第三十七話 人を超えたモノ
メルジーネの全身が青白い光を発した。
発光するメルジーネの身体が、一瞬にして変貌を遂げる。
その威容を、俺は見上げた。
蒼黒の鱗に覆われた全身に、鋭い爪の生えた四本の脚と、蛇のようにうねる尻尾。
そいつは背中の翼を大きく広げ、牙の並んだ口を開き、高らかに咆哮を上げた。
大気を震わす振動が、俺の全身を打つ。腹に響く重低音だ。
砲声を放ったそいつは、ゆっくりとその爬虫類めいた頭を動かす。
そしてルビーのように赤い相貌で、俺を見下ろした。
――ドラゴンだ。
ついさっきまでメルジーネだったそれは、紛れもなく巨大なドラゴンだった。
以前にイングリット隊と俺で倒したやつよりもでかい。
軽く倍の大きさ……全長一〇〇メートルぐらいはある。
「これがメルジーネの正体ってことか」
呟く俺に答えるように、蒼黒のドラゴン……メルジーネは低い唸り声を発する。
どうでもいいけど、なんか魔女って竜に変身するイメージがあるよな……俺だけだろうか。
「なんという魔力だ……これが師団長の実力なのか……」
俺の背後でイングさんが呆然と立ち尽くしている。
「情けないけれど……わたし、震えが止まりません……」
「なんなのよあれ、あんなの勝てるの……?」
リーゼとレオナも同じように、巨大な竜に変身したメルジーネを絶望的な眼差しで見上げていた。
……たしかに、以前に倒した竜とは桁違いって感覚は、俺にもあるが……。
単純に身体のデカさだけじゃなくて、なんというか『格』が違う感じ。
だけど……
「ねぇ、お兄ちゃん」
「うおっ」
いつの間にか俺の真横に義妹が立っていた。
俺の服の裾を掴み、なにやら真剣な面持ちを向けてくる。
「……どうした?」
「私が……メルジーネに〈能力封殺〉をかけようか?」
「なっ……それは駄目だろ」
たしかに、メルジーネの能力を封じれば楽勝で戦いは終わるだろうけど……
「あの力は、お前の身体に負担が掛かるんだろ?」
「……うん、多分だけど、寿命を削ってる」
おい。
今さらっととんでもないことを明らかにしたぞ。
「そんな力、使わせるわけにいくかよ」
「どうして……?」
「いやだから、お前の身体に負担が……」
「そうじゃなくて」
ぶんぶん、と義妹はかぶりを振る。
「どうしてお兄ちゃんは、私のことなんか気にかけるの? 私は……魔族だよ?」
泣きそうな表情で、義妹はそんなことを問いかけてきた。
どうして……か。
同じ転生者としてのよしみ……ってのは、なんか違うな。
答えはもっとシンプルで、ひどく自分勝手な理由だ。
「お前が俺の義妹だから。そう決めたからだよ。妹を平気で見捨てるような兄に、俺はなりたくない」
呆気にとられたような顔をする義妹の頭に、俺は軽く手を乗せる。
「だから、お兄ちゃんに任せといてくれ」
「え?」
「あんなやつ、お前の力を使うまでもなく楽勝ってこと」
そう言って、俺は一歩前に進み出た。
虚勢でもなんでもない。
あんなやつに、メルジーネなんかに負ける気は微塵もしなかった。
――メルジーネが大きく息を吸い込む。
この動作は……
「息吹か!」
思った通り、メルジーネは俺に向かって息吹を吐き出した。
ただ、それは予想していたような火炎ではなく――
「水かよっ!」
まぁ、たしかに変身前から水の魔法を使っていたもんな。
呼び名は水の息吹ってところか。
吐き出された激しい水流を、俺は両手を突き出して受け止めた。
「みんな! どっか遠くに離れててくれ!」
背後の仲間たちに、そう叫ぶ。
みんなは一瞬、躊躇ったが、すぐに義妹を連れてその場を離脱してくれた。
よし、これで遠慮なく戦える。
俺は水圧で弾き飛ばされそうになるのを堪え、息吹が途切れるのを待つ。
やがて不意に、水流がストップした。
よっしゃ、ここで反撃を――と、俺が身構えた途端。
メルジーネが翼を広げ、上空へと飛翔した。
空高く舞い上がったメルジーネが、ふたたび水の息吹を地上に放つ。
それだけじゃない。やつの巨体の周囲に、いくつもの魔法陣が浮かび上がり、そこからも水の魔法が次々に発射された。
狙いなんてあったもんじゃない。ただ無差別に、地上へと攻撃が降り注ぐ。
くそ、なんてことしやがる!
みんなは無事か?
降り注ぐ攻撃を防ぎながら、俺は周囲を見渡した。
少し離れた場所に、みんなの姿を見つける。
「余所見をするなよ、シロウ! 私たちなら大丈夫だ!」
盾で攻撃を防ぎながら、イングさんが叫ぶ。
「そうよ、シロウ! だからあんたは、さっさと決めちゃいなさい!」
炎の槍で迫りくる水球を蒸発させつつ、レオナは俺に檄を飛ばす。
「シロウ、この子のことは、あたしが全力で守ります……だから!」
「お兄ちゃん、がんばって!」
リーゼと義妹の……いや、みんなの声に頷き、俺は地面を思い切り蹴りつけた。
上空に飛び、降り注ぐ攻撃をかいくぐりながら、俺はメルジーネめがけて上昇する。
――そして俺はメルジーネの巨体を追い抜き、やつの真上で急制動をかけた。
長い首を動かし、俺を振り向くメルジーネ。
その大きな顔面めがけて、俺は渾身の一撃を放った。
――〈神魔法〉。
俺の手から放出されたオーラの塊が、メルジーネの巨体を呑み込んだ――
◆
〈神魔法〉の直撃を受けたメルジーネは元の姿に戻り、そのまま地上に墜落した。
跡形もなく消えなかったのは、さすが魔王軍の幹部ってところか。
落下したメルジーネを追って、俺も地上に降下する。
クレーター状に抉れた地面の中央に、メルジーネはうつ伏せで倒れていた。
すぐ前に降り立った俺を、ゆっくりと見上げてくる。
「シロウちゃん……貴方……貴方はいったい、何者なの……?」
「は? だから、転生者だろ?」
いまさら何を言っているんだ、こいつは。
俺の言葉に、メルジーネが力なく笑う。
「……貴方の力は転生者の……いいえ、『人』の域を超えているわ……特に、最後の一撃なんて……」
「ああ、〈神魔法〉のことか?」
その一言に、メルジーネは驚愕したような様子で大きく目を見開いた。
「シロウちゃん、〈神魔法〉がなんであるか……理解しているの?」
〈神魔法〉がなんであるか?
えーと、たしか……
俺は〈神魔法〉のスキル説明を頭に思い浮かべる。
〈神魔法〉
その名の通り、神が振るう紛うことなき奇跡の力。
初級……手に込めたオーラを適当にぶっ放してみよう。
「神が振るう奇跡の力……だろ?」
それがなんだっていうんだ?
「そうよ……『神が振るう奇跡』……そんな力を使うシロウちゃんは――」
「おおーい、シロウー!」
と、メルジーネの台詞をイングさんの声が遮る。
声のしたほうを見ると、そこにはイングさん、レオナ、リーゼに義妹の姿があった。
いつの間にやら、近くまで駆けつけていたらしい。
「……今は逃げたほうがよさそうね」
メルジーネの身体が、瞬時に液状に変化する。
「あ、しまった」
そう思ったときには手遅れだった。
液状になったメルジーネは、瞬く間にその場から姿を消し去る。
『今は逃げる。でもシロウちゃん、アタシは必ず復讐するわ』
そんな粘着質な捨て台詞が、頭の中に響いてくる。
「マジかよ……」
ここまで追い詰めて逃げられるとか……しかもなんか、気になるようなことを言い残していきやがったし。
……なにはともあれ。
こうしてテルティウス平原の戦いは一応、俺たちの勝利という形で終結した。




