第六十九話 手を汚さないために
俺がルボナードの前に出ると同時に、アルケミラが起こした暴風は止んだ。
宙に舞っていた調理器具や調味料やらは一気に床へと落ちる。
「マサトさん……どうして!?」
ティラは、俺がルボナードを庇ったことに対し不思議がる。
自分でもなんでこんなやつを庇ったのか、正直言ってよく分からない。
いいや――、分からないと言ったら嘘になるかもしれない。
この男は今までに何度も生徒に手を出してきた最低最悪の教師、および料理人だ。
自分の出した指示を完璧にこなせない者をすぐに下手くそ呼ばわり。
さらに、少しでも作業を間違えたり、味が自分の作ったものと少しでも違っていたらゴミ箱行き。生徒や食材を大切にしようという精神が微塵も感じられない。まさしく憤怒の料理人だ。
きっとそれは、俺がこの世界に来る以前から何も変わっていないはずだ。
じゃあなんで俺は今ここに立っているのか。
この男のためではない。
そう俺は、ティラのためにここに立っているのだ。
「君がやろうとしていることは、この男のしてきた事となんら変わらない」
「そ、それは……」
ティラは思いつめた表情で俯く。
「ですが……それでも私はこの男が許せない……! 私はこれまで、この男の体罰にあった生徒達をたくさん見てきました。今でも火傷の跡が生々しく残っている生徒もいます……」
ティラは拳をぎゅっと握りしめる。
「将来性のある生徒も中にはいました。ですが、ほとんどが学園を去っていきました……この男のせいで……!」
鋭い瞳でルボナードを睨みつける。
「この男がオムニバスに入らなかったら……学園に来なければ! 彼らはきっと今頃、素晴らしい料理人になれたはずなんです! だから私はこの男を……!」
再び暴風が吹き荒れ始める。
ティラの怒りは最高潮へと達する。
「……ティラ、俺はその手を血で汚してほしくない」
「……!」
ハッとした表情で、ティラは俺を真っすぐ見つめる。
「俺が今この学園で料理を学ぶことができてるのは、ここに連れてきてくれたティラのおかげなんだよ。あの時、俺の家に来て、この世界に誘ってくれなかったら俺は今も暗闇の中だった。ティラが俺を救ってくれたんだ」
「……」
「だから、この男の二の舞になってその手を汚さないでほしい。頼む」
ティラは唇を噛め、拳を握った。
すると、アルケミラが心配そうに話しかけた。
「ティラ……どうしますか?」
ティラは瞳を閉じて何か考え事をしているようだった。
そしてしばらくすると、握っていた拳を緩め、アルケミラに返答した。
「……アルケミラ。もう、大丈夫です」
「……そうですか。分かりました」
アルケミラは俺を最後に見つめ、軽くお辞儀をしてティラの中へと消えていった。どうやら事なきを得たようだ。
「私の負けです。さすがはマサトさんですね……」
「ふぅ――」
「マサト!」
体中の力が抜け、床へと座り込んでしまう。とっさに心配そうにイオラが駆けつけてくれる。
「大丈夫、マサト?」
「あぁうん、なんとか」
「テメェ……」
うつ伏せで横たわってるルボナードが辛そうに話しかけてくる。
「なんで……俺を庇った……!」
「勘違いしないでください、別にあなたを庇ったわけじゃありません。俺はティラに、あなたみたいなことをしてほしくなかっただけです」
「……くだらねぇ……」
偉そうな態度も、こんなボロボロの姿だと半減する。
「ルボナード」
「……なんだよ」
ティラが真剣な表情でルボナードの元にやってきた。
「命拾いしましたね、マサトさんに感謝してください」
「……ふんっ、余計な真似さえしなければ、俺の姿を見れなくできたのによ……」
「……今回のあなたの処分は校長がお決めになります。しかるべき罰を受けて、今度こそ罪を償ってください」
「……」
ルボナードはそれ以降、口を開かなかった。