第五十五話 最初の調理実習
本館に向かう途中、廊下は最初の授業へと向かう生徒で少し混雑していた。包丁ケースを持っている者は、きっと俺達と同じ科目に向かっているのだろう。同じ調理室かどうかは知らないが。
その光景を見て、俺も包丁ケースを買っておけば良かったと少し後悔した。今日はお昼までだから、授業が終わったら買いに行こう。
するとフィナンが声を掛けてきた。
「そーいえば、最初の調理実習って何するんだろーね?」
「う~ん……なんだろう? 俺も想像つかない……」
それは俺も抱いていた疑問だった。
そもそも俺のイメージしている調理実習とは、小中学校の授業で習うような物だった。しかしそれはあくまで料理人になるための授業ではなく、必要最低限の家庭料理を学ぶための授業だ。
そしてここは料理人を育てるための学校。小中学校の家庭科の様な、皆でワイワイガヤガヤと楽しくやる授業ではないはずだ。
そんな事を考えているうちに本館二階へと到着した。
「確か第六調理室だったよね? どこだろ~?」
フィナンはキョロキョロと第六調理室を探している。
「あ! ほらあそこじゃない?」
俺は遠くの教室を指差し、フィナンと共に教室の扉の前まで歩み寄った。
「間違いない、ここだ」
扉の上には小さい看板で『第六調理室』と書かれてあった。どうやらここが今日の教室のようだ。
教室には窓が設置されておらず、中の様子が伺えない。声も聞こえてこない。まだ誰も到着していないのだろうか?
フィナンが扉の取っ手に手を掛けた。
「あ、開けるよ……」
心臓の鼓動が急に早くなる。俺は固唾を飲みこんで、黙ったままコクリと頷いた。
がらりと扉を開けると、調理室内にいた数人の生徒の視線が一気に俺達に刺さった。やっぱり先に来てる人はいたみたいだ。
その調理室は、寮にある調理室より少し広めだった。構造は同じなのだが、唯一違うところと言えば、調理台の数が多いのと、前にひときわ大きい調理台と、バカでかい黒板があることぐらいだ。多分前にある調理台は教卓なのだろうと思う。
とりあえず俺達は、適当に空いてる調理台に移動し荷物を下した。
「先生まだ来てないんだね」
フィナンは時間を確認した。
授業開始まであと十分ほど。先生はまだ到着していない。そもそも誰が来るかも分からない。
授業開始が迫るにつれて、入り口から次々とコックコート姿の生徒が入室してくる。ついに調理台は全て満席となってしまった。
再度フィナンが時間を確認する。
「後五分……。ほんとに来るのかなぁ?」
まさかの遅刻だろうか……。周囲の生徒は徐々にざわつき始める。
教室が間違っているってことはないはずだ。確かに今朝届いた時間割に『第六調理室』と書かれてあった。
そしてとうとう授業開始一分前となってしまった。
「……後一分になっちゃったよ。これはもう遅刻確定――」
フィナンがそう言いかけたその時、廊下からドタドタと激しい足音が聞こえてきた。その音は次第にこの調理室へと近づいているみたいだ。
「何、この音!? どんどんこっちに近づいてくる!」
皆も謎の激しい足音に驚いている。そしてその音が教室の扉の前まで来た時、急に扉が勢いよく教室の端まで吹っ飛ばされた。
「…………」
生徒達はその光景を見て、一言も言葉を発さないまま、口を開けて驚いている。
「――ふぅ~! 間に合いましたぁ~!」
「あの人は確か――」
ドアがあった場所を向いてみると、そこに立っていたのは、牛の様な耳が特徴のおっとりな教師、プッタ先生だった。
「あらあら……ドア、また壊しちゃいましたぁ……」
常習犯だった。
再び飛ばされたドアを見てみると、それは見事にぐにゃりと曲がっていた。まさか頭から突進してきたのだろうか……。その割には全然痛そうなしぐさをしていない……。やっぱりこの人も只者じゃない。
「よいしょっ!」
プッタ先生は軽々とドアを拾い上げ、両手でヒョイっと曲がった部分を元に戻し、入り口にはめ込んだ。
「これでよしっ! ――さぁ皆さ~ん、授業を始めますよぉ」
何事もなかったかのようにプッタ先生は教卓に着いた。まだ生々しく突進した後が残っているが、あえて言わないでおこう……。
「は~い! えーっと、入学式の時に自己紹介しましたが、改めまして――。ガストルメ料理学園教師、兼、精霊料理人オムニバスの、プッタと申しまぁす、ウフフッ」
俺はこっちの世界に来てから色々とありえない物を目にしている。だからこの程度の事は慣れてしまったのだが、周囲の生徒はまだ状況の整理ができておらず、唖然としている様子だった。隣にいるフィナンもさすがに目が点になっている。
「あ、そうでした! 選択科目のアンケート用紙を集めないといけませんでした! 皆さ~ん! 前に提出してきてくださ~い!」
ようやく我に返った生徒達は、次々に教卓へとアンケート用紙を提出し始める。
「明日の朝には各寮に正式な時間割が届いていると思いますので、今後はそれをもとに授業に参加してくださいね~」
アンケート用紙を提出し終えた生徒達は元の場所に戻った。
「は~い、ありがとうございま~す。提出し忘れた生徒はいませんね? いないようでしたら授業を開始したいと思いま~す」
ようやく最初の授業が開始する。この日をどれだけ待ち望んだことか――。
「それでは最初の調理実習――。『実力テスト』を開始したいと思いま~す」
プッタ先生の口から放たれた言葉は、俺の予想の斜め上を行くものだった。