第二話 それは憩いの楽園のような
「さぁ! 早く準備を!! もろもろは向かう途中で話しますので!」
「いやいや、ちょっと待ってよ! 情報量が多すぎて訳わかんないんですけど……」
頭の整理が追い付かない。
まずなんなんだろうこの格好は。演劇会の衣装?
とにかくその少女は目がチカチカするほど派手な服装をしてて、服とシルクハットの至る所に、カップケーキやドーナツなどの色とりどりの可愛らしいお菓子が描かれている。
そして左胸には、卵に翼が生えたような、見たこともない謎のエンブレムまで刺繍されていた。かなり手の込んだ衣装だと分かる。
そうだ。きっとこの子は演劇会の帰りで、これは劇の練習なんだ。
知らない人の家にまで訪ねてお稽古なんて、勉強熱心な少女だ。きっと将来は名子役名女優になることだろう。
子供は好きだ。近所の子供ともたまに遊んであげたりする。
しかし、今はそういう気分には到底なれない。
「あー……ごめんね、今日お兄ちゃん体調良くないから、また今度お稽古に付き合ってあげるね?」
「はいっ! ……え、なんでそうなるんですか!?」
さらに困り焦る未来の名女優。なかなか食い下がってくれない。
「あ、そういえば自己紹介がまだでした。私が何者かを言わないとそりゃ怪しいですもんね。私は『ガストルメ料理学園』の製菓専門の教師を務めている『ティラ』と申します。以後お見知りおきを!」
あくびをしながら少女の話を聞いた。
設定もなかなか作り込まれているみたいだ。
料理関係の演劇でもするのだろうか。なかなか面白そうな内容だ。
次第に眠気が差してきた。付き合ってあげるのもここまでにするとしよう。
「本日は貴方――桐宮正人さんを我が学園へと招待するために、使いとして参上しました!」
「うんうん、また今度遊んであげるからねー。お兄ちゃん今すっごく眠いんだ。それじゃあね」
「えぇ!? ちょ、正人さん!? 桐宮正人さん!? 待ってくださ――」
俺は少女の言葉を遮るように玄関のドアを閉めた。
短いため息がこぼれる。
ちょっと塩対応になってしまって罪悪感が残ってしまったが、この時期ドアを開けっぱなしにしておくと少し寒い上に、俺が今そういう気分ではなかった。
「……ちゃんと帰ったよね?」
念のため、さっきの少女が帰ったかどうか確認するために、ドアに耳を当ててみる。が、外からは何も聴こえなかった。どうやら諦めて帰ったようだ。
「帰った……か。なんか悪い事しちゃったな」
俺は罪悪感を少々抱えたままリビングに戻りソファーに腰かけた。
「はぁー……」
ソファーの背もたれに頭を預け、今度は大きく長い溜息を吐いた。
これで眠れる。
「溜息ばかり吐いていると、幸せが逃げちゃうらしいですよ?」
「なぁぁぁぁぁ!?」
驚きのあまり、自分でも出したことのないような叫び声を上げ、ソファーから勢いよく離れた。
さっき帰ったであろう少女が、俺が居たソファーの後ろから、ひょっこり出てきたのだ!
心霊番組の定番ネタじゃあるまいし!
「おー予想通りの驚きっぷりですね」
「なんでっ!? 君どうやって入ってきたんだよ!? だってさっき帰ったはずじゃ……」
「企業秘密ですよ~。それと、あなたを連れていくまでは帰りませんから!」
驚愕のあまり、思わず言葉が詰まる。
一階の窓はすべて閉まっている。今日葬儀場に行く際に、ちゃんと戸締りしたから間違いない。
二階ももちろん閉まってはいるが、逆に空いてたとしても、高さがあるから入ってこれるわけがない。
「まぁまぁ細かいことはお気になさらず~。これでも飲んで落ち着いてください」
コポコポコポ……。
そう言いながら少女は、どこから取り出したか分からない、真っ白なティーカップに何かを注ぎ始めた。
「はい、ど~ぞっ! 気持ちが落ち着くハーブティーですよ~」
少女は俺に謎のハーブティーを繰り出してきた。
見ず知らずの得体のしれない少女から、こんなの貰っていいのだろうか。
少女が持ってるポットの中身には、なにやら数種類の花やハーブらしきものが入っていた。
色は透き通った琥珀色をしていて、見た感じ普通のハーブティのように見えなくもない。ないのだが……。
「……本当にハーブですか? 毒とか……その――」
「入ってないです! ちゃんとハーブティです!! も~失礼ですねぇ。料理学園の教師たる者がそんな物騒なことするわけないじゃないですか! 速攻クビです、監獄行きです、ありえないです」
プンスコ言う少女を見るに、ヤバいやつは本当に入っていなさそうだった。
「……あ、でも良い匂い」
鼻を近づけ嗅いでみると、とても甘い香りがした。花とハーブだけでこうも甘い香りがだせるものなのか。
香りを楽しんだ後、とりあえず一口だけ飲んでみた。
すると口の中いっぱいに、花とハーブの甘い香りが広がった。
でも不思議と香りとは裏腹に、味はそこまで甘くない。ほのかでちょうどいい甘み。そしてほどよい苦みも感じる。
砂糖を使用している感じもしないのに、どうしてここまで甘さを表現できるのだろうか。
まるで、甘い香りが漂う無限に広がる花畑で、一人昼寝をしているような心地良い感覚。
聞こえるのは風になびく草花の音のみ。
その世界には自分以外、誰も存在しない。自分だけの、そう……憩いの楽園のような――。
「――あ、あれ?」
気づいたらカップの中身は空になっていた。
幸せそうな顔をしてただろう俺を見て、少女はニヤニヤ微笑んでいた。
「ふふふどうです? 気持ち、落ち着いたでしょ?」
「ま、まぁ……。もしかしてこのハーブティーは……君が?」
「えぇ、もちろんですとも! あ、あと私のことは気軽に『ティラ』もしくは『ミス・ティラ』と呼んでくれて構いませんからね!」
いったい何者なんだろうか。少なくともただの少女ではないのは確かだ。
だが不思議と悪い感じはしなかった。
いいや、吹き飛んだと言ったほうがいいのかもしれない。
このハーブティーのおかげだろうか。
「さて、それでは取り直して――」
窓から差し込む沈みかけの夕日に照らされたティラと名乗る少女は、すっと俺に手を差し伸べてきた。
「貴方を我が『ガストルメ料理学園』へ、ご招待致します! 桐宮正人さん!」
拝啓、母さん。あの世でいかがお過ごしでしょうか。
俺は今、とんでもない事に巻き込まれようとしているようです。
6月1日 修正完了しました!