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第五章 起死回生

「おやおや。目が覚めましたかな」

 朦朧とした意識の中でも、耳障りな声の主が誰なのかははっきりと分かった。エリスは声の主を殴り飛ばしたい衝動に駆られたが、わずかに身動みじろぎしただけで終わる。両手は後ろ手で拘束されていた。どうやら車に乗り込まされたらしい。狭い車内の後部座席に放り込まれたエリスは、なんとか顔だけを助手席の人物へと向けた。

「本当なら今頃あなたの身柄は倭国の警察の手の中にあるはずだったのですが、予定が変更になりましてね」

 ヒルツが嫌味な笑みを浮かべてこちらをみてくる。その言葉を耳にしてやはり卑劣な男だとエリスは下唇を噛みしめた。こんな男にわたしの父は暗殺され、いまわたし自身もその毒牙にかかろうとしている。わたしはこんなところで死ぬのだろうか。彼女の顔を絶望が支配しようとする。

「ああ、せっかくなら私の子供でも孕んでもらいましょうか。そうすれば、難なくエルシアを平定することができる」

 ヒルツは助手席から身を乗り出すと、後部座席に拘束されているエリスへと顔を近づけてきた。眼前に差し迫ったあご肉を蓄えた醜い顔を見て、彼女は理性を取り戻した。こんなやつに好き勝手にされるわけにはいかない。きっとアイツが助けにきてくれる。

「汚らわしいっ!」

 ぎっと目を大きく見開いたエリスはヒルツの顔へとツバを吹きかけた。びちゃ。ヒルツは無言でそれを手で拭うと、そのままエリスの頬を平手打ちする。

何回かビンタされても、エリスが悲鳴を上げることなく、ただひたすら耐え続けた。こちらが怖がっている姿を見せればこの男を狂喜させることになる。わたしはあくまで泰然自若として威厳と尊厳のある国王を演じる必要があるのだと自分に言い聞かせる。

この程度の理不尽に屈してしまったら、わたしを信じてその身を捧げてくれた人々へ何と言うことができようか。いや、顔を合わせる資格すらないだろう。

 彼女は精一杯のチカラで目の前の悪党を睨みつけた。恐怖の感情を表に出さないエリスに苛立つヒルツは不愉快を隠さず、さらにエリスを叩き続けた。

「親の七光で王位を継承して、一人前を気取るなよ。小娘がっ!」

 アイツを信じて待つ彼女の瞳には、そんなヒルツが自分よりもひどく小さい存在に映った。

見た目や体つきならヒルツの方が大きいだろう。

だが、心の大きさならどうだ。

国を想う心。エルシアの国民を心から信じるチカラ。

そういったものに目の前の男は何の価値も見出さないだろう。だが、わたしはそういったものにこそ価値を見出す。わたしは信じる人々の献身によって、生かされているのだから。不意にエリスの唇が動く。

「ああ、お前の言うとおりだ。わたしは世間知らずで、どこでもいるただの十七歳の少女だった」

 こちらが屈したと思ったのか、得意顔をするヒルツ。だが、彼女の言葉には続きがあった。

「でも、それは終わりにする。わたしは、エルシア国王として立派に父上の後を継いでみせる。お前のように非道な手段を用いて国政をおさめたりなどはしない。信頼のチカラをもってエルシアを平定してみせるっ!」

 エリスの瞳が壮絶な意志の光を帯びる。わたしはまだ何もしていないただのお飾りの国王だ。こんなところで犬死するわけにはいかない。

「くだらない冗談ですな。あなたの護衛はもう死んでしまったというのに」

「……どこのどいつがアイツを殺したんだ?」

 ヒルツの捨て台詞に、エリスは喰らいつく。

「俺だよ、お姫様」

 ハンドルを握りながら、ローランが答えた。

「どうやって殺したんだ?」

「至近距離からサブマシンガン(SMG)をぶっ放したんだ。パラベラム弾が体をキレイに貫通していたぜ」

「……それだけか」

「あぁん!?」

「それだけかと訊いているんだっ!」

「ああ。そんだけやりゃあの世へ切符代としちゃ充分だろうぜ」

「ふんっ。たったそれだけのことで、アイツは死んだりしないさ」

 わけがわからないといった様子のローラン。

「どういう意味だ、そりゃ?」

「聞こえなかったのか、犯罪者。アイツは生きてると言ったんだよっ!」

 気でも狂っているのかといった表情でローランはエリスを見る。だが、どこか違うようだ。彼女の瞳はどこか遠くの何かを信じているように思えた。

「アイツが言ってたんだ、『〈イージスの盾〉は誰かが信じる限り破れることはない』ってな」

 それがどうしたといわんばかりの顔をするローランへ向けて、エリスはさらに言い放った。

「わたしはアイツを信じてる。だから、きっと助けに来る」

 世間知らずな少女の戯言だ。その車に居合わせた誰もがそう思った。だがもしアイツがこれを聞いていたならば――。

車の中には男たちの笑い声が響き渡った。



 ロクでもない人生だった。

 守りたいものを守れない。

 信念を貫くことができない。

 そんなクソッたれの軟弱ものだった。

 ――なにかの声が聞こえた気がした。

 誰の声だ?

 ワタシハアイツヲシンジテイル。

ダカラキットタスケニクル。

 けっ、信じるだけでなんでもかんでも上手くいくかよ。

 ただ、信じるだけじゃダメだぜ。

 生き残るために努力を欠かしちゃいけねえ。

 シッカリシナサイヨ。

 アンタガシンダラ、アタシハドウスレバイイノヨ。

 あぁんっ!

 どこのどいつが死ぬってよ。

 オキナサイ。

オキロッテイッテルノヨ、コノバカッ。

 誰がバカだっ!

「俺はそんな軟弱なやろうじゃねえよ」

 そう叫んだつもりだったが、喉から出てきたのは乾いた搾りかすのような声だった。血がべっとりとこびれついた廊下には、倒れたままチカラなくしている武の姿があった。うっすらと瞼を上げて視界に入ったのは、こちらを心配そうな表情をしてみている仲間たちの姿だった。

「おや、気がついたようですよ」

 冷静そうな声だが、高志の表情には一抹の不安が感じ取れた。そしてその隣には、つぶらな瞳に涙を浮かべている美咲の姿があった。

「バカっ、心配したんだからっ!」

 そういって、美咲は取り乱した表情を袖で覆い隠す。すぐに何があったのかを武は悟り、おのれの不甲斐なさを嘆いた。……やられちまったみたいだな。ローランに撃たれた直後から記憶が欠落している。どうやら死の淵を彷徨っていたようだ。

 廊下には、針がなく圧力で打ち込むタイプの見慣れた注射器が一つ落ちていた。どうやら、美咲たちが遺伝子活性剤を注射してくれたらしい。まったくどこでちょろまかしてきたんだよ。武は仲間の狡猾さを微笑ましく思う。

「武はここで血だまりをつくっていたんですよ。僕たちが駆けつけるのがあとニ分遅かったら死んでたところですよ」

 心理状況を手に取るかのように理解した高志が説明してくれた。屋外で警戒しているはずの仲間たちの姿がここにあるということは、サミット会場に大きな状況の変化があったことを意味する。おそらく、テロリストたちの危険性がなくなったということだろう。

「……ああ、テロリストなら問題なしです。このまま放っておけば任務完了です」

 警備任務のことなどどうでもよかった。いま彼が知りたいのは、もっと大事なアイツに関することだ。

「たつみはどうなった!?」

「それは……」

 次の言葉はいくら待っても出てこない。高志は堅く口を閉ざしたままだ。武の脳裏に最悪の予想がよぎった。まさか、もうアイツは死んじまったのかよ……。どうなんだっ! 黙っていないではっきり教えてくれっ!

「……あたしが話すわ」

 そういって美咲はうなだれた顔をしている武の瞳を覗き込んだ。

その瞳が普段と全く異なり、まるで怯えた子供のような瞳をしていることに気づくと、美咲はわずかに眉をひそめた。こんな瞳をしている武を見るのははじめてのことだった。それほどまでエリス姫のことが心配なのだろうとすぐに悟った。

だが、このバカとたつみが出会うことはもうないだろう。

さきほどまで生死の境を彷徨っていた武には気の毒だが、冷酷すぎる事実を突き付けなければならなかった。たとえそれが非情なる現実であったとしても伝えなければならない。それが指揮官の責任だ。彼女は重苦しい沈黙を破った。

「たつみはエルシア政府専用車両により護送されるところが目撃されたわ。警察は治外法権から、その車両をノータッチで検問を通した。……それと、警察から漏れ聞いたんだけど現在、エルシア政府専用旅客機が発進準備に入ってるらしいわ」

その言葉を聞いて大きく見開かれた武の瞳には、最悪の結果だけは避けることができたという安堵の色がうかがえた。しかし依然としてエリスの状況は好転しているわけではない。

 彼は首だけを床から浮かすと、自分の傷の具合を確かめた。情報管理局のダークスーツには、ぽっかりと五つの弾痕が穿たれていた。だが出血はもうしていないようなので、傷口はきちんと塞がってくれたようだ。

慎重に手足を動かしながら、武は体に異常がないか確認する。大丈夫だ。どこも問題はない。体に力を込めてゆっくりと起き上がろうとする。

「なら、まだ負けちゃいねえな」

 起き上がりきったと思った瞬間、武は強烈なめまいに襲われてバランスを崩し、壁に手をついた。外傷は塞がっているようだが、体力は極端に落ちているようで、立つことさえもおぼつかない。そもそも生きていること自体が幸運に恵まれているのだから、当然のことだろう。

それでも武は自分を奮い立たせた。へっ。満身創痍か。だが、かまわねえ。動けるだけ、まだマシだ。彼は必死の想いで足に「動け」と念じた。仲間一人守れないようなやつにはなりたくないだろ。俺はアイツを守り抜くって心に誓ったはずだぜ。

 武は足を踏み出した。ゆっくりとだが確実に前に進んでいく。そんな姿の仲間を目の当たりにして、美咲が声を上げた。

「ちょっと、そのケガでどこ行くのよっ!」

 武は当たり前のように返事をする。

「決まってんだろ。アイツを助け出しに行くんだよ」

 振り返らずに返事をして、この場を後にしようとする後ろ姿。なぜそこまでしてあの子を守ろうするのか。その理由がわからない美咲はあっけにとられて呆然と見送ろうとした。少しして、はっと我に返った美咲は思わず胸ポケットから拳銃を取り出した。

「動かないでっ!」

 銃口を武の背中へ向けながら、美咲は警告を発した。

 このまま武を放っておけば、間違いなく殉職者のリストに名前が載ってしまう。そんなことは美咲でなくともわかることだった。カチッという撃鉄が上がる音が聞こえたはずだが、武は足を止めない。あたしが撃たないとでも思っているのか。

なめられていると判断した美咲は武の足元へ向って狙いをつけ、引き金を絞った。

 静寂につつまれた廊下に銃声が響き渡る。

「動くと命令違反であんたを射殺することになるわ」

 剣幕のある声。

武が足を止めた。

「美咲」

 武は振り返りながらそう呼びかけた。

そしてそれから、なにも言わずに美咲の顔を見つめ続けた。武の瞳には、もう弱々しさや情けなさの類は微塵も感じられない。雲ひとつない大空のように澄んだ瞳には何か守ろうとする断固たる意思が感じられた。

 それでも美咲は銃口を武へ向けたまま引き締まった表情を崩そうとしなかった。このバカが守ろうとしているのは、きっと自分の命よりも大事なものなのだ。だけど、それでもあたしは、このバカに生き残ってほしい。そういった想いが彼女の心の天秤を支配していた。美咲ははっきりとした口調で告げる。

「あたしはね、あんたさえ無事なら、たつみがどうなろうと知ったこっちゃないのよ」

 武はなにも言わずこちらを見る。美咲は言葉を続けた。

「あんたの命はあんただけのものじゃない。あたしは、あんたを守りたい」

 それを受けて武が僅かばかりの言葉を発した。

「このまま行かせてくれ」

 そう言った矢先、武は立ちくらみしたかのようにふらつき壁に寄り掛かった。

 胴体だけでも銃創が五つできていたのだ。他にも打撲や裂傷など細かい傷は数え切れないほどあったのだろう。美咲がきりっと唇をかみしめる。口の中に錆びた鉄の味が広がった。立っているだけでも。いや、生きていることでさえも奇跡に近いのに……。なんでそんなに必死になるのよ。彼女は自らの想いを押え切れず、今にも泣き崩れそうな顔をする。

「いやよ。あんたクラスの実力があって、死にかけたのよっ! ……今度は生きて帰れないかもしれない」

 だが取り乱した叫び声のようなものは、武の歩みをほんの少しだけ留めただけだ。

「俺はアイツを守りたい。アイツとの約束があるんだ。だから、俺をこのまま行かせてくれ」

 武は振り向かずにそれだけ口にすると再び歩み始めた。その刹那、銃声が響く。足もとでオレンジ色の火花が散った。

「動かないでっ!」

 ゆっくりと振り向いた武の視界には、硝煙の立ち上る拳銃を手にする少女の姿があった。それを目にして彼はおもむろに口を開き「殺すのか」と問いかけた。

「足を撃つわ」

 銃を持つ美咲の手に震えは窺えない。

「痛いだろうな」

「命があるだけマシよ」

 無表情のまま武は答える。

「生きたままの屍になってもかよ」

「生き残ることに価値があるわ」

 武には彼女が本気かどうかよくわからなかった。

ただ銃口に迷いはみえず、正確にこちらへと向けられていた。だが、そんなことは武にとってどうでもよかった。いまはただ前に進むだけなのだから。

「ただ生きてるだけの人生に価値はねえよ。俺たちは《血塗られた子供たち》なんだぜ。今日は偉そうなやつに『バケモノ』って言われちまったんだよ。……まったくよ、殺すために生まれてきたんじゃないんだぜ」

 おそらく後半は自分へ向けられた言葉なのだろう。

「お前が俺を大事に想うように、俺はアイツを大事に想う。護衛対象なんかだからじゃない。大切な仲間だから大事に想うんだよ。その……なんだ、任務ってのは理由の一つに過ぎねえんだ。もっと正直言うと、あれだ、オマケだな。お前にもなんとなくわかるだろ。がむしゃらに仲間を守りたいっていう気持ちがよ」

 そう言って淋しげに武はにやりと笑うと背を向けて歩み去っていく。

美咲はそんな彼の足へ銃口を向け、狙いをつけた。右足の太ももを貫けば、満身創痍の彼を殺すことなくこの場にとどめることができる。

美咲は兵士特有の引き締まった顔をすると引き金にかけた指に念じた。武の足を撃ち抜け、このままむざむざ死ににいかせるな。だが、指は動かなかった。引き金を絞る行為を、これほどまで難しく感じたことはいままでなかった。

 彼女が武のことを大事に想うように、武はエリスのことを大事に想う。

そんな言葉を返されてしまっては、美咲にはどうしようもなかった。彼女にとっては最悪で最高の返事だっただろう。大事な仲間は死ぬかもしれないが、目の前のバカは、やはり最高の仲間だと認識する機会だったのだから。

美咲はチカラなく銃を手放した。そして、目の前から立ち去ろうとする大きな背中へ意地悪された天使のような表情をして「……バカっ」と告げた。

それは小さな声だったが、ちゃんと届いていたようだ。

「悪いな。帰ってきたら、謝る」

 ちゃんと返事がしてくれたバカのことを、やはり美咲は嫌いになれなかった。



 建物の外には、やるせない表情をしている平松刑事の姿があった。感慨なさげに煙草を吸いながら、黒い乗用車に背中を預けるようにしている。おそらく彼の愛車だろう。

「しけた面だな」

 ゆっくりと歩み寄りながら武は素っ気なく声をかける。こちらへ気づいた平松は煙草を肺いっぱいに吸い込むとため息の混じりに吐き出した。

「このままにしておけば、晴れて事件解決するらしい。俺は何もするなって上から釘さされちまった」

 どうやらそれが、このやるせない表情の理由らしい。警察という組織の一員である以上、命令には従わざるを得ないのだろう。

「まあ、そんなところだろうな」

 武も倭国情報管理局という組織の一員だ。だが上司にムリヤリなお願いごとをして、ひとりだけまだ任務を続けようとしている。さらにここでも武は豪快な頼みごとをする。

「なあ。車のカギ、貨してくんねえか」

「なに言ってんだ!?」

 唐突な頼みにそう切り返しながらも、目の前のボーズがどういう心づもりかわかってしまった平松は思わず煙草を落とした。

「俺にはまだやることがあって、これから空港まで大急ぎで向かわなくならねんだ。タクシー呼んでたら、間に合わないぜ」

 平松は一瞬だけ目を光らせて、血と硝煙の臭いを漂わせている、血と埃にまみれた穴だらけのダークスーツの少年をみた。彼は初めて会ったときと変わらない……いや、それ以上の精神力を秘めた瞳をしていた。

平松は、そんな姿をした自分より遥かに年下の子供と自身とを比較してしまう。そして彼は、どうして俺はここで油売ってるんだろうと疑問を抱き、それと同時にそのことを悔んだ。どうやら、まだこのボーズの戦いは終わっていないらしい。上からの命令さえなかったら、俺はどんな行動をするんだろうか。

「ほらよ」

平松はポケットにあった車のカギを武へ投げ渡す。

「いいのか?」

あっさりカギをくれたことに武は拍子抜けしてみせた。どうやら、平松に警察という立場があるので、車のカギなんぞ渡してくれるわけがないだろうとたかを括ってたようだ。ちなみに、最悪の場合は車ごと強奪しようと計画していた。

「テロリストにでもぶん捕られたことにするから、かまわねえよ」

 さらに平松は言葉を続ける。どこか躊躇いがちに、それでいて失いかけている大事なものを取り戻すかのように尋ねた。

「おめえは、なんでこんなに必死になって、同僚さんを守ろうとするんだ? そんなに長い付き合いがあるようには見えなかったが」

 武は持ち前の挑戦的で不屈のような表情を取り戻す。その質問に答えるには、二秒あれば十分だった。

「決まってんだろ。アイツが仲間だからよ。俺は仲間一人守れねえような存在には、なりたくねえんだ」

 それだけ言うと武は運転席のドアを開けた。無免許の高校生だが、運転技術もしかるべき訓練を施されているので何も問題はない。キーを差し込みエンジンをかけた直後、不意に声が掛った。

「待ちなさいっ!」

 窓の外には、武は美咲と高志の姿があった。武は運転席の窓ガラスを開けた。

「お前らまで関わる必要はねえぞ。こいつは俺の用事だ。俺の任務は、アイツの護衛だからな」

 美咲たちがここへきた理由はすぐに察しがついた。任務の手伝いのつもりなのだろう。

だが、そんなものは不要だ。なぜならこれは俺の任務で、俺は大事な仲間を極力危険に晒すつもりはないのだから。たとえ一人で背負しょいこみ過ぎだと指摘されようとも、仲間を危険に晒したくはなかった。美咲は仲間を守るために誰もが言い出せないことを、エリスにはっきりと告げた。最悪の場合は護衛対象を見捨てる旨を告げた美咲の心中は、千本の針を呑み込むようなものだったろう。言葉では言い尽くせないほど、苦しみ抜いた末の発言だったはずだ。そんな彼女の制止を振り切って追撃するのだ。仲間を巻き込んでいいはずがない。

かける言葉がみつからなくて立ち尽くしている美咲の代わりに、高志が口を開いた。

「じゃあ、たつみさんを守る武を、誰かが守らなくてはなりませんね」

 突然の言葉に、武と美咲はぽかんとした。そんな様子を内心で予想していた高志は言葉を続けた。

「いつも守ってばかりでは不公平ですよね。たまには守られる側の気持ちというのも、護衛としては知っておくべきだと思うのですが」

 高志の言いたいことがわかったのだろう。美咲の顔がぱっと輝いた。

「あたしたちにも用事があったわ」

 彼女は得心したような顔をして弾けんばかりの声を出した。

「なんの用事だよ」

 武は高志の言葉の意味がまだわからないようだ。首をひねりながら、懐疑的な表情で仲間たちの思惑を推し量ろうとする。そんな武の姿をあざ笑うかのように、美咲は自信満々に告げる。

「たつみを守ろうとする、あんたを守る任務よっ!」

 天真爛漫の表情をする美咲と、にっこりとほほ笑んでいる高志。彼らはすぐに車へと乗り込んだ。想定外の一言に、しばし武は空いた口がふさがらなかった。



「どけどけどけ、道をあけなさいっ! 警察様のお通りよっ!」

 一台の黒塗りのクラウンが首都高速道路を全速力で駆け抜ける。覆面パトカー用の赤色灯を点灯させて、外部スピーカーで周辺の車両へと警告しながら、羽田へと向かっている。その車の運転席ではハイティーンの少女が、大興奮でハンドルを握っていた。

「きゃっ。こういうの、一度やってみたかったのよね」

 恋にときめく少女のような声。

乗り物に乗ると、子供のように無邪気にはしゃぎたがるのが美咲の悪癖だった。だがそんな仕草とは裏腹に彼女の運転技能は折り紙つきだ。ステルス爆撃機から普通乗用車まで彼女はありとあらゆる乗り物を高度なテクニックとともに乗りこなすことができる。

「……そんな気持ち、一生わからねえよ」

 助手席に座らせられている武が一応突っ込みを入れておく。彼には運転に関する専門的な知識はないのでよくわからなかったが、美咲の運転はとにかく速い。まわりの景色が流れるようにして映り変わっていき、さきほどまで前を走っていた車がすぐに後方に位置しては視界から消えていった。

それに加え今回は警察車両ということもあり、堂々とスピード違反をすることができた。公式的には何の権限もない倭国情報管理局とは大きな違いだ。車はさらに速度上げ、羽田空港へと向かって行った。

 そしてもうすぐ空港へ辿りつくというところで不審な車列を捉えた。黒塗りのセダンが三台一列になって走行している。どうやらお目当ての車に追いついたらしい。美咲がマイクを使って呼びかける。

「そこの黒い自動車、停まりなさい。指示に従わない場合は、実力を行使します」

 当然のことながら、その車はエルシア政府関係車両だ。治外法権の立場から美咲の呼びかけに従う義務を持たない。

「おいおい、実力を行使する……って、何するつもりだよ?」

「そんなの決まってんじゃないのよ。こういうときは、威嚇射撃が相場よ」

「そんな相場、聞いたことねえよ」

 悪癖全快の美咲を諫めるために、武は高志へ同意を求めようとする。高志は常に冷静さを保ち、状況を正確に把握することができる実力の持ち主なので、的確に彼女の欠点を指摘してくれることだろう。

「高志もそう思うよな」

「僕ですか。……そうですね。たしかに威嚇射撃は不適切だと思います」

 その言葉を聞いて、武は深く頷いてみせる。

こうやって美咲に言い聞かせておかないと本当に威嚇射撃をしかねないからだ。さてどうやってたつみを救出すればいいか。武が考えを巡らそうとしたとき、不意に高志が舌をふるった。どうやら、彼の言葉には続きがあったらしい。

「威嚇射撃ではなく、集中射撃を加えるべきでしょう。こちらは現在、追撃をしかけている立場です。敵の戦力を減らす好機と捉えるべきですね」

 そういって、高志は後部座席の窓から身を乗りだして射撃姿勢を取る。その手には、テロリストからの押収品のアサルトカービン銃が握られていた。

「おい、ちょっと……」

 予想外の行動に武は驚きを隠せない。国内でそれはマズいんじゃねえのか。ここは一般車両も走る道路だぞ、どこに人の目があるか知れたもんじゃない。下手なことをすると始末書ていどじゃ済まされないはずだ。そう思ったが、ときすでに遅かった。

高志は最後尾に位置する車両へ狙いをつけると、躊躇わず引き金を引いた。正確な射撃がテロリストたちの乗った車を襲う。

「おい、撃つんじゃない。どの車にアイツが乗っているかわからないんだぞ!」

 断続的な発砲音が響く中で、武が剣幕のある声を張り上げる。

だが、それにかまわず高志は銃撃を続ける。容赦なく撃ち込まれた銃弾は前方の車両のサイドミラーを吹き飛ばし、後部窓ガラスを粉々にし、車体に無数の弾痕を穿った。

 テロリストから若干の反撃もあったが、高志の正確な銃撃の前にすぐに沈黙する。最後尾の車は緩やかに速度を落とすと、そのまま突如として煙を上げ炎上しだした。おそらく燃料タンクを破壊していたのだろう。

美咲の運転する車は脱落した一台を乗り越え、さらに敵へと迫ろうとする。

 マガジンを交換するために高志は、一旦車内へと体を引っ込めた。彼は手を動かしながら、こちらを鬼のような形相で睨みつけている武へと告げる。

「大丈夫ですよ。最後尾の車両にはあなたの大事な人は乗っていません」

「なんでそんなことがわかるんだよっ!」

「定石通りなら、真ん中に位置する車両に人質を乗せるはずです。それに重要な人物が乗っている車ならば、他の車がバックアップに来るはずです」

 そういえば、前方を走る二台は仲間がやられているにもかかわらず見向きもしなかった。さらに高志の冷静な指摘は続く。

「僕はテロリストたちに状況を把握するのに必要な時間を与えながら、敵性車両を攻撃していました。気づきませんでしたか? わざわざ三○発(一弾倉)もの銃弾を消費して射撃していたんですよ。僕の専門技能はご存知ですよね」

 持ち前の冷静な表情をしながら、高志は淡々と事実を語っている。

いつも冷静沈着な高志は高度の情報分析に加えて、狙撃という強靭な精神力が必要とされる技能も優れていた。今回の場面では、相手の軌道を予測した上で銃撃する偏差射撃という行為を実行していた。

残り二台となった車からは、旺盛な射撃がこちらへ向けられ、数十発以上の銃弾がすぐ後ろへと位置するクラウンへと放たれた。それを回避するため美咲が鋭くハンドルを切る。車が左右に不規則に暴れまわる。車内は激しく揺れて、武は舌を噛みそうになった。高志も安定した姿勢が取れず、確実な射撃は不可能だった。

どうやら迂闊には近づけないようだ。揺れる車内からなんとか応戦を試みる高志だが、焼け石に水も同然だった。こちらは追撃する側だが、火力はテロリストの方が遥かに上だ。銃の数が違いすぎて話にならない

「距離をとるわよっ!」

 至近弾を何発も浴びてフロントガラスが粉砕されたのを契機に、美咲は速度を緩めて敵と距離をとり、付かず離れずを保ち続ける。それだけでも僥倖といえるだろう。

「もう、そろそろ空港に着くわよ。……あんたたち、準備はいい?」

 羽田空港と書かれた道路標識が目に入った。

「やっぱ、空港内で大立ち回りかますしかないんだよな」

 ここまでやっておきながら、武の表情はどこか冴えない。

「動いてる車に乗り込んでカチコミできるわけないでしょうが。……まさか、その程度の覚悟もなかったわけじゃないわよねっ!」

 空港内で銃撃戦をやらかせば、民間人の死者は必至だ。

「ああもう、わかってるよ。……俺はアイツを救うためだったら、どんなに最悪なことでもしてやる。無関係な民間人に犠牲が出たところで気にしねえよ」

 つっけどんに言い返してみせた武だったが、正直なところ彼の心は少なからず揺さぶられていた。いくらたつみを助け出すためとはいえ、民間人に犠牲を出すことは許させるのだろうか。こんな状況になってしまったからこそ、武は想定されうる可能性について考え込んだ。

「民間人に死傷者が出たが、お前を助けるための最小限の犠牲だった。任務を遂行する必要があったから、仕方ないだろ」

 こんな言葉をかけたら、アイツは俺のことを憎むだろうな。ただでさえ、大勢の人々の犠牲を背負って生きようとしているのに。……ダメだ。大勢の民間人がいる空港で銃撃戦などすることはできない。そんなことをしてもアイツは救われない。

 だが、どうする?

 空に飛び立たせてしまえば、目的地はエルシア(国外)だ。手の出しようがない。手詰まりになってしまう。武は苦渋を呈した。どっちに転んでも敗北しかない状況であることは、とっくにわかっていたはずなのに……。

いざと決断の時というタイミングで、武の心に迷いが生じてしまう。武は誰も犠牲にならない選択肢を模索し続けた。

 そうしている間にも周りの景色はのどかな田園地帯に変わって、空港がすぐ近くに見えた。テロリストたちの車が空港のエントランス付近へ横付けすると、車内から複数の武装した連中が飛びだし、大急ぎで空港の中へと駆け込んでいった。そのグループの中には、手足を拘束されて身動きできないまま担がれているエリスの姿もあった。

 それと入れ違うようにして、武たちの乗った車がエントランスに辿りつく。

 いよいよ、武はいい考えが浮かばなかった。

いや、浮かぶわけがなかったのだ。武の行為は現実からの逃避でしかないのだから。武に求められていたのは、空港にいる多くの民間人を巻き込んでまでエリスを救い出すか、なにもせずに黙って見逃すかの二者択一であり、そのどちらかを選ばなければならなかったのだから。 何のためにここまで来たんだよ。アイツを助けるためだったんじゃないのか!?

 そんな彼の信条など関係なく、時間は無慈悲に流れた。

ハンドルを握っていた美咲がアサルトカービンを手にする。最小限の動作で安全装置セーフティーロックを外して、レバーを引く。薬室チャンバーに初弾が装填された。

仲間たちがいまにも空港内部へと突入しようとしているとき、いまさらになって決心のつかない武は身動き一つできなかった。そのことはある意味において、彼の出した答えということなのだろう。どちらを選んでもエリスを本当の意味で救うことができないのだから、沈黙するしかなかったのだ。虚しい沈黙が彼の表情を包み込む。


まさにそんなときだった、


『こちらは警察だ。俺のクラウンを盗んだ、極悪非道のテロリストに告げる』

 車載無線がいきなり渋い声を発した。

『聞いてても返事はするなよ。俺にテロリストの友人なんていないんだからな。……空港は現在、無人にしてある。お前らはお前らの正義を貫き通せ。俺も自分の正義を貫き通すことにした。こちらは現在、人質の救出及びサミット会場の安全を確認し終えたところだ。これから、そちらへ急行する』

 無線機越しに聞こえた声に、三人はそれぞれリアクションを示す。

「げっ……なんつータイミングで教えてくれるんだよ」

「これであたしも気兼ねなく発砲できるわ。民間人への誤射は避けたかったのよね」

「あはは、テロリストデビューですね」

 その中でも特に武は呼び覚まされたかのように声を上げる。

「どう考えても、テロリスト(俺ら)をネタにしただろっ!」

 言葉に反して彼の表情は晴れ晴れとしていた。さきほどまでの冴えない表情がまるで嘘かのように。そして新たな仲間がいままさに誕生したことに感謝するかのように……。

 勢いに乗った武がいまにも空港内部へ突入しようというとき、さらに無線が話しかけてきた。

『んっ。なんだ、姉ちゃん!?』

 平松刑事の声のほかになにやらもう一つ女性の声が聞こえた。

 こちらも聞き慣れた声のようだ。すぅーと肺いっぱいに大きく息を吸い込む声が聞こえた。

 そして――

『馬鹿ものおおおおおぉぉぉぉぉーーーーーーっ!』

 スピーカーが故障したのではないかと思わせる咆哮に、三人はそろって脅えたように身をこわばらせる。

『エルシア政府専用車両を攻撃するとはなにごとだっ! すでに関係各省からこちらへ容赦なく苦情が殺到している。……これで手ぶらで帰ってきたら、タダではすまさないぞ!』

 その言葉聞いた途端に、返事をすることも忘れて〈イージスの盾〉の面々は空港施設へと駆け込んだ。傍目からは脅されたように聞こえたかもしれないが、この三人にとってはそうではないらしい。じつに生き生きとした表情で戦いの舞台へ躍り出ている。慣れ親しんだ怒声に込められた、僅かな親心を彼らは敏感に感じ取っているようだ。血の繋がりはなくても、そこには信頼という大きな絆があった。

 空港内部の敵を追跡しながら、美咲が笑いかけてきた。

「ただではすまさない・ぞ。だってさ」

「そんなに色気ある言い方はしてませんでしたけど」

「手ぶらで帰る気持ちなんてさらさらねえよ」

 警察がわざわざ機転を利かせてくれたことにより最悪の状況は回避され、さらに裏ではどうやら氷室が自分たちに便宜を図ってくれているようだ。

 これで心おきなく戦うことができる。

 敵を警戒しながら三人は出発ロビーのある二階へ向かう。ちょうどエスカレーターへ差しかかったとき、彼らは不意打ちを受けた。敵の姿は四人。おそらくこちらの追撃があることを想定して伏せておいたのだろう。

 弾けるように散開した武たちは、遮蔽物の陰に隠れて応戦する。敵はこちらが身をさらすと盛大に弾丸を撃ちまくり、身を晒さなければ散発的な射撃をしてくる。明らかな時間稼ぎだ。あまりのまどろっこしさに武は奥歯を噛みしめる。

「あたしたちで牽制するわ。あんたは跳んだり跳ねたりしながら、とっとと先へ進みなさい」

 親指を立てて美咲がゴー・サインをこちらへつくってみせた。彼女は表情を引き締めると、階上へ向って制圧射撃を仕掛けた。フルオートで叩きこまれた銃弾の雨が敵を怯ませる。

さらに美咲と入れ違うにして、高志も景気良く銃弾を撃ち込んだ。こちらは的確に狙いをつけたバースト射撃で、敵の兵士一人を薙ぎ払う。

 どうやら敵は地の利があると過信していたようだ。

損害が出たことで、敵の連携に乱れが生じ、銃撃がまばらになった。武はそのスキを見逃さない。彼は遮蔽物の影から飛び出ると、姿勢を低くしたまま駆け抜ける。まるで上空へと高々と舞い上がる一羽の燕のようなフォルムだった。

 そんな彼の進路上にテロリストの一人が立ち塞がる。こちらへ向って銃を乱射してきた。

「邪魔するんじゃねえっ!」

 そういって、武は銃床ストックで立ち塞がった男の顎を叩きつけた。鈍い感触と何かが砕ける音とともにテロリストはその場に倒れた。

 敵の仲間がこちらの接近に気づく。それに気づいた武は背を向けて姿勢を低くしながら駆け抜けた。ここで倒すことも出来なくはなかったが、牽制射撃のみで振り切ることに専念し、残りは美咲たちに任せる。いまは少しでも時間が惜しい。

「待ってろよ。お前は必ず俺が守る」

 誰に言うまでもなくそう口にすると、武はアイツのもとへ急いだ。


 銃声が聞こえた。

 誰かがテロリストたちと戦っているのだ。

 誰がそんなことを?

 決まっている。

 アイツなら約束を守るためにきてくれる。

 目つきは悪いが、根はイイやつだからな。

イイ過ぎるから、こんなとこまで身を危険にしてまで助けにくる。

「その汚い手を離せよ。このブタ野郎っ!」

 手足を拘束されて身動き一つできない状況で、エリスは猛りたった。わずかしか動かない体を可能な限り動かしながら、必死に抵抗してみせる。だが彼女を抱えているローランは、エリスの罵詈雑言に耳を傾けているようにはみえなかった。

「口が悪すぎますな。……親の躾がなっていないようだ」

 ローランの代わりにヒルツが皮肉で返す。こちらはもうすぐ機内ということで安心しきっているようだ。部下からの連絡では、離陸準備の方はあと十分程度で完了するらしい。

「〈イージスの盾〉が頑張っているようですが、徒労に終わるようですな」

 低俗なヒルツの声は耳触りで仕方がなかった。

「徒労に終わるのはお前たちの方だっ!」

 見動きさえもままならない状況にもかかわらず、強気の発言をしてばかりいるエリスの姿は、的外れなことを言う少女として、ヒルツの目に映る。

「やれやれ。理想だけで世の中が上手くいくとでも。……とんだ勘違いですな。あなたの父上もそういって妄想の類に取りつかれていましたな」

「だから、現実だけを追い求めたお前は父上を殺し、国王になろうとしたのか」

「ええ。それ以外にもエルシアには豊富な地下資源があります。国を潤すには十分過ぎる量です。あなたに濡れ衣を着せたあとは、わたしが王位を継承することを認めようとしない反政府組織を討伐して、その資源でひと儲けさせてもらいますよ。なあに、百年先を見据えた政策などよりも、わたしが生きている今の時代の方が大事ですからな」

 この強欲な男は常に自分の利益を求め続けていたようだ。悔しい。エリスは唇を噛みしめた。わたしはこんなやつに好きなようにされていたのか。

 二階にあるロビーに着くと、これから搭乗する飛行機の姿が見えた。どうやらもうすぐエリスは機上の人となるらしい。

アイツは間に合わないのだろうか。エリスは心を落ち着かせて耳を澄ました。後ろからはわずかばかりの銃声が漏れ響いてくる。まだ後方で銃撃戦が続いているようだ。

 そんな中、突如としてこちらへ走ってくる足音が聞こえた。はじめはかすかな足音だったそれは、やがて駿馬を思わせる力強い足音へと変わった。

 耳慣れた声がした。

「動くなっ! ソイツを離して、ゆっくりとうつ伏せになれっ!」

 どうやら別の通路から不意に姿を現した武は、ヒルツたちの後ろへ回り込むことに成功したようだ。

 予期せぬ方向から急襲を受けたローランたちは、エリスを降ろすとゆっくりと後ろを向いた。後ろを向いたローランまだどこか余裕ありげな顔をしていた。そして武の姿をその視界におさめると、驚愕に頬が引きつったように見えた。

「武……、生きていたんだな……」

エリスは思わず言葉を吐きだした。車内で威勢のいい発言をした彼女だが、内心では不安に思う側面もあったようだ。

「まあな。……そんなことより、ケガとかしてねえだろうな」

ほんの数時間前まで普通に会話していたはずなのだが、久方ぶりに感じられた。

たつみの無事な姿を一瞥すると、武はテロリストらに視線を移した。

「さてと、とっとと武装解除してもらおうか」

 武は油断なくカービン銃を構え、警告を発した。

 そんな状況でも余裕綽々とした表情をする者がいた。

「その前に、一つ尋ねたいことがある」

 そう言ったのはローランだ。殺したはずの武を見て一瞬驚いた表情をしたようだが、いまはやけに愉しそうな顔をしていて、黄ばんだ歯がむき出しになっている。

「お前、人を殺すのはまだ嫌いか?」

「あぁん、ンなこと好きになれるわけねえだろうがっ!」

「だろうな」

 ローランは短く言うと、自然な仕草で懐からMP5Kを取り出した。それはまるで携帯電話でも取り出すような自然な動作で、驚きながらも武は見逃してしまう。ローランは銃口をぴたりと武へ向ける。武は自らの不注意に対して悪態を突きながらも、銃の構えだけは崩さなかった。

「その表情は、どうやら気づいていないようだな」

 さも余裕ありげな表情でローランが語りかける。

「おまえは俺たちを撃たなかったんじゃない。撃てなかったんだよ。気づいていなかったようだが『動くな』と警告されたとき、俺たちはゆっくり後ろを向いた。このことがなにを意味しているかわかるか。わかるよな。動いている俺たちを撃てなかったってことなんだぜ」

 苦虫を噛み潰した顔をする武。

言われてみれば、たしかにそうだ。

指摘されるまで気づかなかった自分が不甲斐ない。

だが――

「格闘戦で仕返ししたいっていう、気持ちの表れかもしれないぜ」

 それでも、ここで弱みを握らせるわけにはいかなかった。

 戦い主導権は、些細なことから奪われてしまうのだから。

「虚勢をはってもすぐにわかるぞ。お前は優しいんだよ。戦場では間抜けなほどな。おそらくお前は武器を構えていない人間を撃つことをためらった。それに人を殺すことは嫌いときたもんだ。兵器としては致命的な欠陥だな」

 兵器という言葉に、武はひどく噛みついた。

「俺は兵器じゃないっ! 人間だっ!」

「人間なら、あんだけ撃たれりゃとっくに死んでる。さすが〈イージスの盾〉といったところだろうな。体の中を弄くり回さなけりゃ、俺たちと互角に渡り合うことさえも困難だったはずだ。お前は人間じゃない、人を殺すための兵器だ」

 人間であることを否定する言葉に、武は切り返すことができず沈黙する。

今まで自分が処理してきた人間たち。その中に殺されて当然だった人間は、いったい何人いるだろうか。そもそも、殺されて当然な人間などいるのだろうか。この言葉の意味を彼はいままでずっと考え続けてきた。そしてこの言葉の意味に、この状況でなお彼は悩み続けている。何時どんな状況になったら、人殺しは正当化されるんだっ! 俺はこいつを殺してもいいのだろうか。

そんな武の思考を見透かしたかのようにローランが突き付ける。

「悩んでるなら、とっととくたばっちまえっ! 俺がお前に引導を渡してやるよ」

 その言葉を皮切りにローランのMP5Kが火を吹く。この近距離でのサブマシンガンの瞬間最大火力ファイアリングパワーは圧倒的だ。明確な殺意が銃弾となって武を襲う。

武は頭から滑りこむようにして、ロビーの椅子の陰にその身を沈めた。

咄嗟にしてはなかなかの反応だが、明確な戦いの意志に基づいた動作ではない。彼の中に埋め込まれた兵士としての戦闘因子が生存本能に結びついただけのことだ。

「なんだよ。結局は戦いたがりなんじゃねえか」

 ローランはそういってヒルツ向き直り、エリスを連れて機内へ先に行くように指示すると、怜悧れいりな笑みを浮かべた。まるで命のやり取りを愉しんでいるかの敵の振る舞いに、武の背筋を虫唾が奔り抜けた。

「邪魔するんじゃねえっ!」

 武はエリスを連れ去るヒルツを見送りながら、ローランとここで決戦する覚悟を決める。丸腰ではなく、敵意丸出しで武装している人間は排除するように教育が施されているのでさきほどのように躊躇うことはない。

 お互いに睨みあう武とヒルツ。

急速に研ぎ澄まされていくお互いの殺気。

それは達人同士の居合切りを連想させた。

そしてお互いに銃を構えあうと、二人はほぼ同時に動いた。

 まず相手の頭部めがけて、お互いに一発ずつ銃弾を放つと、そのまま姿勢を低くした素早い動きで相手の側面へ回り込もうとする。

 武は時計回りに移動しながら、銃弾を惜しむことなくローランへと叩き込む。武の撃った銃弾は近くにあった待合室の椅子に引き裂きながら、ローランを追い込んでいく。だが、直前のところでローランは前回りして銃撃を回避すると、こちらへ向って短くニ連射してきた。

 普段なら目をつぶっていても、回避できそうなパラベラム弾だ。

だが、今回ばかりは話が違う。

武の頬からはうっすらと血がたれていた。足の踏ん張りがきかなかったため、超人的な回避能力が使えなかったのだ。

武はロビーの椅子の影に隠れるようにしながら、思わず悪態をつく。ちっ。サミット会場でのダメージは決して軽いものではない。生死の境を彷徨うほどのものだったのだ。本調子にはほど遠い。

 ローランのやかましい銃撃が耳につく。

すぐ近くにある椅子の風通しがよくなってしまった。

どうやら、こちらの場所は特定されているようだ。

「なんだ。ここまでこれただけで、ひょろひょろじゃねえかっ!」

 耳障りな声が聞こえた。そのすぐあとに銃弾がこちらへと迫ってくる。

 武は弾よけにしていた椅子の影から飛び出すと、ちょうど対角線上に隠れているローランへ向けて、続けざまに銃弾を放つ。しかし、それらは射線が少し上を向いていて、ローランの頭上を通り過ぎていく。

「どこを狙って……」

 挑発しかけたローランは、そこで武の狙いに気づいて口をつぐまざるを得なかった。

不意に後ろから聞こえてきたのは、ガラスが砕け落ちる音。武はローランの後ろに位置していた窓ガラスを破壊し、ガラス片をローランの頭上へと降り注がせようとしたのだ。

「ガキのくせして、小細工しやがってっ!」

 雨あられのように降り注いだガラス片は、とっさに頭をかばったローランの手に傷をつける。

狙い通りの隙が生じたことで武は勝負をかけた。ここぞといわんばかりに、ローランへ接近し止めの一撃をかけようとする。

不用意に姿をさらした武へローランは銃口を向けた。

二人はほぼ同時に引き金を引く。

 数発の弾丸が武へと向かう。

武が放った弾丸が敵の放った弾丸と交差していく。

こちらへ向かってくる銃弾が武の眼に映った。

軌道は読める。

だが、回避することはできなかった。

ローランの銃弾は武の右足の太ももへと突き刺さった。苦痛に顔を歪めながらも、それでいて武はどうにか立つことができた。どうやら、動けないほどの致命傷ではないらしい。

 やつは……っ!? 武はローランの方に目をやった。

 ローランにこれといった外傷は見当たらなかった。だが、彼の手におさまっていたはずのサブマシンガン(SMG)がなくなっている。その軽機関銃は戦闘により破壊された窓の外――飛行場のアスファルト――に落ちていた。おそらく、武の撃った弾がローランの彼の銃をはじき飛ばしたのだろう。

 武は武器を失ったローランに銃口を向けると、容赦なく引き金を絞ろうとする。非武装の人間を撃つような教育を施されてはいないが、敵の足を撃ち抜いて無力化をはかることなら、できなくもない。

「動かなければ、死ぬことはない」

 武はそう言い捨てると、引き金を絞った。



「アイツ……、生きてた」

 エリスは思わず涙を流していた。彼女の姿はすでに機内にある。

 本来ならすでに出発準備が完了しているはずなのだが、空港にはテロリストの襲撃予告があったため、整備員や管制官も退避し整備作業が思うようにいかなかったようだ。といっても燃料補給と簡単な整備をするだけなので、あと五分もあれば出発できるらしい。

 ヒルツが客室へ歩いてきた。出発が遅いことに苛立ちが募りコクピットまで文句を言いに行っていたようだ。

「やれやれ、これでこの国ともおさらばできますな。あとは、エルシアを平定するだけでいい」

 うんざりした表情を見せるヒルツだが、皮肉は変わらず健在のようだ。

だが、エリスはさきほどまでこの男が取り乱していたことを知っている。始末に負えないほどの野心家だが想定外の事態には脆いのではないか、と判断したエリスはひと泡吹かせようとした。

「そっちの窓から、ニ階のロビーが見えるのを知っているか?」

 エリスが指さしたのは、建物に面している側の窓だ。

「さっきそこから、お前の仲間の姿が見えた。銃弾を喰らって倒れるところだった」

 ブラフだ。拘束具のせいで身動きすらままならないのにみえるわけはがない。

「ふんっ、そんな戯言などに騙されませんぞ」

 そう言いながらも、ヒルツが窓から外を覗きこもうとする。エリスの推測通り、目の謀略家は小心者のようだ。もしもヒルツが慎重な性格であるなら、少し考えればエリスにそんなことがわかるはずがないと察しがつくだろう。

 ヒルツは窓から施設の様子を眺めた。

その刹那、窓ガラスが粉々に砕け散り、何か物体が落下していく光景を目にした。大きさはそれほどでもない。ヒルツにはそれ以上判別できなかったが、それはローランの短機関銃だった。

 一瞬眉根を寄せたヒルツの表情をエリスは見逃さなかった。



 武は相手を殺す気はなくても、行動不能にはするつもりだった。

 外すはずわけがない、必中の距離。

 引き金を絞った銃口の先にあるのは、ローランは五体満足だった。

 カービン銃はカチカチと虚しい音をたてるだけだった。どうやら、弾切れのようだ。武は予備のマガジンを探したが、見あたらない。これまでの戦闘の中で使い切っていた。

「……なんだよ。弾切れかよっ!」

 これでようやく雌雄を決せられると希望を抱いたが、どうやらぬか喜びだったようだ。武の顔に焦りの色が色濃く浮かび上がった。

戦いの流れがこちらを向いていない。

ローランはそんな武をひとしきりせせら笑ったあと、立ちあがって胸ポケットからミリタリーナイフを取り出して、逆手にかまえた。

「クソガキ、てめえ、名前はなんていうんだ?」

「……クズに名乗る名前はねえよ」

 そういって武はカービン銃を放り投げると、隙のない拳を構えた。

「ちゃんと殺したはずなんだがな。あの世への切符代が足んなかったのか」

「地獄から舞い戻ってきたってやつだ。……人を殺しすぎて、閻魔エンマさまの手にも余るんだとよ」

 ローランが不敵に微笑んだ。

「なら、俺と同じクズだって自分で認めたわけだ」

 言い終わるや否や、ローランは腰を落した低い姿勢を取ると、右手に持ったナイフでこちらを突き刺してきた。

 それはまさに洗練された一流のナイフ使いの戦い方だった。

ナイフなどの十五センチ程度の刃物では切るのではなく刺したほうが効率的に人を殺すことができる。安易に切りつけたりはしないのは、人を殺しなれた証拠だ。まるでオーケストラの指揮者のタクトのように、動きの全てが全体へと貢献している。

 あまりの技術の高さに武の脳裏に優雅エレガントという言葉が浮かんだ。ローランは技術の根底には人殺しを芸術とすら思わせる狂気が潜んでいるのかもしれない。

武はじりじりと後退を迫られる。負傷した足が悲鳴を上げるが、退かなければ人体の急所を一突きしてくるだろう。こちらが反撃しようにもが拳を出した途端、この男は、こちらの腕の頸動脈を切りつけてくるかもしれない。

「ここまできて、まさか素手でやり合うことになるとはな」

 ひゅんと風を切る音が耳のすぐ近くに聞こえた。

額をこするかのような際どい突きだった。

ぱらぱらと髪の毛が床へ落ちていく。

武にきつく結んだ口元をゆるめる余裕などあるはずもなく、ローランは本当に愉しげな表情でナイフを突き刺してくる。

「へへ、お前に分からないんだよな。この高揚した気分がっ! 自分の命を賭けた最高の舞台ショーがっ! 無抵抗な相手をひんむいて、なぶり殺しにする感覚を愉しめねえんだからよっ!」

 クソッたれの人間が吐くに相応しい台詞だ、と武は不快な気持に駆られた。だが、実力は本物だ。もし感情に身を任せて直線的な動きをすれば、こちらが喰われてしまうことは前回の経験から学習している。

「避けてばかりじゃ、俺に勝つことはできないぜ」

 突き、突き、突き、フェイント、突き、切り――。ローランは心から戦うことを愉しんでいる。彼は喋りながらナイフを繰り出して、なおかつ呼吸を乱していない。

「戦うことが自分をもっとも表現する行為だ。生きている実感を掴むことができる。……そうは思わないか、ボーン・トゥ・キルのクソガキ」

 殺すために生まれてきた(Born to kill)だとっ!

「俺はあんたと違って、人殺しを愉しんだことは一度もねえよっ!」

 武の頭に血が上ってカッとなる。その刹那、動きにムラがうまれた。

「そらっ、スキができた」

 ローランのナイフが武の左腕に突き刺さる。すぐさま出血。再びローランのナイフが襲う。

蛇のような変則的なナイフ捌き迫ってきたが、武はなんとかそれを凌いだ。

「はんっ。これも凌げちまうのか」

 武のなだらかな体さばきにローランは素直に感心した。自分が格闘術を教える教官なら、どこに出してでも恥ずかしくない出来映できばえだ。

だが……待てよっ!

ローランの思考に不意に違和感が宿った。何か大事なことを見落としている。この動きはどこかで見たことがある。そんな気がしたのだ。そしてそのことをすぐに後悔することになる。

「……気づいたか」

 今まで挑発以外では口を開くことがなかった武の口元がつり上がった。

「てめえ……っ! まさかっ!」

 今まで殺しを愉しんでいたローランが額に脂汗を浮かべた。

 彼が注目したのは、自分のナイフの軌道を見切ってかわす、武の体さばきだった。武が右足を引きずるようにして動き回っていたから気づくのが遅れたが、目の前のクソガキに、ローランのナイフはいままで致命傷を与えることができていない。

 そう。できていないのだ。

一流のナイフ使いの攻撃を凌ぎきった、武の体さばき。

 それもまた一流のナイフ使い特有のものであった。

 どこかでみたことがあるような体さばきなのではない。ローランそのものの体さばきだったのだ。この動きを見せたのは――

「まさか、サミット会場で見せた俺の動きを真似しやがったとでもいうのかっ!」

 ローランは目を大きく見開いた。目の前には、一流のナイフ使いの動きそのもの。自分の鏡を見ているようだった。

 武の鋭いパンチが不意を打つようにローランを襲った。

ローランは避けることができず、顔面にモロに一発もらった。武のジャブは軽そうに見えるが、実際のところ意識が根こそぎもっていかれそうになる。なんとか踏ん張ろうとして、続けざまにさらにニ発の拳が連続してのめり込む。

「ちくしょう」

 そう吐き捨てたローランだが、今まで感じられていた歴戦の傭兵が醸し出す余裕のオーラというものがまるで感じられなかった。

「ああ。あんたの動きを学ばさせてもらった。あんたには殺されかけたからな。俺の体ははっきりとあんたの動きを覚えているぜ。戦闘中に技術を盗ませてもらった。だから、それはもう通じない」

 ローランの優位な立場を築き上げていたのは、実戦経験に裏打ちされたスキルだが、それはもはや過去のものとなっていた。

ローランと文字通り死闘を繰り広げた武は、その最中でローランの洗練された動きを一つ一つを目に焼き付けていた。自分が当事者となって目撃し、体験することにまさる経験など存在するわけもなく、最高の教材だったわけだ。

もっとも戦闘中に相手の技術を盗むなどという行為は、よほど研ぎ澄まさされた感覚とセンスが要求されるが、武は血塗られた子供たちだ。遺伝子工学のお墨付きだった。

「まだ倒れるんじゃねえぞ。うちの学校の不良どもは、これを何発も耐えてるんだからな」

 ふらつきながらもローランはナイフを手放そうとはしない。

「あんたの言うとおり、俺は救いようのないクズの一人だ。でも、俺とあんたは違う。俺は戦うしか能がないクズだ。……だけど、人を殺すための不良品クズにもな、不良品クズなりの誇りがあるんだよっ!」

 武は朦朧としているローランへ全力の拳を繰り出す。学校で不良とのケンカで繰り出すような加減したものではない。幼い頃から鍛え抜いてきた肉体が繰り出す、必殺の拳だ。

 それが直撃したローランは、まず空中へふわりと浮かんだ。それから、その身を独楽コマのように回転させながら、ゆっくりと落ちていく。危険な角度で床に叩きつけられたローランの体は、首があらぬほうへ曲がっていた。

「殴れなかったんじゃない。殴らなかったんだ。本気で人殴ったことがないからな」

 武は熱く火照った右手をぎゅっと握りしめた。

この拳で人を殺した。

そのことの意味を顧みる。

自分の罪を赦してくれるものなど、誰もいない。

俺は誰かを守ろうとするために、誰かを殺さなければいけない立場にあるのだから。

だがそんな疑念を抱えながらも、俺は前に進み続ける。

それこそが、かけがえのない仲間を守ることに繋がるのだから。

ここでテロリストたち倒したことを誇るわけでもない。

ましてや、驕るわけでもない。

彼は戦闘用の引き締まった表情をすると、ボロボロになった体を引きずりながら、ロビーを後にした。



もう五分以上経過しているというのに、なぜこの機体はいまだに離陸しようとしない。痺れを切らしたヒルツは、再びコックピットへと向かった。乱暴にドアを開けて、パイロットを怒鳴りつける。

「おい、なぜ出発せんのだっ!」

 ヒルツは返事をしないパイロットの肩を乱暴にゆすると、パイロットはそのまま計器盤コンソールへと突っ伏した。ぐったりとしたまま動こうとしないパイロット。それを見て、青ざめるヒルツ。不意に後ろから声がかかる。

「わるいな。パイロットはおねんねしてるぜ」

 目つきの悪い少年がどこからともなく現れた。見覚えがある。〈イージスの盾〉の一人で、ローランと戦っているはずの少年だ。

「き、貴様……っ!」

「ザコは黙って素っ込んでろ!」

 武はヒルツの顔面にこぶしをのめり込ませる。ヒルツはそのまま倒れこんで起き上がることはなかった。身動き一つしないヒルツだが、殺されたわけではないようだ。そのことは武の次の言葉からうかがえた。

「お前は俺が殺す価値すらない」

 そう言い残すと、彼は機内へ歩いていく。

 次にヒルツが目覚めるのは、日の当たる環境ではないだろう。彼に待っているのは、倭国情報管理局による過酷な取り調べのはずだ。

 武は客室キャビンへ足を進めた。そこに、手足を拘束されてたエリスの姿があった。武はなにも言わず、丁寧に拘束をほどく。そして自由を取り戻したエリスへ向って、

「……遅れて、すまなかったな」

 武はエリスの髪を優しく撫でる。エリスの瞳が潤んだ。

「お前を信じていた。……怖くなんてなかった。お前が死んだと聞かされたときも、わたしはあきらめなかった。……怖くなんてなかったんだからっ!」

 そういって、エリスは武の胸に顔をうずめた。

 テロリストに拉致されて、生命の危機に瀕して、怖くないはずがないだろ。だって目の前のコイツは、たった十七歳の女の子なんだから。

 胸の中でむせび泣くいたいけな少女の肩を、武は優しく抱きしめてやった。

 不器用に肩まで回された手を、エリスはとても温かく感じた。

 エリスが泣きやむまでのしばしの間、二人はその身を寄せ合った。しばしして、彼女は落ち着きを取り戻す。エリスが顔を上げてこちらをみている。武の瞳には、鼻の頭の先まで赤らめている少女の姿が映っていた。

このときになって、彼ははじめて「ああ。コイツって女なんだな」とたつみを女性として意識した。そしてその途端、武は急にこっぱずかしくなった。戦場では怖いものなしの彼だったが、こちらの方は、ふつうの男子高校生かそれ以下のようだった。

「よう、お姫様。目醒めのキスなんてどうだ」

「ああ、悪くないな」

「……じょ、冗談だぜ」

 妙に悪ぶってみせた武だったが、意表を突かれたたつみの返事に戸惑い、彼はおののいてしまった。その拍子に、エリスのことを手放してしまう。

 名残惜しさを感じながらも、前を向くエリス。鼻の頭を朱に染めたまま、彼女は真顔になると、第七十七第エルシア国王エリス・ティーダ・エルシアとして倭国情報管理局員の望月武に語りかけた。

「わたしがエルシアの姫だと知って、驚いたか?」

 彼女の瞳は悲しみの色を帯びている。武には、なぜそんな瞳をしているかよくわからなかった。

だが、真剣な話をしようとしているのだけはわかった。エリスの瞳に込められた悲しみの色が、さらに濃くなっていることに気づかされたからだ。

「結果として、お前らに人殺しの一端を担わせたのは、わたしのせいなんだぞ」

 泣きじゃくったせいで赤くなっている瞳に、底知れない悲しみの色を染み込ませ、自分を責め始める少女。どうやら、武にここに辿りつくまでの過程で、多くの人命を奪わせてしまったことを後悔してるらしい。

「そうだな」

 武は短く返事した。

 俺たちは正義の味方なんかじゃない。

 本物の正義の味方なら、もっと上手な方法で、誰の命を奪ったりすることなく、みんなを救ってあげられるはずだ。それがたとえ、自分を殺そうとしている存在であったとしても……。

相手の命を奪うことなく、その罪に対し裁きを下すことができないのか。

武はその手を真っ赤に染めてしまったいまでも、そんなことを考えてしまう。

 いつの間にやら、エリスの瞳が何かしらの決意の色を帯びていた。

「ここで、わたしを殺せば、世界はもっとよくなるかもしれない」

 たしかに彼女は、有象無象の怪物たちと渡り合う政治の場では、若すぎるといっても過言ではない。権謀術などは素人同然だろう。

 だけど、コイツは国民から信頼されている。たとえ、進む先にあるものが血塗られた玉座だとしても、コイツはそこに座るべきなんだ。指導者たるに相応しい責任感が十分に備わっているのだから。

 武は静かにエリスに語りかけた。

「なにくだらないこと言ってんだよ。誰かを犠牲にする世界。そんな世界をお前は否定して見せたじゃないか。人の命ってのものは、天秤にかけられないような特別なものなんだろ。……お前は犠牲の上に成り立つ王様になるかもしれない。だが、それでも立派な王様だ。お前は国民のことを一番に考えられる王様になれる。少なくとも、俺はそう信じてる」

 その言葉を聞いて、エリスはにっこりほほ笑んだ。

「ありがとう。さっきは冗談だ」

「……心臓に悪い冗談だな」

 本当に冗談でそんなことを口にしたのだろうか。武は内心で疑問を抱かざるを得ない。王様も赦しを求めていたのではないだろうか、と。

 どこか遠くを見るようにして、エリスは言う。

「この国にきてからずっと考えていたんだ。わたしの正義とは何かということについて。この国に生きるいろんな人たちを見て、世の中にはいろんな正義があると思った。そんな中で、これが必ず正しいといえる正義――絶対的な正義――なんて、わたしには難しすぎて見つけることができないんだ」

 彼女は触れ合ったすべての人々のことを思い出す。その中には〈イージスの盾〉小隊の面々姿や、氷室の姿があった。

「わたしは、わたしの国から内戦をなくすように最大限の努力をする。これは、正義とかじゃないぞ。わたしのやりたいことだから、そうするんだ。そして、そうすることが、たまたま王としての責任を果たすことになっているだけなんだ。自分がやりたいことが、誰かの役に立つことへと繋がっている。こうやって人の歴史は築かれてきたんだと思う」

 人の歴史……か。武は自分の生涯を振り返ってみる。処理した人間の数は、数え切れない。果たしてそのうち何人が救いようのない悪党だったのかは、いまとなっては見当もつかない。もしかしたら俺は「任務」という大義名分を盾にした、殺人鬼なのかもしれないな。今日だけ俺は少なくとも十二名のテロリストの命を奪っている。大量殺人者だ。それなのに俺の罪を罰してくれる人が誰もいない。これでは《血塗られた子供たち》と呼ばれても仕方がない。

「そんな情けない顔をするなっ!」

 不意に大きな声がして武は、はっとした。

エリスがムスッとした表情でこちらを見ている。どうやら彼女の言うとおり、情けない表情をしていたようだ。エリスは穏やかな表情に戻ると、語りかけるように言う。

「自分に大義名分がないと卑下するなよ。お前は人殺しとはちがうよ。だって、わたしを助けに来てくれたんだから。……ある者はお前のことを人殺しと呼ぶだろう。だが、またある者はお前のことを救世主と呼ぶよ。わたしはどちらだと思う?」

 武はなにも言わずに沈黙する。

答えようがないのだ。

 なぜならその問いの答えは、他人がどうこう決められるものではない。

武がどう思っているのかは答えにならない。

エリスがどう思っているのかが答えなのだから。

「これが答えさ」

 エリスは武の顔をすっと手で寄せると、その鼻さきにそっと口づけをした。

おそらく、救世主に感謝する気持ちの表れなのだろう。

武はというと何が起こったか理解できず、ぼけっと棒立ちしている。

「心があることが人間の証明だ。ヒルツたちには心がなかった」

 人としての心があれば、そう簡単に人の命を奪うことなどできない。むしろ、心ない人間こそが兵器であり、バケモノであるべきなのだ。エリスは、自分の存在意義について悩んでいる武の心をはっきりと見透かしていたようだ。

「ヒルツたちは、殺されて当然の悪だった。お前がそう断言することができないなら、わたしが断言してやろう。そして、わたしがお前の罪を赦そう。人の上に立つ者には、人を裁く責任と義務がある。お前を赦すのが、エルシア国王としてのわたしの最初の仕事だ」

 そう言ってエリスは微笑んで見せた。

 風が吹けば倒れてしまいそうな弱弱しい背中はそこにはない。そこにあるのは、芯の入った立派な背中をしている優しい存在だった。エルシアの人々が守ろうとした太陽の姿がそこにあった。そしてその太陽は、心に暗い影を落とし、光り輝くことが出来なくなった星のひとつをいまあたたかく照らし出そうとしていた。

 少女は罪深き少年を罰するのではなく、深き慈悲の心を持って赦しを与えたのだ。

 武はぽかんとしたあとで、にやりとする。どうやら助けに来たつもりが、逆にこっちがコイツに助けられちまったらしい。そんな事実が存在することに気づいたからだ。

「そうだな」

 短く返事をすると、武は搭乗口のドアを開ける。外にはいつの間にか、情熱の色を思わせるような夕焼け空が視界いっぱいに広がっていた。

 エリスと手を繋いで一緒に外への一歩を踏み出す。

 この一歩は二人の生涯で忘れることのできない、大事な一歩だった。

 なぜなら、お互いに信じる道を持って歩み始めた大切な一歩なのだから――。



発着場へと強引に乗り込んでいく一台の乗用車があった。野性味あふれる少女と、おおらかそうな少年が乗り込んでいた。その車は強引に小型旅客機に横付けすると、ちょうど機体から出てきた少年と少女を乗せようとする。

空港の出入り口を封鎖していた刑事は、その車が事件の関係者とおぼしき人物を乗せているのを何もせずに眺めていた。

「あいつらを見逃していいんですか? 理由はどうあれ、彼らは犯罪者ですよ」

 封鎖を担当する若い警察官が上司に尋ねている。その白髪交じりで年季の入った上司は、発着場へと乗り込んだ車がほとんど大破していることに顔をしかめたが、すぐに表情を持ち直した。

「犯罪者とは罪を犯した人間に対する呼称のことであり、法律上は何も明確な定義が存在しない。正確に言うなら、彼らは重要参考人だ。そして事情聴取の結果、法律に違反していることが判明すれば、容疑者として逮捕しなければならなくなる」

 若い刑事は首をかしげると、だからどうした、と言いたげな表情する。そんな刑事の姿を見て、平松はいささか落胆した。だが、なにも事情を知らない人間からすれば、彼らはただの犯罪者にしか映らないのかもしれない、と思い直す。

「俺たちは無力だった。国家を守ることに関して、治安機構である警察が、しかもだいの大人が何一つすること出来ず、不正を見逃すために尽力していたのだ。国内で起こる小悪のみを捉えようとして、もっと大きな悪を見逃そうとしていた。……まったくよう、俺たちはいったい何をするために存在しているんだろうな」

 その言葉を聞いても、若い刑事は首を傾げたままだった。さきほどの言葉に込められた、平松の自らを戒めようとする気持ちを理解できないのだろう。

「あいつらは功績のために戦ったのではない。まして、名誉のために戦ったわけでもない。そんな甘ったれた考えがないからこそ、あいつらは戦い続けることができたんだろうな」

 平松の視線の先には、手を繋いだまま車へ乗り込もうとする少年と少女の姿あった。

「あいつら……?」と若い刑事は疑問を口にする。

「俺たちは、規則という名のくだらない縛りをかたくなに守り続けようとしたため、悪の味方になろうとしていた。……あいつらのような存在がいることを心に刻み込まなければならない。なあ、そうは思わねえか」

 見慣れた黒いクラウンが検問へ向ってくる。

ところどころに弾痕があり、フロントガラスには大きなヒビが入っている。バンバーはいまにも落ちてしまいそうだし、シャーシにガタがきているのだろう、少なからず歪んで見えた。そのあまりの惨状に、ほんの数時間前までは、無傷だったのが想像できないほどだ。

 しかし、平松はその車のことを立派だと思う。あとで返してもらったら、修理したあと、丁寧にワックスがけして、警察署のロビーに飾るのも悪くねえな。このクラウンと一緒に大手を振って街中を走るのもこれまた悪くない。

「ここであいつらを見逃せば、国民の安全のために尽くしているはずの警察が無力の象徴として国民に記憶されることになるであろう。ロクな検問も敷けず、重要参考人をむざむざ取り逃がしたってな」

 若い刑事がなにやら思案顔でこちらを見ている。平松はそんな若い刑事に対して、白い歯をむき出しにして、にやりと笑って見せた。

「だが、それも悪くない。いや。そうでいいんだろうな。誇り高き潔癖の正義など糞くらえだ。完全で絶対的な正義など、その存在自体が狂気なんだろうな」

 誰に言うまでもなくそう口にすると、車が検問へと差し掛かった。どうやら、このままどこかへと走り去っていくようだ。

 平松は肺いっぱいに空気を吸い込んだ。そして、周りにいる警察関係者全員に聞こえるように大きな号令を発した。

「全員、彼らの尽力に対し敬礼っ!!」

 平松は率先して、検問を通り過ぎていく車へ敬礼を贈った。彼はきちんと踵を揃え、きりっと引き締まった表情で敬礼してみせる。

若い刑事が「犯罪者に敬礼するのでありますか」と、驚いた顔を見せた。平松は敬礼の姿勢を崩さないまま「不満か」と口にした。一様に警察官といっても様々な人物がいて、ある者かは平松の言葉耳を傾けず、見向きもしない。またある者は、敬礼こそしていたが、なんともしまりのない敬礼だった。

 だが、残りの警察官らは――国民に安全を提供することに誇りを持つ者たちは――びしっと踵合わせ、心からの敬意をあいつらに示していた。


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