(16)
それから数分後、研究室のものと思われる扉の前に着いた。
「灯りがついてるってことは・・・・・・、中に人がいるってことですよね?」
「ああ、そうだろうな」
フェイトはと言うと、早くも立ち直り、いまや気にもしていないといった感じだ。
本当に図太い。
「開けていいんですかねぇ・・・・・・、ほら、ここまで来てなんですが、不法侵入してますし、僕ら」
「最初に入ったのはお前だ」
「それを言うなら、ここの入り口を塞いでいた棚壊してのはアインさんですよ?全く容赦無いんだから」
と、その時室内で何か、いやこの場合は誰かと言った方が正しいか、が動いた気配がした。
「どうした。入って来ないのかね」
続いて、人の声。
「失礼する」
俺はそうとだけ断りを入れ、扉を開いた。
正面にある大きな机に付属している椅子を机側ではなくこちらを正面にし、彼は座っていた。つまり、扉を開けた俺と、彼は正面から対峙する形になった。
「どうしたのかね、その顔は。私の顔に、何かついているかね?」
彼は薄笑いを浮かべながら尋ねる。
「こいつであってるのか?」
首だけ振り返り、背後に居るフェイトに尋ねるが、そのフェイトも訝しげな顔をしていた。
「確かに・・・・・・アードヴォーク様っぽいですけど、僕の知っているアードヴォーク様はもっと・・・・・・なんていうか、おじいちゃんでした。それに、喋り方も確かこんな感じじゃかったと思います」
視線を彼に戻す。
彼は、にやにやと笑ったままだ。
俺は彼を足元から頭のてっぺんまでよく観察する。
歳は、どこをどう見ても二十代後半から三十台前半。
簡素ではあるが決して貧相では無い濃い緑色のローブを着ている。両腕は椅子の肘掛に置かれており、足は組まれている。
「なんていうか・・・・・・、偉そうですね、この人」
ぼそ、っとフェイトが俺に耳打ちをする。すると、それを耳ざとく聞いていたらしく、彼はくっく、と笑い始めた。
「な・・・・・・なんですか」
その様子を不気味に思ったらしく、いつの間にかフェイトは俺の後ろに隠れるようにしつつ、杖をその両手で握り締めていた。
「偉そうかくっく、偉そうねぇ・・・・・・まぁ、許してやろう。ひよっこと騎士などには、私の偉大さなど理解できなくても仕方が無い」
無意識のうちに眉間に皺が寄り、剣の塚柄に手が伸びる。
「お前、アードヴォークでは無いな」
解りきっていることでは有るが、時間稼ぎの意味も含めて質問する。
剣の柄を握り締め、これからのことを脳内でシミュレーションし始める。
もしもの場合にはここからどうやって逃げるべきか。フェイトはどうするか。この男にはどういう意図があるのか。
「ああ、アードヴォークというのは、この男のことか。そう言えばそんな名前だったかも知れないな」
彼はゆっくりと立ち上がりながら、朗々と演説するかのように言葉を紡いでいく。
何かこの喋り方、どこかで聞いたことがあるような気がする。
頭の片隅で、堅く閉ざした記憶が少しずつ開いていくような、そんな気がした。
「と言うことは、この男の客か。申し訳ないが、今この体の持ち主は私なのでね、どうやら君たちの用事は済ませられそうも無い」
「ど、どういうことですか」
背後から、フェイトの震える声が聞こえる。
しかし、この時点で俺の頭にはある一つの可能性が浮かんでいた。もしそうだとすれば非常に厄介だ。出来れば間違っていてほしいが、この状況から考えるとそれ以外の可能性は殆ど皆無だ。
「悪魔か?」
当たっていて欲しくない予想を口にする。と、彼は意外そうな顔をしてみせた。
「おや、たかだか騎士風情が、よくそれを知っているな。褒めてつかわそう。・・・その通り、私はこの男と契約をした悪魔だ」
「悪魔?・・・・・・って、なんです、アインさん」
最後の方は俺にだけ聞こえるくらいの小さな声だったが、これもまた彼・・・自称悪魔は耳ざとく聞いていた。
「そこのひよっこは、まだまだだな。私にもそういう時期があったとはいえ、いささか嘆かわしいな。おいそこの騎士、教えてやれ」
命令口調で指示され不愉快ではあるが、説明をしないと状況も理解できないだろう。
どうもこの悪魔は説明が終わるまで待っていてくれるようだし、と言うことで説明を始める。
「魔法は、基本的に神の名の下に元素を操るものだ、と言うことは解っているな?そこで使える魔法の
威力や程度と言うものは、本人の才能や魔力、そして神の加護の程度などによって決まるわけなのだが、それとは別に、もう一種類魔法がある。これは禁術の類だ。禁術とはつまり、自らの命を代償に使う魔法のことなのだが、この場合普通の魔法とは違い、悪魔や魔王と契約をする必要がある。悪魔や魔王は、契約者の望みをかなえるかわりに命を喰らい、その代償として契約者に望みを叶える為の大きな力を与える」
「望み?」
「ああ。元々はそういった部分は無かったようなのだが、そもそも普通の魔法で事足りないような大きな望みがないと、悪魔や魔王とは契約しない。そういった部分から、悪魔や魔王側もこちらのニーズに合わせてきたと言うか・・・・・・」
「商売みたいですね」
「ああ」
そういわれては元も子も無いのだが。
「ふん。まぁ良いだろう。つまり、この男は望みを叶える為に私と契約をし、私はこの男の望みを叶えた。故に、この男の命は私のものであり、命の無くなったこの体も私のものとなった」
「・・・・・・」
両手を広げ、不適な笑みを浮かべる彼。
「それにしても、この男の望みは何とも下らないものであったがな。いや、魔導師らしい、と言った方が良いか。それも中途半端に高位の魔導師にありがちな望みであった。まぁ、私も魔導師であったことがあるから、わからないでもないが・・・・・・」
魔導師であったことがある、だと?
一体どういうことだ。悪魔は生まれたときから悪魔であり、それ以外であるなど有りえない。
それとも、このように体をのっとり、その人間として生きている間魔導師を演じていた、と言うことか。
しかし、もしかしたら。一つだけ、別の可能性が脳裏を過ぎる。
その時、フェイトが後ろで叫んだ。
「アードヴォーク様は一体なにを望まれたんです?下らないものだなんて、そんな・・・・・・アードヴォーク様はそんな人では無いです!」
フェイトが杖を握り締めながら叫ぶ。
「ふん。ひよっこには解らないだろうな。元来、魔導師とはプライドの高い生き物なのだ。より高みを目指し、日々研究をし、己を磨く。しかし、人の世で生きる限り、周囲の人間の評価と言うものは切り離せぬ。だからこそ、この男はこんな森の奥で俗世間と己を切り離したのであろうが、そうそう上手くいくはずもあるまい」
何となく、嫌な予感がし始めた。
「王国の結界を破り、国王と后に呪いをかけたのはお前か」
この一連の話を聞いた時から、禁術の類かも知れないとは思っていた。あんなに厳重にかけられた結界を破れる魔法。そして、呪い。呪いは、悪魔や魔王の専門分野だ。もちろん彼ら以外でも、闇魔法や月魔法にはそういったものもあるにはあるが、だからこそ、悪魔の仕業であると断言できなかった部分もある。
「え、え、どういう・・・・・・」
その質問には答えずに、まっすぐ彼を見つめる。
恐らく、アードヴォークはシーダートに評価で劣ることが気に食わなかったのだろう。
しかしそんなことで嫉妬をする自分自身も許せなかった。
それで、国を出て一人で研究に没頭しようとしていたのにこいつをつれてシーダートは訪れてくるし、その上国に帰って来いと言う。
あのじいさんのことだから、恐らくお前はすごい魔導師なのだから、とかあの魔導装置はすごいだとか、アードヴォークのことを褒めちぎったのだろう。
しかし、それもアードヴォークには見下されているように思えて気に食わなかったのだろう。
そして、そんな時にこの悪魔に出会う。
いや、もしかしたら文献で探したのかもしれないし、この悪魔に唆されたのかもしれない。
その辺は本人じゃないからわからないが、とにかくアードヴォークはシーダートに対する嫉妬心から、この悪魔と契約してしまったのだろう。
「この偉大なる魔導師である・・・・・・いや、あった、か、私にしてみれば、このような小賢しい真似は本当はしたくは無かったのだがな。この男は、あの国で名を上げる事に固執していた。確かに、あの国は天空魔法では権威ある国であるからな、あの国で認められることは世界に認められる事に等しい。そこで、私は結界を壊し、呪いをかけ、この後私が、いや、この男が、それを全て解決する。それが筋書きだ。もしや、お前たちが国からの使いか?」
こくり、と小さくフェイトが頷いたのが解った。
「そうか、ならば致し方ない。お前たちは、ここには辿り着かなかった。途中で野党に襲われ、通りがかった私が助けたが時既に遅く、手紙だけ受け取った私は、国へ向かった。そういう筋書きにしよう」
男は少し考え込んだ後、そう呟きながらこちらに向かってゆっくりと近づいてくる。
「その前に一つ、聞きたいことがある」
俺は賢を鞘から抜いて、正面に構える。
「何ですかアインさん、この期に及んで!そんなこと、聞いてる場合じゃないですよ、速く逃げましょう!」
しかし、フェイトのこの訴えは無視をする。どうせ悪魔が相手なら逃げ切れるわけが無いし、ここまで近寄られたら背を向けるわけには行かない。それよりも、俺にとってはこの質問が、と言うよりもこの悪魔の正体のほうが重要だった。
「私か?良いだろう、冥土の土産に教えてやる。私は魔導師、ホーネット。この世界で唯一神を降ろせし偉大なる魔導師」
その瞬間、目の前が真っ暗になった気がした。
脳裏に蘇る、記憶。
真っ赤に燃える家々、死体の山。
そして、目の前で起こった、出来事。
俺が、全てを失った日の、こと。
「会いたかった奴、か、なるほど、確かにそうだ」
彼女の言葉が響く。
会いたかった奴に会える。なるほど、確かにこいつは、会いたかった奴だ。
「え、この人知ってるんですか?アインさん」
フェイトが後ろから顔を出す。
「おいひよっこ。私の名を知らないだと?お前の師匠はお前に何を教えている?」
彼が、眉間に皺を寄せ、右手を上げる。
「教えてやる。お前の名前は、今の世では禁忌だ。忌まわしい魔導師として、魔導書にもどこにも載っていない」
すると、彼の視線がフェイトから俺に移った。
「なるほど、そういうことか。腑抜けた魔導師共め。しかし、そういうことなら何故お前は私のことを知っている?」
しかし、その質問には答えない。
「おい、フェイト、逃げろ」
その代わり、フェイトの肩を右手で通路の方に押す。
「え、でも、アインさんは」
次の瞬間、彼の右手が赤く光ったのが見えた。
そして、正面から巨大な拳で殴られたような衝撃。
次の瞬間には、背中が後ろの壁に激突し、ぼきっという嫌な音が聞こえた。
「アインさん!」
横からフェイトが覗き込んでくる。
真後ろにいたはずだから、何とか逃げるのが間に合ったらしい。
「たかが騎士風情が・・・・・・」
コツコツと靴音を響かせ、彼―ホーネットが近づいてくるのが解る。
「答えろ。何故、貴様は私の名を知っている」
目の前までやってきたホーネットが、俺の襟首を掴んで持ち上げる。
足が浮いたのと同時に、ひらり、と眼帯が落ちた。




