第二十五話 すっかり忘れていたこと
朝。セクンドゥムの宿屋にて、俺は目を覚ました。
相変わらずスキルのせいで、周囲の状況を知覚しながらの睡眠なのだが……
ぶっちゃけ少し慣れてきてしまった。
ベッドから下りて、部屋の窓を開ける。
すると、風に乗って濃密な潮の香りが流れ込んできた。
セクンドゥムは港街だ。当然だけど、すぐ近くに海がある。
そうだ。まだ港のほうには行ってないっけ。
昨日はレオナに付き合って、街の外にある洞窟に行っていたし。
よし、今日はちょっと港にでも行ってみようかな。海を見るのも悪くない。
そうと決まれば、とりあえず朝飯でも食おう。
そういや、せっかくの港街なのに、まだ魚料理を食べてない。
これはもう、なにか魚料理を頼むしかないな。完全に魚の口になってる。
さっさと身支度を済ませ、部屋を出ようとしたときだった。
コンコン、と控えめに扉がノックされる。
はて、誰だろう?
俺は錠を外し、扉を開いた。
「お、おはようございます、シロウ」
部屋の前に立っていたのは、なぜか緊張した面持ちのリーゼだった。
◆
リーゼを部屋に招き入れ、部屋の椅子に座ってもらう。
小さなテーブルを挟んだ向かい側ある椅子に、俺も腰を下ろした。
「で、どうしたんだよ、こんな朝早くに」
「実は今日一日、お休みをもらったので……」
リーゼはサラリと流れる金の髪を指で弄りながら、遠慮がちに俺の顔を伺う。
ふむ、休みか。
俺は正面に座るリーゼの格好を眺める。
「そのわりには、鎧とか着てるけど……」
しっかり細剣も持ってきてるし。
「こ、これはその……いつなにがあってもいいようにと。いくら休養日とはいえ、わたしは騎士ですから」
なるほど。
さすがリーゼ、さすが姫騎士である。
「……そ、そのようなことは、どうでもよくてっ」
「うん?」
なんかリーゼ、様子が変だな。
「実はその、今日はシロウとの約束を果たしに来たんですっ!」
リーゼが椅子から腰を浮かし、ずいっと身を乗り出してくる。
「……俺との約束を?」
「はい、そうです」
リーゼは決然とした表情で、首を縦に振る。
……んん? 俺、リーゼと約束なんてしていたっけ?
異世界に来てからの記憶を辿ってみるが、ピンとくるものはない。
そんな俺の様子を見たリーゼは、やや表情を曇らせながら椅子に座り直した。
「もしかしてシロウ……覚えていませんか?」
リーゼは眉を下げ、上目遣いで俺を見てくる。
かっ――
かわええええええ!
え、なんだこれ!
潤んだ碧眼が、俺を捉えて離さないんですけど!
というか、心が痛い!
俺はこんな可憐な少女との約束を忘れてしまったのかよ!
「お、俺は最低のクズだ! すまない!」
俺はテーブルに拳を叩きつける。
「シ、シロウ……?」
「リーゼとの約束を忘れてしまうなんて……俺なんか死んでしまったほうがいい!」
「な、なにもそこまで……落ち着いてください」
「な、なんて優しいんだ! 女神! どっかの誰かより、よっぽど女神だ!」
「……シロウ、なんだか勢いで誤魔化そうとしていませんか?」
う。バレたか。
いや、リーゼの可愛さに興奮したのは本当だよ?
「ごめんなさい、覚えてません」
俺は素直に謝った。
「……まぁ、約束と言っても、わたしから一方的にしたものですから」
しょうがないですよ、とリーゼは苦笑する。
「ほら、初めて会ったときにわたし、危ないところをシロウに助けてもらったじゃないですか。あのとき『お礼がしたいからまた会いましょう』って言ったの、覚えていませんか?」
「そういえば……」
別れ際にそんなことを言われたような気がするな。
「そのあと再会して……だけど結局、まだシロウにお礼ができていないなと」
まぁ、今日までなんだかんだゴタゴタしてたからなー。すっかり忘れていた。
「ですからわたし、今日こそはシロウにきちんとお礼をしようと思って」
わざわざ朝から、はりきって来てくれたわけか。
健気というか、律儀というか。
なんにせよ、俺はリーゼの気持ちが嬉しかった。
「それでシロウ」
「ん?」
「どんなお礼がいいですか?」
リーゼはまっすぐな瞳で、俺にそう問いかける。
えぇ、そこ俺に訊いちゃうの?
まさかのノープランだったの?
「いや、いきなり言われてもな……」
パッとは思いつかない。
「やっぱり、そうですよね……」
リーゼは肩を落とす。
「うーん……」
俺は腕を組んで、必死に考えてみた。
が、やっぱりいい案は浮かばない。
「というか、別にお礼なんて気にしなくてもいいんだぞ?」
「それは駄目です!」
きっぱりとリーゼが言う。
「命を助けてもらった相手に対して恩を返さないだなんて、ヴァイスハント家の恥です! それに、わたし自身が許せません!」
「は、はぁ……」
なんかリーゼって、変なところで頑固だな。
許せませんと仰られても、考えつかないものは考えつかないんだけど……。
「昨夜、どんなお礼がいいのかと、人に助言を求めてはみたのですが……」
「一応訊くけど、誰に?」
「イングリット隊長と、レオナです」
やっぱりか。
「それで、どんな助言をもらったんだ?」
「イングリット隊長は……その……」
なぜかそこでリーゼは顔を真っ赤にして俯き、身体をモジモジと動かす。
「シロウには、肌のひとつでも見せてやれば喜ぶだろうと……」
なんじゃそりゃ。
いやリーゼはオブラートに包んで『肌』とか表現してるけど……イングさんはきっともっと直接的な言葉を使ったに違いない。
まったく、どんなアドバイスだよ。
あの人、俺をなんだと思っているんだ?
いやまぁ、実際リーゼがそんなことしてくれたら喜ぶけどもさ。俺だって男だ。
「シ、シロウは見たい……ですか?」
「見たいです」
「えっ!?」
「ごめん、今のなし。そういうのは却下却下、断固として却下で」
「そう、ですよね」
リーゼは安心したよう胸を撫で下ろす。
「じゃあえっと、レオナはどんな助言を?」
「レオナは、手料理でも振る舞ったらどうかと」
「おお、それいいじゃん」
もっと突飛なことを考えるかと思ったらレオナのやつ、意外とまともな意見じゃないか。
「ええ、ですが……」
どうしてかリーゼは浮かない顔をしている。
「なに、なんか不味いの?」
「はい、そうです……不味いんです」
「え?」
「ですから、わたしの料理……ものすごく不味いんです……」
あー……そういうアレか。
「そ、そんなに?」
やけに深刻な口調で喋るリーゼに、俺はおそるおそる訊ねる。
「はい……以前に食べてくれた人が、三日ほど寝込みました」
「お、おおう」
それはまたなんというか……凄絶だな。
つーかレオナのやつ、それを知ってて料理とか提案したんじゃないだろうな。
「そんなわけで結局、事前にはなにも決まらず……こうなったらシロウ本人に決めてもらおうと思ったんですが……ごめんなさい」
「いや、俺こそ気を遣わせちゃって悪い」
二人して頭を下げ合う。
うーん、困ったな。
なんか欲しいものとか、したいことないのかよ、俺は。
……ないな。
「……とりあえず」
「はい?」
「一緒に街をぶらぶらしてみよう」
俺は苦し紛れに、そんな提案をした。
「いやほら、途中でなにか思い浮かぶかもしれないし」
「わかりました、行きましょう」
すっと椅子から立ち上がるリーゼ。あれ、なんかちょっと乗り気だな。
「あ……その前に、朝飯食べてもいい?」
「はい、もちろん」
リーゼが柔らかく微笑む。
さて、リーゼからのお礼か……本気でなにがいいだろう。
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