第十五話 入学式
「ここは……?」
目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に飛び込んできた。
「ようやっと目が覚めたかい、正人」
寝ている俺にローザさんが顔を覗かせてきた。
「ローザさん……?」
「おや、あんたすっごい汗かいてるじゃないか――。どうした、なんか怖い夢でも見たのかい?」
そう言いながらローザさんは、俺の額の汗をタオルで拭き始める。
「……はい。この世界が……滅ぶ夢を見ました。建物は崩れ、辺りは火の海に。人もみんないなくなってて、まるで地獄でした。それでそこに変な胡散臭いお兄さんが現れて……」
淡々と俺はローザさんに、見た夢をそのまま話す。
「あっはは、なんだいそりゃ。この世界が亡ぶなんて万に一つもありゃしないよ。ただの夢さ」
苦笑するローザさんに、「そうですよね」と笑みを浮かべながら言う。
その言葉を聞いて、俺も安心した。
やっぱりあれはただの夢だったんだ。
「それよりここはどこなんですか? 俺、ローザさんちで倒れたはずじゃ……」
首だけを動かし、周囲を見渡す。
どこかは分からないけど、広い部屋だ。
洋風のベッドがいくつか並んでいて、壁には高級感漂う絵画も張り付けられてある。
まるでホテルの中のようだ。
「ここは学園の保健室さ。あんたここに入学するんだろ? だからあたしが連れてきたのさ」
「? でも入学式って明後日ですよね? ちょっと早くないですか?」
ローザさんは腕を組んで、方眉を上げた。
「今日がその入学式さ。あんたはね、あれからずっと寝たきりだったんだよ」
「えぇぇええ!? あやばい! 入学手続きまだだったんだ!!」
俺は大声を上げ驚くと、布団をはぐってベッドから降りた。
あれからずっと寝たきりだったなんて信じられない。
「入学手続きはもう済んであるよ」
その言葉を聞いて、俺の身体に急ブレーキがかかる。
「え、いつの間に?」
「昨日あんたをここに運んできたときさ。事務の奴が本人は? って聞いてきて来たけど、ぐったりしたあんたを見たら、ちゃんと察してくれたよ」
あぁなるほどと納得するが、その状況何かが引っかかる。
「あの、ちなみにどうやって俺を運んできたんですか……?」
「ん? 担いできた!!」
ローザさんが俺を担ぐ姿が目に浮かぶ。
大通りの中、俺は色んな人にその姿を見られたのだろうか……。
意識がもしあったら逆に恥ずかしさで死んでいたかもしれない。
きっと事務の人も開いた口がふさがらなかっただろうな。
「そ、そうですか。ともかくありがとうございます」
何はともあれ、ローザさんのおかげで色々助かったことには変わりはない。
「それとな正人。あんたに言わなくちゃいけない事があるんだ。ほら、ルリ、チサ出ておいで」
ローザさんが呼びかけると、すぐさまルリとチサが現れた。
しかし二人の表情はなぜか沈んでいた。
まるでいたずらで叱られた後の子供のようだ。
「お兄さん。実は僕たち、謝らないといけない事があるんです」
疑問に思いながら俺は「謝らない事?」と復唱する。
この二人が俺に何か悪い事でもしたのだろうか。思い当たる節がない。
イオラとフィナンを助けた上に、俺に力を貸してくれた。ルリはちょっと乱暴な言葉を扱うけど、きっと根はとてもやさしいはず。
だから二人ともとてもいい子だ。まあ、精霊を『子』呼ばわりするのはどうかと思うけど……。
「はい。実は仮契約をする時に一番大事なことを説明してませんでした。今回お兄さんが倒れたのはそれが原因なんです……」
「なるほどそうだったんだ……それで大事な事って?」
「『仮契約のリスク』についてです。以前仮契約するときにおねえちゃん……が言いましたけど、『仮契約』というのは実はとてもイレギュラーな契約なんです」
チサは元気のない声で説明しながら、心配そうにルリを見た。
そう言えばさっきからルリが静かだ。しおれた花のようにずっと俯いている。この前はあんなにハキハキして毒舌をまき散らしてたのに。
気になるけど、今はとりあえずチサの話を最後まで聞くことにしよう。
「何かしらの理由で精霊を持たない人に、短時間だけ力を与えれるのが仮契約なんですけど、大きな落とし穴……リスクがあります」
「リスク?」
「使った力分のダメージが体に蓄積されていき、契約解除後と同時にそれが襲ってくるんです。お兄さんは一時間という短時間の中でかなり力を使いました。だからその分蓄積されたダメージが契約解除後に一気に襲ってきたんです」
俺は、霧が晴れるように「そういうことか」と理解した。
「それ以前にお兄さんの身体には既に疲労が溜まっていました。それを含めてのダメージだったと考えられます……」
チサの言う通り、俺はあの日色んな事があって疲労が溜まっていた。
思い返すと壮大な一日だった。
母さんの葬式から始まり、異世界から訪問者が来て、半強制的に異世界に連れていかれ、街を散策してたらローザさんの雑貨屋を見つけ、立派な包丁を貰ったかと思ったらフィナンに盗まれ追いかけっこ。そして料理を振舞った。
調子に乗って力もかなり使った。
好きなゲームを無我夢中でやり込むように、あらゆることを力を使って試した。何回力を使ったかは覚えていない。
しかたないと思う。だって初めて精霊の力を使ったんだから。そりゃ楽しくもなるさ。
ああ、こういう言葉を聞いたことがある。
『好奇心は猫を殺す』。好奇心が強い人は身を滅ぼしかねないという意味らしい。
まさに俺にピッタリの言葉だろう。自分で言うのもなんだけど。
「だからごめんなさいお兄さんっ! 僕たちがきちんと説明しておけば、こんな事にはなりませんでした! 本当にごめんなさいっ! ほら、おねえちゃんも謝って」
「…………」
唐突にチサが俺に頭を下げ、大声で謝った。横で俯いているルリにも小声で声を掛けるが、もじもじしてるだけで何もしゃべろうとはしない。いじけてるのだ。
「おねえちゃんってば!」
「…………」
チサの言う事を無視するルリ。
気にしてないよ、と俺が言おうとしたその時、ガタッと椅子の音と共に、ローザさんが立ち上がった。
俺、ルリ、チサは体をびくつかせる。
何事かと思いローザさんの顔を見てみると、その顔は、鬼のような形相をしていた。
「ルリッ!! いつまでうじうじしてるんだいっ! ちゃんと謝んなッ!!」
部屋中にローザさんの怒鳴り声がとどろく。
冷たい水が背中を伝うような感覚を覚える。
面倒見のいい姉御肌な人だけど、この前のルボナードとの一見然り、この人は怒らせると洒落にならないくらい怖い。
自分が怒られているわけでもないのに、なぜかこっちが委縮してしまう。
「う、ひぅ……」
叱咤されたルリは、涙顔でローザさんを見つめたあと小さく頷いた。
そして俯いたままではあるが、チサの手を握り俺の方を向いた。
「おねえちゃん……?」
「ひっく、う……ごめん、なさい。私が、言ったの、大丈夫って……ひっく。だからあの時、私がちゃんと……説明していれば。うぅ」
ルリはすすり泣きながら俺に謝る。
その姿を見たチサも一緒に頭を下げた。
「二人とも謝ってくれてありがとう。こうして無事起きれたんだから、もう気にしないでいいんだよ」
「本当にすまなかったね正人。アタシからもちゃんと説明しておけばよかった」
ローザさんが困った落ち込んだ表情で俺に言ってきた。
「いいんですよ。終わりよければ全て良し、です。そういえば、イオラとフィナンはどこに?」
俺はふと二人の事を思い出し、ローザさんに訊ねた。
「あいつらなら今、入学式会場にいるはずだよ。もうじき入学式がはじまるからね」
「もうじき!? じゃあ俺も早くいかなくちゃ――」
俺も急いでいこうとしたとき、ローザさんが呼び止めた。
「あんたはここで休んでな。病み上がりなんだからさ」
「もう大丈夫ですって! どこも悪いところないですから!」
自分の身体が大丈夫な事を両手を広げてアピールする。
「だーめーだ……って言っても行くんだろうなぁあんたは」
ローザさんは片目を上げて微笑んだ。
まだ会って間もないのに俺の事をよく分かっている。
「えへへ。じゃあ行ってきます……って場所分かんないや」
「ルリ、チサ、案内してやんな」
まだ落ち込んでいた二人にローザさんは優しく呟いた。
すると、二人の表情がぱぁっと明るくなった。
「――し、仕方ないわね! 暇だから一緒に行ってあげるわ。行くわよ、チサ」
「う、うん! おねえちゃん!」
ルリは入り口の方にそそくさと走っていった。
「あ、言っとくけど、さっきのウソ泣きだから! 全然泣いてなんてないから! べー」
入り口の前に立つルリは、涙目のまま俺にあっかんべーする。
「えーほんとに?」
「ううううっさいッ! さっさとしなさい置いていくわよ! 早くしないと、寝てるとき口の中に唐辛子の種放り込んでやるわよ!」
「おねえちゃん、唐辛子は種が一番辛いんだよ!?」
ルリは、「だからよ!」と胸を張って言い返す。
「あはは、ごめんごめん。すぐ行くよー」
いつもの二人に戻ったようだ。暗い顔をしている二人より、こっちのほうがずっと良い。
まあ、ルリの毒舌っぷりは相変わらず酷いけど。
さて、とベッドから立ち上がり、俺はルリとチサの案内の元、入学式会場に向かった。