ステージ9
翠先生が借りたマイクロバスに乗って三時間。
私達自転車倶楽部一行は関西国際空港へと来ていた。目的はフランスからやってくる琉珈さん達三人のお出迎えだ。
海外旅行など1度もしたことが無い私にとって、空の玄関口とも言われる空港は見るものすべてが新鮮な驚きに満ちていた。海の上に浮かぶ、感覚が麻痺するほど広大な敷地。ひっきりなしに飛び交う飛行機。視界におさまらないくらいに巨大なターミナル。その中の何層にも及ぶ広大な空間を思い思いの方向へ歩いていく人々。そのどれもがテレビでは窺い知れなかったスケールを誇っていた。
海外旅行どころか飛行機にすら乗ったことの無い私は、視界に入ってくるものすべてに圧倒されまくっていた。
朝の8時だというのに到着ロビーは旅行者や空港関係者で賑わっている。
私はお上りさんよろしくキョロキョロと首と目の運動に励んでいたが、翠先生達は何度か来たことがあるらしく足の運びに迷いがない。お陰で付いて歩くので精一杯だ。
私達学生はそれらしく制服を着て来ているのだが、ここでも綾乃先輩はすれ違う人々の視線を集めている。立ち止まって携帯や、中には本格的なカメラで撮影する人も出てくる始末。
「この辺では見かけない制服だけど、どこの学校の?」
「いやいや、新人のモデルやろ? あんな美少女、今までメディアに出とらんほうがオカシイって!」
「その割りに、隣にいるちっこいのは冴えへんルックスやな」
「あれはあれで特殊な需要があるんじゃね?」
今夜には方々のブログやネット掲示板で綾乃先輩の写真が出回るのだろう。そして私達が着ている制服が「馬鹿女」の物だと判明するのもそう時間はかからないはずだ。
一番最後の頭のは敢えて聞かなかったことにする。
そんな周りの反応にも顔色ひとつ変えず、どこまでもマイペースな綾乃先輩。ゲート手前に設けられた柵の一番手前に陣取って、朋ちゃん先輩と二人で手元の写真と到着ゲートから吐き出される旅行者をしきりに見比べている。
そんな二人をちょっと離れた所から観察する翠先生は、口を手で押さえて笑いをこらえるのに必死な様子。
そして遂に琉珈さん達三人がゲートから出てきた。
琉珈さんは写真の通りに綺麗な面立ちをしていた。
驚いたことに、琉珈さんのお友達の二人は執事とメイドのコスプレをしている。そしてその二人の身長が何だかおかしな事になっていた。
黒の三つ揃いにバトラーコートの男の子は私とほぼ同じ位の身長で、どんなに高くても百五十センチほどしかない。
もう一人の女の子の方は、秋葉原でよく見かけるスカートの短い、俗に言うなんちゃってメイドさんのコスプレで、こちらは執事の男の子とは逆に背が異様に高く、百八十半ばはあるだろう。
三人が三人とも美男美女で、周囲の反応は先程の綾乃先輩以上にヒートアップしている。突然のスコールのように連鎖するシャッター音。
そんな琉珈さん一行は、綾乃先輩の美貌にギョッと目を見開いて立ち止まった。その気配に、綾乃先輩と朋ちゃん先輩も琉珈さん達の方を見る。
一瞬の邂逅。
彼女らの距離は正直二メートルも無い。
だが、綾乃先輩達は再び「琉珈さん」を探し始める。
そして歩き出した琉珈さんに合わせるように、私は二人の先輩に気付かれないようにそっとその場を離れて、お腹を押さえてプルプルと震えている翠先生と合流した。
「お久しぶりです、お祖母様。相変わらず、お元気そうで何よりです」
流暢な日本語で琉珈さんからそう挨拶されても、未だに笑いのツボから回復しない翠先生は、代わりに私が自己紹介をするようにと促す。
「初めまして、多田野市子です。長旅お疲れ様でした。今、先輩達を連れて来ますので少々お待ち下さい」
到着ゲートの方はあらかたの乗客を吐き出した後らしく、綾乃先輩達は困惑気味に辺りを見回していた。
二人に近付いて「先輩」と声をかけると、綾乃先輩は涙目で、朋ちゃん先輩は苦虫を噛み潰した表情で振り返る。
「イッチャン、琉珈さん達、まだ出てこないんだけど?」
「琉珈さん達なら、もう翠先生と合流してますよ」
そう告げて先輩達を翠先生の横に並ぶ三人へと誘導する。
見開かれる二人の瞳。
それはそうだろう。だって、そこに居る琉珈さんは綾乃先輩が持っている写真の人物とは似ても似つかない、全くの別人のように見えるのだから。
私は、驚き過ぎて埴輪のような顔になっている二人に説明する。
「目の前に立っているこの人は間違いなく『写真の琉珈さん』と同一人物です。でも先輩達はご存知なかったんですね? 改めてご紹介します。こちらが琉珈さんです」
そう私が紹介した琉珈さんは、黒いショートヘアと化粧をしていない以外は写真と同じ顔で、百八十センチほどの長身。紺色のスーツに白いシャツと赤色のネクタイを合わせて、黒い革靴を履いていた。
「『ルカ』はヨーロッパでは男の子名前なんですよ」