エピローグ
「またここに来ることができるとは、思ってもみなかった」
雑踏をかき分けるように進みながら、エリスが口を開いた。
「わたしにとっては想い出の場所だぞ。……なにをそんなにキョロキョロしているんだ?」
彼女の視線の先には人込みに揉まれながらも、なんとかして護衛としての役目を果たそうと、周囲を隈なく警戒しようとしている武の姿があった。管理局のダークスーツが街中ではとても浮いた存在に見える。
「なんだよ、お前もこの街に来たことがあるのか?」
武もこの街には見覚えがあった。かつて足を運んだときには、ここは静寂と瓦礫に埋もれたゴーストタウンだった。それがいま中心部のみとはいえ、活気を取り戻しつつある。
「そうか。……お前はまだどこでわたしに会ったかわからないんだな」
たつみの正体を知った武は、それからも彼女とあまり変わらずに接していた。
もちろん、エリスを助けるために必死になっていた頃には考える余裕などなかったのだが、ひと段落したあと、美咲と高志に一週間も年頃の女性と同棲していたことを言及されたときには、大いにからかわれたものだ。
「そういえば、お前はまだわたしの護衛を続けていいのか? 他にも仕事があるんじゃないのか?」
エリスはさりげなく武の事情を訊き出そうとする。
本当ならずっと護衛を続けてもらいたいくらいなのだが、それではコイツに迷惑だろう。武がいつまで護衛を続けてくれるのか気になって仕方がなかった。
「んっ、そうだな」
武はそこで一旦言葉を切ると、どこか浮かない思案顔をする。実際のところ、国内で大立ち回りに次ぐ大立ち回りをかましてしまった結果として、倭国情報管理局特別対策室は現在、査問が行われている最中だ。本来ならば事実上の凍結や解散が妥当な処分らしいのだが、エルシア王国国王としてのエリスの口利きがあって、それだけはまぬがれた。
「俺が倭国にいると、なにかと不都合な点が多いらしい。ほとぼりが冷めたころに帰還させるから、それまで時間潰してこいってさ」
一途な武の性格では査問でボロを出す、と氷室が判断したことがようだ。
武としても現場を知らない、生っ白い(なまっちろい)背広組の連中と話しをするのは本意ではなく、ちょうど良かった。心配なことがあるとすれば、帰国したときに氷室にこれでもかとこってりしぼられることだろう。
エリスとしばらく歩き続けると人通りのない裏町の方へと出た。復興が始まっている中心部と比べると雲泥の差だ。生々しい砲弾の跡があちこちに残っていて、ここが戦場であったことを思い知らされる。
「視察なら中心部やインフラ関連を見て回ればいいんじゃないのか?」
武はそう口にすると、市街地に戻るように進言してきた。お忍びで歩き回っているとはいえ、仮にもエリスはこの国の代表だ。治安に問題があると言わざるを得ない地域に足を踏み出すのは護衛として認可しがたかった。
「いやだ。わたしはこっちへ行きたいんだ。護衛なら主人のわがままは聞き入れるものだろ」
そういってエリスは急に駆け足になると、どこかへと走り去っていく。なにか目当ての場所でもあるのだろうか、武はそんなことを考えながらリズミカルに目の前を走るエリスの背中を追った。
彼女が辿りついた先は、今にも崩れ落ちそうな建築物の前だった。
エリスはその建物の中に迷うこともなく踏み込んでいった。だが、武の足はそこから先へは動かなかった。
「なにしてるんだ。早く来いよ……っ!」
いつの間にかニ階の窓から顔を出しているエリスに声をかけられるまで、武は停止した時間の流れの中にいた。
この建物の中で戦闘をしたことがある。ちょうどエリスと出会う前の頃だったろうか。
彼女と同じで現実よりも気持ちが先走りがちな少女だった。あの子は、いま元気にしているだろうか? 武は連絡のとりようがない少女の姿を思い浮かべながら、窓から身を乗り出して声をかけてくるエリスの方を見た。
ぼんやりとした輪郭の記憶が、彼女とエリスを結びつけたような気がした。
「なに無視してるんだよっ! わたしが誰かに襲われたらどうする気なんだ? 早く追いかけてこないとどこかに行ってしまうぞ」
エリスはからかうよう伝えると、さらに駆け出した。
この建物の屋上――一番高いところ――めがけて彼女は突き進んでいく。階段を駆け上って、息を切らしながら屋上へ辿りつくと、街が一望できる景色が広がっていた。
「崩れ落ちそうなのに、内部はやけに頑丈な建物だな」
屋上にはすでに武の姿があった。エリスが息を切らしているというのに、彼はやけに涼しげな表情をしている。
「そんなにホイホイとチカラを使うな。真面目にここまで上ったわたしが間抜けみたいじゃないか」
「そんなこといっても、俺は護衛だから異常がないか先回りするのが仕事なんだって」
「そういえば、どうしてわたしが屋上に行くとわかったんだ?」
「その……、バカは高い所に上りたがるって言うだろ」
「む……っ! わたしがバカだと言いたいのかっ!」
「あー、そうじゃなくてだな。あれだ。バカって言うのは侮辱する意味で使ってるんじゃなくて……」
そこで言葉を区切ると武は雲ひとつない空を見上げた。それにつられてエリスも空を見上げる。
「性根が真っすぐなやつのこともバカって言うんだよ」
空を見上げている武の表情をエリスは窺い知ることはできない。だが、この言葉を受けた自分の頬が紅潮していくのを感じた。大言壮語で飾らずに素っ気なく言う武の言葉遣いを、エリスは気に入っていた。
「バ、バカって言った方が、バ、バカなんだから……な」
普段の調子と一歩下がって奥ゆかしさを醸し出すエリスのことを、武は不思議そうな顔で見た。なんで頬が赤くなっているかさっぱりわからないといった調子だ。
「ど、どうせお前は、わ、わたしのことなんか、ななな、なんとも想っていないんだろ」
片言のロボットのような口調に変わってしまったエリス。そんな彼女の前髪を武は不意に撫でた。
「なっ……、ななな、なんで――」
「なんとなく髪を撫でたくなったんだよ。それくらいしてもイイだろ」
不器用そうに髪を撫でつけてきた武の手に、エリスはそっと触れてみた。そこには、血の通ったあたたかさがあった。
「少しだけ昔話をしてやるよ」
ふとエリスは微笑ましげな顔を見せると、頭二つ分高い所にある顔を見上げた。
「なんの話だよ?」
「わたしとお前が出会った話だよ」
「情報管理局の執務室だろうが?」
「その前に一度、会ってるんだよ」
「いつだよ? それ?」
「これから話をするんだから、黙って聞いてろっ!」
そう言って少女は少年を地べたに座らせると、彼女はその隣に寄り添うようにして座った。
これからするのは出会いの物語。
この話しが終わるころには、もしかすると日が暮れているかもしれない。
「日が暮れているかもな」
「なんのことだ?」
「この話しが終わる頃のことだよ」
「そんなに長い話になるのかよ。モーテルに帰ってからにしようぜ」
「い・や・だ。それだと台無しになる」
「なにが台無しになるんだ?」
「お前は知らないだろうが、この場所は特別なんだ」
そう。
ここでわたしはこいつに出会って、『人殺し』と言ってしまった。
「小難しいことを気にするな。そんなことよりも、この話が終わった頃には、お前の大好きな夜空の解説ができるぞ。どうだ、うれしいだろ」
むっ、妙に空回りした台詞になってしまったな。
だが、今日は快晴だから夜空もすこぶる見事なものになるだろう。
「この場所で一度台無しな出会いがあった。史上まれにみる最悪な出会いだ。今日はそれを最高の出会いに変えるためにここにきた」
少女は気を取り直して話しをする。少年はぽかんと口を開いたままだ。
「初めましてだ、望月武。わたしの名前はエリス・ティーダ・エルシア。不躾な身だが、よろしく頼む」
そういって挨拶をしてきた少女は心の底から微笑んで、まるで天使のような顔をして、あらためて『出会い』の話しを始めた。
そこにはエリス・ティーダ・エルシアという《国王》は存在しない。
そこには望月武という《血塗られた子供》は存在しない。
大きな満月が輝く鮮やかな夜空の下には、ひと組の少年と少女の姿があるだけだった。
そして子供たちは、お互いのことを理解し合ったとき、それぞれの明日を信じて歩み続けることを誓うこととなった。
いつまでも、いつまでも。
子供たちは歩み続ける。
ときとして、後悔や怖れなどの負の感情に怯むことがあっても。
ときとして、大事な何かを失いそうになっても。
いつまでも、いつまでも。
子供たちは歩み続ける。
進んだ先に、一筋の光があることを信じて……。
ご愛読いただきありがとうございます。
続きが気になる方がおられれば、喜んで続編を投稿させていただきます。




