第三十一話 〈水妖の魔女〉
メルジーネが熱っぽい視線を俺に注いでくる。
「はじめまして、シロウちゃん。アタシのことは、もう知ってくれているのかしら?」
「まあ、名前ぐらいは」
つーか、シロウちゃんてなんだよ。敵なのに、なれなれしいな……。
「そ、だったら自己紹介はいらないわよねぇ。面倒だし」
「そっちはどうして俺の名前を?」
「ああ……役立たずの元部下に聞いたのよ。ええと……なんて名前だったかしらねぇ」
そう語るメルジーネは、心底つまらなさそうだ。
「そうだ思い出した、ヴィントちゃんよ」
ぱん、と手を叩いてメルジーネは笑顔を見せた。思い出せたことに喜んでるのか?
「なるほど、あいつか」
つまり俺が転生者ってことも、メルジーネには知られているわけだ。
「元部下ってのは、どういうことだ」
「言葉通りよ。処分したの。使えない男って、アタシ嫌いなのよねぇ」
メルジーネはギッ、と首を切るジェスチャーを俺にしてみせる。
「処分って……殺したってことか」
「そうよん」
マジかよ。さすが魔族。ラジカルだな。
別にヴィントが哀れだとかは思わないが……。
「貴様ら、さっきからなにを話している?」
黒い鎧の騎士、ウルリッヒが俺とメルジーネの間に割って入ってきた。
……ちょっと存在を忘れかけていたかもしれない。
「あら、貴方どなた?」
ウルリッヒに目を向けたメルジーネが、にこやかに問いかける。
誰何している、というよりは「いたの?」みたいなニュアンスに感じられた。
ウルリッヒが、ギリっと歯を噛んだ。
「あまり人を馬鹿にするなよ……〈水妖の魔女〉が!」
長さ一メートル八〇センチぐらいはある大剣を両手で構え、ウルリッヒはメルジーネを鋭く睨めつける。
対するメルジーネは涼しい顔で、殺気立つウルリッヒを見据えていた。
「はぁ……アタシ、貴方になんて、これっぽっちも興味がないのよね」
とことん相手を侮蔑しきったかのような目を、メルジーネはウルリッヒに向ける。
「貴様ァッ!」
激昂したウルリッヒが、メルジーネに斬りかかる。
「あらあら、野蛮ね」
メルジーネが妖しく微笑みながら、手を一振りした。
ドン――
鈍い音が響き、ウルリッヒの身体が吹き飛ぶ。
なんだ今の……?
水の塊みたいなのが、ウルリッヒを弾き飛ばしたように見えたけど……。
宙を舞ったウルリッヒが、俺の足下に転がってきた。
鎧の胸元が砕け、口から血を流しながら気絶してるけど、生きている。
えぇー……隊長なのに弱すぎじゃない?
でもまあ、たぶん命に別状はなさそうだから放置しておこう。
そのほうが好都合だし。
「今の、禁忌の魔法ってやつか?」
「そ。アタシは水を自在に操るの」
言いながら、メルジーネは人差し指を立てる。
その指先に、サッカーボール大の水の塊が生まれた。
さっきウルリッヒを吹き飛ばしたのは、あの水球らしい。
水を自在に操る……だから〈水妖の魔女〉なのかな。
しかし、ずいぶんとあっさり手の内を明かしてくれたメルジーネだけど、よっぽど自信があるってことか。
まあ、魔王軍の幹部――第四師団長だもんな。
俺が異世界にきて戦ったどの敵よりも強いのは、間違いないかも。
これは気を引き締めてかからないと。
やることはいつもと変わらず、まるで緊張感のない「寝る」という行動だけど。
俺は身構え、目を閉じた。
〈眠る強者〉および〈シャロウ・スリープ〉が発動する。
「ふふ……それがシロウちゃんの能力なのね。面白いわ」
メルジーネはペロリ、と唇を舐める。
くそ、いちいち動作が扇情的だな。
青少年には刺激が強すぎるぞ。なるべく意識しないようにしよう。
無理だけど。
「うふふ、いいわいいわ、ああ……楽しくなってきた」
メルジーネは顔を赤らめ、なにやら興奮気味だ。ちょっと怖い。
「さぁ、それじゃ、いくわよ?」
メルジーネが戦闘開始を告げる。
同時、やつの背後になにやら魔法陣のようなものが、いくつも浮かび上がった。
その青く輝く幾何学図形すべてから、激しい勢いで水流が放たれる。
超強力な水鉄砲!?
幾筋もの水流が俺を襲う。
が……衝撃はあるけど、ダメージは大したことない。
俺は地面を蹴り、一気に水流を強行突破した。
「わお、シロウちゃんてば頑丈なのね」
愉快そうに弾んだ声を出すメルジーネに一瞬で接近し、俺は拳による突きを放った。
「いやーん」
ひらりと身をひるがえしながら真横に移動して、メルジーネは俺の突きを避ける。
「お触りは禁止よ?」
クスクスと笑い、メルジーネは空を切るように手を振った。
「うおっ!」
メルジーネの手から放たれた水が、まるで鋭い刃のように俺を斬りつけてきた。
俺の右頬に一筋の傷が走り、少量の血が伝う。
「あらあら、本当に呆れるぐらいの頑丈さね。それに動体視力も悪くないみたい。首を狙ったのよ、今の」
唇を吊り上げ、まるで三日月のような笑みをメルジーネは刻む。
嗜虐的に歪んだ口元――
ああ、これが素なんだろうな、こいつの。
「さっすが転生者よねぇ。そう簡単には壊れないんだから……いっぱい楽しめそうだわ」
駄目だ。
こいつの痴女みたいな格好のせいで、完全に別の意味に思えてしまう。
「お前らも……魔族も転生者を知ってるんだな」
「ええ、そりゃあ知ってるわよ」
過去にも戦ったことがあるんだろうな、きっと。
「でも、シロウちゃんみたいな変な能力の子は、アタシ初めてだわ」
「ほっとけよ」
「ふふ、でもどんな能力だろうと、関係ないんだけどねぇ」
メルジーネは目を細め、なにやら含みのある言い回しをする。
「ああ? どういう意味だよ」
「今にわかるわよん。さ、お喋りはぁ……お・し・ま・い」
メルジーネが両手から水球を放った。
ウルリッヒをやったものよりもでかい。バスケットボールぐらいはある。
まっすぐ飛んでくる水球を回避しようとしたそのとき。
「あれっ」
二つの水球がいきなり制止した。
俺はどう反応すべきなのか逡巡する。
その隙を突いたかのように、二つの水球が弾けて割れた。
勢いよく飛び散った水が鋭利な刃となり、俺の身体を切り刻む。
「うふふ、さすがに避けられなかったでしょう?」
「ああ……ま、ダメージないけど」
強がりでもなんでもなく、俺はほとんど無傷だった。
「厄介ねぇ……こんなに固いの初めてかも」
「あっそう」
なんか……不気味だな。
メルジーネには、どこか余裕みたいなものが感じられる。
そのせいか、いまいち攻め込む気になれない……。
本能みたいなものが警戒しているというか、迂闊に攻めるのは危険な気がするのだ。
「どうしたのシロウちゃん、もう萎えちゃった?」
「うるせえよ」
メルジーネは挑発的な口調で、俺を煽ってくる。
なんなんだ、この泰然自若とした態度は。
虚勢を張ってるふうでもない。慢心でもない。
本当に、俺を倒せるというような自信と余裕が垣間見える。
正直、気味が悪かった。
「んもー、つまんないわ。シロウちゃんがこないなら、アタシが仕掛けちゃうわよ?」
一歩、メルジーネがこちらに踏み込んでくる。
どうする?
こっちから攻撃を仕掛けるか?
相手にどんな切り札があっても、俺の能力なら――
俺は〈神魔法〉のタメに入ろうと、拳を握りしめる。
「駄目よシロウちゃん、あんまり遅いのも嫌われちゃうんだから」
不敵に微笑し、メルジーネはパチンと指を鳴らした。
その刹那、俺の視界が暗転する。
「なん、だ……?」
違和感。別に意識をなくしたわけじゃないのに……。
――いや、そうじゃない。
これは、スキルが切れたんだ。
俺は目を閉じているんだから、視界が暗くなるのは当たり前だ。
瞼を上げ、自分の手を見下ろす。
やっぱり、オーラが出てない。
「さてシロウちゃん、覚悟はいいかしら?」
「いや、よくないです」
「んふふ、だーめ」
じゃあ訊くなよ!
なにをされたのかわからないけど、これはマズイかも……




