第十三話 代価
修正完了しました!
「テメェ……なんでローザんちにいるんだ?」
部屋にいきなり入ってきた男が俺を睨み落とす。
それは決して見覚えのない顔ではなかった。
たじろぎながら、目の前の男を見上げる。
とにかくこの人には、二人の事を悟らせるわけにはいかない気がする。
俺は後ろで隠れている二人を隠すように、前に出た。
「……どうしてあなたがここに? 買い物がしたいんだったらここには何もないですよ。店内に戻ってください」
自分でも驚くような煽り文句を言い放った。
これは墓穴を掘ってしまったか。
案の定、男のこめかみには青筋がくっきり立ち始めた。
男から怒りの熱気が伝わってくる。
「俺が質問してんだよ、答えろ。なんで路地裏にいたテメェがここにいるんだって聞いてんだよ。焼かれたいのか……んあ? この茶色いもんは何だ――?」
「あ、それはっ!!」
男がフィナンの分の唐揚げを一つ手に取り、じっと観察し始めた。
「スンスン……さっきからしてた匂いはこれか。食えそうだな――」
そしてそれを自分の口へと放り投げた。
唐揚げを口に入れてモグモグしたと思ったら、急に静かになった。
「…………なんだ、これは。おい、ガキ。これを作ったのはローザか?」
「え? お、俺……です」
「テメェ……だと?」
ルボナードは無言のまま何か俺を睨んだ。
そもそもなんでこの男は、俺がローザさんの家にいることに対して怒ってるいたのだろうか。
もしやこの人、ローザさんの……。
だとしたら最悪のタイミングだ。
ドロドロの修羅場が始まってしまいかねない。
まさかと思いながら、男に注意を払い続ける。
するとローザさんが、大急ぎで部屋に戻ってきた。
「ルボナード!! 勝手に人んちに上がってんじゃないよっ!!」
聞き覚えのある名がローザさんの口から放たれた。
「ルボナード……――っ! もしかしてこの人がココの言ってた教師……!」
ローザさんは俺と二つのベッドに視線を逸らし、安堵の息を小さく吐く。
そしてルボナードという男に睨みを利かせた。
「出ていきなルボナード。聞いたよ、またやらかしたんだろ? 今度は一か月の出勤停止処分だって? ざまぁないね」
「ちっ、もう耳に入ってんのかよ……。頭の悪ぃ生徒にちょっとお灸をすえてやっただけじゃねぇか。いちいち大袈裟なんだよ、クソがっ……」
疑問に思っていた。
なんであの時、ココと一緒にいたティラが生徒の安否を気にしていたのか。
なんで怒りの表情を浮かべていたのか。
だが今の発言で点と線がつながった。
「お灸をすえて……って! まさか生徒に体罰を!?」
俺は愕然としながら言った。
「叫ぶな、耳障りなんだよ。だったらなんだってんだ、ああ? 出来の悪ぃ生徒を正すのは教師の務めだろうが。そんな当たり前のことも分からねぇのか。テメェも出来損ないだな」
「なんだと!?」と怒り叫ぼうとした瞬間、ローザさんの口が開いた。
「黙りな、ルボナードッ!!! これ以上何か喋ったら、その口どうなるか分かんないよ」
「フンッ、小さいことでウジウジと……そんなんだからいつまで経っても男ができねぇんだよ」
「――あ?」
ルボナードがその言葉を口にした瞬間だった。
突然体が重い石を背負ってるかのように、ドシンと重くなった。
何か分からない恐怖も襲ってくる。
嫌だ。ここには居たくない。
姿を消していたルリとチサが現れる。
だが二人の表情からは、さっきまでのあどけなさは消えていた。
対してルボナード側からも、女性の精霊が出現した。
上から下まで、血のように赤いドレスを着ている、炎をまとった精霊だ。
あまりの熱気に俺は顔を腕で覆った。
「何かと思って出てみれば、ローザに双子ちゃんじゃなーい、お久しぶりね、ご機嫌いかがかしら……って、全然良さげな雰囲気じゃないわね、コレ。どうかしたの?」
「そこのパワハラ・ド腐れ・単細胞男が、またローザに余計なこと言ったのよ。それでローザがキレちゃったってわけ。ほんっとどうなってんの? あんたの――ク・ズ・しゅ・じ・んッ!」
ルリがやれやれといった表情で、ルボナードの精霊に言った。
「あらーん、またなの? ほんと毎度毎度ごめんなさい? ……でもね? いくらこの人がひねくれものでも主人は主人……。そこまでコケにされたら、さすがの私でも――イラっと来るわ」
二人の精霊が激しく睨みあった瞬間、家がミシミシと不快な音を立て始めた。
窓ガラスも風が吹いていないのに、ガタガタと揺れている。
さらに重くなる重力に耐えられなくなった俺は、ついに膝をついた。
このままでは、意識までも持っていかれそうだ。
「――止めだ『ロゼ』。謹慎食らったばっかなんだ。これ以上面倒事はごめんだ。それに、旦那が住む家が壊れまったら可哀想だしなぁ?」
「――っ!! んだと、ゴラァッ!!!」
去り際のルボナードがロゼという精霊に言うと、最後に皮肉をローザさんにぶつけた。
ローザさんも鬼のような形相でルボナードを睨みつける。
「……はぁい。またねローザ、双子ちゃん。早く相手見つかるといいわね」
そう言ってロゼは煙のように姿を消し、ルボナードも部屋から出ていった。
「おいっ! 逃げんじゃねぇっ!! おいっ、……クソッ!! あの野郎、いつか絶対痛い目みさせてやる」
ローザさんが声を荒らげながら言った。
「相変わらずのクズっぷりだったわね。ドリアンと酒一緒に飲んでお腹破裂してしまえばいいのに」
「そうだね、おねぇちゃん……」
「え……!?」
チサの口から思いもよらない言葉が漏れ、俺は思わず耳を疑った。
さっきまでは、姉の暴言にやさしく突っ込んでいたのに。
「もう行ったみたいね。布団の中でずっと聞いてたけど……なんなの、あの男。生徒に暴力振るった上に、女性に対してなんてこと言うのよ! 最低の極みね!!」
団の中で隠れていたイオラが顔を出し、怒りをあらわにした。
「昔からああなのさ。あのパワハラ傲慢男は……。それよりすまなかったね、巻き込んじまって。イオラに関しちゃ病み上がりだってのに……」
申し訳なさそうにローザさんがイオラに謝る。
「そんなっ! 謝らないでローザさん、気にしてないから。全部あの男が悪いのよっ!」
眉間にしわを寄せながらイオラが言う。
その時、聞き覚えのある声がイオラの隣から聞こえてきた。
「――ふふっ、イオラが怒ってるとこ、久々に見た気がするよ~」
その声を聞き、俺とイオラは同時に「え?」と言った。
「や、二人とも。こんにちは~、『ごきげんいかが?』なんてね。へへっ、さっきの精霊の真似~」
「フィナっ!!!」
布団の中から顔を覗かせたのは、目を覚ましたフィナン。
イオラは飛びつくようにフィナンを抱きしめた。
ローザさんは、フィナンが目を覚ましたことを確認すると、静かに微笑んで、部屋を去っていった。
「あなたはいつもいつも……起きるの遅いのよ、ばかフィナ」
「ごめんよ、イオラ。実はね、今さっき起きたんだけど、出れる状況じゃなかったもので、ずっと布団の中で様子を伺ってたんだ~」
「確かに、出れる状況じゃなかったね、あれは……。目の前で味わったけど、かなり応えたよ……」
苦笑いを浮かべながら俺は言った。
嵐のようなひと時だった。
あのまま続いていれば、本当に気を失うところだった。
「あの学園の教師、ルボナード――。暴君っていう言葉が一番しっくりくる男だった。あんな奴があそこにいるなんて……。絶対あいつの授業は受けたくないなぁ」
俺がそう口にすると、イオラとフィナンがキョトンとした表情でこちらを見た。
「? それだとまるで、あなたがあの学園で授業を受けるような言い方だけど……」
イオラがそう訊いて来た。
あぁそういえば、と頭の中で電球が灯る。
「うん。俺も明後日、あの学園に入学するんだ。よろしくね二人とも」
三秒くらいの間が空き、イオラとフィナンは「えぇ!?」と大声を上げ、仰天した。
「なんでフィナも驚くのよっ! 最初に会ったのはあなたじゃない、聞いてなかったの?」
「いや、ボクも初耳……。別の事で頭がいっぱいで、名前以外聞くの忘れてたや……」
たじろぐ二人を見て、安心と共に、なんだか笑いも混みあがってきた。
「じゃあ俺、後片付けしてくるから。フィナンは、それ召し上がれ。ルボナードが一個食っちゃったけどね……」
「うっわ! なにこれなにこれっ! なんて料理!?」
「カラアゲテイショクって言うの。とっても美味しかったわよ」
「へぇ~」と目をキラキラ輝かせながら、唐揚げ定食を見つめるフィナン
本当に、二人とも元気になったようで良かった。
「あの、お兄さん……、もうそろそろ仮契約が切れるころですので、その……」
キッチンへ後片付けしに向かおうとしたとき、チサが心配げに言ってきた。
「あ、そっか。でも大丈夫だよ。あとは片づけだけだし、精霊の力無しでも……俺、一人……で――?」
急に目の前の景色が、グラグラと揺らぐ。
「地震!? みんな頭を守って!!」
突然の揺れに驚き、俺は二人に身を守るよう言った。
「? 何言ってるの? 地震なんて起こってないわよ?」
「え? じゃあこの揺れは……あ――――」
身体の力が突如抜け、俺は床と平行になった。
イオラとフィナンが俺の元に駆け寄ってくる。
「正人っっ!? やだ、どうしたの一体……!!」
「正人っ! 正人っっ!! ダメだ……全然応えてくれないや……どうしよう」
二人が必死に俺に呼びかける。
声が、出ない。
返事ができない。
「ゲホゲホ…………ガホッッ――!!!」
声は出ないが咳は出てくれた。
良かった。これでとりあえず意識があることだけは分かってくれたはず。
俺は首を少しだけ動かし、二人をそれぞれ見上げた。
「――――っ!!!」
イオラは両手を口に当てながら、驚いている。
「あ……あぁ……」
フィナンは言葉にならないような声を発している。
でもなぜか不自然なのは、二人の目が俺を見ていない事だった。
もっと下。
俺の口元を見ているように見えた。
なんだろうと思い、今度は首を下に向けた。
赤く、赤く、染まっていく木製の床板。
赤ワインをこぼしたように、じわりじわりと広がっていく。
その源は、俺の口――。
舌に感じるは鉄の味。
紛れもなく――『俺の血液』だった。
瞬間。俺の視界は黒に包まれた。