ステージ1
高校入学を目前に控えた三月の最後の週末。
私は我が家である築二十年は経っているワンルームのマンションで、能天気にテレビを見てだらけていた。
両親は朝から用事があるとかで二人揃って出掛けていて、決して広くはないリビングを久々に独り占めできてご機嫌だ。
入試も終わってありとあらゆるプレッシャーから解放されて完全に緩みきっていた私は、昼前に電話がかかってくるまで、ソファーと一体化していた。
その一本の電話が、私の希望に満ちた未来を、先が見えない暗闇へと変えてしまうとも知らずに。
生来が引っ込み思案な私は、見知らぬ番号に不安を抱きながら恐る恐る受話器を上げる。
受話器から漏れ聞こえてきたのは、警察の者だという年配の男の人の声だった。
「多田野さんのご自宅ですね。落ち着いて聞いて下さい。ご両親が交通事故に遇われました。現在、市立病院の救急で治療にあたっていますが、予断を許さない状況だとのことです」
まさかの警察からの電話と、テレビの中の出来事のように現実味の無い話に、頭の回転が着いていかない私は、全く見当違いな受け答えをする。
「どちらのご両親ですか?」
「多田野市子さんですよね?」
「はい、そうです」
「あなたのご両親がです」
その後に「おめでとう御座います」とでも言われれば、まるで宝くじにでも当たったかのような問答だが、ことの重大さに思い至るのにそれほど時間はかからなかった。
上下とも学校指定のジャージ姿でタクシーに飛び乗って病院に着いた私を待っていたのは、変わり果てた姿になってしまった両親だった。
担当した医師によれば、病院に担ぎ込まれた時にはもう手の施しようがなかったらしい。その後の警察の説明では、対抗斜線からはみ出してきたトラックとの正面衝突で、相手方の運転手も亡くなったとのことだ。
気がつけば、待合室の反対側には相手側の親族や関係者らしい人が同じように説明を受けて泣き崩れている。
いくつかのやり取りの後、他の親族は居ないのかと聞かれたが、思い当たる節がなかったので正直に居ないと答えた。
一息つく間もなく今度は看護婦さんがやって来て、死亡確認の書類のことや、希望の葬儀屋がなければ紹介する、交通事故死なので警察による検体があるので死体の返却は明日以降になる、等の話を矢継ぎ早に聞かされる。
あまりにも目まぐるしく事が運んでいくので、感傷に浸る暇すらない。
決して若過ぎる私を気遣ってのことではないと思うが、何かしらする事があるというのは、気持ちの持っていき所がなかった私には逆にありがたかった。
その後も色々とあったように思うが、夢の中の出来事のようにきちんと思い出すことが出来ない。
結局その日は、日が暮れるまで病院に足止めさせられて、警察の車で家まで送ってもらうことになった。
ほうほうの体で家に帰ってきた私は、辺りが暗くなっても部屋の電気もつけずに、何も映っていないテレビを朝と同じようにソファーと一体化しながら、ぼんやりと眺めていた。
今日の出来事は全て出来の悪い何かの冗談で、しばらく待てばお父さんもお母さんも何事も無かったかのように帰っくるだろう。そんな願いもむなしく、時計の針だけが規則正しく静寂が支配するリビングを切り裂いていく。
窓から差し込む薄明かりが部屋の暗闇と完全に侵食されて、時計の短い針が何周かしたところで、ようやく誰も帰ってこないという事実を受け止める事ができた。
その途端、朝から何も食べていなかった私の体が空腹を訴えだし、体の内から溢れてくる物を抑えられなくなった私は、大きな声をあげて目から溢れてくる熱い痛みを垂れ流した。