第八十四話 保護作戦
突然の出来事に驚愕している女子生徒の前に突然現れた狼は、この無限とも等しい本の山から、彼女がやっとの思いで見つけた料理本を疾風の如く咥えて去っていった。
「え、あ! 私の本!!」
「ちっ、おいお前ら! ぼさっとしてねぇであいつを追いかけろっ!!」
「へ、へいぃ!!」
不良トリオは女子生徒そっちのけで、本を奪い去った狼を追いかけに走って消えた。
彼女は突然の出来事に腰が抜け、床にへたりと座り込んでしまう。
「私が、せっかく見つけた、料理本……う、うぅ……」
自分はとことん不幸で弱虫だ、と悲観した彼女は、コップから水が溢れるかのように涙を流し始めた。
「なんで私ばかりこんな不幸な事が……。私はただ、こんな弱虫で泣き虫な自分を変えたいだけなのに……うぅ、ふぇ……ぐすっ……ずびっ」
年季の入った木の床が、彼女の瞳から落ちた大粒の涙で濡れていく。
すると、俯く彼女の目に、一冊の本がスッと飛び込んできた。それはなんと、たった今、狼が咥え去っていったはずの彼女の本だった。
「へ? あれ、これ私が見つけた本!? なんで!? なんで戻ってきて――」
涙やら鼻水やらでぐちょぐちょの顔を上げると、そこにいたのは――。
「あなた……は?」
「俺は一年の正人。はいこれ、君の本……で間違いないよね?」
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ほんの数分前――。
「(あの本、料理のレシピ本みたいだ。しかもあの不良のリーダーっぽい奴が言ってたこと…………よし!)」
覗かせてた顔をこっそりと引き、俺はロアを呼び出した。普段は体長が二メートルもあるロアなのだが、呼び出される場所によって小さくなることもできるみたいなのだ。気を使っているのだろう。
ここは本棚と本棚のスペースが約一メートルくらいで狭いため、呼び出されたロアはいつもの半分くらい小さかった。
「ロア、頼みがあるんだ。聞いてくれるかい?」
「……ガウッ」
状況を察してか小さい声でロアは返事をしてくれた。
「この隣に不良に絡まれてる女子生徒がいるんだけど。どうやら不良たちが彼女が持ってる本を奪おうをしてるみたいなんだ。このままじゃ本当に奪われる。だからロア、今から奴らの前に飛び込んで彼女の本を奴らに取られる前に、取ってきてほしい」
それで上手く不良トリオを撒いて俺のところに戻ってくる、とロアに耳打ちした。
「あの子、あんな不良トリオに囲まれて半泣きになってたけど、本だけは凄く大事そうに抱きしめてた。守ってた。だからきっとあれは彼女にとって必要なものなんだと思う。それを奪われるのを黙って見ているわけにはいかないよ。ね?」
ロアは深く頷いてくれた。
「上手く撒いて戻っておいで。さ、頼むよ!」
「ガウッ」
そしてロアは奴らの前に姿を現した。演技、もとい威嚇モードで。
突然現れた敵意むき出しのロアに困惑せざるを得ない四人。ひっそりと俺も本棚の陰から顔を覗かせるが気づく気配はない。
それにしても、どの世界にもこういう輩がいるんだな、と心の中で呆れた。まるで飲み屋街の路地裏で歩いてた女の子がヤンキーに絡まれるみたいなシチュエーションだ。
「え、あ! 私の本!!」
なんて事を考えてるうちに、ロアが本を奪還することに成功したようだ。正確にいえばまだ奴らに取られてないから奪還というよりは保護と言ったほうがいいだろうか。
俺が隠れている場所とは反対方向の廊下に向けて、ロアは本を咥えたまま走り始めた。
「おいお前ら! ぼさっとしてねぇであいつを追いかけろっ!!」
「(やばっ! こっち来る!)」
とっさに顔を引っ込ませ、気づかれないように本を読むフリをする。彼女の本もろとも消えて俺の元に戻ってくるとも知らずに、不良トリオはロアを追いかけに走っていった。
そしてその後すぐに、ロアは炎と共に俺の元に姿を現した。もちろん本も。
「ありがとうロア! よくやった!」
「グルル……」
一仕事終えたロアの頭を優しく撫で、労った。後は、この本を彼女に返すだけだ。
不良トリオが近くにいないことを再度確認し、泣いてる彼女の元へ歩み寄り、スッと本を差し出した。
彼女はなぜ目の前に、たった今盗られたはずの本があるのか理解できず混乱している様子だった。そして涙顔で俺を見上げた。
眼鏡と垂れた犬の耳が印象的で、肩にかかるほどふわりとした黒くてサラサラした髪の毛。深い海色の瞳の下には大人っぽさを感じる泣きぼくろ。生徒会長という名がふさわしそうなイメージだ。
「あなた……は?」
クイっと眼鏡をかけなおし、不思議な生き物でも見るような顔で俺に聞いてきた。
「俺は一年の正人。はいこれ、君の本……で間違いないよね?」
顔を上げたまま彼女は本を受け取った。
「あ、ありがとう……ございます?」
「どういたしまして」
「グルルゥ……」
背後からロアも顔を出す。
彼女はロアを見るなり酷く驚いて、端っこまで凄い勢いで後ずさった。
「ひぃぃ! さっきの狼ぃ!? ななななんでここここんなところに!?」
「あー……まぁそうなるよね……」
「……」
彼女の様子を見たロアがどことなく悲しげ表情をしている。これは一から説明するしかない。
「驚かせてごめん。実は――」
先ほどの一連の流れ説明する。説明を終えると、彼女は申し訳なさそうに俺とロアに深く頭を下げた。
「ほんっとーに、ご迷惑おかけしましたっ! 私なんかのために、なんとお礼を言ったらいいか……」
「ちょ、そこまで頭下げなくてもいいよ! なんかこっちまで恥ずかしくなる……」
「ご、ごめんなさい。えっと……ロア、さんもさっきは驚いちゃってごめんなさい……ありがとうございました」
「ガウッ!」
彼女曰く本当に図書館に狼が湧いたのかと思ったらしい。だからちゃんと俺の精霊という事を打ち明けた。
「もしかして……君も一年?」
「あ、はい、ごめんなさい。助けてもらったのに名前を名乗らなくて……」
やたらと謝る彼女は自己紹介をしてくれた。
「同じく一年の『ミル』です。よ、よろしくおねがいします……」