第八十七話 焦燥感
先の見えない一本道を、俺はただ真っすぐ前を見て走っていた。
右も、左も。上も下も、ましてや後ろも見ず、真正面だけを見ながら、ひたすらに夢を追いかけていた。
――だから俺は、大事な物を見落とした。
その道中、真正面以外に、きっと何か大切な物が落ちていたはず。自分が成長するために必要な何かが。
もしかしたら、良い料理のアイデアだって落ちていたかもしれない。
夢を追いかける事ばかりを気にして走っていた俺は、それを見落としていたんだ。
焦燥感――。それが諸悪の根源。
絶対合格しなくちゃいけない、と、試験に向けて必死に勉強するけど、全く頭に入ってこない事のように。レシピが浮かばない、夢が遠ざかる、という不安に駆られ、焦っていた自分は、時には、よそ見して視野を広げる事も大事だったんだ。
コンテストまで、あと十三日もある。十三日『しか』と思っていた自分が、少し恥ずかしい。
「夢のために絶対優勝しなくちゃって、焦ってました。ローザさんの言う通り、そのせいで俺は大事な物を見落としてました。きっとこれまで、たくさん落ちてたんですよね。もったいなかったな……」
手に持ってるカップの水面に、今度は苦笑い浮かべた自分が映る。
その水面に映る自分の頭の上に、ローザさんの手が乗る。
「そうだね、もったいない。けど――まだ道の途中なんだ。生きてる限り、いくらでも探せるさ」
「ローザさん……」
わしゃわしゃと、頭が揺れるくらい強く撫でられる。
「あんたの初コンテスト、どんな料理を出すのか楽しみにしてるよ!」
ニカッと眩しい笑みを見せてくれたローザさんは、どことなく母さんに似てる気がした。
「――はいっ! 絶対に美味い料理作ってやりますから、楽しみにしててください!」
「あっはっは! そこは『絶対に優勝してやりますから』じゃないのかい?」
「優勝はもちろん狙いますよ。でもそれ以前に、皆に美味いって言わせたいんです! じゃなきゃ始まりませんから!」
「……そうかい、がんばんなよ!」
飲み終わったカップを返し、店を出ようとする。
今思い出した事だが、主に美容に効果があるとされるローズヒップには、それ以外に、ストレスや疲労回復にも効果があると聞いたことがある。
きっとローザさんは、最初から俺の心の変化に気付いて、あのハーブティーを飲ませてくれたんだろう。
その時の相手の状態に応じた対応をしてくるとは。さすが国家精霊料理人だ。一つ勉強になった。
「それじゃあローザさん、俺学園に戻りますね。……いろいろとありがとうございました」
「あたしはただ説教しただけさ。気を付けて帰んなよ」
「はい! 今度差し入れ持ってきますね。それじゃあ!」
去り際に手を振りながら、俺は雑貨屋を出た。
「……全く。あたしが言う日が来るとはねぇ。――あんたの言葉……」
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休日が終わり、迎えた翌朝。今日からまた授業が始まる。
朝食を済ませ、自分の部屋へと帰還した俺は今、一時限目の授業に向かう準備をしていた。
一時限目は、スティーニ先生による精霊学。早朝からこの授業はキツイ、絶対にまた眠くなる。
コンテスト料理のヒントが得られるかもしれない、と、ささやかな希望を胸に、俺は扉を開け、教室へと出発した。
「あ」
行く道の途中で、コック服を着て歩いている、二人の人物の後ろ姿が目に入る。イオラとフィナンだ。
「イオラ! フィナン!」
「あらマサト、おはよう」
「おは~」
なんだか久しぶりに会ったような気がする。と言っても、最後に会ったのは確か三日前だ。
「おはよう。二人とも一時限目から調理実習なんだね、羨ましい……」
「そう言うマサトは、『精霊学行きたくない』って顔してるよ」
「……当たり」
また顔を見られただけで当てられた。こっちの世界の人は、皆そういう特技か能力でもあるのだろうか。
「でも何かヒントが得られるかもしれないし、がんばる」
「コンテストね。どう? マサトの方は順調?」
イオラがそう聞いてきた。
「実は、まだ全然。でも、もう少しで何か掴めそうな気がするんだ。二人は?」
今度は逆に、俺の方から二人に聞いてみた。
「やっと形が見えてきたって感じかしらね」
「僕もそんな感じ~」
二人ともどんな料理を考えたのか、コンテスト当日に見るのが楽しみになってきた。もちろん他の出場者の料理もだ。
「そっかぁ、俺もがんばらないと――ん、あの子は……」
俺達の先に、見覚えのある女子生徒が歩いてるのに気づく。
黒髪で、垂れた犬耳が印象的だったから、多分間違いない。
「あら? ねぇフィナ、あの子ミルじゃない?」
「あ、ほんとだ~」
俺が言うよりも先に、二人が彼女の名を口にした。
「え、二人ともミルの事知ってるの?」
「えぇ、地下図書館でよく会うの。マサトもなのね」
「うん、最近知り合ったばかりだけどね」
同じ方向を歩いていたミルに、フィナンが手を振りながら声を掛ける。
「やっほーミル!」
フィナンが声を掛けると同時に、ミルの体がビクッと少し跳ね上がる。その拍子で立ち止まり、こちらの方へ振り向いた。
その時俺は、ミルに何か違和感を感じた気がした。
この前見た時より、雰囲気が暗くなったような、なってないような……。
「……イオラさん、フィナンさ……!!」
俺の顔を見た瞬間、目を逸らした?
「おはようミル。図書館以外で会うのは初めてね」
「あの……そ、そうです……ね」
イオラが話しかけるが、ミルは目を合わせようとせず、斜め下方向を見ながら返事をした。
今度は俺の方から声を掛ける。
「やぁミル。あれからコンテスト料理は――」
「あ、あの! 私急がないといけないので、し、失礼します!」
ミルはそそくさと、深く一礼して、その場から一目散に、逃げるように去っていった。
「行っちゃった……」
「なんか今日のミル変だったわね」
イオラの言う通り、少し様子がおかしいような気がした。
あの日の最後、別れ際の時は、コンテストに向けて凄い意気込んでいたのに、まるで別人のような素振りだった。
「あ! ヤバいよ二人とも! 僕たちも早くいかないと授業始まっちゃうよ!」
「やだ、ほんと!」
フィナンが、手のひらに浮かぶ緑色の時計を慌ただしく見せ、言った。時計の針は、授業開始三分前を指していた。
やっぱりさっきのミルも、ただ単に授業に遅れそうなだけだったのだろうか。
「それじゃ私達行くわね! マサトもぼーっとしてないで、早くいかないとスティーニ先生に叱られるわよ!」
「あ、うん!」
そう言って二人は、一目散に調理実習室へ向かった。
ミルが走り去っていった廊下を横目に、俺は二人とは別方向の廊下へと走って向かった。