第四章 誠実
「なんでこれだけ人がいて、誰も会場の守りに着かないのよっ!」
駐車場へ猪突猛進する警察官たちの流れに逆らうようにして、武たちはサミット会場へと急いだ。
「知るかっ! あたまがイカれちまったんだろうぜ」
武はやるせなさを感じさせる表情をした。駐車場の爆発は陽動で、混乱している警備のスキを縫って会場へと突入する。こんなの素人でもわかるはずだろ。それなのに大の大人がそろって何してるんだよ。そんな考えを抱いてしまうと、テロリストたちに対する怒りのほかに、どこか虚しい感情が漂ってしまう。
駆け足しながら、高志が冷静に状況を分析する。
「おそらく集団心理の虚を突かれたのでしょう。状況に思考がついていってないんです」
「こういうときって無性に虚しくなっちまうな」
そんな言葉がおもわず武の口を突く。
「ああ、なんとなくそれわかるわ」
美咲の瞳もどこか虚しさを帯びている。大人である警察官は駐車場が陽動であることに気づかない。逆に子供であるあたしたちが陽動だと気づいてサミット会場へ向かう。そのような歪んだ事実に嫌気がさしてしまうのだ。
「あたしたちが戦士として育てられたっていう感覚に捉われちゃうのよね」
今までの任務の中で、普通の子供とは違うことを認識する機会はいくらでもあったが、大の大人がこうも頼りにもならないところを見せつけられたのが嫌で仕方がなかったのだ。しかも、それが治安組織の警察であるときたものだ。
普段は理性的に物事を考える高志も、やるせない発言をする。
「間違ったことなんでしょうか。子供が誰かを処理する存在になるというのは」
「わからねえ。……けど、なんか虚しいよな」
口を動かしながらも、大急ぎで会場へ駆けつける。
そんなときだった
〈イージスの盾〉の実働部隊全員の目つきが一斉に険しくなった。場所はサミット会場の入り口前。ロビーの中が覗ける辺りだ。
「戦闘斥候に任せるっ!」
美咲が武に指示を出す。彼は血塗られた子供たちの中でも特に戦闘技能が優れている。戦闘斥候とは敵地に侵入して敵の位置や規模を探ったりする技能を有する兵のことだ。身体能力的なパフォーマンスとセンスともにこの三人の中でトップであり、しばしば単身で敵の勢力圏内に侵入する任務に就くことがある。
前方に武は意識を集中する。ロビーに人の姿は三人。アサルトライフルで武装している。他にはニ階の窓側から同じくアサルトライフルでこちらを狙っている不審者が三人。見事の配置だ。これでは警官隊が戻ってきても手も足もでないだろう。
武は迷うことなく一歩一歩力強く足を踏み出し、一気に敵との距離を縮めようとする。残像を残すかのような驚異的な速度だ。身体能力なら武の方が優れているので、ロビーの中に入って近接戦闘(CQB)に持ち込めば勝機は十分にある。
だが、敵はそんなに甘くなかった。
慎重かつ大胆に進んでいた武に対し、不審者たちは警告なしに容赦なく銃撃をくわえてきた。こちらに飛来する弾丸を察知するや否や、まるで銃弾を睨みつけるかのような仕草をしたあと、武は軽業師のような器用な動きで相手の銃撃を避ける。続いてくる銃撃も見えてるかのようにすっと体を反らしてかわしてみせた。
それはいわずもがな常人技ではなかった。
武の存在は現代遺伝子工学の技術の粋をかき集め、それをヒト型に結晶化させたものとでもいうべきものだろう。人にして人にあらざる動きをしてみせる。この光景を眼にすれば、「バケモノ」と口にする気持ちに駆られるものがいても不思議ではない。
武にとって銃弾を避けることは簡単だ。極端なことを言ってしまえば、こちらへ向ってくる弾丸の軌道を読み切ってしまえばいいのだ。コンマ秒後にどんな軌道でどこに着弾するのかわかってさえしまえば、そこを避けるだけで容易に回避することができる。あとは狙いを絞らせないように直線的ではなく、弧を描くような動きで、しかも緩急をつけて動きまわればいい。
テロリストたちが躍起になって発砲する。あっという間にマガジンが空になるが、それでも武には命中しない。武は縦横無尽に動き回り続け、相手に狙いを絞らすことさえも容易させなかった。たが弾幕が濃いという事実も変わらず存在した。
テロリストの銃は全部で六挺あり、使用武器は全てM四カービン銃。それは毎分七百発の銃弾をばら撒き、その弾丸の初速は毎秒約九百メートル。敵の情報は十分にある。しかし遮蔽物のないひらけたところでは、乱数機動によって攻撃を回避するで精一杯だ。それにロビーに近づけば近づくほど敵の銃撃は激しさを増していくので迂闊に接近できない。
植え込みの茂みに隠れながら状況を見守る美咲と高志にも劣勢は明らかだった。
「ムリですね。敵の銃撃が正確すぎます」
「武、今すぐ退きなさいっ!」
その声が聞こえると、武はすぐさま後退した。銃弾が逃げる武に執拗に追いすがるが、すんでのところでそれをかわしてみせた。
武は建物を囲むようにしている植え込みの陰に隠れた。するとすぐに敵の射撃が止んだ。ここは茂みが濃いため相手からは死角になっているのだろう。高ぶっている神経と呼吸を落ちつけていると、ごそごそと茂みを割って美咲と高志が姿を現した。
「状況は最悪ね。どうやったかは知らないけど、敵は少なくとも六挺のアサルトライフルで武装しているわ」
言葉とは裏腹に美咲はそれほど深刻そうな表情をしているようにはみえないのは、最悪の事態を想定していたからだろう。
もともと安全だという建前の上に開催されたサミットなので、情報管理局局員だとしても武器の携帯は許可されていなかった(普段なら非合法に携帯するのだが、ボディチェックがあったため、それもできなかった)。
こちらはお手上げ。手の施しようがない。
いまのところテロリストの目的は不明だが、美咲はこれまでの任務経験からロクでもないものであることは知っている。どうにかして現状を打破できないものかと思案したものも、これだという考えは浮かばない。時間が経つのが短く感じられた。
「あーもう、こっちは守らなきゃなんないものも山ほどあるってのに」
苛立ちを隠せない美咲。
「警察のことですね。人質だけなら、まだアプローチの仕方もあるでしょうが、警官隊を建物に近づけさせるわけにはいきませんから」
いわゆる平和な国のお巡りさんである彼らに、出来ることはほとんどないだろう。むしろ火中の栗である人質を救おうとして、大火傷を負わないかどうか心配だった。
「たとえジェラルミンの盾だろうと暴徒鎮圧用盾だろうと。警察の装備ではライフル弾は防ぎきれないわ」
「そもそも、盾に当たってくれる保証すらないですしね」
「こんなところに血の池が築かれるのはお断りよ。土建屋が儲かるのは好ましくないわ」
「……儲かるのは葬儀屋の間違いでは!?」
それからしばしの間、テロリストを排除し人質を助ける方法はないか思案したものの、結局のところ名案は浮かばなかった。
そうこうしている間に、警官隊が塊になって戻ってきた。駐車場にはテロリストも影も形もなかったことに気づいたのだろう。肩すかしを喰らった表情をしている者が大半だった。
「バカやろー! こっちに来んじゃねえ、狙撃されるぞ」
武は戻れのジェスチャーを出しながら叫ぶが、その指示に従う者はいなかった。
警察官のフリをしたローランに騙される経験をした彼らには、逆に今度は誰かが言ったことを疑う心理が働いたのだ。
彼を犯人とでも勘違いしたのだろうか。警官たちはこぞって武のもとへと駆け寄ろうとする。しかし、それは叶わなかった。猛進する警察官たちをテロリストの凶弾が襲ったからだ。
銃弾をモロに受けて次々とその場に倒れふす警官たち。茂みに隠れていた武たちはそれを目撃するとお互いに顔を確かめ合う。次の瞬間。一気に茂みを抜け出して、倒れていた警官たちを大急ぎで引きずり、敵の射程圏外へ退避させる。
建物から離れようとする武たちが狙撃されることはなかった。おそらく不用意に建物へ近付く者たちのみを攻撃されるように指示されているのだろう。どうやら実戦慣れしている連中らしい。
武たちは要救助者たちを後送すると、何か言いたげな警官隊に取り囲まれそうになる。不穏な空気が漂う。だが武に射るような眼光で睨みつけられると、彼らは恐れ慄いた。武に近づこうとはせず、距離を保っている。
「……ダメだな」
武はそんな様子を見て毒づいた。度胸もクソもあったもんじゃないぜ。兵士特有の異様なギラつきを放つ瞳で睨みつけられたからといって、怯むような連中は役に立たない。彼は鉄火場でも有意な人材がいないか探した。
だが簡単には見あたらなかった。スズメの涙程度にしか役に立たない盾を取りに行く者や、その場に呆然と立ち尽くすものが多数派を占めていた。
そんな中、美咲はどうにかして警官隊を統率しなければならないと思った。さきほどの銃撃で負傷した警察官も決して少ないとはいえない。高志が不安げな表情をしてこちらを見る。
「これって僕たちのせいでしょうか」
「あたしたちは最大限の努力はしたわよ」
「〈イージスの盾〉のみでこの状況を処理する方が早いんじゃないでしょうか」
高志が言いたいのは、警官隊と連携を取って対処するより、独力で強硬突入するべきだということだろう。それには美咲も考えていたことだ。
だが――
「あたしたちが打開策を講じている間に、警察が暴走する危険があるわ。下手なアクションを選択されたら、余計に状況が悪化するわよ。人質の生殺与奪権はテロリストの手中にあるの」
たしか倭国の警察には、立てこもり犯相手にまず交渉を試みるというマニュアルが存在したはずだ。交渉なんてするだけ時間のムダでしかないだろう、と美咲は思う。敵はよく訓練された兵士の集団だ。出来心で衝動的にする犯罪者とはわけが違う。
そんなとき、囲むようにしている警察官たちに片っ端からガンをつけている武が答える。
「なあ、俺に心当たりがある。あそこのおっさんだ。あの人は、いい眼をしてた」
「……あたしも渋いおじさまは嫌いじゃないわよ」
「そういう意味じゃねえよ」
武が目をつけたのは白髪混じりの年季の入った刑事だった。人混みから離れ、ぽつんと立っている現場の状況をうかがっている。武たちは警察官たちの囲みを強引に突破し、その者もとへ詰め寄った。
「なんちゃって外交官のボーズか」
武に気づいた刑事は、振り向きざまにそう告げる。やはりバレていたかと武は苦い顔をする。だがいまその方が話しが早く好都合だ。
「どこの何者か知りたいか」
「ここにいるってことは、少なくとも人質立てこもり犯の一味じゃないんだろう。それだけわかれば十分だ」
「ものわかりが良くて助かるよ。ちょっと顔貸してくれ」
武に睨みつけられても怯むことなく、状況の把握も正確だ。合格だった。平松と名乗る刑事を人気のない所へ呼び出すと、武たちは簡単に自己紹介をした。
「……所属は名乗れません。折原美咲です」
素っ気なくとも名前だけ分かればそれでよかった。美咲は簡単に状況を説明する。
「状況は最悪です。敵はよく訓練されたテロリストで、人を殺すことを躊躇しません。さらに不幸なことに、こちらには政府代表という人質のほかに、警察という足枷があります」
「でしょうな。正直、警察には人質立てこもり犯、しかもテロリストなどという輩を相手にする技能などありませんから」
丁寧な口調は仕事用のものだろう。その言葉を聞いたとき、武たちは目を大きくした。
「どうしました?」
「いや、こんだけバカにされて怒らないもんだから。つい、うれしくなって」
まだ小娘の美咲にボロクソ言われて腹を立てないのは、こちらを認めてくれた証だった。
「あんま甘く見んなよ、ボーズ。俺は人を見る目がある方なんだ。お前が俺を品定めしたように、俺もお前を品定めしたんだよ」
平松の口調が変わっている。どうやらこっちが素のようだ。そしてその平松の瞳は異様な輝きを帯びている。なにか執念のようなもの美咲には感じられた。
「気迫が感じられますね。あなたの雰囲気は周りの人と一線を画しているような気がします」
「ああ。ついこの間、俺の部下が一人、殉職しちまってな。ニュースにまでなっているんだが、まだ犯人を捕まえられてなくてな」
どうやらまだ捕まえられていないその犯人の代わりといってはなんだが、立てこもり犯を検挙することで殉職した刑事の弔いにしたいようだった。
静かに淡々と語る平松だったが、その眼は血走っていた。アドレナリン、分泌しすぎだぜ、と武はいい意味であきれてしまう。そして彼は何やら意を決した表情をすると平松に告げた。
「おっさんにも事情があると思うけどよ。……警察には動かないでほしい」
「見逃せっていうのかっ!」
平松の怒声が響き渡る。
「俺の正義は、犯罪者を逮捕することにある。あいつらは、人殺しの集団なんだろ。だったら、俺たち警察の手で」
「ひっ捕まえようとして、逆襲されて、ここら一帯を真っ赤に染め上げる気ですか」
冷静に高志は指摘する。平松にも事情があるようだが、警察の錬度と装備で敵う相手ではないのは明白だった。
「ここには大体ニ百人の警察官がいます。一人当たり五リットルの血液があるとすると、千リットル。地面にばら撒く分にいたっては、十分可能な量ですね」
具体的な数字に換算されて平松刑事の顔から急に血の気が失せていく。
「……なにか手はあるのか」
「ニ階の窓から侵入します。警察関係者の方ならご存知かと思いますが、泥棒の侵入の四割は窓からなんですよ」
どうやら平松との交渉は美咲よりも高志の方が得意のようだ。美咲は交渉を高志にゆだねることにした。
平松が不満げに尋ねる。
「非常階段とかはダメなのか?」
「おそらくは仕掛け爆弾が取り付けてあるでしょう」
「だがニ階だと地面から八メートルは離れているぞ。どうやって辿りつくんだよ」
「僕たちにとってそれは問題ではないんです。むしろ、狙撃ですね。侵入中に銃撃を受けることは望ましくない」
「それで、俺たちにどうしろっていうんだ?」
「警察に敵の注意を引き付けてほしいんです。その間に、こちらの彼が建物内へと侵入します」
侵入するのは武の役割らしい。高志の言葉を受けて平松の目が鋭さを増す、
「警察に銃弾の雨の中へ身を晒せというのかっ!」
その言葉に高志は一瞬、沈黙する。わかってはいたことだが、やはり……過酷か。高志も平松が憤慨するだろうとは思っていた。自分も警察という立場なら、似たような言葉を口走るに違いない。
「おまえ、そりゃ……。一発やニ発の弾丸なら、喰らっても平気だって」
おそらく平松の主張に一理あると思ったのだろう。武も平松の意見に同意する。確かに数発の弾丸なら受けても死ぬことはないかもしれない。武なら条件反射のように致命傷を避けるだろう。だがそれでいいのだろうか、という思考が美咲の頭をよぎった。いつもいつも自分たちばかりが危険な綱渡りをさせられて。
彼女は大事な仲間である武のことについて思慮する。武は誰かを傷つけるのが嫌な性格だ。誰かが傷つくよりは、自分が傷つくことを選ぶ大バカ野郎だ。だからこそ不必要なリスクまで犯して何かを守ろうとする。それは、いつ死んでも可笑しくない愚かな行為だ。事実エルシアでも敵に包囲され、自力で脱出不可能になったではないか。それもたった一人の難民を助けようとして……。
美咲は〈イージスの盾〉の現場指揮官だ。彼女は指揮官として、そしてなにより仲間を思いやる存在として発言した。
「うるさいっ! あんたは黙っていなさい。敵は兵士ではなく、テロリストなのよ。ハーグ陸戦条約とかを遵守する義務はないの。テロリストが完全被甲弾ではなく、ホローポイント弾を使ってきたらどうするのよっ! 下手したら、即死することだって考えるわっ!」
ホローポイント弾とは弾頭が凹レンズのように窪んでいる銃弾のことだ。効率よく人体を破壊することができる。
平松がこちらを睨みつけてきたが、美咲は険しい表情で睨み返してやった。
「あたしは仲間を極力危険に晒すつもりはないの。状況から判断してしかたなく、武を行かせるわっ! でもね、平松刑事。だからといって、あたしたちがすべてのリスクを背負う必要はないと考えます」
「だから警察に死ねというのかっ!」
「事実上発砲することが封じられている警察に、この事件を解決する能力はありません。あなたは立てこもり犯を人殺しの集団と忌避しているようですが、あたしたちも同じ人殺しの集団であることに変わりありません。理由のいかんにかかわらず、多くの人間を処理してきました」
突然の話しの流れに平松は戸惑った。目の前の子供たちが現場慣れしていることは見ればわかる。だが、人殺しの集団だとっ? いったい何を言ってるんだ。平松の思考は混乱に陥った。
そんなタイミングで、美咲が断固とした口調で言い放つ、
「あなたは、あたしたちを逮捕しますか? この状況に唯一、適切に対処することできるあたしたちをっ!」
ぐっと押し黙る平松。美咲が発した覇気のようなものを感じ取ったのだろう。ハイティーンの姿からは考えられないような意志のオーラのようなものが美咲の体から滲み出ているようだった。
「なにも死んでくれとお願いしてるわけではありません。向こうはこちらの集団心理を突いて、今の状況を演出しました。なら、その逆も然りです。しかしそれには、あなた方の協力を必要とします」
長い沈黙が場を支配した。平松は憮然と腕を組んだままなにやら思案顔をしている。おそらく美咲にはわからない大人の事情というやつなのだろう。そして不意に平松は大きく目を見開いた。
「……わかった」
どうやら平松は腹をくくったようだった。
別の部屋に連れ込まれた十数名の倭国政府代表たち。時間が経過するとともに、彼らもこの状況に適応してきたようだ。暇を持て余しているかのようにお喋りを始める。
氷室は自分にとって有益な情報を探すために、それらの会話に耳を澄ました。そして、それはすぐに見つかった。
「やれやれ、面倒事は勘弁してほしいものだな」
厄介事に巻き込まれたかのような発言をしたのは、立ち話をしていたのは倭国第九十五代首相である武藤首相であった。大柄で体格のよい人物であり、政治の裏事情にも多少は精通しているようだ。氷室が近寄って理由を尋ねる。
「どういうことでしょうか」
「キミには教えていなかったが、既に倭国政府はエルシア政府と友好条約を締結している」
どうやら予想が当たっていたらしい。それならすぐに退室させられた理由にも納得がいく。
「有体に言ってしまうと、我々はエルシアがどうなろうと干渉をせず、エルシアは我々に干渉しない。そうして、お互いの平和を維持しようということだ」
「……では、そのためにエリス姫を貢物にしたと!?」
「そういうことだ。もっともプレゼント用の包装用紙にくるんでいたわけではないがね」
高笑いをする武藤首相。国益を優先する彼の行動は理に適っているのだろう。だが、氷室は納得がいかなかった。護衛責任者である自分になんの音沙汰もなく裏取引していたことと、事事情を知らない自分の部下たちが必死に救出作戦を実行しようとしているであろうこともだ。
「なにが面白いかっ!」
氷室は思わず首相を叱責する。彼女としてはエリスを出席し公的な話し合いの場で正統王位継承者の生存を明らかにすることで、エルシア政府自体を内部から変えるつもりだった。だが、そんな狙いとは裏腹に首相が独自の謀略を巡らしてしまったようだ。
「口を慎みたまえ、氷室監理官。わたしはこの国の行く末を考えたゆえにこのような行動を選択したのだ。キミのような汚れ仕事ばかりを引き受けている人間に、指図されるいわれはない」
「確かに我々の仕事は汚れ仕事です。ですが!」
汚れ仕事にも誇りを持って取り組んでいるのだ。誰かがやらなくてはならないことを、誇り持って取り組んでいる人物に対し、そんな言葉をよくも掛けられるものだな。……この場に、あの子たちがいなくて本当によかった。もしいたらわたしは感情に身を任せて不祥事をしでかしていたかもしれない。
氷室はいまも打開策を巡らしているであろう、子供たちのことを想ってなんとか心を鎮めることができた。
「逆接の接続詞を繋げるとは、どういうつもりだ。もともと、キミの組織。倭国情報管理局特別対策室〈イージスの盾〉は公式的には、存在しないことになっているだぞ。どこのものとも知れないキミが、わたしと対等の立場で口を聞けると思うな」
「……申し訳ありません」
確かに首相の言うとおりだった。氷室には政治に関わる権限がない。
「んっ、窓からなにか見えるのかね」
官僚の何人かが窓から外を眺めているのを見て、首相もそこへ近寄った。
窓の下には奇怪な動きを見せる警官隊の姿があった。建物を取り囲むようにして展開しながら、一部の部隊が少しだけ前進したらすぐに戻り、それに合わせて今度はまた別の部隊が少しだけ前進したらすぐに戻る、といったナンセンスな行動を取っている。それを見て首相は首を傾げた。
「なにをやっとるんだ!?」
「さあ、まるで見当がつきません」
群がるようにしている官僚たちを押しわけ、眼下の光景を目撃した氷室がにやりとする。
「彼らは職務に忠実であります。人命を守るために尽力しているでしょう」
「まったく、あれが職務だと。我が国のいい恥さらしではないか」
氷室は内心で首相を蔑んだ。少女を他国へ売り渡し平然と高笑いをしている者にこそ、恥という醜態を知るべきなのではないのか、と。
建物を半包囲しているのは、平松警部が指揮する寄せ集め部隊だった。
同じ組織であるにもかかわらず名前や顔も知らない連中も少なくない集団だが、『安全』というサービスを提供する立場は同じだ。平松はこれぞといった連中に声をかけ続け、協力を募り続けた。そして協力してくれた警察官たちには機動隊用のシールドを渡し、建物を反包囲するようにお願いした。
しかし、ただ反包囲するように頼んだわけではない。一部の部隊が敵の殺傷半径へ突出してはすぐ退く。退いている部隊代わって、他の部隊が殺傷半径に突出する。
これを繰り返すことによって、敵の注意を引こうという作戦だ。そしてこちらが敵の注意を引きつけている間に、あいつらがなんとかする。そういう手筈になっている。
「刑事部長殿、自分たちはいったいなにをしておるのですか!」
機動隊用のジェラルミンの盾を手にした若い警察官が尋ねた。ふん、そんなこともわからんのか。平松は憮然と腕を組んだまま若い警察官の顔を覗き込んだ。
同じ若いやつでも、あのボーズどもとは大きく違うもだな。一時の感情に呑まれて彼らを怒鳴りつけてしまったが、冷静になって考えてみると、一番危険な橋を渡っているのは、我々ではなく、あのボーズどもだ。それなのに自分のことだけを考えて喚き散らすなど……醜態もいいところではないか。
平松は己の叱咤するように声を張り上げた。
「警察官の職務とはなんだ!」
「国民の安全を守ることであります」
「そうだ。これも同じことだよ」
若い警察官は納得がいかないような顔をしている。最近の若いやつらには難しい言い方だっただろうかと考えつつも、平松は首をかしげる若い警察官の背中をどやしつけた。ボーズどもの作戦に賭けたのだから、自分がここで足を引っ張るわけにはいかなかった。
「各隊と連携を密にしろ。あっちの方は動きが悪いぞ。もっと派手に動き回れと伝えてやれ」
若い警察官はまだ納得していないようだったが、それでも大きな声で返事すると、足早に立ち去っていく。それと入れ違うようにして、胸に大きなバッジをつけた偉そうな警察官がきた。
「貴隊はいったいなにをしておるのだ?」
「人質救助のための作戦を実行している最中であります」
「だから何をしとるのかと、訊いておるのだっ!」
平松は沈黙をもってそれを返事とする。この男には平松の上司で、彼との相性は最悪といっても過言ではない。平松を行動的な人間とすれば、この男は保守的な立場の人間だった。
「キミのような人間が仮にも警部の役職に就いているのが、わたしには理解できんよ。もしも報道のカメラが入っていたら、倭国の警察は世界中から笑われていることだろうな」
目の前で奇妙な動きをする警官隊を眺めながら、文句を口にする男。
「それにキミは先日も、ひと悶着巻き起こしたそうだな。何者かの手にかかって部下が殉職した際に『独自捜査』をおこなって、上から三日間の謹慎を言いつけられたそうじゃないか。くれぐれも余計なことはせんでくれよ」
そう言い残して立ち去っていく男の背中を平松は射るように睨みつけた。
「俺は間違っても余計なことはしませんよ。……部下をむざむざ死なせたりするものか」
警察官である平松にとっての正義とは、国民に『安全』という名のサービスを提供することだ。なにも国民とは一般市民だけを指すのではない。平松に言わせれば、警察官とて守るべき国民の中の一人だ。このような危険な仕事は、できることならさせたくなかった。
美咲に協力を頼まれたとき、平松はどうするべきか悩んでいた。そして目の前に危機迫る瞳をした少女を見ていて気づいた。この子供たちも『安全』が提供されるべき国民の一人であるのではないかと。だから、美咲の頼みを引き受けたのだ。
なぜ美咲たちが身を挺してまで人質を救助しようとするのか、平松はそのわけを知らない。だが、ああいう若いやつらに警察官になってほしい。『安全』を提供する正義の味方になってほしい、と心底思っていた。
「うん。いい感じに注意を惹きつけてる」
美咲たちは植え込みの茂みづたいに建物の側面へと移動していた。思った通りの結果が得られたことに彼女は満足のようだ。
「見事な作戦ですね。もともと人数はこちらの方が圧倒的に多い。銃の殺傷距離ギリギリのところを行ったり来たりしていれば、なにか策があるのではないかと敵は勘繰るでしょう」
敵の心理状況をややうれしげに高志が分析する。
「敵がシロウトならこちらが滑稽にしか映らないでしょうが、連中、プロですからね。こちらの動きから、どんな策を仕掛けてくるか考えあぐねているところでしょう」
つまるところ、考えすぎを狙ったのだ。どれほど経験を積んだ兵士であっても、ニ百人近くの警察官に包囲されて平常心を維持できるものはそういない。心のどこかで必ず不安を感じてしまうはずだ。まして、自分を取り囲んでいる連中が奇妙な行動にうってでたなら、相手の出方を探るだろう。
「少数精鋭の弱点なら、俺たちが熟知してるからな」
見つからないように慎重に移動していた三人組は、敵に気づかれずに建物の側面へと出ることに成功した。
ニ階の窓までおよそ高低差八メートル。たしかに並みの人間では辿りつけないだろう。
だが――
「そろそろいくぜ」
高ぶる気持ちを抑えながら、武は助走をつけるための距離を取った。彼の進行方向には美咲と高志がいて、その二人は組み体操のように腕を組み合わせて、即席の足場をつくっている。
「オッケー。……ヤバくなったら、人質置いてでも逃げてきなさいよ」
「いいのかよ。職場放棄だろ。それ」
予想通り生真面目な反応を示す武に、美咲は「……バカっ」と小さくつぶやいた。そんな美咲の心配に微塵も気づかず、武は表情を引き締めた。
「この体に生まれてよかったことは、つまるところ便利だっていうことだな」
おかげで自分にとって大事な仲間であるたつみを救い出すことができる。
「それじゃ、行ってくるぜ」
そのまま駆け抜けるかのように勢いをつけた武は、美咲と高志の腕を足場にしてそのままジャンプする。彼の体はその勢いを余すことなく高々と跳びへ跳ね、まるで棒高跳びを思わせるような高さを得ることに成功する。そして慣性の法則に従うままに体は二階の窓枠の中心点へと進むと、彼は両手をX字にクロスして窓ガラスをぶち破った。
「よし。いいジャンプだ」
「ええ。上出来ね」
地上から武の姿を見送った二人に、ふと声を掛けてきた人物がいた。
「なんだありゃ、バッタみたいだな」
残された二人が振り向くと、平松刑事の姿があった。わざわざこちらへ出向いてきたことを察するに、何かの連絡があるようだ。
「あっ、平松のおじさん。こっちは完了したから、囮部隊も解散していいよ」
頷いた平松は無線で指示を出したあと、おもむろに口を開いた。
「そういや、人質立てこもり犯から要求がきたらしい。倭国政府首相の命が惜しければ、東京刑務所に収容されている犯罪者たちを釈放しろだとさ」
「身も蓋もない要求ね。暇つぶし程度に要求してるのがまるわかりだわ」
「それでも警察は大騒ぎになるでしょう。客観的に状況を分析することができる人物がいるとは思えません」
「それもそうね。……まあ、警察の方は平松のおじさんに任せるわ」
与えられた情報を速やかに分析する二人。年端もいかない子供たちが、なぜこんなに必死になって事件解決に努めようとするのか、平松には疑問だった。
「なあ、お前ら」
「どうしたのよ?」
「……いや。なんでもねえや」
平松はやはり質問しないことにした。なんでお前らみたいな若いやつらが戦ってるんだ? その問いの答えはすぐ目の前にあったからだ。さきほどとんでもない跳躍力を披露したボーズの仲間たちの瞳は、なにかを信じる光を帯びている。誰を信じているのか、何を信じているのか。それは定かではない。
だが、それは救いようのない瞳でなければ、ドス黒く濁った瞳でもない。聖人のような輝きを帯びている瞳と平松は理解した。そういや、お嬢ちゃんが自分たちは人殺しの集団だって言ってたな。彼はほんの数十分前に美咲の言っていた言葉を思い出す。はんっ、上等だ。守ってやるよ。お前らみたいな殺し屋なら、俺が守り抜いてやる。警察官としての『安全』ってやつを提供してやる。
「……死ぬんじゃねえぞ。ボーズ」
砕け散った二階の窓を眺めながら、平松は無事を祈った。
「な……っ! 女子トイレかよ」
曇りガラスを割って侵入した先は女子トイレだったようで、武は面食らった顔をする。もう一つ隣の窓にしておけばよかった。そうすりゃ、男としての尊厳を保つことができたのに。
『文句を言わない。キビキビ動く』
無線から美咲の凛とした声が聞こえてきた。
『窓から二番目の個室の貯水タンクの中、あたしのシグが入ってる』
なんでそんなところに拳銃が入ってるんだ!? 武は首をかしげながらも無線の指示に従った。貯水タンクのふたを外すとビニールの袋に包まれている、スイス製シグ・ザウエル拳銃一挺と、減音器、予備のマガジンが二つ出てきた。シグ・ザウエルは各国の軍隊や警察などで導入されている、比較的ポピュラー拳銃だ。武はそれらを素早く装備する。
「P228か。それにしても、どうしてここに拳銃を隠してたんだ!?」
『あたしは乙女なの。淑女のたしなみってやつよ』
以前に会場を下調べした美咲は不測の事態に備えて、施設内にあらかじめ武器を持ち込んでいたようだ(まさか敵も同じことをするとは思いもしなかったが)。氷室に叱られるのではないかとびくびくとしていた例の件のことである。おそらく彼女からしたら、武が女子トイレから侵入したのは正解なのだろう。
「最近の淑女は、トイレに武器を隠すのかよ」
やれやれだぜ、と頭を抱える武。加えて、高志が無線に割り込んできた。
『あはは、きっと流行に敏感なんですよ。年頃の女性ですからね。多分、今年の夏はトイレに銃を隠すのが流行になると思ってるんですよ』
『そ、そんなこと……、お、おもうわけないでしょうが!』
「どもるなよ。図星に聞こえるだろうが」
和やかな会話をしているが、ここは敵の支配領域だ。武は気を引き締めると、全身の神経を研ぎ澄ませながら、足音を立てずにドアへと向かい耳をひそめる。半開きにしたドアがこちらへとゆっくりと近づいてくる複数の足音を伝えた。
「連中、いったいなに考えてあんな動きしていたんだろうな」
「倭国の警察は、キチガイの集まりなんじゃねえのか」
ドアのスキ間越しに聞こえる敵の会話を聞きながら、武は敵との間合いが十分に詰まるのを待つ。いま目視で姿を確認した。敵は二人組のようだ。気づくなよ。早くここまで歩いてこい。彼は心臓の鼓動が速くなるのを感じた。一瞬一瞬が長く感じられるこの瞬間は、何度経験しても慣れることはない。
(いまだ……っ!)
十分に敵との距離を詰めた武はドアの隙間越しに数回、ドアから飛び出してさらに数回引き金絞り銃弾を叩き込んだ。キュンキュンとサプレッサーが音を半減する音が響く。不意を突かれたテロリストたちは反撃する暇すらなく、それぞれ数発ずつ銃弾を喰らいその場に倒れこむと動かなくなった。
「二人処理した。指示を頼む」
素早く状況を報告しながら、武は敵兵士の装備を走査する。そこで彼はある事実を発見し、眉をひそめることとなった。それは倒した兵士の黒髪の根元から金髪が垣間見えていたことだ。どうやら敵はたつみと同じエルシア人らしい。となると、エルシア政府代表であるヒルツが一枚噛んでいるのではないだろうか。治外法権からヒルツに手を出すことは許されていなかったが、脅威となりうるローランの姿も警戒しておいたほうがよさそうだ。
武がそんなことを考えていると、高志から指示が入った。
『潜入しながらも敵の注意をどこかに逸らす必要があります。まず、同じフロアにあるカフェテリアに向かって下さい』
「腹ごしらえでもすんのか!?」
『そんなところですよ』
油断なく警戒しながらカフェテリアに向かう武。幸いにしても目的地までの経路に敵の姿はなく、遭遇戦が生じることはなかった。それにもともと施設内の地図は頭の中に叩きこんであったので、待ち伏せにできそうなポイントも把握済みだった。
カフェテリアへと辿りつく。それなりに広い空間に机と椅子が敷き詰められていたが、高志の狙いは食堂に当たる部分ではなく、調理場の方にあったようだ。高志は武をそこまで誘導すると、武に目についたものを片っ端から報告させた。
『水筒とドライアイス、それとコンロでお湯でも沸かしましょうか』
すぐに高志から次の指示が入る。それを聞いた武は不敵に笑ってみせた。
「ピクニックでもするつもりかよ」
どうやら武には高志の狙いがわかるらしい。なにか冗談めいたことを口にすると、彼はすぐさま準備に取り掛かった。やかんで熱湯をつくりだすと、調達した水筒にそれをそそいだ。水筒はもう一つあってそちらにはドライアイスをいくつか放り込んでふたをする。そして出来上がった2本の水筒をポケットに押し込んだ。
「準備完了だ。これから人質の救出にむかう」
これから先に待っているのは、命のやりとりをする世界だ。結果的に必ず誰かは死ぬ。自分が死ぬか、テロリストたちが死ぬかはその瞬間が訪れなければわからない。武は手にしている製造番号が削り取られた美咲の拳銃を見つめながら、自分がどこか安心していると思った。人殺しは嫌いだが、だからといってチカラがあるのになにもせず、手をこまねいていることはもっと嫌いだった。それに何より、ここには大事なアイツが捕らわれている。なぜかわからないがアイツは自分の手で責任を持って救い出したかった。
最近は護衛任務で比較的のほほんとしていたが、ここが自分のいる世界なのだ。武はそう思わずにはいられなかった。全身の神経が研ぎ澄まされときの感覚――高揚感に近いようなものを感じながら。
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人質が捕らわれているのは、三階にある部屋らしい。その情報源は美咲からだった。なんでも窓の外からその部屋に氷室監理官の姿が一瞬だけ見えたらしい。
三階へ辿りつくと、武はすぐ敵性勢力の排除にかかる。連絡のあった部屋の前には、テロリストの姿が二つ。武の身体能力なら不意を突けば文字通り瞬殺できる相手だった。気配を殺しながら疾風にように素早く接敵すると、容赦なくテロリストを蹂躙した。床や壁、そして自分が着ているダークスーツにも返り血がまき散らされた。
(こういうときのためのダークスーツなんだよな)
武は深紅を隠す漆黒の色を見ながら、顔を少しだけ歪ませた。できることなら、殺したくはなかった。彼は如何なる時でも殺人を肯定したりすることはないにもかかわらず、それを容赦なく実行せねばならない立場にある。それでも彼はすぐに兵士としての表情を取り戻すと、人質が閉じ込められている部屋のドアを開ける。
「助けに来ました」
突如として現れた武に部屋の中から異様な視線を浴びせられた。突然の訪問者に戸惑うことは予想していたが、それとはいささか違うようだ。この室内にいる人たちは武にことを快く思うどころか、復讐相手を見るかのような憎しみの視線を浴びせてきた。
自分がここに来ることで救われると思っていた武は、戸惑いの表情を見せながらアイツの姿を求めて部屋の中を見渡すが見当たらない。だが、氷室監理官の姿を見つけた。彼女に事情を問いただそうと歩み寄ると、それより先に氷室に話しかける人物がいた。
「まったく。……余計なことをしてくれたものだ。これはキミの部下かね?」
武よりも先に口を開いたのは武藤首相だった。氷室が肯定すると、その人物はすぐさま武へと向き直る。
「キミがムダな努力をしなければ、我々の安全は保障されていたんだ。これで倭国が戦火を被る危険は増えたわけだ。満足かね」
そういって武藤は毒を吐いたが、武はそれを軽く無視して直属の上司へと話しかける。
「どういうことですか」
「わたしもさっき知ったのだけど、前もってエルシア政府から倭国に申し入れがあったらしいわ。倭国が戦火に巻き込まれないことを保証する代わりに、倭国で匿っている正統王位継承者……あなたの護衛対象を引き渡すっていうロクでもない話ね」
「じゃあ、アイツはもう連れ去られたんですか?」
正統王位継承者の件は武にとって初耳だが驚く暇はない。そんなことよりもまずは、たつみの身柄の安全を確保すること最優先だ。
「いいえ。エルシア政府代表の暗殺犯に仕立てあげるらしいから、まだ会議室でなにかの準備をしているらしいわ。まだこの建物の中に残ってるはずよ」
「なら俺はアイツの救出へ向かいます。氷室監理官はここの人たちの護衛を!」
武はさきほど処理したテロリストが装備していたアサルトカービンを氷室へと差し出すと、自分はすぐさまたつみを助け出そうとした。おそらく会議室の周辺には多数の敵が存在しているだろう。そこが決戦場になるはずだ。人を殺す覚悟をして部屋を出て行こうとする武。
だがそんな彼を咎める者がいた。
「やめたまえっ!」
メディア媒体で見慣れた人物なのでその人物がどこの何者であるかは武にもすぐわかった。
「なんでだよっ!」
「すでに両国政府の間で、取り引きが成立しておるのだ。エルシアが国家である以上、最低限の体裁をとりつくろう必要がある。約束を破棄違えたりなどしない。このままあちらの要望を受け入れてしまえば、倭国の安全は保障されるのだぞ」
武は首相を睨みつけた。なにを言ってるんだ、こいつは。
「自分たちの安全のために、ヒト一人を見捨てるかよっ!」
思わずそう吐き捨てた反面で武は、首相の言っている言葉の意味もよく理解していた。首相の言っていることはおそらく正しい。出来レースに巻き込まれていることは納得できないが、国益を優先しての行動なのだろう。だが、わかっていても納得できない自分がいる。本来ならば国に奉仕する立場の俺が、どうしてこんなに熱くなっているのだろうか。
テロリスト四名をその手にかけた武から放たれる圧倒的な雰囲気に怯みながらも、首相はさも自分が正しいように口にする。
「キミがいわんとする人物は我が国の国籍を所持していない。特別に発行された滞在ビザをもっているという事実が存在するだけで、国籍はエルシア政府のものだ。つまり、我が国の国民ではなく保護する義務を倭国は持たない。それに、もしもその人物が倭国の国民であったとしても、わたしは最大多数の幸福のために、その人物の身柄をエルシア政府へと引き渡すだろう。国民一人の命と、国家及び国民全体の安全を比較すれば、自ずと結論は見えるものだ」
大人の事情を当然のような態度で口にされて、武は頭に血が上って思わずカッとなって叫んだ。
「国民あっての国家だろうがっ!」
歴戦の兵士の覇気を伴って凄んでみせた武に対し、おためごかしを口にする武藤は腰を抜かしてその場に尻もちをついた。それほどまで武の放つ雰囲気は異様なのだ。俺がいままで政府の汚れ仕事を引きうけてきたのは国民を守るためであって国を守るためではない。武は自分に語りかける。なあ、俺。たしかに大人の解釈ではアイツは倭国の人間じゃないだろうぜ。だけどな、短い間とはいえ、アイツは同じ時を過ごした大事な仲間だ。そして俺の信念は、仲間を守ることだろ。仲間を守れないやつはクソッたれと同じくらい価値がないんだよ。
彼は氷室のもとへ向き直った。そして自分に命令する権限を持つ人物へ頼み込んだ。
「氷室監理官。俺に命令してくれ。俺はアイツを助け出したいんだ」
「……ダメだ。許可できない」
即座に氷室に断られた。それは言い出す前から予想されていたことだ。そして、その程度で具申を取りさげるほど、生半可な覚悟で口にしたのではない。
「俺はアイツのことをなんもわかってやれなかった。アイツが国なんてドでかいもの背負って立ってるなんてこと全然知らなかった。どっか哀しそうな顔してる時も、適当なこと言って元気づけようとしただけで、全然なっちゃいなかったんだ」
たつみと過ごした日々が武の脳裏で蘇る。そういえばアイツ、エルシアのことを気にしていたな。いまさらだけど、正統王位継承者だから気になっていたんだろう。武は悔やんだ。夜空を見上げた時にたつみに誓ったこと言葉を。約束を果たせそうにない今の自分の姿を。そして自分の言い聞かせるかのように武はその思いの丈を言葉にした。
「俺さ、アイツに何があっても俺が必ず守ってやるって誓ったんだよ。男として口にしたことは守らなくちゃならないんだよ。なあ、わかるだろ。俺にアイツを助けに行かせてくれよ」
なにか言いたげな表情で氷室がこちらを見ている。その唇が微かに動きかけたとき、いつの間にか起き上がっていた武藤が横やりを入れてきた。
「なにをいまさら。黙りたまえ。貴様のような、人を殺すしか能がない化け物をわざわざ飼ってやっているのだぞ。少しはわたしの言葉を聞いたらどうだっ!」
首相から見たら、血塗られた子供たちは言葉通りバケモノに映るのだろう。殺人機械、殺人者、死を撒き散らすだけの存在……。そういった類のようなものだ。
だが、《血塗られた子供たち》には誇りがあり、大事な仲間を守るという信念がある。首相の言葉などに耳を貸さず、武は深々と頭をさげて必死に頼んだ。
「俺を単なる人殺しにさせないでくれ。俺はそんなことをするために生きているんじゃない。大事な仲間を守るために生きてるんだ。アイツはもう仲間なんだよ。俺のことを人間と認めてくれた大事な仲間なんだっ!」
目の前で土下座をする少年の姿を見つめながら、氷室は、わたしは今ここで何をしているのだろうかと内心で疑問に思う。それは人質になっていることや、拘束されているといったことを指す言葉ではなければ、もちろん倭国情報管理監理官としてでもない。目の前で頭を下げている少年は誰だ? 氷室は自分に問いかける。
この少年はわたしが育て上げた自慢の子供だ。それがなぜこんなに必死になって頭をさげているのだろうか。どうすればこの子供は悔いのない生涯を送ることができるのだろうか。そんなのわかりきったことだ。氷室のきつく結ばれた口元がほんの一瞬だけ緩んだような気がした。
「馬鹿めっ。わたしは貴様に与えた任務を解除した覚えはないぞ」
武がこちらを見る。さきほどとはうって変わって一人前の男の顔をしていると氷室は思った。そして彼女はおもわず叫んでしまう。
「護衛対象を助けたいのだろう。守りたいものを、守れないような人間に育てつもりはない。……どうした、早く行け。ノロマめっ!」
なにか言いたげな武をせかすように言葉を投げつけた。武は微かに唇を動かして、何かを言い残すと部屋を飛び出していく。彼が何と言ったのかは氷室にしかわからないだろう。
「氷室室長、どういうつもりだっ!」
当然のことながら、首相が氷室を咎めてきた。どういうつもり……か。はてさて、どういうつもりだったのだろうな。氷室はさきほどのことを振り返ってみた。
どういった心情によって、さきほどの発言が引き起こされたのか論理的にうまく説明することはできない。強引に理由をつけるとするならば、わたしはあの子たちの育ての親で、大事に思っているからといったところだろうか。我が子らを想う育ての母の愛。……いや、そんな立派なものではないだろう。
わたしは汚れ仕事の責任者。いわば、殺人結社のトップのようなものなのだから。
だが、武に命令を出したとき、これは正しいことなのだという気持ちに駆られたことを氷室は否定しようがなかった。国益から考えれば誉められることではないのだ。そんなことはわかっている。だが、ありがちな言葉を使えば……これは正義だと思ったからなのかもしれない。
武に命令している最中、彼女はこれが正しい行いだと確信を持って断言することができる気持ちになっていた。彼女自身、理由はよくわからないがそれでもいいだろう。この世の中、人間の気持ちをはっきりと説明できることなど滅多にないのだから。
うるさい蠅のような首相を追い払うために、氷室はとりあえず言い逃れるための口実を述べた。
「さきほど首相のおっしゃられた通りです。我が国に〈イージスの盾〉と呼ばれる組織など存在しない。ゆえに存在しないはずの彼らにわたしがどう命令を下そうと、何も問題はありません」
「そんな言い訳が通用すると思うのか! 彼らは化け物だ。首に縄をつけて飼いならさなければならない、野蛮な存在だ。断じて野放しにするべきではないっ!」
「けっこう。では、その野蛮な存在を生み出したのは誰ですっ!」
そういって、氷室は周囲を見回す。この場に居合わせた官僚のほとんどが、その化け物とやらを生み出す計画に携わっていたことを彼女は知っている。
「本当に野蛮なのは彼らを生み出した側である、この国の上層部でしょう。貴方がたは御存じないでしょうが、彼らはこの国のために処理した人の数を数えています。人の死を背負って生きているのです。我々はこの国の行く末を案じるがゆえに倫理道徳を侵した。その罪がわたしにあるというなら、わたしは甘んじて責任を負いましょう。ですが、生まれてきた者に罪などありません」
誰もが口にできない禁忌を公然と言い放つ氷室。正面切って彼女に啖呵を切れるものなどいるわけがなかった。みんな心のどこかにやましさや、恥ずべき行為だったという気持ちを抱えているのだから。
「氷室監理官、キミは化け物どもに甘すぎるぞ。殺しのためのバケモノを人間と同等に考えるべきではない」
いや、ただ一人。首相だけは反論した。この男は声が大きいことが売りのようだ。
「ええ、そうでしょうとも。倭国情報管管理局管理官であり、〈イージスの盾〉の責任者としては失格でしょうね」
氷室は毅然とした態度をとる。監理官としては落第点の行動をしたことは自分が一番よくわかっているのだ。首相の言うとおり恥ずべき行為なのだろう。だが、それがどうした! 氷室は感情の赴くままに首相に詰め寄るとドンと手で突き飛ばす。
そして――
「でも、氷室貴子というこの世界に生きる人間として、あの子たちには厳しくしたつもりよっ!」
断固とした言葉を放った氷室に文句を言う者は今度こそ誰もいなかった。
「やれやれ、いったい何に手間取ってやがるんだ」
閑散とした会議室の中でローランは不満を募らせていた。大きなネズミが入り込んでいるようだが、状況がまったくつかめないのは妙だとしか言いようがない。こちらの兵士の錬度は決して低くない。それどころか先進各国の特殊部隊とも互角に渡り合えるはずだ。にもかかわらず、敵発見の報告をする前に処理されるとは。
「各隊、状況を報告しろ」
間をおかずして返信が返ってくるが、無線が伝える返事は規定の数に満たない。さきほどと確認したときからさらに一チーム減っている。これで定時連絡が途絶えたチームが二つになってしまった。
「また何人か喰われちまったようだな」
乱暴に椅子に腰かけるとローランは状況を分析する。少なからず部下がやられてしまったようだが、警官隊は手を出してきてはいなかった。それは侵入者が警察関係者でないことを意味する。
「どういうことだっ!」
あたりかまわず取り乱しているのはヒルツだ。自分が思うように事が運べないと怒鳴り散らすタイプのようだ。すでにエリスを暗殺犯に仕立てあげるために昏睡状態し、彼女を犯人に仕立て上げるための暗殺現場のセットは完成している。あとは、倭国の警察に突入して現場を押えてもらい、公式的にエリスを犯罪者にするシナリオだったが――
「まさか倭国が裏切ったとでも言うのか!?」
「裏切るなら、わざわざお姫様をこっちにくれねえよ。多分、どっかの組織が命令無視して突っ走ってるんだろうぜ」
「……〈イージスの盾〉か!?」
「おそらくはな。ここに留まるのもマズイな。ずらかろうぜ」
「だが、ここでエリスを手放すわけには……」
破邪の盾などにエリスを発見されるのはヒルツのシナリオに書かれていないことだった。公式組織である警察に取り押さえられ両国の外務省を通じて、国際的に犯罪者として引き渡されるからこそ、反政府組織の戦意を挫く象徴としての意味があるのだ。ヒルツは突然の状況に混乱を隠せない。
「焦るなよ。治外法権だから、警察はあんたには手を出せない。このままお姫様を引き連れてエルシアへ戻ればいいだろ。エルシアはあんたのホームグラウンドだ。いくらでも裏工作ができるだろ」
そうすれば、当初の予定とは異なるがエリスを暗殺犯として処刑することは可能だ。具体的かつ建設的な意見を述べるローランをヒルツは頼もしく感じる。こいつといる限り、自分の身は無事だという安心感を抱かせられる。
「わかった。悔しいがここは退いてやろう。……ローラン、お前はどうするんだ?」
このまま一緒についてきてくれるかと思ったが、そうではないようだ。ローランはどこかからかサブマシンガン(SMG)を取り出し、マガジンを装填している。
「殺された分だけ殺し返すんだよ。その方が後腐れなくていいだろ」
「なら、エリスは連れて行くぞ」
「ああ。あんたは先に逃げといてくれ」
「お前には期待している。車で待っているぞ」
ヒルツは混濁して意識がはっきりとしないエリスを抱えると、数人の部下かとも脱出をはかろうとする。正面玄関付近にはVIP車両が駐車してある。その車はエルシア政府のものであり治外法権だ。それに乗り込んでしまえば、いくら警察といえど手出しすることができない。
「このまま暗殺犯としてエルシアまで同行してもらいますよ。本来ならメディアによって、倭国の政府から身柄を譲り渡されるという映像もつけたかったのですが」
意識のないエリスにむかって、ヒルツは薄ら笑いを浮かべた。
「邪魔するんじゃねえっ!」
前方を塞ぐようにして展開するテロリストたち。狭い通路での戦闘は、武には不利だった。常人離れした瞬発力があるのに、十分発揮できない。せめて天井がもうすこし高ければ立体的かつ有機的な機動がとれるのだが、こればかりはどうしようもない。
またテロリストたちの錬度はかなりのものだった。迂闊に姿をさらしたりはせず、ありあわせの机などで即席のバリケードのようなものを築き、遮蔽物の陰からセミオートで的確に狙いをつけて銃撃してくる。中にはバックアップのための囮射撃をしてくるものもいた。射撃音から大雑把に判断して、武は向こうが六人ほどの連中のようであることを把握した。
鋭い射撃を浴びせられて、武は思わず通路に面した他の部屋の陰に隠れると、ズボンのポケットにねじり込んでいた水筒を二つ取り出して弄くり始めた。
「死んだからって恨むなよ。俺には、やらなきゃならねえことがあるんだ」
武はそういって水筒を放り投げる。テロリストへ向って投擲された水筒は、彼らの足元の方へころころ音を立ててと転がった。水筒を投げる意味がわからず首をかしげるテロリスト。
(お湯の加減、間違えちまったか!?)
武は遮蔽物の陰から素早く身を乗り出すと、手にしたカービン銃で水筒を狙撃する。水筒の金属部分を銃弾が穿つ。その瞬間、水筒が突如として爆発した。それも大きさからは想像もつかないようだ大爆発だ。砕け散った金属片と噴火したかのような水蒸気が辺り一面にまき散らされる。
彼が弄くった二つの水筒の中身はそれぞれ熱湯とドライアイスだ。密閉された空間である水筒の中でそれらを混ぜ合わせに過ぎない。熱湯にあたためられたドライアイスは気体へと変化させ、その体積を膨張させる。そして膨張に耐えきれない水筒はいずれ弾け飛ぶ。中学校の理解程度の知識でつくることができる即席の爆発物の一種だった。
その効果は絶大だった。
テロリストたちの悲鳴があちこちで巻き起こり、うめき声が通路を満たす。そんな最中、問答無用に武は敵との距離を詰める。こちらの接近にいち早く気づき体制を立て直したテロリストが発砲してきたが、横に跳ぶようにして素早くそれをかわした。
「なんだっ! 弾が見えているのか」
どこかからか驚愕の声が上がるのが聞こえたが、いまは目の前の敵に集中した。眼前へと迫る武に対し、テロリストは狂ったかのように銃弾をばら撒く。彼は余裕の表情でそれをかわすと、敵の胴体へ銃口を突き付けて引き金を絞る。零距離から銃弾を喰らったテロリストがその場に崩れ落ちた。
「銃の数なら、こちらが上だ。撃ちまくれば当たるっ!」
霧が薄れてどこかからか見られていたのだろう。武は声のした方へカービン銃をバースト射撃でニ連射する。確かな手ごたえ。誰かに命中する感触。どうやら合計六発の銃弾は敵の姿を捉えたようだ。
「クソったれ、死んじまえっ。バケモノめっ!」
霧が晴れて後ろから二人のテロリストが現れる。完全に背後をとられたようだ。不利を悟った武は敵の意表を突こうとする。彼は力いっぱい床を蹴ると、そのままバク宙を通り越す勢いで天井まで辿りつくと、そこを足で蹴ってさらに加速する。敵の銃弾が彼の真下を通過していった。半月円を描くの軌道でこちらを狙っていた敵の背後へ躍り出た彼は、セミオート射撃でそれぞれの頭と胴体に一発ずつ銃弾を喰らわせる。これで四人。
「なんなんだよ。おい。……夢でも見てるのかよ」
こちらの実力に恐れをなしたのだろう。五人目のテロリストは腰を抜かしてその場にへたり込んだ。しかし銃口だけは震えながらもこちら狙っていて敵意を向けられている以上、手加減をするわけにはいかなかった。武はなんなく怯えた相手の銃撃を回避すると、敵の頭部めがけて銃弾を一発撃ち込んだ。銃弾は吸い込まれるようにして脳天へと突き刺さり、テロリストは銃を抱えたまま横に倒れた。これで五人。
残りの一人は無残な姿で発見された。どうやら水筒爆弾の直撃を受け、それがそのまま致命傷になったらしい。
爆発の影響で半壊し、鮮血が飛び散った廊下に立っているのは一人だけだった。
テロリストから返り血を浴びて、体のあちこちが深紅に染まっている姿は、まさに〈血塗られた子供たち〉だった。
戦うために創られた存在。人を殺すためのバケモノ。
その言葉の起源はここにあるのだろう。
急いでマガジンを取り換えた武は、油断なく辺りを見回す。廊下の遠くの方から近づいてくる人影に気づくと素早く銃を構えた。
「おー、こわいこわい。……俺の部下たち皆殺しにしたのは、お前か?」
こちらへ歩み寄るその人物は口調ほどこちらを恐れているとは思えず、その表情はどこか愉しげですらあった。目の前の男に武は心当たりがあった。ライフルのスコープ越しにその姿を捉えたことがある人物。ローランだ。武はその双眸でローランを睨みつけた。おそらくこの男が敵の首領だろう。実働部隊の指揮官さえ倒してしまえば、たつみを助け出すことが容易になる。
「たつみはどこだっ!」
「たつみ? ああ、エリス姫のことか。……こんだけ人殺しといて、さらわれたお姫様を救い出すナイト気取りかよ。どんだけ、顔の皮が厚いんだ」
「うるさいっ、喋らないなら殺す」
テロリストなどとは話す舌をもたないし、敵と会話する余裕があるのは映画の世界だけだ。武はアサルトカービンの銃口を向けた。ローランの瞳は相変わらずドス黒く濁っていて、ここで殺しておかなければこちらが殺されることは明らかだった。
目の前の少年の殺気が高まるのをローランは敏感に感じ取ると、こちらへ近づくのを中断し、くるりと背中を向けると一目散に逃げ出した。
(逃げる……っ!?)
戸惑いながらも武は逃げる背中を追いかける。身体能力の違いだろう。彼は壁と天井を飛びまわるように移動し、難なく逃げるローランの正面に立ち塞がった。ローランは目を丸くしてみせたが、これまでのテロリストたちがみせた驚愕の表情とはどこか違う。
「ほう。あれだけの屍を築き上げたのは、そのチカラがあるからか」
手にした銃の銃口をローランは素早く武へと向ける。その手に握られているのは、全長三○センチほどの小型のサブマシンガン(MP5K)。信頼と実績のある銃器メーカーである、ヘッケラー&コッホ社の看板商品だ。小型で扱いやすく命中精度が高いこともあって、世界各国の警察や特殊部隊に普及している。
「SMGで俺を殺せるなんておもうなよ」
武の見切りなら近距離射撃でさえも避けることはたやすい。ローランが引き金を絞り銃弾がはじき出される。その鳴り響く銃声と同時に武は動いた。銃弾の軌道を予測し、最小限の動きで流すようにローランを仕留めようとする。
しかし、次の行動に武はさらに戸惑うこととなる。ローランは手にした武器をいきなりこちらへ放り投げてきたのだ。意表を突かれた武はとっさにそれを薙ぎ払おうとする。運が悪いことにカービンの銃身に当たって、そこがひん曲がってしまう。
「たしかに反応速度と運動神経は並はずれているようだな」
銃を失ったこちらをせせら笑うかのようにしているローラン。彼は自分の優位を確信したかのように、はっきりとこう言った。
「だが、経験は大したことがないな」
撃てなくなったカービン銃を捨てると武は腰に携えていた美咲のシグを構えようとする。だができなかった。まるでそうすること予想していたかのようにローランがこちらとの間合いを一気に詰めていたからだ。虚を突かれて拳銃を弾き飛ばされた武は、バックステップで距離をとると拳を構えた。
「経験だと……っ!? 人殺しの経験なんて自慢できるもんじゃねえだろうがっ!」
ローランに向かってまっすぐに殴りかかる武。白兵戦に揺るぎない自信があったが、その拳はローランへと届くことはなかった。ひらりと身をくねらせたローランにあっさりと避けられてしまったからだ。人外の身体能力がもたらすはずの必中必殺の拳を避けられたことに、武の表情は驚愕の一色に塗りつぶされた。
「動きが単純すぎるんだよ。お前、いままで本気の格闘戦ってのを経験したことがなかっただろう」
ローランの指摘は的確だった。幼いころから軍事教育を施されてきた武たちだが、格闘訓練だけ経験不足だった。もちろん、軍隊式の格闘スタイルは完全にマスターしている。だが、それ相応の実力を持つ模擬訓練の相手がいなかったのだ。
武は遺伝子的に戦闘に特化されている。銃弾を見切れるほどの動体視力と反射神経を持ち合わせているほどだ。たとえ美咲と高志でさえもそんな彼と実力が拮抗することはなかった。そのため、格闘術の訓練は全力を出す機会に恵まれず、大雑把にいえば軽く小突き合うくらいの気持ちで訓練をしていたのだ。
そうしてる間に、ローランの鋭い打撃のコンビネーションが武を捉える。
突き、蹴り、手刀、回し蹴り――。硬軟混ぜ合わせたスキのない連撃だ。武はそれらをガードしながら後ろにじりじりと押しやられている。
実力が違う。明らかに劣勢な状況だ。
武の表情には焦りの色がはっきりと浮き出ていた。今すぐアイツを助けにいかなくてはならない。それなのに目の前のクソッたれの悪党はかなりの手練だ。格闘術には自信はあったが、自分よりも相手の方が実力は上だった。
「どうした? 顔に参ったなって書いてあるぜ」
じわじわとこちらを痛ぶりながらローランは口にする。武は相手の一挙手一投足に注目した。堅固な要塞を思わせる投打を生み出す足運びと体さばき。正面の男の格闘術は軍事訓練では教わっていない高度な技術だった。
「……ぐああっ!」
連打の最後の肘打ちが直撃し武はわずかに吹っ飛んだあと、その場に倒れこまされた。
「戦いの流れってもんが掴めてない。俺がわざわざ迎えにきてやったことに何も思わないのか」
勝ち誇った顔をするローラン。いつの間にか、彼の周りにはカービン銃で武装しているテロリストたちの姿があった。
「能ある鷹は爪を隠す。倭国のコトワザだったな。おまえは、さしずめ狂犬ってことか。目の前に与えられた獲物に容赦なく喰いつくが、相手を見極める技量を兼ね備えていないってところだな」
どうやらローランが最初に背を向けて見せたのは、武を包囲するためにおびき出すためだったらしい。
「く……っ!」
どうやら罠にハマっちまったらしい。武は蓄積された疲労とダメージで、いうことを聞かなくなった体をムリヤリ動かそうとする。そんな光景をあざ笑うかのようにローランは口にした。
「クソッたれはおまえだよ。一人で、どれだけ殺したんだ。人を殺すのは愉しいか、なあ」
起き上がろうとした武の腹に、つま先の蹴りいれるローラン。再び地に伏しそうになるのを武はぐっと堪え、通路の壁に手をついて起き上がろうとする。
「愉しいかって聞いてんだよ、おい」
ふたたびローランの蹴りが武を襲う。
ふわっと体から力が抜けそうになるのを彼は必死に耐えた。本来なら意識を失ってもおかしくないだろう。壁を背にして指一つ動かせないような状態になっている武に、ローランが名残惜しそうな顔をする。
「ここで殺すには惜しいチカラをしているな。お前は将来、いい殺し屋になれるぜ」
「……ンなもん、なりたかねえよ」
「ああ。そうかい」
ローランは床に落ちたままになっていた自分の銃を手にした。
「せっかくだから、冥土の土産にいいこと教えてやるよ。俺もお前も同じ人殺しだよ。だが、ここで雌雄を決したのは、お前が殺しを愉しんでねえからだよ。このスリルと快感を愉しめねえようなマヌケに、裏社会で生き残ることはできねえのさ」
ローランのMP5Kから武へ向けて数発のパラベラム弾が叩き込めれた。
それは武の胴体を貫通し、そこから湧き出るように血が流れ出す。致命傷だ。彼はいままでのテロリストと同じくその場に倒れ込んだ。これだけの銃撃を浴びてピクリともしない。どうやら、こいつはもう死んじまってるらしい。……いや。俺が殺したんだった。
その光景に満足したローランは部下とともに脱出をはかった。




