第三十九話 傷だらけの精霊
どこからともなく表れた鷲は、悪霊の周囲を飛び回りながら、足で体当たりを続けている。
「邪魔だぁ!! 失せろぉぉ!!」
悪霊は腕を大きく振り回しながら抵抗している。
だが鷲の方もそろそろ身の危険を感じたのだろうか、悪霊の周囲を飛び回るのを止め、こちらの方に飛んできた。
「校長――。あの鷲はいったい……?」
「あれは精霊だよ」
「え? 一体誰の――」
すると後ろの炎の壁の向こうから、俺を呼ぶ二人の声が聞こえてきた。
「マサト!! 大丈夫かい!?」
「マサト……良かった、間に合ったのね……」
炎の壁の向こうに立っていたのは、イオラとフィナンだった。
「イオラ! フィナン! どうしてここが――?」
そう話している最中に、俺の頭上を鷲が飛んでフィナンの腕へと止まった。
「君を探すためだよ。この子は『セルフィ』、僕の精霊。この子が森中を飛んで君を見つけてくれたんだ」
「そうだったのか……」
ここは右も左も分からない迷いの森だ。俺の居場所を自分の足で探すのは相当時間がかかる。最悪俺は見つけてもらえなかったかもしれない。
でも空を飛べるフィナンの精霊のおかげで発見することができたんだ……。
あと少し遅かったら悪霊に身体を切り裂かれていた。
九死に一生を得た俺は心の底から安堵した。
ふとイオラの方に視線を向けてみる。
うっ! と心の中で声を上げてしまう。
イオラは怒っているようだった。なぜ起こっているかは大体予想ができる……。
「……ごめん、嘘ついて……」
俺は二人に、嘘をついて一人で子供たちを助けに行ったことを謝罪した。
「…………とっくに気づいてたわ、私もフィナも。……一人で何もかも解決しようとしないで。少しは私達の事、頼ってもいいじゃない……」
「うん。ごめん……」
「でも良かった……無事でいてくれて……」
イオラは緊張が途切れて安心したのだろうか、目に涙を浮かばせていた。
「まったくー! イオラの言う通りだよー! ――バツとして今日の夕飯、マサトが作ってね!」
「フィナン……。うん、分かった。飛び切り美味しいの作ってあげるよ!」
自分の軽率な行動を深く反省し、俺は二人に約束をした。
悪霊から目を離さず、様子をうかがっていたディサローニ校長が急に口を開いた。
「三人とも、感動の再開は済んだかね? それなら私も少し頼みたいことがある。――今すぐにこの子達を連れて森から脱出するんだ。フィナン君。引き続き道案内は任せたよ――」
校長が手の平を炎に向け、そう俺たちに告げると、炎の壁が一部分だけではあるが消失した。
「避難口は開いた。さぁ急ぎなさい。私はこいつを片付ける」
炎の壁が消失し、イオラとフィナンが広場に入ってきた。
イオラとフィナンは子供たちの元に駆け寄り、避難の指示をし始めた。
「僕たち、帰れるの? お母さんとお父さんに会える?」
「えぇ。もうすぐ会えるわ。だからもう少しだけ頑張って」
「セルフィ! 出口までの案内、頼んだよ!」
フィナンがセルフィに指示を出すと、バサバサと大きな翼を広げ、飛び立ち始めた。
子供達は一斉に避難口から出始める。
俺も一緒に向かおうと、広場から出ようとする。
「ぐるぅぅぅ……」
「――!!」
狼のうめき声が聞こえてきた。しかも相当苦しそうな声だ。
まだ生きてる!
俺は狼の元へ走り出した。
「マサト!? 何してるの!! 今そっちに行ったら危な――」
イオラが注意を促すが、言い切る前に悪霊は俺に向かって襲い掛かろうとしていた。
「――何人たりとも逃がしはせんっ!! 死ねぇ!!」
振り返ると、既に一メートル近くに悪霊は迫っていた。
「その子には、指一本触れさせんよ――」
遠く離れた位置から突然、校長の声がしてきた。その瞬間、悪霊の周囲に何本もの包丁が出現した。
鋭い包丁の切っ先は全て悪霊に向けられている。
「な、なんだこれはっ!!」
「一歩でも動いてみろ。取り囲んでいる包丁が一斉にお前を突き刺す」
悪霊は、立ち止まる以外何もできない状態へと陥った。
助かった……。これでしばらくは動けないはず。
俺は、横たわっている狼の元へ無事に辿り着いた。
「酷い……」
狼は既に虫の息だった。足から燃え出ていた紫色の炎は今にも消えそうだ。
体中には、悪霊によって付けられた傷。さっき思い切り蹴られていたから、きっと骨も折れているはずだ……。
そして何より酷いのが火傷だった。身体のいたる所が焦げてしまっている。
俺は舌を出しながら苦しそうにしている狼を、ただ見る事しかできなかった。
「俺たちを庇ってくれたのに……こんなの、ないよ……」
俺は拳をグッと握りしめた。
「フハハハハッ!! 惨めだなぁ? 人間に追放されたのに、人間を助けようとした結果がこれだもんなぁ! 忠誠心が裏目に出たな精霊よ。いい最後じゃないか、えぇ? 笑ってやろう!! ハハハハハハハ!!」
悪霊の高笑いが森中に響いた。
「笑うなぁぁあああ!!!」
俺はため込んでいた怒りを一気に吐き出すように叫んだ。
すると悪霊を取り囲んでいた包丁のうち四本が、悪霊の両肩と両太ももに突き刺さった。
「ぐおぉぉ……!!」
「おとなしくしてろ」
悪霊は跪くように、その場にしゃがみ込んだ。
校長がやってくれたようだ。俺は少しだけ気分がスカッとした。
だが悪霊はすぐに立ち上がった。
「こんな……ものっ!!」
突然、凄まじい風が悪霊から周囲に放たれた。そしてその風圧で悪霊を取り囲んでいた、いくつもの包丁が吹き飛ばされてしまった。
「っく! 抜け出したか……やはり腐っても悪霊だな」
「この包丁……返すぞ――!!」
また強い風が吹き始めた途端、周囲に散らばった包丁が宙に舞い始めた。そして一気に校長の元へ投げつけた。
「やっかいだなっ!」
校長は飛んでくる包丁を紙一重で避けている。だが外した包丁も再び命を宿したかのように、また宙に舞い始め、校長めがけて再度襲い掛かっている。
「ほらほらほらぁぁ!! 逃げろ逃げろ!! フハハハハ!!」
校長は冷静な表情を崩さないまま、ずっと避け続けている。
「どうだぁ? 自分の包丁に襲われる気分は!!」
「ふむぅ……包丁を消す隙ができないな……どうしたものか……」
この狼も校長もどっちもピンチだ。
「グルルゥゥ……」
閉じていた狼の目が薄く開き始いた。どうやら気が付いたみたいだ。
「大丈夫――!? ……ごめん、君を助けてあげたいけど何もしてあげれないみたい……。本当にごめん……。そして、助けてくれてありがとう――」
俺は目に涙を浮かばせながら、傷だらけの狼にお礼と謝罪をした。
狼はそんな俺を静かに見ている。
すると、狼がなぜか自分の鼻を俺のポケットに近づけて匂いを嗅ぎ始めた。
何をしてるんだ? 狼は執拗に鼻をポケットに当て続けている。
ポケットにはイオラから貰ったシナモンとカルダモンが入った小袋があるだけなのに……。
今度は俺を見上げてきた。
フーフーと息を上げながら、俺をじっと見つめている。
何かを伝えたがっている……?
「…………もしかすると!!」
狼が何を言いたかったのか分かった気がした。
もしかしたら助かるかもしれない……! 確信はないが、アレに賭けるしかない。
俺はポケットからシナモンとカルダモンを取り出して、『契約の儀式』の準備を始めた。