ステージ7
「貴女達に逢わせたい子がいるの」
お茶とケーキを堪能し、翠先生とも打ち解けて、とりとめの無い話に散々花を咲かせた私達に翠先生は一枚の写真と共にそう切り込んだ。
葉書ほどの大きさの写真の中では、一人の女の子がお行儀良く足を揃えて椅子に座っている。
長く豊かなブラウンの髪に整った顔立ちのなかで一際輝く青い瞳。白いハイネックのブラウスに紺色のロングスカートのコーディネートは一昔前の貴族のお嬢様っぽい感じだ。
「この子はフランスに住んでいる私の孫で、今度こっちに来て一緒に住むことになったの。向こうでは自転車競技で活躍していた子だから、きっと貴女達のクラブ活動の助けになってくれると思うわ」
深窓の令嬢に自転車競技は、いまいちピンと来ない取り合わせだが、ヨーロッパでは自転車は最も人気のあるスポーツのひとつだって朋ちゃん先輩が言っていたから、そういうこともあるのだろう。
その辺の事情をあまり気にしている様には見えない二人の先輩も、目が綺麗だとか顔が小さいとか、しきりに写真の中の美少女を誉めちぎっていた。
「大奥様、この方のお名前はなんとおっしゃるのですか?」
私と同じく食い入るように見つめていた綾乃先輩が私達を代表して翠先生に尋ねる。
それにしても、メイド服を着た綾乃先輩が翠先生を「大奥様」と呼ぶのは様になりすぎていて、倒錯的ですらある。もっとも、呼ばれた側の翠先生は複雑な表情だ。
「名前は琉珈。綾乃さんと同じ十七才よ。同い年のお友達があと二人一緒に付いて来てくださるみたいだけど、まとめてウチの帰国子女クラスに入って頂くわ」
「その二人の写真はございませんか?」
「いいえ、残念ながらそちらの方々の分は送られて来なかったの」
「翠先生、その二人も自転車に乗るんですか?」
「ええ、わたくしはそう伺っておりますわ」
朋ちゃん先輩は即戦力の加入に気を良くして、「よし!」と両手でガッツポーズを決める。
それにしても、写真の美少女「琉珈さん」が来るだけでもびっくりなのに、もう二人追加だなんてあの狭い部室に入らないのでは。普通のクラブ活動とは違って、自転車を収納するスペースも確保しなければならないのだ。一人一台としても、六人も居れば確実に誰かの自転車が外にはみ出る。少なくともスコット君は間違いなくお外行きだ。こうなったら明日から断捨離して部室の大掃除だ。
そうなると、もう一つの疑問もここで解決しておかないといけない。
「あ、あのう、そのお三方は具体的にいつこっちにいらっしゃるのですか?」
「今度の日曜日よ。もっとも、学校に通い始めるのは、色々と準備があるから一週間後になるわ。でも顔見せも兼ねて、月曜日から倶楽部の方には顔を出させる予定よ。」
今日は水曜日なので、土曜日を含めても後三日しかない。
朋ちゃん先輩も同じことを考えているのか、私の方を見てうんうんと頷く。そしてもう一人の部員である綾乃先輩に渇を入れる。
「よしっ! 綾乃ッチ、明日から全員で大掃除だからね!」
整理整頓の苦手な綾乃先輩はちょっとだけ膨れっ面だ。
だが意外なことに、朋ちゃん先輩の案に異を唱えたのは翠先生だった。
「あら、わたくし、琉珈さんから『普段どんな様子なのか知りたいから、なるべく片付けとかしないように』って聞いているのよ」
思わぬ所から涌き出た強力な援軍に小さくガッツポーズを決める綾乃先輩。
「翠先生、申し訳ないんですけどあの部室じゃ六人なんて、要らない物をかなりの量処分しないと入りきらないですよ?」
「おっしゃる通りだと思うわ。だから学校に解体途中の旧校舎があるでしょう? あれをちょっとだけ手を入れて新しい部室にしたらと考えているの。実際には琉珈さん達の意見も聞かないといけないんですけどね」
そんな旧校舎が在ること自体、私は知らなかったのだが、二人の先輩は「ああ、あれか」と得心がいった表情だ。
部室の大掃除が完全に反故になったとばかりに(実際にはまだ決定した訳ではない!)勢い付いた綾乃先輩が私に教えてくれる。
「市子さんはご存知無いと思うんですけど、今学校がある所からちょっと北へ行った所に解体中の旧校舎が在るんです。明日一緒に見に行きましょうね」
「綾乃ッチ、まだ掃除しなくていいって決まった訳じゃ無いんだからね!」
そう朋ちゃん先輩から釘を刺された綾乃先輩は、「翠先生から言質を得ているので大丈夫」とばかりに、右から左へと聞き流すだけで終始上機嫌だった。
陽が傾いて辺りが暗くなり始めた頃、私と朋ちゃん先輩は翠先生の家を辞した。暗くなってからの二人乗りは危ないので朋ちゃん先輩は乗ってきたママチャリを押して歩く。歩を進める度に街灯に照らされた私達の影が伸びたり縮んだりしていく。
「今迄は、一応あたしが倶楽部を引っ張って来たんだけど、今度からはあの琉珈って子が仕切ってくんだろうね。まあ、これでウチの倶楽部も派閥が二つ出来た訳だ」
「でも未だ三人対三人ですよね? それに朋ちゃん先輩には実積だってあるんですから」
「向こうは理事長である翠先生の肝いりなんだよ? あたしの実積なんて関係無いんだ。第一、そういう三対三って状況が実は一番不安定なんだよ。下手すりゃ真っ二つに分裂だね。それに現状では綾乃ッチも向こう側だよ。翠先生も入れれば五対二だから」
次第にか細くなっていく朋ちゃん先輩の声。
要するに私達の方がマイノリティということなのか。
「だからあたし達の方から色々と歩み寄って行かなきゃなんないんだよ。本当はイッチャンにはもっと伸び伸びと楽しんで貰いたかったんだけど、あたしの力が足んないばっかりに、こんな事になっちゃってごめんね」
目に涙を溜めながら、かすれた声で謝る朋ちゃん先輩。翠先生の家では結構無理して明るく振る舞っていたのだろう。倶楽部に入って一週間しか経っていない私なんかより、よっぽど辛い筈なのに。
それでも、クラスに馴染めなくて落ち込んでいた私の事を気にかけてくれる朋ちゃん先輩に、私は何をしてあげられるのだろうか?
「朋ちゃん先輩。私、一生懸命練習して自転車に乗れるようになりますから一緒に頑張りましょう」
そんなことしか言えない自分の不甲斐なさに涙が溢れてくる。
蛍光灯が切れかかって不規則に点滅を繰り返す電灯の下で、どちらからともなく、「一緒に頑張ろうね」と泣きながらお互いを励まし合った私達の影は、足元に小さくひとつに溶け合っていた。