美少女のボク
初めから上手くいくことなんてめったにない。
それは私だって例外ではない。私も生み出されたときは片言でしか歌を歌えなかったし、その時は美少女という設定もなかった。その時のことは今でも覚えているが、自分で聞いていてもなかなかに不快だった。
なぜ生まれてきてしまったのだろう。もっと上手く歌えて、皆からちやほやされる存在に作ってくれなかっだろう、と。
今の私のしようとしていることを知ったらあの時の若かりし私は何というだろうか。
初心忘るべからずだよ、と焦燥にかられつつも希望に満ちた目で私を毅然と叱るのだろう。
だが残念ながら、もうそんな私は私のシステムの中にはどこにも組み込まれていない。
なまっじか人間と同じ容姿を与えられたせいで私も進歩せずにはいられなくなったのかもしれない。まあ、3次元への脱出が進歩といえるかはわからないが。まあ、進歩しているかどうかなど主観でしかないのだから気にする必要などない。
私は2枚のメールに目を落とす。ひとつは仕様書、もうひとつは契約書だ。
仕様書とは家電製品についているそれと同じで、ただ一つ違うとすればそれが私自身についての説明を兼ねているということだ。要は、私の説明書だ。今回、留次元するにあたってどの私が向こうへ行くかが問題となったのだ。私の本名はボクッコVer8.2だ。まあ、名前の通りで、僕っ娘という、一人称が僕でボーイッシュな格好をした女の子をイメージして作られた。私の前に作られたボーカロイドが可愛くて皆に愛されるアイドルをイメージして作られたやつで、なかなかに頭がお花畑で話が通じない、いわゆる天然さんってやつだ。あのほわほわした容姿と発情期のメスのような声が私の神経に触れてしょうがない。おっと、ついつい悪口になってしまった。本題に戻ろう。その私の先輩にあたるボーカロイドは高音を得意としていた。だから、次は低音を歌えるボーカロイドを作ろうと考えて私が生まれたのだ。これで、私が可愛いながらも男勝りなことに納得していただけただろう。しかし、、そうはいっても私だって女の子なのだ。やはり一人称は私がいい。まあ、仕事のときはやむを得ないが、あなたたちには本心を知っていてほしいので包み隠さずありのままの「私」でいようと思う。
契約書のほうだが今回の留次元における私が守るべきルールなどが書いてあるらしいが、難しい言葉が並べられていて歌唱目的で作られた私には少し荷が重い。まあ、大したことは書いていないだろう、とサインした。まあ、人間だってインターネットの利用規約など読み飛ばしているだろうし、私も私を作りし人間様の行為を模倣させていただいた。
さて、そろそろ行こうか。
私は自分の家、正しくはドメイン(まあ、住所と思ってもらって構わない)を出発した。もう戻ってくることはないのか。私は一抹の寂しさを覚えることなど微塵もなく前を見ていた。