第三十話 テルティウス平原の戦い
甲高い笛のような音が鳴り続けている。
「この音って……?」
なんとなく察しはつくけど、俺はレオナとリーゼに訊ねる。
「……会敵の合図ですね」
やっぱりか。ついに戦いが始まったわけだ。
鳴り響く笛の音に、野営地内はさらに慌ただしさを増していた。
緊張した空気のせいか、義妹が不安げな表情を浮かべる。そんな彼女の肩に、リーゼが背後から優しく手を置いて微笑みかける。
「大丈夫ですよ」
「おねえちゃん……」
「ちょっとシロウ、本当にこの子どうするのよ?」
レオナが険しい顔つきで俺を見る。
いや本当にどうしよう……。
「お前たち、こんなところにいたのか!」
天幕の裏に、イングさんが駆け込んできた。
「たった今、斥候から報告が……って、どうしてその娘がここにいるんだ!?」
義妹を目にして仰天するイングさんに、俺は事情を話す。
「そうか……ならば好都合なのかもしれんな」
「好都合って、なにがですか?」
俺が問うと、イングさんは渋面を作る。
「実はな……私たちイングリット隊は野営地の防衛を言い渡された」
「はぁ!? なによそれ!?」
そう声を荒げたのはレオナだ。
「隊長はそれで納得したの!?」
「仕方がないだろう。この場の指揮権はウルリッヒ隊にあるんだ」
レオナは悔しげに唇を噛む。
「だがまぁ、おそらく私たちにも出番は回ってくるさ」
どこか確信したような口調で、イングさんは不敵に笑った。
「どういうことよ?」
「斥候からの報告でな、敵の中にメルジーネらしき姿を確認したらしい」
イングさんがそう告げると、レオナとリーゼが息を呑んだ。
「あのー、メルジーネって?」
「魔王軍第四師団の師団長ですよ」
リーゼが教えてくれる。おお、つまりは敵の幹部……ボスキャラってやつか。
「ウルリッヒ隊は今しがた出撃していったが……おそらくメルジーネには勝てないだろう。ウルリッヒも命を捨てるほど馬鹿ではないからな。死ぬ前に逃げてくるはず。そこで我々の出番だ」
なんかイングさん、サラっとすごい発言してないか?
「それにだ……野営地を防衛するなら、この少女の身を守りやすいだろう?」
あー、さっき好都合って言ったのは、そういうことか。
「とはいえ、野営地にもいくらか敵は攻めてくるだろうからな……油断はするなよ?」
イングさんの言葉に俺、リーゼ、レオナは首肯を返す。
「どこか、天幕をひとつ借りるとしよう。そこに少女を匿う……レオナ、頼んだ」
「了解」
さっとレオナが、天幕を確保しに走っていく。
「リーゼ、お前は少女と天幕に入り、魔法で防護壁を張ってくれ」
「了解です」
「シロウは、私や隊員たちと一緒に野営地の防衛を頼む」
「うっす」
「さて……」
ふと、イングさんは遠くに視線を向けた。
釣られて俺も、その方角に目をやる。
「おお、魔物がうじゃうじゃと……」
そこ――平原の真っ只中では、魔王の軍勢とウルリッヒ隊が向かい合っている。今にも戦いが始まりそうだ。
どっちも大体、千の軍勢ってところか。
「ウルリッヒはどのぐらい持ち堪えてくれるかな」
「イングさん……なんか悪い顔してますよ」
「む、失礼な。これでも私は、そう悪くない見た目をしているという自負があるんだが?」
「いや、そういう意味じゃないんですけど……そういやイングさん、メルジーネってのと戦ったことあるんですか?」
「ん、なぜだ?」
なんかさっきの口振りからして、メルジーネの強さを知っている感じだったし。
「いや、ウルリッヒが勝てないって断言してたから、イングさんも戦ったことあるのかなと」
「私は直に戦ったことはないが、一度だけ戦場で、やつの戦いぶりを目にしたことがある。そのときに思ったものだ。あ、これ無理だ。もう人類滅ぶな、と」
おいおい……。また真顔でおかしなこと言ってるぞ。
「やつに――いや、やつら幹部級の魔族に対抗できるとしたらそれはシロウ……おそらく、お前だけだ」
「ははっ、またまたー」
なんて茶化してみるが、今のはどうやら本気発言だったらしい。
イングさんはまっすぐ俺を見て、
「だからシロウ……頼むぞ」
マジかよ。ちょっと期待が重すぎるぞ……。
そんなことを話している間に、ウルリッヒ隊と魔王軍第四師団の戦いの幕が上がっていた。
怒号と剣戟の音が、ここまで響いてくる。
「ねぇ、おにいちゃん……」
義妹が不安そうに眉を下げながら、俺を見上げてきた。
「大丈夫だって、俺たちが絶対に守るから」
「そうですよ、心配しないでください」
俺とリーゼが、義妹を安心させるように言葉をかける。
「……うん」
それでも不安は拭えないのか、義妹の表情は晴れない。
そりゃそうだ。すぐ近くで戦闘が行われているんだから。怖いに決まってるよな。
「おーい、天幕、確保したわよ」
こっちこっちと声を上げながら、レオナが手を振ってきた。
「それじゃ、行きましょう」
リーゼが義妹を促し、レオナのもとへと連れ立って向かう。
二人が天幕の中に入るのを見届けてから、俺たちは野営地の守りに就くことにした。
◆
戦闘が始まって数十分したころ、戦場から野営地に負傷した伝令が慌てて駆け込んできた。
伝令はイングさんになにやら報告したあと力尽きたのか、その場に倒れ伏した。
治療のために、倒れた伝令が他の騎士によって運ばれていく。
「なにかあったんですか?」
俺がそう訊くとイングさんは、待ってましたとばかりにニヤリと口端を上げた。
「やはりメルジーネのせいで、戦況はかなり不利なようだ。というわけでシロウ、出番だ」
「えぇと、つまり?」
「戦場に赴いて、メルジーネを倒してくれ」
あ、うん。やっぱ、そうなるよね。
「けど、この格好のまま行ったらマズくないですかね」
一介の騎士――の格好したやつだけど――が魔王軍の幹部を倒すとか、いかにも成り上りの王道だ。
しかし別に俺は、立身出世したいわけじゃない。
異世界で、のんびりスローライフを送る――あくまで最終的な目的はそこだ。
「そうだな……鎧は脱いでいったほうがいいだろう」
イングさんにもそう言われたので、俺は騎士団の装備一式を脱いだ。
で、代わりに身につけたのは、念のために持ってきていた学ランである。
うーん、いわゆる初期装備だけど、妙にしっくりくるな。不思議だ。
「いいかシロウ、お前は通りすがりの旅人で、たまたま戦闘に遭遇したという設定だ」
「はぁ……てか最初から、そういう設定で俺が戦闘に参加すればよかったんじゃ?」
俺の意見に、イングさんは肩をすくめる。
「そんなことしたら、ウルリッヒ隊のやつらに痛い目を見せられないだろう」
「……えぇ」
「ふっ、いい気味だ」
この人、私情を挟みまくりだな。
死人とか出てたらどうすんだよ。
「……んじゃ、ちょっくら行ってきます」
「ああ、よろしく頼む」
イングさんに見送られ、俺は戦場へと繰り出した。
◆
「ギシャアアアアッ!」
戦場に来た瞬間、数多の魔物が俺に襲いかかってきた。
ほとんどが、異世界転生してから出会ったことのある魔物ばかり。
初めて見るのは、なんか半魚人っぽい魔物だ。
鱗に覆われた身体に、鋭利な爪を備えた手足――中には銛で武装したやつもいる。
これはあれか。いわゆるマーマンってやつか。
平原にマーマンって、なんか変な感じだけど……まあ、海が近いからということで納得しておこう。
「ギシャアアアアッ!」
大量の魔物たちが、俺へと殺到する。
「うるせえ」
俺はスキルを発動して、一気に魔物どもを薙ぎ払った。
思ったより数が少ない……ウルリッヒ隊がほとんど倒していたようだ。
そのウルリッヒ隊の騎士たちは、全員が地面にぶっ倒れている。
つまりこれ、メルジーネひとりにやられたってわけか。
とんでもないな……いや、俺も人のこと言えないのかもだけど。
俺は当のメルジーネを探して、辺りに視線を巡らせる。
すると――少し離れたところに、黒い鎧姿の騎士を発見した。ウルリッヒだ。
さすがは隊長、どうやら彼だけは無事だったらしい。
俺は咄嗟に、スキルを解除した。
ウルリッヒは転生者が嫌いらしいから、余計な揉め事を回避するためだ。
まぁ、いずれはバレるかもだけど。
ていうか面倒だから、ウルリッヒもやられてくれていればよかったのに……
なんていけないことを考えていると、ウルリッヒも俺に気がつき、怪訝な表情で近づいてきた。
「なんだ貴様は。ここは戦場だぞ」
うわ。やたらと高圧的な語調だなー。
「と、通りすがりの旅人です」
「旅人だと?」
猛禽類を思わせる鋭い目で、ウルリッヒは俺を下から上まで値踏みするように見る。
今さらだけど、野営地で思いっきり顔見られてるはずだよな。大丈夫なのかこれ。
「貴様の顔……どこかで見た覚えがあるぞ」
ほらやっぱり。
どうやって誤魔化したもんかなーと考えていると――
「あーら、やっと見つけた」
そんな声が、どこからともなく降ってわいた。
声の主は……なんか無駄にセクシーなお姉さんが、ウルリッヒの背後に立っている。
「なっ!?」
ウルリッヒは弾かれたように振り返り、そいつから距離を取って剣を構えた。
「貴様……メルジーネ!」
どうやらあの無駄にセクシーなお姉さんが魔王軍第四師団の師団長、メルジーネらしい。
透き通るような水色の長い髪に、目を奪われること必至の豊かな双丘――
なにがすごいって、その露出過多な出で立ちだ。
面積の小さな黒い布が、かろうじて大事な部分を隠している。
なんというか……そう、きわどい水着姿みたいな感じ。
メルジーネは剣を向けるウルリッヒには目もくれず、ジッと俺を見据えて妖艶な笑みを浮かべている。
「うふふ、こんにちは、シロウちゃん」
あれ、もしかして俺のこと知られてる?




