第二十九話 黒き剣聖
早朝にセクンドゥムを発ってから数時間、俺たちはテルティウス平原に到着した。
平原には、すでにオリエンス騎士団が幾つもの天幕などを張り、野営地を築いていた。
準備がいいなー、と感心していたら……
「どういうことだ、これは……」
先頭を歩いていたイングさんが、疑問の声を上げる。
「先行部隊がいるなど、私は聞いていないぞ……それにあの隊旗……よりにもよって『あいつ』か」
天幕のてっぺんで風に揺れる旗のひとつを見上げながら、イングさんは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「どういうことですか?」
「さてな、どういうわけか今さら王都から手柄泥棒……もとい、増援が来たらしい」
盛大に溜息をついて、イングさんはかぶりを振る。
「はぁ、帰りたい……」
「えぇっ!?」
なんなんだ。さっき言ってた『あいつ』とかいうのが、そんなに嫌なんだろうか。
「……シロウ、野営地に入る前にこれに着替えたほうがいいかもしれない」
イングさんが俺に、大きな袋を手渡してくる。
「なんですか、これ」
俺は受け取った袋を開き、中を覗き込む。
「あ、これ……でもなんで?」
「一応、念のためだ。お前の存在が他の者に知れたら、面倒なことになるかもしれないからな」
「というと?」
「私のように転生者に友好的な人間ばかりではない、ということさ」
なるほど。まぁ、たしかにそうなのかもしれない。
昨夜に読んだ本の中にも、転生者を憎む人とか出てきたもんなぁ。
俺が手渡された『それ』を身に着けるのを待ってから、イングリット隊は野営地へと足を踏み入れた。
◆
野営地に入った俺たちを出迎えたのは、黒い全身鎧を着た騎士だった。
サラリとした鈍色の髪に、白い肌と端正な顔立ち――背も高く、美丈夫って言葉がよく似合う。なんかムカつくな。
いや、イケメンだからってだけじゃない。
黒い騎士がこっちを見る目つきが気に入らなかった。
なんというか……小馬鹿にしているような感じ。
「ようやくのお出ましか、イングリット?」
黒い騎士が不遜な態度で口を開く。
あ。駄目だ、こいつ。
間違いなく好きになれないタイプだ。
「ウルリッヒ、貴様また手柄の横取りに参上したのか? 必死だな」
睨み合うイングさんと、黒い騎士――ウルリッヒの間に、火花が散ったように見えた。
うん。二人の関係性は、なんとなく理解できたような気がする。
周りにいる騎士たちも、レオナもリーゼも、「また始まったよ」みたいな空気だし。
「なんとでも言え。俺は貴様と違って、上の連中に色気を振り撒くなどできないんでな。出世するには戦場で手柄を立てるしかない」
「私は色気なんて振り撒いていないが……お前の容姿ならできるんじゃないか? 男色家のひとりやふたり、お偉方にもいるだろう」
なんか不穏な会話してるぞ、大丈夫か。
「貴様……まあいい、状況を説明してやる」
ついてこい、とウルリッヒは野営地の奥にズカズカと歩いていった。
「はぁ……ちょっと行ってくる。お前たちは私が戻るまで待機していてくれ」
「隊長、あんまり派手に喧嘩しないようにね」
レオナがイングさんに釘を刺す。
「そうですよ、この前みたいに剣まで抜くような事態は駄目ですからね」
リーゼが子供に言い聞かせるような口調で、そう付け加えた。
剣まで抜くようなって……どんな状況だよ。
「善処しよう」
なんとも複雑な表情で、イングさんはウルリッヒの後を追っていった。
ふぅ、と俺は一息吐く。
どうやらウルリッヒは、俺のことを気にも留めなかったっぽい。
それもそのはず。
今の俺はどこからどう見ても、イングリット隊の一隊員にすぎないからだ。
俺は野営地に入る前、イングさんから手渡された騎士団の装備――他の隊員たちが纏っているのと同じ軽鎧――を身につけている。
イングさんによれば、ウルリッヒは大の転生者嫌いらしい。理由までは教えてもらわなかったけど。
そんなやつに俺の素性が知られたら、なにかと面倒くさそうだ。
とりあえず、なんとか誤魔化せたっぽいけど、いざ戦いになったらどうだろうな……。
まぁ、なるようになるか。
大人しく待機していよう。
野営地は、戦闘の準備で慌ただしい雰囲気と緊張感に包まれている。
魔王軍第四師団は、もうすぐそこまで迫ってきているらしい、と騎士同士の会話が聞こえてきた。
……駄目だ。大人しく待機とか眠くなる。せめて、なにか会話でもしとかないと。
「なぁ、なんでイングさんとあのウルリッヒとかいうやつ、あんなに仲が悪そうなんだ?」
俺は隣にいるリーゼとレオナに、そんな話題を振ってみた。
「仲が悪いというか、ウルリッヒ隊長がイングリット隊長を一方的に目の敵にしているんですよね」
「そーそー、なんか昔から勝手に対抗意識を燃やしちゃってるみたいよ」
「ふーん、そりゃなんでまた?」
レオナとリーゼが揃って首を捻る。
「詳しくは、あたしたちも知らない。けど、ウチの隊長が平民の出……それも女の身で、貴族出身の黒き剣聖サマより早く隊長に就任したのが気に喰わないんじゃない?」
「黒き剣聖?」
「ウルリッヒ隊長の異名ですよ」
リーゼが教えてくれる。
ああ、黒い鎧だったもんな。てか、そのまんまじゃん。
要するに嫉妬か。たしかにプライド高そうな顔していたけど。
「わたしが聞いた話では、騎士学校のころからなにかしら因縁があるそうですけれど……」
「案外、昔は恋仲だった――とかだったりしてね」
レオナがにしし、と笑う。
いやぁ……むしろありそうなのは、あのウルリッヒがイングさんに一方通行って線じゃないだろうか。
「どうでもいいけどシロウ、あんたなんで騎士の格好してんのよ?」
「あ、それはわたしも気になってました」
「いや、これはあれだ。郷に入っては郷に従え、みたいな?」
「は? なによそれ?」
「でもシロウ、よく似合ってますよ」
ニコニコと、リーゼが褒めてくれる。
喜んでいいのかよくわからんが……。
「わー。おにいちゃん、騎士だー。かっこいいね」
青みがかった髪の少女――義妹が、俺の眼前でぴょんぴょんと嬉しそうに跳ねる。
「そうか? いや照れるな……」
――いや、ちょっと待て。
「おま、なん、なんでここに!?」
「ちょっとシロウ、この子どうして!?」
「ギルドに預けてきたんじゃないんですか!?」
レオナとリーゼ、両サイドから詰め寄られる。
「い、いや、むしろ俺が訊きたいんだけど……」
「どーしたの、おにいちゃん」
義妹は不思議そうに目を瞬かせた。
だから不思議なのはこっちだ。
「ていうか『おにいちゃん』ってなによ、『おにいちゃん』って」
「そこはわたしも気になりました」
「待て、とりあえず落ち着こう。問題はそこじゃないだろ」
レオナとリーゼの詰問を強引に振り切る。
そう。今、問題なのはどうして義妹がこの場所にいるかだ。
決して、赤の他人の女の子に『おにいちゃん』とか呼ばせてるというアレに対しての弁解とかが面倒だから、強引に話題を変えたわけじゃないぞ。
「お前、どうやってここに来たんだ?」
「え? おにいちゃんのにおいを追いかけてきただけだよ?」
なんでもない風に、義妹が答える。
匂いを追ってきたって、野生児かよ。すごいな。
「なんで来ちゃったんだよ。待っててくれって言っただろ?」
「だって……」
義妹は涙声で俯く。
「……さみし、かったから」
おおう。やばい。
今にも泣き出してしまいそうだ。
てか、周囲の騎士たちに注目されはじめてるし。まずいな。
「と、とりあえず、あっち行こうか」
俺は義妹の手を取り、近くにあった天幕の裏に逃げ込んだ。レオナとリーゼも、俺たちについてくる。
よし、ここなら注目を集めずに済みそうだ。
「どうするのよシロウ、もうじきここは戦場になるのよ?」
「わかってるよ」
くそ、どうすりゃいいんだ?
困り果てたそのとき――
――ピィィィィッ!
甲高い笛のような音が、遠くから聞こえてきた。
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