考えるなら、最後に壊していくのも悪くない、か。
そんな考えが頭をよぎり、俺は特に何も考えることなくその石を拾い上げ、海に向かって思い切り投げた。
石の行く末を目で追う。何の因果か、俺の投げた石ころは綺麗な放物線を描き、海に浮かぶ二つ目の月へと吸い込まれるように落ちていった。
そうして石は月を射抜く。そう、この時俺は……
夜空に漂う虜の月を射抜いたんだ。
この小説は以前投稿した小説をもとに大幅な修正を加えたものです。話の大筋は変わっていませんが、大筋以外のものはほぼすべて変わっています。




