第九話 思わぬ危機
ドラゴンの上げた咆哮が、大気を震わせる。
「でっか……」
巨大な、黒いドラゴンだった。
リーゼさんたちが倒したやつの、軽く五倍は大きい。全長五〇メートル以上はある。
「もう一匹いたの!?」
赤髪の女騎士が声を荒げる。
「レオナ、いつからドラゴンが一匹だけだと錯覚していた?」
「おかしなこと言ってる場合じゃないでしょ、イングリット隊長! っていうか、貴女気づいてたの!?」
「いいや、言ってみただけだ」
「ふざけんな! どうすんのよ、あれ!」
赤髪の女騎士は、レオナという名前らしい。
彼女が巨竜を指さしながら、ショートボブの女騎士――イングリット隊長に詰め寄る。
「ふむ」
イングリット隊長は口元に手を当て考える。
「さすがにあれは洒落にならんな。かといって負傷者を置いて逃げるわけにもいくまい」
イングリット隊長は剣と盾を構え、進み出る。
「私が時間を稼ごう。リーゼは負傷者の治癒を。レオナは退避の誘導を頼む」
「りょ、了解!」
「わかったわ!」
あれ……なんか俺、忘れ去られてない?
「あっそうだ、シロウ……」
リーゼさんが俺に視線を向け、ぴたりと動きを止める。
なんだ?
「に、逃げて! ドラゴンが……っ!」
リーゼさんが声を張り上げる。
何事かとドラゴンに目をやると、巨大な竜はその大口を開き、思いきり息を吸い込んでいる最中だった。
あ、これってもしかして――
「まずいぞ、息吹がくる! おいそこの少年! 早くドラゴンから離れるんだ! 死ぬぞっ!」
イングリット隊長が警告するが、俺は動かなかった。
今、俺がドラゴンから離れたら、誰がやつの息吹を防ぐんだ?
イングリット隊長にリーゼさん、レオナという女騎士は自力で退避できるだろう。
だがそれ以外の負傷した騎士たちは、確実に犠牲になってしまう。
それはなんというか、とてつもなく夢見が悪そうだ。
「たぶん平気なんで、お構いなくー!」
「なっ、なんだと!? バカを言うな! いいから逃げるんだ!」
「ちょっと、なんなのよあいつ……死にたいの?」
「シ、シロウ……」
イングリット隊長は、なおも逃げるように言う。
レオナは、なにか変な生物でも眺めるかのような眼差しを俺に向けていた。
リーゼさんは、俺の名を口にするだけ。
おそらくリーゼさんは予感、あるいは期待しているのかもしれない。
もしかしたら、なんとかなるんじゃないか――と。
あの中で彼女だけは、俺の力を知っているから。
よし。その期待に全力で応えようじゃないか。
――するうち、ドラゴンはたっぷりと吸い込んだ息を一気に吐き出した。
巨竜の口から放たれたのは、爆炎の息吹。
空気が焼け焦げ、爆ぜる音が轟く。
不幸中の幸いというか、爆炎の息吹は広範囲に放射されるような類ではなく、一点集中で標的だけを狙う代物だった。
標的……つまりは俺である。
猛然と迫る灼熱の塊を、俺は両手を突き出して受け止めた。
「あっづ! いだだ!」
さすがに、手のひらに痛みと熱を感じる。
異世界に来て、身体的な痛さを覚えたのは初めてだった。
だが、それだけだ。
やがてドラゴンの息吹は徐々に勢いを弱め、ついには途切れた。
「いちち……さ、さすがにちょっとダメージがあるみたいだな……」
両手を確認すると、軽く火傷を負っている。
「う、嘘……なによ、あいつ……なんでドラゴンの息吹を生身で防いでんの!? ありえないでしょ!」
「あの少年……まさか……?」
レオナとイングリット隊長が、それぞれそんなリアクションをする。
「二人とも、もしかしたら驚くのはここからかもしれません」
と、リーゼさん。かく言う彼女も、信じられないといった面持ちだが。
「よっしゃ、反撃開始だ」
俺は眠ろうと目を閉じる。
ところが――
「気をつけてシロウ!」
リーゼさんの鋭い声が飛んできた。
俺はなかば反射的に目を見開く。
「げっ」
ドラゴンが再び大口を開いていた。
またぞろ息吹を吐き出すのかと、俺は身構える。
しかし巨竜の口から放たれたのは別のものだった。
――火球だ。
体育祭の大玉転がしで使う玉ほどの巨大な火球を複数個、俺を狙って発射しやがった。
「おわわわわっ!」
防御態勢を取り、火球を受け止める。
「くっ!」
息吹ほどのダメージはないが、衝撃がすごい。
しかも、すべて受けきったと思ったそばから次々と吐き出してきやがる!
まずい……寝られない。
どんな状況でも俺は五秒で寝られるとキッパリ言ったけど……スマンありゃ嘘だった。
いや、さすがにこんな状況じゃ無理だって。
困った……こいつは思わぬ弱点だぞ。
こんなことなら、さっさとスキルを発動させておけばよかった。
眠りに入る隙はいくらでもあったのに。
さて……どうする?
どういう理屈か知らないけど、俺の攻撃は〈眠る強者〉を発動させない限り、相手にまったく通じない。このままじゃ、ドラゴンを倒すことは不可能だ。
ドラゴンの体力が尽きるまで、ひたすら防戦し続けるか?
無茶だ。息吹ほどじゃないが、火球も俺にダメージを与えている。
このままじゃ、いずれ限界が訪れるだろう。だが、避けることはできない。
俺がドラゴンの攻撃を避ければ、騎士たちに被害が及ぶ。
それならいっそ……
「リーゼさん! リーゼさんたちは今のうちに逃げてください!」
「シロウ、なにを!?」
「ドラゴンは俺が引きつけとくんで、負傷者とか連れて退避してください!」
リーゼさんは、ふるふると首を横に振った。
「そんなことできません!」
「まったくだな。ひとりで格好つけるな、シロウとやら」
「ま、ここで逃げたら騎士じゃないわよね」
三人の女騎士は逃げるどころか、逆に俺とドラゴンのそばまで近づいてきてしまった。
「シロウ、眠ることができればいいんでしょう?」
リーゼさんが俺に問いかける。
「そ、そうですけど……」
「は? なによそれ?」
レオナが怪訝そうな表情を浮かべる。まぁ、そりゃそうだよな。
「……よくわからんが、要はドラゴンの注意をシロウ殿から逸らせればいいのだろう?」
イングリット隊長が不適に笑う。
「まかせておけ。リーゼ、レオナ、援護を頼む」
「了解です」
「はいはーい」
おいおい……なにが始まるんだ?
「行きます……」
リーゼさんが瞳を閉じ、イングリット隊長に手をかざす。
「光の精霊よ、我にその力を……身体強化!」
おおっ、リーゼさんの手から光がほとばしり、イングリット隊長を包み込んだ?
もしかして今の、魔法か?
「今度はあたしね」
次はレオナがイングリット隊長に手をさし向ける。
「火の精霊よ、我にその力を! 火炎耐性!」
レオナの手から発生した赤い光が、さきほど同様イングリット隊長を包む。
「うむ、これでいいだろう……さて、次は私だ」
イングリット隊長は手にした剣を高く掲げた。
「雷の精霊よ、我に力を――魔法剣!」
イングリット隊長の剣に青白い雷光が宿る。
「はっ!」
剣と盾を構えたイングリット隊長は石畳を蹴り、上空高くへと跳躍した。
「だああああっ!」
イングリット隊長が稲光の宿った剣で、ドラゴンの顔面を斬りつける。
いまいちダメージはないのか、ドラゴンの巨体は小揺るぎもしない。
しかし、俺への攻撃は止んだ――
ドラゴンは標的をイングリット隊長に変え、口から火球を吐き出す。
巨大な火球を、イングリット隊長は左手の赤く輝く円盾だけで防いでみせた。
「くっ……シロウとやら、なにをするのか知らんが早くしてくれ! 長くは持たん!」
「あ、ああっ、はい!」
俺は慌てて瞼を閉じる。
そして五秒きっかり。
俺はようやく眠りに落ち、スキルが発動された。
すぐさま弾丸のように駆け出し、巨竜の懐に潜り込む。
そのどてっ腹に、俺は渾身のアッパーをお見舞いしてやった。
ドラゴンの巨躯が、宙に浮かび上がる。
「い――ってええええ!」
なんとなく柔らかそうだから、という先入観で腹部を攻撃したのだが……とんでもない。めちゃくちゃ硬かった。こっちの拳も痛い。
ドラゴンはというと……上空で翼を広げ、体勢を立て直していた。
「くそ、ダメだ……」
効いてないわけじゃないはず。
ただの殴る蹴るの物理攻撃じゃ、単純に威力が足りないんだ。
もっと、あの巨体を一瞬で屠れるような攻撃を――
「なんかないのかよ、もっとこう必殺技的なチートは!」
そう発した瞬間、俺の頭でなにかが弾けた。
〈神魔法〉
その名の通り、神が振るう紛うことなき奇跡の力。
初級……手に込めたオーラを適当にぶっ放してみよう。
「またこれか……」
あのボクッ娘女神の適当なスキル説明だ。
「やってみるしかないか」
オーラってのはきっと、スキル発動中に俺が全身から出してるっていう光だよな?
俺は拳を握り、そこへオーラを集中させるようにイメージする。
お、おお、なんかできた。
俺の右拳に今、ものすごい力が渦巻いている。
ドラゴンがそれを察知したのか、急に俺へ向かって砲声を放った。
それから大きく息を吸い込み、灼熱の息吹を吐き出す。
空から俺へと降り注ぐ火炎。
俺は右拳を突き出し、女神の説明通り手に込めたオーラをぶっ放した。
――光の柱が立ち昇る。
俺が放ったオーラは柱となって火炎を呑み込んだ。
そして、そのままドラゴンの巨体すらも覆い尽くす。
やがて閃光が止んだあと……
上空にいたはずのドラゴンは、跡形もなく消え去っていた。




