ステージ12
明けて翌日の月曜日。
私はいつも遅刻寸前の時間に登校するようにしている。
それは勿論あの教室に一秒でも長く居ないようにするためだ。
遅刻ギリギリということは、昇降口から教室までの道程も、他の生徒の顔をあまり見なくて済むということになる。
だが、この日はいつもと様子が違っていた。
普段と同じ時間に登校したにもかかわらず、昇降口は多くの女子生徒でごった返していた。正確にはそこにある掲示板の前に人垣が出来ていて、それに貼られている何かを見ているのだ。
まあ、私にはあまり関係無いだろうと、そのまま教室に向かおうとしたら、誰かに襟首を捕まれて人垣の近くに連行されてしまった。
「おい、多田野っち! あれって一体どういう事? 何か自転車倶楽部が部員募集とか書いてあるんだけど?」
そう言って私を引き留めたのは、昨日の野次馬達の中にいた私のクラスメイト。名前は確か、清水さんだっただろうか。勿論親しい間柄でも何でもなく、それどころか、まともに話をするのも初めてだったりする。
「き、昨日、先輩達が部員数が今の倍以上必要だって」
「私が知りたいのはそこじゃ無い! ほらっ、こっち来る!」
清水さんは私の手を物凄い力で掴むと強引に人垣の中に入って行く。先輩方の批難の声も何のその。そのまま最前列まで割り込んだ。
「ほらっ、あれあれ!」
彼女が指差した目当ての物は直ぐに見つかった。
掲示板に貼られた何枚もの告知の上を、五十インチの液晶テレビもかくやというと大きさの紙が覆い尽くしていた。
緊急告知
発、自転車倶楽部
当自転車倶楽部は以下の人員を募集する。
一、選手候補 三名
二、自転車整備士 一名
三、調理師 二名
四、栄養管理師 兼 マネージャー 一名
五、マッサージ師 二名
人員の補充は面接を以てこれを行い、定員に達し次第募集を終了する。
面接は毎放課後に行い、面接場所には生活指導室を用いる。
募集人員が定数に至らない場合でも、当方の都合により打ち切る場合がある。
尚、全ての倶楽部員は特別な許可が無い限り、例外無くその行動の自由を当倶楽部によって制限される。
ただし、それに関わる費用は全て当倶楽部が負担する。
増員の話は確かに聞いていたけど、 調理師とかマッサージ師とか、そこまでの話は聞いていない。大体、自転車整備士なんて高校生で出来る人いるのか怪しいと思うのだが。
それに問題なのは最後の部分だ。
ちょっとわかりにくいが、要は、「生活は補償するからお前らに自由は無い」と書いてある訳だが、どう読んだって軍隊か刑務所の囚人みたいな生活しか想像出来ない。
普通の女子高生(いや、馬鹿女だから普通以下か)がそんな生活に
耐えられるとはとても思えないのだが、琉珈先輩達はその辺どう考えているのだろうか。あの人達は自身のスペックが無闇に高いもんだから、私達凡人以下の出来無さ加減がわかっていないのだろう。
「ねえねえ、多田野っち、一番最後のあれって、タダでおやつ食べれるってことかなぁ?」
すまん、馬鹿女をなめていた。想像力の前に理解力が無かったようだ。
「あれはね、軍隊方式で活動するから個人の自由は全く無いんだけど、衣食住はタダで提供するってことだよ」
「えっ? それって昨日のイケメンの留学生達と一緒に住めるってこと?」
「うーん、そうなんだけど、でもそんな単純な話じゃないと思うよ」
その瞬間、私達の周りの生徒達が爆発したように歓声を上げた。どうやら私と清水さんの話に耳をそばだてていたらしい。どうりで周りが静かだったはずだ。
お陰で「面接に行くわ」とか「今の部活辞めるわ」とか、何やら大変な騒ぎになってきた。
まあ、確かに琉珈先輩も人材を引き抜くみたいなことは言っていたわけだが。
「ところでさ、多田野っちって、昨日あのイケメン達と一緒に居たけど、どういう関係?」
えっ、今頃その質問ですか?
がっくりと項垂れた時、無情にも一限目の鐘が鳴り響き、私の遅刻が確定したのだった。
私の在籍する一年四組は、馬鹿女の中でもとりわけ出来の悪い生徒を集めたクラスだ。それは必ずしも頭が悪いという訳ではなく、色々な意味で社会に適合しない生徒も居るという意味合いが強い。具体的には登校拒否児や生活態度の悪い、所謂「不良」と呼ばれる学生、更には情緒不安定な生徒もそれにカウントされている。
何を隠そう、私もその情緒不安定な生徒の一人と目されているという理由でこの教室の一員になっているのだ。実は転入試験の時にスクールカウンセラーとの面接もしていて、その結果、ごく最近に両親を亡くした事が精神的負荷になっていると診断されたため、今のクラスへの配属と相成ったらしい。
要するに、「欠陥品」の生徒を集めたクラスが四組であり、このクラスこそが馬鹿女の馬鹿女たる由縁でもあるのだ。
「この学校に来る生徒さん達は、最低でも一度は挫折を経験しているし、多かれ少なかれ心に傷を負っているのよ。大概は勉強が得意では無いとか受験に失敗したとかの他愛の無い理由なのだけど、十五才位の多感な子達にはそれだけでも落ち込むには充分な動機になるわ。他の高校なら義務教育じゃないんですから、そんな生徒さんは切り捨てて終わりかも知れないけど、わたくし達の学校に来た生徒さんには、世間様での評価は馬鹿女かも知れないけれど、それでもいいから学歴という箔を付けて世の中に送り出してあげたいの」
翠先生の声はどこまでも慈愛に満ちている。
「わたくしも、この学校に入って来た当初は「自分は落ちこぼれなんだ」って不貞腐れていました。でも今振り返ってみると、無理して上の学校に行けたとしても、授業に付いていくだけで余裕が無くなって学園生活を楽しめないか、付いていけなくなって本当に落ちこぼれるかのどっちかになっていたでしょうね。だから今ではこの学校に来て良かったと心から思ってますの。だってここの生徒は皆自分が馬鹿だと思っているから、他の人を馬鹿にする事無いのよ。だから、わたくしはこの学校の生徒であることを誇りに思っていますわ」
綾乃先輩の言い分には納得できる部分がある。
私は、教室では空気みたいな存在だが、それはどちらかと言うと私が皆との距離感を測りかねているだけで、決して私を無視している訳では無いのだ。それに、私の事を面と向かって馬鹿にしてくる子は一人も居なかったし、寧ろ心の中でクラスメイトを馬鹿にしていたのは私の方だった。
そんな自分が恥ずかしくなって俯いてしまう私に綾乃先輩が優しく背中を擦って元気付けてくれる。
「市子さん、これから面接なんですから、あなたが落ち込んでいると面接に来られた方が戸惑ってしまいますわ。だから背筋を伸ばして胸を張って笑顔でお出迎えしましょうね」
さして広くない生活指導室には琉珈先輩と翠先生、そして綾乃先輩に何故か私が加わって面接に臨んでいた。翠先生は権威付けで居るのだろうし、綾乃先輩は掃除が苦手な人なのでここで面接官をしているほうが平和だという理由でここに居る。面接は実質、琉珈先輩一人ですることになる。
朋ちゃん先輩達は部室の掃除でここには居ないが、この部屋の狭さではどのみち全員は入れなかっただろう。
そしてこの部屋の外には沢山の女子生徒で溢れかえっていた。
「最初の方、どうぞお入りください」
だが、綾乃先輩がそう声をかけても誰一人部屋に入ってくる気配が無い。扉の向こう側では、そんな状況が十分以上続いている。皆、自分が最初の一人目になるのに二の足を踏んでいるのだ。
「誰でも良いから引きずり込んで来ましょうか?」
強行策を綾乃先輩が囁くように提案した直後、その一言が部屋の外に聞こえたとは思えないのに、にわかに廊下がざわめき出す。
そして遂に、生活指導室の引き戸が開き、一人目の面接者が入って来た。
「失礼します。人伝に聞いて参りましたので間違っていたら申し訳ございませんが、自転車倶楽部の入部の面接はこちらでよろしかったでしょうか?」
よろしいも何もこの部屋で間違い無いのだが、私達四人は待望の面接者がようやく入って来たにも関わらず、その人物が意外すぎて驚きの余り誰一人言葉を返す事ができなかった。
その女子生徒は校内でも特に際立った美少女で、数少ない男子に常時チヤホヤされていて、スクールカースト的にはリア充どころか最早特権階級に属していると言っても過言ではない。彼女の憂いを帯びた笑みで「まあ、ご親切に、どうもありがとうございます」などと返された日には、ただでさえ馬鹿で単純な男共なんてコロっと逝ってしまうだろう。そしてこの学校の生徒に漏れ無く付いて回る馬鹿女のレッテルに反して、彼女はとても頭の良い生徒で、本来ならこの梅華高校に入ってくるような学生ではないのだ。そう本来ならば。
だが、現実の彼女は私と同じ一年四組、つまりは掃き溜めクラスに所属する「欠陥品」なのだ。
それは彼女の身形を見れば一目瞭然だ。
物憂げに閉じた両目は彼女の儚い美しさをとても良く表しているが、何となく着崩れた制服、微妙に曲がったネクタイ、そして手に持った白い杖を左右に振って辺りを探る仕草は、
彼女の視力が著しく劣っている何よりの証拠だった。
「一年四組の一条恵です。どうぞよろしくお願い致します」
杖で、私達の机の向こう側に一脚だけ用意してあったパイプ椅子を探り当てて、丁寧に一礼してから座る一条さん。
呆気にとられている私達を前にしても全く動じない。
「お許しを得る前に座ってしまって申し訳御座いません」
「いや、こちらこそ気が利かなくて申し訳無い。今日の面接を担当する蓮池です」
我に帰った琉珈先輩が慌てて返す。
それを機に私達も順に挨拶をする。
「よろしくお願いします」
最後にそう答えた私に、一条さんが敏感に反応する。
「まあ、そのお声は多田野さんですね! いつも教室ではお世話になっております」
実際にはほとんど会話することも無いのだが、私の顔をたててそう言ってくれたのだろうが、少なくとも綾乃先輩と翠先生への心証は良くなったようだ。
それにしても良く私だとわかったものだ。目が見えない分耳が良いのだろう。
琉珈先輩が本題に入る。
「それで一条さんはどの役回りを希望しているのですか?」
「私はマッサージ師を希望しております。皆様ご覧の通り、私は目が不自由なものですから、皆様と同じように自転車に乗ったりお料理を作ったりというような事は全く出来ません。ですが、これから社会に出て行くにあたって、私のような者は手に何らかの職を持っていなければ生きて行くのは厳しいと存じて居ります。浅はかかも知れませんが、マッサージならば少々目が見えなくとも出来るのでは? と愚考して居りますですから私と致しましても、この様な素晴らしい機会を逃したくは無いのです。勿論、今はまだマッサージのイロハもわかっては居りませんが、一生懸命勉強して必ずや皆様にご満足頂けるようになってみせます。ですから、何卒私を自転車倶楽部に入部させて下さい」
静かに、だが、力強く語りかけた一条さん。私なんかよりもよっぽど大人だ。
今度は翠先生が質問する。
「マッサージ師になりたいのなら、それ向けの専門学校に入ってからでも遅くはないのですよ? それに一条さんほどの器量とお家柄なら縁談も引く手あまたでしょう?」
「私は他所様よりもハンデがあるのですから、同じスタートラインに立ったのでは勝負になりません。それに、今迄の様に誰かの世話になって生きて行くのはもう止めにしたいのです。将来私が結婚した時に、夫となる方とは対等の立場で共に歩んで行きたいと思って居ります」
翠先生が一瞬だけ綾乃先輩に視線を向けたけど、一体何だったのだろう。
それにしても、同じ高校一年生の発言とはとても思えないのだが。
「では、最後に。一旦入部したからには我々と共同生活を送ってもらう事になりますが、その点は大丈夫ですか? 共同生活者には私のような男もいるのですよ?」
再びの琉珈先輩の質問に一条さんはイタズラっぽい笑顔で答える。
「あら、私は一向に構いませんわ。 例え殿方に私の貧相な裸を見られても、私にはその方がそこに居るのかどうかすらの判断が着かないのですから」
綾乃先輩と比べても、貧相とはかけ離れたナイスバディーな彼女の返事に、琉珈先輩は手元の用紙に「要バリアフリー化」とだけ書き込んだ。