第六十一話 大ハズレ
翌日――。正人は今日も調理実習があるため、調理室へと足を運んでいた。
「おはようございま~す」
やや眠たそうな声で挨拶をしながら実習室のドアを開けると、最初に目に飛び込んできたのはイオラだった。
「あら、おはようマサト。今日は同じ教室ね」
「おはよう、そうみたいだね」
イオラがいる調理台へ向かい、包丁ケースを置いた。
「よいしょっと」
「ちゃんと包丁研いできた?」
「もちろんだよ。ほらこの通り――」
俺は自分の包丁ケースを開け、研いできた包丁を全て鞘から出し、調理台の上に並べて見せる。
包丁は全部で三種類ある。手前から、小形の包丁『ペティナイフ』。長い形状をしている万能な包丁『牛刀』。そして野菜を切るのに適した、薄い刃を持った『菜切包丁』の三種類。もちろん昨日夜遅くまで研いでいたため、ピカピカな上に切れ味も抜群だ。
「自分の顔が映るくらいピカピカ……まるで鏡みたい……。さすがマサトね、隙が無いわ……」
「昨日夜遅くまで研いでたからね」
包丁というのは、料理人にとって命より大事な物……と言ったら少し大袈裟に聞こえるかもしれないが、大切な物に変わりない。
特に俺は牛刀は大事にしている。これは、この世界で初めてもらった、ローザさんからのプレゼント。この世界で初めて手にした俺の最初の宝物だ。だから俺は、いつも日頃の感謝も込めて入念に研いであげている。
「あ、そろそろ時間よ」
イオラが時間を確認する。授業開始まで残り二分。そろそろ先生がやってくる頃だ。
基本、実習内容は先生が来るまで明らかにされない。時間割にも『調理実習』とだけしか記されておらず、予習のしようがない。そしてもちろん、オムニバスの誰が来るかも分からない。
最近生徒の中では、どの先生が来るか、という予想ゲームが流行っている。特に女子生徒達がいつも予想する先生が、パンザ先生だ。理由は、ただ会いたいからだろう。
入学式の時にしか見かけたことが無いが、あの時の女子生徒達の反応は半端なかった。オムニバスが壇上で挨拶する中、一人だけ超絶イケメンホストみたいな人がいるのだから。
しかしパンザ先生だけは、まだ一度も調理実習に来たことが無いので、来る確率は低いと俺は思っていた。
一番来る確率が高い先生と言えば、最初の調理実習で予想外の登場をしたプッタ先生だろうか。プッタ先生は最初の実習以来、顔を出していない。それに他の先生達は、最低でも十分前には実習室に入っている。
授業開始まで残り一分。この遅さにデジャブを抱く。これはもうプッタ先生で間違いないだろうと、心の中で囁く。という事は多分この前みたいに、ドタドタと廊下を走って、調理室のドアに突進するパターンだろうか……。
「…………」
誰も来ることなく、とうとう授業開始時間になってしまった。調理室はシーンと静まり返る。
「誰も……来ない……?」
「おかしいわね……、教室は間違ってないはずだけれど……」
さらに五分が経過する。次第に生徒達もザワザワとし始める。すると廊下の方から突然声が聞こえてきた。
「ぁあ? ここか? ちっ、長い事来てなかったから忘れちまってるな――」
その瞬間、教室のドアが勢いよく開き、その男は入ってきた――。そして不意に目が合ってしまう。
俺は同時に、ある事を思い出す。そうだ、あれからもう一ヵ月が経過したのだ。
この男の出勤停止処分は、もう切れた――。
「オムニバス、ルボナード。よろしくな、クソガキ共」
ルボナードは、俺に視線を向けながら、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、教師にあるまじき挨拶をした。