愛と罰〈フォレスター氏の告白〉
薔薇のトンネルが続く道を僕は少し緊張して歩いた。
このトンネルを抜けて、小さなテラスへ出ればフォレスター氏が待っているからだ。
「やあウィル。ここへ来てくれたということはいい返事をきかせてもらえるんだね?」
トンネルを抜けてもまだ花に囲まれている薔薇園のテラスで、車椅子に乗った紳士が笑いかける。
僕は着慣れないスーツのネクタイを締め直し、覚悟を決めて挨拶をした。
「フォレスターさん、今日は、その・・・お、お嬢さんを・・・」
ダメだ。出てくるのは汗ばかりで言葉にならない。
彼はそんな僕を見てやわらかに笑う。
「はは。そんなに緊張しなくても。別に反対してるわけじゃない。いや、こちらからお願いした話じゃないか」
そうはいっても義理の父親になる人に正式に「お嬢さんをください」と言うのだ。
ただでさえ緊張するものを、この話は「曰く付き」だ。そりゃガチガチにもなるだろう。
「娘と、マーガレットとの結婚を承諾してくれるということは、私の話を聞いてくれるということでいいんだね?」
そう、これが僕に出された「曰く付き」の条件だ。
結婚をしたいなら父親である彼から大切な話を聞かなければならないこと。
その話を聞いたなら、この結婚は白紙にはできないこと。
どんな話かは知らないが、僕はそれなりの覚悟を決めて今日ここへ来たのだ。
マーガレットはまだ18歳だ。こんな田舎で育ったせいか世間知らずで内面はもっと幼い。
7つも年上の僕にとって放っておけない存在だけど、かわいい妹のようで、結婚は正直早いと思っている。
それでもこの話を急ぐのは、フォレスター氏が大病を患い、もう長くないと診断されたからだ。
娘の将来を託せる相手を決めて、安心して逝きたいのだという。
ああ、それと条件がもうひとつ。今日聞く話は今日限り。
これから先、話題にもしてはいけないし、誰にも話してはいけない。
フォレスター氏と僕だけの秘密なのだ。
「本当に僕なんかでいいんですか?本来なら僕なんかにはとても手の届かない存在なのに・・・」
ここまで来ておいて最後の悪あがきをするように尋ねた。
見透かしたように彼は意地悪に聞き返す。
「なんだい?マーガレットが伯爵家の莫大な遺産を放棄したことを責めてるのかい?」
「ち、違いますよ!そんなものなくたって僕はマーガレットを・・・!」
ここまで言ってしまったと思った。
フォレスター氏はニヤニヤと笑っている。
なんだかんだ言っても僕は彼女を好きなのだと言わされたようなものじゃないか。
フォレスター氏はこの国では知らない人はいない貴族の一人娘と結婚していた。
妻が跡取りとはいえ、彼も爵位がもらえる。子供はマーガレットがいたが、そのうち男の子でも生まれたら次の跡取りも安泰のはずだった。
あんな事故さえ起こらなければ・・・。
マーガレットの5歳のバースディパーティの夜。
ベランダから転落して亡くなってしまったのだ。
彼の悲しみはどれほどだっただろう。
フォレスター氏は義理の父である伯爵の反対を押し切って、マーガレットを連れて屋敷を飛び出し、それ以来ずっと人目につかないようにひっそりとこの田舎で暮らしてきたのだ。
もともとこのあたりの地主の息子だったから、土地や家を貸して生計を立てている。
僕も小さなアパートの一室を借りている身分で、滞納した家賃を直接払おうとここへ来て、マーガレットと出会った。
人目を避けてはいても噂は避けられない。
僕でもこの程度のことを知っているくらいだ。そう、彼が伯爵家を出る時に言い残したという意味深な言葉も。
「私は最愛の妻を死なせた者が許せない。だからここを出て行くのだ」
それは事故を防ぐことができなかった自責の念なのか。彼の心の傷が癒えるまではと自由にさせてきた伯爵だったが、自身が病に倒れ、一人娘が残した孫、マーガレットへ遺産を残すと遺言して亡くなられた。しかしフォレスター氏はマーガレットに遺産を放棄させたのだ。
「伯爵家を出る時にすでにそう伝えていた。今回、それが正式に決まっただけのことだよ」
スキャンダルにしようとやってきた記者に事も無げにそう告げると一切の取材を断った。
なるほど、彼にとっては本当に大したことではないのだろう。
一般市民の僕にはもったいない話に思えるが、そのおかげで僕なんかに結婚相手の白羽の矢が立ったのだ。
それだけは喜んでおきたいと思う。
* * * * *
さて、と彼はとうとう話を切り出した。
「これは私がする最初で最後の告白だ。これを聞けば本当に君はもう引き返せなくなるけど、いいかい?ウィル」
どんな内容かはわからないが僕を信用して話してくれることなのだからという納得はしてきた。
僕は小さくひとつ頷いた。
フォレスター氏はゆっくりと絞り出すように話し始めた。
「私が伯爵家の娘と結婚していたのは知ってるよね?
そう、マーガレットの母親だ。
不慮の事故であっけなく亡くなってしまった、私の最愛の人」
彼の目は遠い過去を見ている。おそらくは一番幸せだった頃の。
「妻の事故の時、私は彼女のすぐ側にいたんだ。なのに、助けられなかった。
マーガレットはその後1週間くらい高熱を出して寝込んでね。
娘の体調がよくなるのを待って、屋敷を出たんだ」
たった5歳で母親を亡くしたんだ。マーガレットもまた深く傷ついたに違いないと思うと僕の心も傷んだ。
「君は私が屋敷を出る時に言った言葉を知っているかい?」
噂好きのようで気まずかったが僕は知っていますと答えた。
「最愛の妻を死なせた者を、私は許さない。私はその者に罰を与えるために屋敷を離れ、ここで隠れるように暮らしてきたのだよ」
妻を助けられなかった自分を許せないという思いはわかるし、どれだけ愛し合っていたかもわかる。
けれど。
「それはあなたの自責の念でしょう?でもマーガレットまで巻き込む必要はなかったのでは?!」
ああ、思わず口をついてしまった。
こんな田舎に来たからこそ出会えたとはいえ、本来のマーガレットの立場を考えるといつも思わずにはいられなかったことだから。
フォレスター氏は笑う。だが目は鋭い光を宿している。
「私が、自責の念から屋敷を出るのに、娘を巻き込んで犠牲にしてるというのかい?」
穏やかなトーンの声が返って不気味に聞こえて僕は思わず一歩後ずさった。
「さっきも言っただろう?私は最愛の妻を死なせた者を許さないと」
死なせた? 事故ではないのか? 自分を責めて出た言葉じゃないのか?
じゃあ、誰のことだ?
どう考えても、僕の頭には一人しか浮かんでこない。でもまさか、そんなことが。
「わかったかい?私が誰のことを言っているのか」
「そ、それは!でも、どうして、そんな・・・」
動揺が声にまで届いて震えている。
フォレスター氏の最愛の妻を、自分にとっては大好きなはずの母親を、死なせたのは。
「マーガレットだよ」
頭ではわかっていても心が拒否をしている。
マーガレットが、自分の母親を、死なせた?
「自分のバースディパーティだ。おしゃれをしたくて母親の大事にしていたネックレスを持ち出した。
それを取り上げられて、黙って持ってきたことをひどく怒られてね。
少し頭を冷やそうとベランダへ出た妻の背中をマーガレットが押したのさ。
ママなんか大嫌い!ってね。妻はバランスを崩して、私とマーガレットの目の前で・・・」
彼は胸を抑えて溢れ出そうな感情をこらえている。
「ほんの子供のいたずらだ。大嫌いは本心じゃないし、背中を押したのだって気を引いて自分の方を向いてほしかっただけ。
わかっている。わかってはいるけれど」
そこに悪意がないことがフォレスター氏には返ってやるせないのだ。
恨む相手も憎む相手も存在しないのに、許せない思いだけが行き場をなくしてしまった。
伯爵家を離れ、田舎に閉じこもり、財産まで放棄させたのは彼の復讐だったのか。
「マーガレットはね、自分の母親のことを覚えていないんだ。高熱を出した後、すっかり忘れてしまったんだよ。
何も知らないはずなのに、彼女が大好きだった薔薇の花で庭を埋めている。やはり親子なんだね」
フォレスター氏の顔は嬉しそうにも泣きそうにも見える。
少なくとも救われているようには見えない。
「何も覚えてないマーガレットに気づかれない復讐をして満足ですか?それであなたは平気なんですか?」
今度こそ彼の目は僕をはっきりと捉えた。もはや過去は見ていない。
「だから私も罰を受けているんだよ。
最愛の人を死なせた相手が、かけがえのない娘だという罰をね」
これが、フォレスター氏の告白。
僕だけに話したいと言った、誰にも話しても、この先話題にしてもいけない秘密。
あまりにまっすぐに僕を見る彼の視線に耐え切れなくなって僕は席を立った。
「マーガレットに、挨拶をしてきます」
* * * * *
さっき通ってきた薔薇のトンネルを歩きながら頭の整理をしていた。
マーガレットは事故の後、高熱で寝込み、そのせいで母親のことを覚えてないという。
彼もまた母親のことをマーガレットに教えていない。
それは思い出させないため?
自分のせいで母親を死なせてしまった忌まわしい記憶を封じ込めるために、母親を思い出せるものが何もない、人の噂も届かない場所で暮らしたのではないか。
遺産放棄も伯爵家へ戻ればマーガレットが何か思い出してしまうかもしれないから?
最愛の妻を死なせた相手への復讐でありながら、愛さずにはいられない娘を守るためでもあったのだ。このひっそりとした生活は。
しかし自分の命が長くないと知った今、この先、娘を愛し守ってくれる相手に(つまり僕に)事実を話した上で「娘を頼む」と言っているのだ。
「かなわないなあ・・・」
フォレスター氏の愛と罰の重さを思うと、僕がこの先、彼ほどにマーガレットを愛せるか自信はない。
それでも。
未来にはきっと、罰から解き放たれた愛だけの生活がまっていると信じよう。
この薔薇のトンネルの向こうで、何も知らずに僕を待っている君の笑顔を思い浮かべながら、僕は少し歩調を早めて顔を上げた。
(Fin)