4.
「はぁ、はぁ…」
フードを目深にかぶった人間がいた。
体のラインは細く、見方によっては女に見えなくもないし、男の子かもしれない。
仮に彼として―――彼は箱を抱えていた。
大きさはそれほど大きくもなく、直方体の箱だった。
「どこだ!
探せ!」
とそれほど遠くもない場所から大きな声が聞こえた。
「嗅ぎ、付けられた、か」
その人――声から女だったが――は息も切れ切れにつぶやく。
ここに留まれば見つかるのも時間の問題ということは彼女にもわかっているだろう。
「私の、命に変えても、これを、守ら、ないと」
そう言葉にして彼女は気力を振り絞る。
足からは血が流れ、跡を残してしまっている。
これが見つかる前にここを離れなければならない。
止血しかけているため、血さえ止まれば撒くことも容易になるはずだ。
そう思った彼女は足を引きずりながらこの場を後にしようとした。
「いたぞ!
あそこだ!」
「っ!?」
どうやら嗅ぎつけられてしまったらしい。
足を引き釣りながらも今のところの全力で走る。
そして曲がり角を曲がったところで茂みを見つけた。
(今ならば撒ける!)
彼女は茂みの中へ飛び込み、ゆっくりと路地から離れる。
数秒後、追手たちが通りすぎていく音が聞こえた。
その音がしている間、じっと息を潜めていたが、何も聞こえなくなるとまた前進を始めた。
「おはよう」
「チーッス」
俺と夕薙が雨宮たちと昼食を食べた次の日、教室に入るといつもの様に挨拶が飛び交っていた。
授業前に宿題を終わらせようとするもの、友だちと駄弁っているものと様々だが、ただ一人浮いている人物がいた。
「すぴ~」
そう、朝から寝ている雨宮リリである。
なんかの病気があるからか医者の診断書まで持参して1時間目開始までは寝ていられることになっているらしい。
こくん、と船を漕いでいるところに声をかけた。
「雨宮、おはよう」
…………ピクン。
「おはようございます」
しばらく間が開いた後、体が小さく跳ねて挨拶が返された。
「今日も眠そうだな」
「いえ、お陰様で目が覚めました」
何故か夕薙もそうだが俺の声を聞くと目が覚めやすいらしい。
本人たち曰く目覚ましボイス、だそうだ。
普段ならこういうことはしないのだが、遡ること数日前。
「ふむ……」
雨宮はいつもの技術書ではなく快眠・目覚ましグッズの特集雑誌を読んでいた。
「珍しいな、いつものサバイバル技術、とかじゃないんだな」
雨宮が読むのは日常生活には必要のない専門技術が書かれた技術書が多い。
もちろん機械関係の技術書も読んではいるが、基本的にどこで売っているのか気になるような本のことが多い。
「ええ、私なりに思うところがあるので」
「……日直か?」
「はい、そうです
いつまでもシンクに迷惑はかけていられませんから」
半ば当てずっぽうだったが、当たっていたようだ。
雨宮はホームルーム中も寝ているため、日直の仕事は茨木がこなしている。
感情表現が一見乏しい雨宮だが、人一倍優しいため茨木に負担をかけていることを申し訳なく思っていたらしい。
この時雨宮が日直をする日は数日後に控えていた。
「だったら俺が起こしてやろうか?」
「檪原さんがですか?」
雨宮は目を丸くする。
それは当然の話しだが、コレでも毎朝夕薙を起こしている、という実績もある。
試してみる価値はあるはずだ。
「コレでも夕薙を毎日起こしているんだ
試すぐらい大丈夫だろ?」
「そうですね
ではお願いします」
その翌日、俺がひと声かけただけで目が覚めたため、結局俺が起こすことになったのだった。
キーンコーン
「おはようございま~す
日直さん、号令おねがいしますね~」
雨宮が日直の当日。
「起立
着席
礼」
ゴツン
「それじゃ、出席をとりま~す。」
果たして目が覚めていたのか号令をかけたのは雨宮だった。
しかし、今日は来るのが少々遅くなり、起こすのが遅れてしまった。
まだ寝起きで寝ぼけていたのか古臭いボケとともに頭を机にぶつけて自滅している。
先生は先生で号令が間違っていたことも雨宮が号令をかけていたことにも気づいてはいないようだった。
生徒のことぐらいちゃんと見ろよ。
ちなみに頭をぶつけたのは雨宮だけだった。
「雨宮さん」
「はい」
と雨宮が机に突っ伏したまま答える。
『…………』
と教室全体が静まった。
「…………(パァァ)」
ついでに先生は目を輝かせながら涙ぐんでいた。
そういえば、雨宮が朝の出欠確認で返事をしたことはなかったな。
そして雨宮がムクリと体を起こした。
「先生、時間が押してます」
『雨宮が起きてる…
天変地異の前触れか?』
『いやいや、地球滅亡かもよ?』
「先生うれしい!!」
と周りからのヒソヒソ声を消し飛ばしたのは担任の歓喜の声だった。
「雨宮さんが起きてくれて先生うれしいよぅ
やっと生徒一人起こせないダメ教師の汚名が挽回できるよぅ」
「先生、ごっちゃになってます
あと、時間…」
雨宮は歓喜している先生のペースがわからないらしく、うろたえていた。
「今日はみんなで派手に遊びましょう!」
「そんなことが許されるとも?」
「はへ?」
調子に乗った担任の声を遮ったのは今日の1時間目の担当の教師だった。
「だから君はダメ教師と呼ばれるんだろう!」
「お、お父さん、ごごご、ごめんなさ~い」
「えぇい、お父さんと呼ぶな!
私の娘ではないだろう!」
「昔の癖でぇす!」
「なお悪いわ!」
この教師同士の不毛な言い争いは1時間目終了まで続くのだった。
思わぬ自由時間となった生徒たちにとっては対岸の火事であり、誰も止めることはしないのであった。