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春夏秋冬、少年少女のお話

Lost Child

作者: tomato



ある土曜の夕方。

千夏は母に連れられて祭りに来ていた。

普段は大きな病院の医師として働き、毎日忙しい母と出掛けられるとあって千夏の顔はずっと笑顔だった。


母は千夏に、たまにの外出の時はいつも迷子にならないよう自分の左手をしっかり握るように言う。

この日も千夏は、いつも通り母と手を繋いでいた。

本格的な夏が始まる季節。手の平が汗ばみ、千夏は何度となく母の手を握り直す。


「ねぇお母さん、くじ引きしちゃだめ?」

「やってもいいよ。じゃ、一緒にくじ屋探そうか。」


母はニカッとサイダーみたいに爽やかな笑顔を浮かべる。

格好良くて、優しくて、千夏の自慢のお母さんだ。

千夏はやった、と小さく言ってまた母の手を握り直した。



屋台の並ぶ通りは人の海だった。

母は難無くするすると人の間を縫って進んで行くが、手を引かれている千夏は母に腕を引っ張られるばかりで上手く前に進めない。

だんだんと千夏の腕は引っ張られ始める。

「お母さん!」

千夏は声を張り上げたが、何しろ人が多い。千夏の声は聞こえなかったようで、母は振り返らなかった。

「あっ!」

母の手と千夏の手は離れた。

「お母さん!」

手が離れた事に気が付いた母が、ようやく千夏の方に向いた。

「千夏…千夏…!?」


母の声が離れていく。千夏は人の波にのまれて、思いもよらぬ方向へと流されていった。



「…お母さん、どこ?」

千夏は揉みくちゃにされ、イマイチどこか分からない場所に投げ出されてしまった。

先程までの笑顔はどこかに消え、千夏の顔は不安に染められていた。


とにかく、お母さんを探さなきゃ。


千夏は宛てもなく走った。


どれくらい走っただろうか。千夏の息は上がり、膝がガクガク震えていた。

それでも走ろうと踏み出した瞬間、千夏の足首は変な方向に曲がった。そのまま勢いよく固いアスファルトに倒れてしまう。

「…痛い。」


もう、千夏には泣く元気もなかった。

歩道の端の日陰になっている所に座り込む。俯いてはぁ、と溜め息をついた。



「どーした?」


少し時間が経った後だった。

千夏は、誰かに声を掛けられた。

千夏が顔を上げると、目の前には男の子がいた。

男の子と言っても、小学2年生の千夏からしてみれば随分年上の、多分中学生か高校生くらいのお兄さんだ。


「こけた?」

「…こけた。」


千夏を立ち上がらせて、お兄さんは服についた砂埃まで払ってくれた。


「傷は出来てないよ。女の子だし、傷できなくてよかったな。」

「…うん。」


お兄さんは千夏の頭を優しく撫でてくれた。


「お前、一人?」

「ううん、お母さんと来た。でも、はぐれた。」

千夏は今も自分を探しているであろう母の姿を思い浮かべた。

お巡りさんのところに行っただろうか。それとも、汗だくになって駆け回っているかもしれない。

千夏の不安がお兄さんに伝わったのだろうか。


「そっか。よし、俺とお母さん一緒に探そう。」


お兄さんはそう千夏に提案してくれた。千夏は、コクリと頷いた。


「お前、名前は?」

「千夏。お兄ちゃんは?」

お兄ちゃんは?

千夏がそう聞いた瞬間、お兄さんは一瞬悲しそうな顔をした気がした。

「…俺はヨウ。太陽の陽。」

早くお母さん探そう、と陽が差し出した右手を、千夏は左手でしっかり握った。



陽と母を探し始めて早数十分が経過している。大通りを見渡しても、母の姿はない。

暑い昼下がり。千夏の喉はカラカラに渇いて、それにさっき捻った足首がズキズキと痛んできていた。母とはぐれた時のようにまた、徐々に陽に引っ張られ始める。


人通りの少ない、日陰のところで陽が立ち止まった。

「千夏、疲れたか?」

「ううん。大丈夫だよ。」

千夏は強がってみせるが、陽は心配そうな顔で千夏の方に向き直る。

「顔にでてるよ。無理すんな。…そーだ千夏、ちょっとだけここでじっとしてて。」


そう言うと、陽はどこかに走って行ってしまった。

千夏はまたはぐれるんじゃないかと少し不安になったが、陽はすぐに戻ってきた。

「ほら。喉渇いただろ?」

陽が250mlペットボトルに入ったオレンジジュースを渡してくれた。

丁寧に、フタも開けてある。

千夏はそれをゆっくり飲み干した。

「飲んだ?」

「うん。」

「じゃ、足見せて。」


驚いた。

陽は千夏が足を怪我している事まで見抜いていたのだ。


「何でわかったの?」


千夏は言われた通りに陽に足を見せる。

千夏の足首は赤く腫れていた。

「何となく。我慢してる顔してたから。」


陽は屈んで、大きなハンカチを取り出した。



「俺、妹いたんだ。」

「いた…?」


いる、ではなく。

いた、と言った。


「死んだ。二週間前に。」


陽はハンカチで器用に千夏の足首を固定して、ぽつりと言った。

千夏は陽に背負われた。

陽は歩きながら妹の話をしてくれた。


「昔から入院繰り返してたんだ。まだ治療法が無い病気だったらしい。でも、我慢強かった。さっきの千夏みたいに痛いのとか我慢して、点滴の副作用もキツいはずなのに泣かないんだ。陽お兄ちゃん、大丈夫だよ…っていつも笑ってた。主治医の先生も休日返上で一生懸命妹の治療してくれて、『うちに同じ年の娘がいるから放っておけないんだ』って。葬式の時も、俺に泣きながら『妹さんを助けられなくてごめんなさい』…って。責めるなんて出来なかった。妹の分まで先生の娘さんが元気に長生きできたらそれでいい…って言ったんだ。すげぇ綺麗事だけど、確かにそう思った。…でも、やっぱ悲しい。」


陽の声は、段々小さくなっていった。

声や体が震えているわけでもないのに、千夏には陽が泣いているように感じた。

そして、一週間ちょっと前に母が黒い服を着てどこかに出掛けたのを思い出した。

うちに帰るといつも笑顔だった母が、暗い顔をしていたのでよく覚えている。それに、目元が真っ赤だった。


『千夏…長生きしてね…』


母は、千夏を抱きしめてそんなことを言った。



お母さんは私と同じ年の女の子を…陽お兄ちゃんの妹を、助けられなかったんだ。

千夏はそう気付いた。


「…陽お兄ちゃん。私のお母さんね、おっきい病院のお医者さんなの。それでね、患者さんに何かあったらいけないからあんまりうちに帰ってこないの。でも、いつも夕方の5時に電話で話すからさびしくないんだ。この前お母さんが電話でね、患者さんに千夏と同じくらいの女の子がいるって言ってた。絶対助けたい、だからもうしばらくは家に帰れないって。」


陽がぴくりと反応した。


「でも、その次の次の日にはお母さん帰ってきたの。それで、黒い服着てまた出かけて、帰ってきて、私をぎゅーってしてくれたの。千夏、長生きしてねって。」


陽は首から上だけ千夏の方に向けて、びっくりした、それでいてどこか悲しい顔で千夏を見ていた。


「…陽お兄ちゃん、私陽お兄ちゃんの妹さんの分までちゃんと長生きするから。

中学生になって、高校生になって、大学生になって、大人になって、仕事もして、ケッコンして、子ども産んで、おばさんになって、しわくちゃのおばあちゃんになるから。

だから、私がちゃんとしわくちゃのおばあちゃんになれたか確かめてね。

その時まで、陽お兄ちゃんもちゃんと長生きしてね。約束ね。」


「…うん。」


陽の声は震えていた。

千夏が陽の首に回していた手に、温かい水がポタポタと落ちた。

陽が立ち止まって涙を拭う。

その時。


「あ…!お母さんだ!!」


千夏は見つけた。


母がお巡りさんと二人、辺りを見回しながら千夏の名前を叫んでいる姿。


陽は母の方に駆け出した。


「お母さん!」

「先生!」


母の顔は、今までで1番驚いていた。









母の勤める大きな病院のある一室。

千夏は母の名前のカードを確認し、部屋に入る。


「お母さん、お弁当持ってきたよ。」

「ん?あ、ありがとう千夏。」


千夏は4月に高校生になった。


数年前から医者の不摂生ではお話にならないと、何か行事がないかぎりはほぼ毎日欠かすことなく作って病院まで持ってきている弁当を母に手渡す。

母はすぐに弁当包みを開けて、おいしそうに食べはじめた。

これだけおいしそうに食べてくれれば作りがいもある。


「高校生活はどーよ。楽しい?」

唐突に、母は食べながら千夏に尋ねた。

千夏は迷いなく頷いた。


「うん、楽しい。みんな優しいし、今日の授業でもみんなみたいに進路希望の紙書くのに頭抱えて悩まずにすんだから。」


千夏は笑った。

母もそんな千夏の様子を見て笑う。


「そりゃあよかった。ま、紙書くのに悩まなくても自分の学力に頭抱える日はそう遠くないと思うけど?」


痛いところを突かれ、千夏はちょっと拗ねて口を尖らせる。


「…頑張ってる。それなりに。」


母は意地悪く笑った。




千夏は、小学2年生の、本格的に夏が始まる季節に自分は看護婦になって、病気の人の助けになると決意した。

それは7年ちょっと経った今まで、片時も揺らがない目標となっている。





そして。



「失礼します、先生。カルテ持ってきました…って、あれ。千夏?」




あの時、同じように進む道を決めた陽。

千夏の前で白衣を着て、研修医のカードを首からぶら下げて、少し疲れた顔で立っていた。




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