第六十三話 憤怒の料理人
ルボナードが実習室に入ってきたときもそうだったが、何かと目が合ってしまう。いやむしろ、向こうがこっちを気にしているような? やはりこの前、路上の本屋で出くわした時の事を気にしているのだろうか……。あんな脅しみたいな形でレシピを教えろだなんて、誰だってその場を去りたくもなる。
ルボナードは、肉を焼いているフライパンの番をロゼに任せ、今度は付け合わせの下準備をし始める。
マッシュルームは四等分にカット。一口大に切ったジャガイモは、沸騰した鍋に投入。ジャガイモに串がスッと入るまで茹でると、今度はいんげんをさっと湯にくぐらせ、すぐに冷水にさらす。
フライパンの方からパチッと油が跳ねる音が聞こえた。その音をルボナードは見逃さなかった。
ルボナードはフライパンの元に戻り、肉を素早くひっくり返し、空いている場所に、四等分したマッシュルームを加えて肉と一緒にソテーしていく。
肉の焼け具合は絶妙だった。肉から目を離していたのに、この男は、油が跳ねる僅かな音だけで焼け具合を判断した。プロにしかできない芸当だ。
「えっと……えっとぉ……」
周りの生徒達は必死にメモを取ろうとするが、ルボナードの素早い作業についていってない模様だ。やっと追いついた頃には既に別の作業に移っている始末だ。
メモをする暇がない。まさにそういう状況だった。なので俺はまず、メモを取らずに、目で見てから後でメモを取ることにした。じゃないとメモをして目を離している隙に、大事な作業を見逃す可能性がある。
イオラも俺と同じなように、一言も話さずに、じっとルボナードの調理を見ている。
俺はその光景が少し意外に思えた。イオラは先ほどルボナードと一悶着あったばかりだというのに、今は真剣な眼差しでこの男の調理を見ている。きっと完璧にこなして、後で一泡吹かせてやろうというイオラの負けん気なのだろう。俺も見習わないといけない。
サルティン・ボッカの調理が仕上げに入り始めた。
肉とマッシュルームが焼け揚がると、ルボナードは一度、両方をバットに移した。フライパンの中には肉の脂だけが残っている状態となった。そこに今度は、フライパンに残った肉の旨味をこそぐため、赤ワインを投入する。
「ロゼッ!」
「はぁい」
ルボナードがロゼの名を呼ぶと、ロゼは、ふつふつと赤ワインが煮えたぎるフライパンへと、勢いよく炎を放った。すると、天井に届く勢いで激しく炎が舞い上がった。離れて見ている自分達の元まで熱が伝わってくる。
炎がフライパンの上から消えると、塩、コショウでソースの味を調え、最後にバターを加え風味をプラスさせる。これでソースは完成のようだ。
ルボナードは用意した白い丸皿に、付け合わせのマッシュルーム、茹でたジャガイモといんげん、そして肉を盛り付け、最後に、バターのまろやかな匂いが食欲をそそるソースを注いだ。
「完成だ」
調理時間およそ十分程度。いや、もっと早かったかもしれない。あっという間に今回の実習内容の『サルティン・ボッカ』が完成した。
肉の焼き加減は絶妙。筋切りをしっかりしてあるため、反り返ってもいない。表面には、生ハムで挟んであるセージが薄っすらと見えている。
付け合わせの色合いも綺麗だ。黄色のジャガイモ、黄緑色のいんげん、真っ白なマッシュルームが、茶色い肉の色をしっかり引き立てている。レシピ本で見たサルティン・ボッカとは比べ物にならないくらいの逸品だ。もし値段をつけるとしたら、いったいいくらになるだろうか……。
「これが今からお前らに作ってもらう『サルティン・ボッカ』だ。この程度の料理が作れないようじゃあ、次から俺の授業に来なくていいからな。いや、むしろ来るな。――邪魔だ」
ルボナードは生徒全員を鋭い目つきで睨みつけた。それに気圧され、生徒達も後ずさっていく。
「なんだよあのスピード……メモが全く追いつかなかった……。でたらめだよ、あの先生……」
「多分あの人だよ……。あの人以外に考えられないよ……! うわぁ……最悪だぁ……」
生徒達の表情が、だんだん絶望の表情へと変わっていく。
「きっとあの先生が、噂の憤怒の料理人だ……!」