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とある甘いだけの砂糖漬けの様な話

作者:
掲載日:2015/10/14

 煙草の臭いは嫌いだ。

 悪戯に鼻孔を刺激する異臭は勿論、後々まで尾を引く残り香も好きではない。

 全身を臭いと言う真綿でくるまれ、緩やかに締め付けられるようなあの感覚は、何度味わってもなれることができない。

 そしてなにより、煙草を吸っているときのあの人――ご主人の姿が、何とも言えず切なくて、吹けば消えそうなほど儚くて……それが何よりも嫌いだった。

 だから私は煙草が嫌いだ。


「ご主人はどうして煙草を吸うんですか?」

 煙草の先を赤く照らしながら、煙を吹き入れる男――神崎を見つめつつ、妖精の少女はそう問いかけた。

「なんでって……まぁ、改めて聞かれると困るが、まぁ、そうだなぁ」

 肺をくぐらせて尚薄れることのない濃煙を吐き出しながら、神崎は物憂げに空を見つめてそう答えた。

「『まぁ、そうだなぁ』じゃないですよ、それで納得できると思ってるんですか?」

 少し声色を荒げながら、ムッとした表情で妖精の少女――天枷は問いかけを緩めない。

「いぃや、全然。それで納得されたらむしろ俺が驚いちまう」

 おどけた様な含み笑い。それが天枷の苛立ちに拍車をかける。

「だったらちゃんと答えてくださいよ!」

「いや、わりぃわいぃ。ただ、改めてどうしてと聞かれると中々難しくてな」

 悪びれる気配もなく、赤々とした火種に息を吹き込み、神崎は喫煙を満喫する。

「ご主人、前に私が言ったこと、ちゃんと覚えてますか?」

「んー、あぁなんだっけか?」

 空を見上げる神崎の先で、煙が溶けて消えていく。

「ご主人!」

「うおっ!?」

 天枷の一喝と共に、神崎が加えていた煙草が炎に包まれ、一瞬の後に灰塵と化した。

 寸での所で煙草をふき出していなければ、神崎の口内は無事で済まなかっただろう。

 何が起きたか神崎の理解が追いつかなかったのは瞬間だけで、すぐに何が起きたかを把握できた。

「さすがに俺も口の中を焼かれちゃ無事じゃすまないと思うが?」

 神崎は焼失の犯人たる天枷の方に向き直り、ため息交じりに小さな苦情を受け渡す。

「ご主人がちゃんと話を聞かないのが悪いです。人と話をするときは?」

 天枷の右手には炎がまとわりつき、煌々とした明るさを放っている。火を象徴とする妖精である天枷は、その象徴たる炎を操り、神崎の加えていた煙草を焼き払っていた。

「ちゃんと相手の目を見る、か。悪かったよ」

 頭を垂れる代わりに、神崎は一度大きくゆっくりと瞼を降ろして謝罪を告げた。

「分かってるんだったら初めからそうしてください」

 右手を振り、炎をかき消しながら天枷はやれやれといった様子だ。

 天枷と神崎の付き合いは長く、このやり取りももう何度目か分からないほどだ。

「大体、ご主人はいつも身勝手なんですよ。煙草だって、私はいやだって言っているのに……ってちょっと聞いてますか!?」

「おぅひぃてるひぃてる」

 胸ポケットから取り出した新たな煙草を咥えつつ、神崎は天枷に片手間な返事を送る。

「もうっ!」

 轟と音がしそうな程の猛火が神崎の煙草を包みこむ。

 まるで怒りを主張するかの如く鉄火に染まった長髪を揺らめかせ、天枷は神崎を睨みつける。

 空気が震え、熱波が辺りを駆け走る。

 怒りに握りしめた両拳からも、紅炎の如き火の欠片が噴き出ては消えていく。今の天枷を見るに、妖精ではなくまるで太陽の化身の様。

 幼子程の身長でありながらも、放つ威圧感は年を重ねた大の大人をも遥かに凌ぐほどである。

「いい加減にしないと怒りますよ?」

「もう怒ってるだろ?」

「えぇ怒ってますよ!ご主人が私の話を真面目に聞いてくれませんからね!」

 飄々とする神崎に対し、天枷は怒髪天をつくである。

「真面目に聞いてるつもりなんだが」

 バツが悪そうに頭をかきながら、神崎は天枷へと距離を縮める。

 対する天枷は、下唇を小さくかみしめながら敵意剥き出し。ふき出す紅炎も勢いをまし、その様相たるや紅蓮地獄の番人のごとく。

「まったく、何をそんなに怒っているんだか」

 呆れるような、それでいて子供をあやすような微笑。

「ほら、そんなに拗ねんなよ」

 怒りを露わに飛び回る炎を意にも介さず、神崎は言葉とともにその手を天枷の頭に乗せる。

 ジッと小さく音をたてながら服が焦げ落ちるが、神崎はそのまま天枷の頭を髪をすくように優しくなでる。

「俺がお前のこと大事にしなかったことなんて、今まで一度でもあったか?」

 されるがままの天枷は、少しの俯き顔を伏せたまま。しかし、少しの間の後に小さく首を横に振る。

「悪かった」

 吹き出していた火炎はその勢いを弱め、なびき上がる長髪も静かに重力に従うことを決める。

 先ほどまでの様相は瞬く間に消え去り、そこに残るは静かに俯き立つ天枷のみ。

「……ご主人は、ずるいです」

 誰にともなく呟くそれは、しかし神崎の耳には確かに届いていた様。

「好きな奴には……ん、意地悪したくなるもんだ」

 撫でる手を止めることなく、神崎は胸元から煙草を取り出し今一度くわえる。

「ほら、天枷」

 乗せた手をそのままに、クッと天枷の頭を持ち上げ、神崎は自分を見上げさせる。

「煙草は、嫌いです」

 頬を少し膨らませ、天枷はそっぽを向いて否定を示す。

「頼むよ」

「もう、最後ですよ」

 刹那、煙草の先に小さな炎が灯り、赤々とその存在の主張を始める。

 空に煙が上っては溶け、燻すような臭いが辺りに広がり、二人の鼻孔を刺激する。

 静かに時だけが流れていく。

「ご主人」

「ん?」

「ご主人はどうして煙草を吸うんですか?」

 神崎の目をまっすぐに見つめながら、天枷は今一度問いかける。

 その双眸は穏やかではない、静かに揺れる波のごとく、今にも泣きだしそうな潤いを帯びている。

 妖精の少女は知っていた……妖精である自分よりも、主である人間は遥かに寿命が短い。決別の日は遠くない未来に必ずやってくる。少しでも同じ時を刻みたいのに、主は自ら寿命を削る。

 それがただただ寂しくて。

 いつか居なくなってしまう存在……しかしいつまでも離したくない存在。

 その時を考えるほどに、天枷の心は万の針に刺されるがごとく、幾重の糸に縛られ締め付けられるがごとく切なく、痛みを刻み込む。

「どうして、か……」

 加えた煙草を手に持ち、静かに見つめながら神崎は物思う。

 少しの間の後、神崎は持った煙草を地面に手離し、足先で灯をすり消す。

「天枷はどうして煙草が嫌いなんだ?」

 消えてなお煙を上げる煙草を見ながら、神崎は天枷に問う。

「どうしてって、体に悪いです。その、ご主人たち人間は私たち妖精と違って寿命も長くないですし……」

「まぁ、そうだな」

「分かってるんだったらやめてくださいよ」

 ぶっきらぼうに答える神崎に、天枷は内心複雑である。

 付き合いは長く、神崎が物心ついたときからずっと苦楽を共にしてきた。

 自分は神崎と暮らす日々が好きだった。こんなやり取りも、何でもないような日常も、神崎と過ごせる時間が何であれ好きだった。しかし、神崎は違うのだろうか。

 不意打ちのような優しさを自分に向けてくれることもある、でもそれはまるで子供をあやす親のソレである。

 神崎は自分のことをどう思っているのか……ただただいつも隣にいる存在としてだけ自分を認識しているのだろうか。

 そう思う度、何とも言えない気持ちが天枷の心を支配していた。

 苛立ちのような、切なさのような、子供扱いをされた大人が抱くそれに似た感情。

「ご主人は――」

 言おうとして、天枷は言葉を飲み込む。

 今、何を聞けばいいのか。

 出ようとしたその言葉は“私のことどう思ってますか”。

 しかしそれを聞いて何だというのだ。

 ただ同じ時を刻みたいのであれば、その問いかけは違う。なぜそんな答えを求めるのか。

「天枷」

 自分を呼ぶ声。

 それはいつもと何も変わらない声、そう何も変わらない神崎の声。

 天枷は声の主の方を向く。

「ほら」

 そう言って神崎は子供っぽい微笑で、両の手を天枷に向けて差し出した。

 それが何を求めてのものか、天枷はすぐに分かった。

 あぁ、やっぱりこの人は意地悪だ。

 何も考えずに、何の意図も無しに、こういう優しさを振りまいてくる。

「おいで、天枷」

 優しい声、差し出された手に、自分に向けられた笑顔。

 心の中で、途切れていた糸が結ばれた。

 天枷は思う。

 あぁ、そうか。私が煙草が嫌いな理由、この人のことを思う度に感じることの気持ちは……この人と過ごす時じゃない、この人が――ご主人が好きなんだと。

「もう、子供扱いしないでくださいよ」

 呆れた様な、はにかむ様な、そんな照れ笑いと一緒に、天枷は神崎にそっと体重を預けた。

「そんなつもりはないんだけどな」

 そういって神崎は天枷の頭をなでる。

 優しく、愛でるように自分の髪を流す手を感じながら、天枷は静かに目を閉じた。

「ご主人は意地悪です」

「ん、そうか?」

 目を閉じた天枷の鼻孔をくすぐるのは、いつものあの臭い。

 嫌いなはずの煙草の臭いも、今は神崎そのもののようで、なんだか嬉しく、天枷は改めて神崎に身を任せる。

「煙草を吸ってる理由だけどな」

 両腕で天枷を抱きながら、神崎はポツリとつぶやくように言葉を押し出す。

 天枷が顔を上げ神崎を見ると、なんだかその表情は少し赤らみ、珍しく照れている様だ。

 視線も天枷に合わせず、宙をさまよい歩いている。

「理由だけど?」

 天枷はじっと神崎を見つめる。

 神崎は少し虚空を眺め、意を決すように天枷に視線を戻し、その長髪に顔を浅くうずめながら言うのだ。

「天枷からも煙草の臭いがする」

「それはご主人のせいでしょう?」

 されるがままになりながら、天枷も言葉を返す。

 しかし、それを意に介さず神崎は言葉を紡ぐ。

「こうしておけば、さ、これから先、もし天枷がいなくなっても、煙草の臭いで天枷のこと思い出せるだろ?」

 嗅覚を刺激する、煙草の独特の臭いに包まれた天枷の存在に神崎は酔っていた。

 今、確かに腕の中にある天枷の存在。

「……馬鹿ですね、ご主人は」

 天枷もまた、自分を包む神崎の存在に酔っていた。

 あわよくばこの時が永遠であれ、そう思うほどに天枷は満たされた気持であった。

 そして、それを言葉にして神崎に受け渡す。

「私はどこにも行きませんよ。ずっと、ご主人の傍にいますよ」

 言いながら天枷も神崎の背中に手を回し、つなぐように抱きしめる。

「あぁ、俺もだ」

 それに応えるように、神崎も天枷に回した手の力を少し強める。

 神崎の温もりを感じながら、天枷は、そして神崎は思う。

 あぁ、きっと想う気持ちは同じだ。

「天枷」

 顔を離し、見下ろす形で天枷を見る。

「ご主人」

 天枷もそれに応える様に、見上げる形で神崎を見る。

 二人が互いを思うはほぼ等しく、もはやそれは言葉に出すまでもなく、しかし言葉にせずにはいられない。

 潤んで揺れる双眸と、少し上気した頬がやけに扇情的に映って見えた。

 神崎は天枷の見上げる顔を見つめ、確認するように言葉を紡ぐ。

「好きだ、天枷」

「ん、私もです、ご主人」

 天枷はゆっくりとうなずき、これ以上の無粋な言葉の代わりにゆっくりと目を閉じる。

 神崎もその意図に築かぬほどの鈍感ではない。

 天枷の気持ちを映してか、辺りの空気が温かくなり、ぼぅと明るい光を放っている。天枷の長髪は緩やかになびき、赤熱したような輝きを持ち始めている。

神崎はもう一度天枷の頭を撫で、撫でた手をそのままに天枷の顔を自分に近づけ――。

「天枷」

 もう一度名前を呼んで、そっと唇を重ねた。


煙草の臭いは嫌いだ。

悪戯に鼻孔を刺激する異臭は勿論、後々まで尾を引く残り香も好きではない。

全身を臭いと言う真綿でくるまれ、緩やかに締め付けられるようなあの感覚は、何度味わってもなれることができない。

でも、今はその感覚すらも愛おしいと思えている自分がいる。

 煙草の臭いは、大好きなあの人のことを思い出させてくれる。

 どんなに離れていても、時間や場所が違っても、この臭いは私とあの人をつないでくれる。

 でも、だからこそこの臭いは、私の気持ちを駆り立て、会いたくさせてくる。

煙草の臭いは嫌いだ。



今回は甘いだけの話です。この話を読んで、甘い!と思っていただければ本望です。

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