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MEMORYS

黒茶色の記憶

作者: 藍咲 紅里

黒茶色でセピアと読みます

    冬の星座に願いを懸けた


    夢を叶えられるようにと


    未来懸けて空に描いた


    いつまでも消えないようにと








「ふう……」

 わたしは、イスに座ったまま伸びをした。机に向かってもう三時間。そろそろ休憩をした方がいいかもしれない。

「ちょっと、疲れたな。ホットミルクでも飲むか」

 そうだ、どうせなら彼に教わったホットチョコミルクにでもしようかな。疲れている時は甘い物摂った方が良いって言うしね。

 あ、でも肝心のチョコあったかな? 昨日禁断症状が出たかの様にバクバク食べたような気が……。もしなかったら、蜂蜜を入れることにしよう。

 戸棚を覗くと、赤いパッケージの板チョコがあった。パッケージだけで中身がないと困るから一応中も確認。

「あった。最後の一カケ」

 さっそく、入れて温めよう。

 ミルクを温めている間、わたしはカーテンを開けて夜空を見た。

 冬の夜空で目立つ星は、なんと言っても『スバル』だろう。このスバルは牡牛座の肩先に見える散開星団、プレアデス星団の和名で『枕草子』とかいった日本の古典にも出てくるという。

 もちろんこの星団の神話も知っている。

 この事を教えてくれたのは、わたしの家の近くの病院に入院している一人の男のコだ。そのコと出会ったのは、ちょうど二年前にわたしがお祖母ちゃんのお見舞いに行った時だ。



 そのコは、お祖母ちゃんの隣の窓際のベッドで外を見ながら絵を書いていた。わたしはお祖母ちゃんが寝ていて暇だったのと、その絵のあまりの上手さに見ちゃいけないと思いながらもついつい凝視してしまった。

「何?」

 わたしの視線に気付いた彼が、怪訝そうな表情でそう言った。

「あ、いや、絵上手いなーと思って。わたし、美術苦手だから、絵が上手い人って羨ましくて」

「何年も入院してれば、嫌でも上手くなるよ。それしかやることがないんだから」

 わたしのセリフに怒りを覚えたのか、彼はそうぶっきらぼうに言うと再びスケッチブックに鉛筆を走らせていった。

「ご、ごめん……」

 悪い事を言ってしまった。他人の気持ちを考えずに思った事を口にしてしまうのはわたしの悪い所だ。でもこの場合、他に何を言えばいいのだろう?

「別に謝る必要なんてないよ。君は、僕がどれぐらいの間入院しているかなんて知らないんだから」

 それはそうなんだけど。

「僕からしたら、健康な君の方が何倍も羨ましいよ」

 これは後で聞いた話だけど、彼は小学一年生の頃からこの病院で入院していて、病院内で初めて友達になった四つ上の男のコを七年前に亡くしていた。そしてその時から、彼は絵を描き始めたのだという。

「今まで描いた絵とかってある? あったら見たいなーなんて」

 初対面の人間に、わたしは何を言っているのだろう。図々しいにも程がある。

「あ、ごめん。初対面なのに変な事言って」

「そこにあるから、勝手に見ていいよ」

「え? 本当にいいの?」

 想像と違うセリフに驚いて、もう一度訊ねてしまった。

「どうぞ」

 彼は外を見つめたまま答えた。

「……じゃあ、遠慮なく……」

 とりあえず、日本人の悲しい性なのか一番下のスケッチブックを引っ張って捲った。一番下ということは、一番初めに描いた絵だろうと思っていたけれど、日付けは数ヶ月前のものだった。

「あ、桜だ。うまーい」

 色も、本物じゃないかと見間違えそうな位だ。何だか風が吹いたら、今にも散ってしまいそう。いるんだな、本当にすごい人って。  自分が凡人だって突き付けられている様だ。

次のページは、星空だった。わたしは星座に全然強くないというか、むしろ星座に対して全くの無知だったから、何の星座が描かれているのか見当もつかなかった。でも、その次のページの星座は流石に分かった。

「この、柄杓っぽいのはたぶん北斗七星だよね? その隣に何かありそうな気がするんだけどな」

「大熊座だよ」

 また、こちらを見ずにそう答える。

「見てないのに分かるの?」

「北斗七星の近くにあるって言ったら、大熊座だと考えるのが普通だよ」

 ……普通なのか。じゃあ分からなかったわたしは普通じゃないって事になるのか?

「へー……。あ、もしかして星座とか詳しいの?」

 わたしはスケッチブックを戻して彼に近付いて訊いた。それにしても、本当に上手い。同じ『手』なのにな。

「まあ、絵を描くか星を見るかぐらいしかやる事ないから」

「そっか。今まで描いた絵で一番多いのって何?」

 もうこの時になると、『初対面の相手なのに』とか『あまり図々しくすると』とかいった考えは頭に浮かばないようになっていた。それ以上に、好奇心のほうが強くなっていた。

「……桜かな」

「そういえば、さっきのスケッチブックも桜が多かったね。桜が好きなの? それとも、ただ単に描き易いとか?」

「別にすごく好きってわけでも、描き易いってわけでもないけど」

「すごく好きでもないし、描き易いわけでもないのに描いてるの?どうして? 普通は、自分が気に入ったものを描くんじゃないの?」

「……昔、ある人が春になると桜を切なそうに見ていたんだ。原因を聞いたら、『人と桜は同じなんだよ』としか言われなかった。でもその意味を教えてもらう前にあの人は………」

今までそんなに表情が変わらなかった彼が、初めてその表情を崩した。それはどこか痛そうで、彼の表情に一層の影を落とした。

「……絵を描き始めたのは、それからなんだ。もしかしたらその意味が分かるかと思って」

 必死で痛みを堪えているような表情が、同じ年のはずの彼を、わたしよりも年上に見せる。

 きっと、その人は分かっていたんだろう。命の儚さを。それこそ、ほんの少しの間しか咲いていられない桜と同じ様だと。もしかしたら、夏は一週間しか生きていられないセミと重ねていたのかもしれない。

 そして今の彼は、その人の言葉の真意を分かっている。

「でも……」

 わたしが掛ける言葉を捜していると、彼はそう言って話を続けた。

「……本当は星座をもっと書きたいんだ。だけど、夜は外に出れないから」

「だけど星座描くのって、難しいでしょ? 星が細かいし。なんか、光の配置図っぽくなりそう」

 それはそれで正解なのかもしれないけど。

「でも、天文学を学ぶ上では必要な事だと思うから」

「天文学?」

 目の前の彼からそんなセリフが出てくるとは想像がつかず、またまた驚きつつ訊くと、彼はしまったという顔をしながら暫くして口を開いた。

「………天文学者か宇宙飛行士になるのが昔からの夢なんだ」

「そうなんだ。わたしはね、医者になっていろんな人を助けるのが夢なんだ。その為に、小学校低学年の頃から進学塾行ってるんだよ。再来年は、医大附属の高校を受験するつもり……」

 あ、また無神経な事を言ってしまった。ずっと入院している人の前で、『楽しく学校行っています』みたいなニュアンスのセリフを言うなんて。わたしもう、喋らない方がいいかもしれない。

「学校か。僕もこんな病気になっていなかったら、夢を叶えられたかもしれないのにな」

 諦めの入った弱気な言葉に、つい口が開く。それは、わたしが医者を志している人間だからなのか、それとも人としてそんな弱気な言葉を言うのを止めたかったからなのか。

「そんな事言っちゃダメだよ。病は気からって言うでしょ。絶対治るって思わなくちゃ。それに、夢を夢のまま消しちゃいけない。夢は見るものじゃなくて、叶えるものでしょ?」

 上手く言葉が出てこなかった。伝えたい思いはたくさんあったけれど、それを伝えられるだけのボキャブラリーを持っていなくて、伝えることが出来なかった。

 それが、すごくもどかしく感じた。

だから、精一杯の気持ちを込めて一言だけ言った。

「ねえ、勝負をしない?」

「勝負?」

「そう。どっちが先に夢を実現出来るか」



 その時の彼のセリフは、しぶしぶと言った感じだったけれど一応OKだった。そして今も、その勝負は続いている。彼はまず病気を治す事、わたしは超難関の高校に入る事が当面の目標だ。

 あれから、わたしは暇を作っては彼のお見舞いに行くようになった。最初は『笑う必要はないから』と言って無表情に近かったその顔も、今では笑顔を向けてくれるようになった。たぶん、必要がないんじゃなくて、終わりの見えない入院生活の中で笑う事が少なくなったせいだと思う。

彼が笑うようになったという事は、わたしは彼の心を少しでも癒す事が出来たという事なのだろうか。

マグカップをテーブルの上において、満天の星空を見上げる。

「本当、手を伸ばしたら星に手が届きそう」

 もしかしたら、あの中の一つ位は掴めるかもしれない。そうしたら、きっと夢は夢でなくなって…………なんて、考えてる暇ないよね。

 ホットチョコミルクを飲み乾して、わたしは再び机に向かう。よし、身体も脳も、充電完了。また動いてくれそうだ。

 高校受験まで後数週間しかない。これから毎日、夜中まで受験勉強に追われることになるだろう。暫くは彼のお見舞いにも行けそうにない。


 わたしは、彼に出会ってますます医者になりたいという思いが強くなっていった。そして、今まで以上に夢を叶えてやろうという強い思いも芽生えた。

 彼に出会えて、本当に良かった。




 そう、わたしの未来への道は、彼が切り開いてくれた。

 だから次は、わたしが彼の為に道を切り開く番だ。

 その時が来るまで、わたしはこの思い出を大切にしていこう。



 たとえそれが、セピア色に色褪せてしまう程遠くなってしまったとしても……。







大学生時代に書いたショートストーリーズ5部作の『冬』です。

ちなみに彼の言う病院内での初めての友達は、『薄紅色の季節』の彼です。

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