第八十八話 怪物の仁王立ち
昼休み――。午後の授業を終え、全速力で自分の部屋に帰ってきた俺は今、息を切らしながら大事な大事なとある書類を探してた。
つい先ほど。四時限目の授業の時――。
四時限目は、ティラによる調理実習だった。
その授業の最後、後片付けをしてた時、ティラからの連絡事項が述べられた。
『――あ! 片づけしながらで良いので、耳だけ傾けて聞いてください!』
そう言うので、俺は淡々と洗い物を続け、耳だけで話を聞く姿勢を取った。
『間近に迫った学内料理コンテストについてですが――』
興味をそそるワードが出てきて、一瞬スポンジを握っていた手が止まる。
そして結局、ティラの方を向いた。
『出場を希望する生徒は、事前に配られてるエントリー用紙を、本日までに提出してくださーい!』
なんだそんな事か、と再びスポンジを動かした。が、すぐにまた、時が止まるように止まり、自然と俺の手からスポンジが抜け、シンクの中へ落下した。
完全に忘れていた。
伝えてくれて良かったと、ティラに心から感謝した。
肝心のエントリー用紙を出しておらず、当日になって『提出されてないので、貴方は出場できません』なんて言われたらと思うと冷や汗が出てくる。
確か、最初にマーロウに会った時に拾った、あの紙の事だ。
それより、事前に配られてるとはどういう事だろう。
授業中配られた様子も、部屋に届けられた覚えもないのだが。
全く身に覚えが無かった俺は、ティラに問いかけた。
『ティラ先生、そのエントリー用紙っていつ配ったんですか?』
『三日前の朝、各生徒の部屋に配られてるはずですよ? 新聞と一緒に――』
『……はい?』
――そして、今に至る。
今俺は、大急ぎでその三日前の新聞を探してるのだ。
「どこだ~?」
「ガウッ!」
一緒に探してくれてたロアが、俺の背後で吠えた。
振り返って見てみると、ロアは口に見覚えのある新聞を咥えていた。
「あったんだね! でかしたロア!」
本当に良い子だ。いいやパートナーだ。
俺はロアを抱きしめながら、最高級のよしよしをしてあげた。尻尾を埃が立つくらい高速で振りながら喜んでいた。
その後、新聞を受け取り、もしやと思いながら中を確認してみた。
「……やっぱりあった、新聞の間に! 中身あんまり見ないから気づかなかった。早速書いて提出しに行かないと!」
すぐさま椅子に座ってペンを取り、猛スピードで名前を書いた。
「よし。後はこれを職員室に提出するだけだ。早く行こう、昼休み終わっちゃうよ」
椅子から立ち上がると、ロアは俺の中へと消えていった。
部屋を出て、全速力で廊下を走り、職員室へと向かう。
こんなに急いで廊下を走ったのは、初めてだ。
元居た世界の学校じゃ間違いなく注意される。
この学園は特に校則とか厳しくなく、廊下を走る程度で注意をされることがないから良かった。
だからと言って、廊下を走っていいというわけではないのだが……。
そんな事を考えているうちに、職員室へと辿り着いた。
「はぁはぁ、着いたー」
息を整え、職員室のドアに手を掛ける。
入学してから、職員室に入ったことが無いから少し緊張する。
「……よし」
ノックを三回鳴らし、ゆっくりドアを開けた。
「失礼しまーす」
「……あぁ? なんだマサトじゃねぇかよ――」
そして勢いよくドアを閉めた。
ノックを鳴らし、ドアを開け、失礼しますと言って中に入り、アレを見てドアを閉めた。その時間、わずか三秒弱。
このエントリー用紙を、職員室にいる適当な先生に提出すればいいだけの簡単な話。そう、誰でもいいのだ。……いいのだけれど。
「なんでよりにもよって、ルボナード先生……!?」
隠れるように、ドアの前でしゃがみ込む。
「そうだよ……あの人も一応ここの教師だから、職員室にいてもおかしくないんだ」
誰でもいいけど、あの先生だけは、とにかくめんどくさい。できれば授業中以外関わりたくない……。
どうせ、『唐揚げのレシピ』よこせだの、うるさい事言ってくるに違いない。
「時間を改めて放課後に来るか? うぅでも……」
その時、ルボナード先生がいないという保証はない。
右手に持つエントリー用紙を見つめる。
これを今日中に提出しないとコンテストに出場できない。
「それだけは嫌だ……ルボナード先生に会う以上に嫌だ!」
俺は意を決して、再びドアを開けた。
「失礼しますっ!!」
「誰に会うのが嫌だってぇ?」
「うわぁああああ!!」
ドアを開けた目の前に、ルボナードが鬼のような形相で仁王立ちしていた。
「もう一度聞こうじゃねぇか。誰に会うのが嫌なんだ? んん?」
恐ろしい笑みを浮かべた怪物が、俺の目の前でボキボキと拳を鳴らす。
「いやーそのー……聞こえてました?」
「一言一句なぁ。それで、覚悟はできてんだろうなぁおい」
だから嫌だったんだ、と心の中で結局叫ぶ。
「ルボナード――、マサト君に手を出したら、どうなるか分かってますよね?」
「……! ティラ!」
ルボナードの背後には、手のひらで杖をパシパシと叩いてるティラの姿があった。
「ちっ、いたのかよ。ほんとおめぇは神出鬼没だな。気味が悪ぃぜ」
「あなたみたいな、パワハラ怪物の方がよっぽど気味が悪いと思いますが?」
互いに睨みあい、火傷しそうなほど凄まじい火花を散らす。
犬猿の仲とは、まさにこの事を言うのだろう……。
「あ、ごめんなさいマサトさん! エントリー用紙持ってきたんですよね? 私が貰っておきますよっ」
「あ、はい……」
俺はティラに、エントリー用紙を渡した。
「この野蛮に渡さなくて良かったですね! 渡してたら危うかったですよ? 絶対焼かれてましたよ」
「おいクソチビ。それはどういう意味だ?」
「言葉通りの意味ですが。何か問題でも?」
再び火花が散る。やっぱりめんどくさい。
提出するものも安心して提出できたし、さっさと出る事にした。
「じゃあ失礼します」
「はーい。料理の試作頑張ってくださいねー」
笑顔で手を振るティラに見送られ、俺は職員室から出た。
「はぁ、息苦しかった……。やる事やったし、食堂行こう」
歩き出そうとしたその時、俺の後ろで人の気配がした。
職員室に入るのかと思った俺は、すぐさま謝ろうとした。
「あ、ごめん……え――」
そいつの顔には見覚えがあった。悪そうな顔をして、見るからに不良のその男。
以前、地下図書館で見た不良リーダーだった。
「おい。邪魔だ、どけ」
鋭い眼差しで俺を睨んでくる。
しかし何より驚いたのは、地下図書館にいた奴って事だけではなかった。
そいつの右手には、コンテストのエントリー用紙が握られていた。