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第三章 疑念

 たつみが編入してから一週間が経過した。

襲撃のあった翌日から武たちは細心の注意を払って警戒していたが、何事もなかった。近所で無人となった公用車と血痕が発見され、魚港付近のコンテナ倉庫で警察官の遺体が発見されたという報道を除いては、平穏無事な毎日が続いた。

いまマンションには高志がやってきている。もちろん遊びに来たのではなく、任務だ。今週末に開催されるという、倭国とエルシア政府のサミットの警備に関する確認をしにきたようだ。エルシアは現在内戦中ということもあって、なにやらキナ臭さが漂っていた。

「今日も襲撃なしだぜ。もしかしたら、連中、あきらめたんじゃねぇか」

「可能性としては考えられなくもないですね。僕の方でも動きがまるで掴めていません」

 二人でサミット会場の見取り図に目を通している。大学のキャンパス程度の広大な敷地を貸し切りにしてのサミットだが、複数ある建造物のうち、必要なのはたった一棟だけ。しかも使用するのはその中の二階の会議室のみという、予算の無駄遣いも甚だしいものだった。

「そういや、美咲はどこいったんだ?」

「サミット会場の下見らしいです。エルシア王国は内戦で何かとごちゃごちゃしていますからね。もしかしたらその余波を受けて、国内で過激派エルシア人によるテロなんてことも起こり得ないとは言い切れませんから」

 それを聞いて、たつみの表情が硬くなる。誰が何の目的で和平会談を襲撃するかわからないが、それがエルシア人だったら国際関係の悪化は免れない。そんなたつみの表情の変化に気づいたのだろう。高志がさりげなく、「もっとも、いままで一度もそんなことは起こりませんでしたが」と付けたす。どうやら、情報収集に徹していた彼もたつみの正体に気づいているようだった。

「お前は考え過ぎなんだよ。可能性を考えていったらキリがねえよ。事件が起こったら、俺たちでなんとかすりゃいい。それぐらい心構えでいないと精神の方が先に参っちまうぜ」

 武の何気ない一言でたつみの表情が緩んだ。高志もそれには同意する。

「あはは、参考になりますよ」

 それからしばらくして警備体制の確認を終えると、高志は帰り支度をする。今日はこれから警備に必要な機材の手配をするらしかった。

 いそいそと帰り支度をする高志を意識しながら、たつみは不意に口を開く、

「わたしも、そのサミットに出席するぞ」

 驚きが大きかったのは武ではなく、高志の方だった。武も驚いた表情をしていたが、それよりもいつも冷静な高志が目を大きくしている姿の方がはるかに珍しい光景だからだ。

「いいんですか? そんな大事な情報を僕たちに教えて」

「大方察しはついていたんだろ。なら、なにも問題はない」

「まあ……、時期が時期ですからね」

 武は話の流れについていけず押し黙ったままだ。だが、たつみの正体が誰であるか、彼が自分から話をするまでもう詮索をしないことに決めていたので、苦い顔ひとつせずにその会話を聞くことにする。高志は鞄に荷物をしまい終えると、

「襲撃された経緯も、そのあたりだろうと思っていました。エルシア政府軍に関する黒い情報を外務省に届けたのもあなたですね」

 たつみがこくりと頷く。それを目にした高志はやれやれと手を広げた。

「世間知らずとは困ったものです」

「なんだとっ!」

 ぎらりと高志を睨みつけるたつみ。高志は冷やかな言葉でそれに応じた。

「切り札とは使うものではなく、見せびらかすものなんです。それが政治における、抑止力としての利用価値ですね。あなたは交渉のテーブルに着く前に、せっかくの情報を公開してしまった。これでは交渉を優位に運ぶことはできませんよ」

「どういうことだっ!」

 なんのことか武にはよくわからないが、たつみはなにか失敗をしでかしたらしいことだけはわかった。

「サミットの半分は、話し合う前に決まるということですよ。倭国とエルシア。それぞれの利権が複雑に絡み合うこの手の問題は、水面下での駆け引きが重要になってくるんです。単純な話し合いで解決できる問題ではありません。おそらく、倭国政府の目的は、自分たちに戦争の火の粉が降りかからないこと。そのためなら、あなたの持参してきた情報を黙殺し、エルシア政府と密約を結ぶことも大いにあり得る。……といっても、あなたからの情報を受け取っていたらしい外務省の役人はすでに行方不明になっていますがね」

高志は普段よりも無機質な声でたつみを糾弾した。どうやら、彼の眼にはなにもわかっていない世間知らずのお姫様にしか映っていないらしい。たつみは自分が間違いを起こしたと指摘されて腹を立てた。わたしのとった行動は、真実を白日のもとへ晒そうとした行為のはずだ。咎めを受ける言われはない。そう思った彼女は思わず反論しようとする。

「そんなこと」

 しかし、そこで高志に遮られた。

「ない、と言えますか。もしそう言うつもりだったなら、あなたは世の中を甘く見過ぎている。世間とは、狡猾で薄情だ。僕たちみたいな存在がいることを、この国の国民の何人が知っているでしょうか」

 僕たちみたいな存在――《血塗られた子供たち》――に関することは、その存在自体が世間に伏せられている。彼らが国を守るためにどれほどの功績を上げようとその存在が表に出ることはない。

 たつみは言い返すことができなかった。《血塗られた子供たち》の努力と苦労を多少なりとも知っている彼女には、高志の言葉は重すぎたのだ。やはり、わたしはダメな人間なのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

「そういう言い方はないだろ。俺たちは、ムリヤリこの仕事についてるわけじゃねえんだぞ」

 いままで黙って聞いていた武が咎める。たしかに高志も言いすぎたと思ったのだろう、普段の穏やかさを含んだ声を出した。

「ああ、言い過ぎましたね。……たしかに、僕たちはムリヤリ汚れ仕事を引き受けされているわけではありません。ですが、世の中、正攻法だけでは上手くいかないこともある。そのことを覚えていてください」

 そう言って武の方を向いた高志は、まだ何か話したいことがあるのだろう。にこりと微笑んでからこう告げた。

「私見ですが、たつみさんは、この国の行く末を決めるほどの影響力を持つ人物に思われます。大切にしてあげて下さい」

 それだけ言い残すと高志は立ち去ろうとする。まだ仕事が立て込んでいるらしい。武はそんな彼を横目に見ながら、

「俺がコイツを守れば、なにも問題ない。それだけの話だろ」

 武は自信満々の表情でやりと笑ってみせた。


 駅前の商店街には武とたつみの姿があった。

 二人とも詰め襟姿で一緒に食材の買い出しにきている。

それほど多くの買い物をするわけではないので、たつみは自分一人で大丈夫だと断ったのだが、武は護衛として離れるわけにもいかなかったので、ムリヤリにでも付き添うこととなった。

 スーパーの買い物袋を両手にぶらさげながら、武はたつみの隣を歩いている。ちらちらと何度もたつみの表情をうかがう武はどことなく心配そうな表情をしていた。

「おい」

「なんだよ」

「景気が悪い顔してるぜ」

 マンションを出てからスーパーで買い物を終えるまで間、二人はほとんど会話を交わさなかった。普段だったら学校で起こった些細な出来事に関する話をして盛り上がるのだが、今日はそれもできていなかった。

 その原因が何であるかは武もよくわかっている。たつみは高志の言葉について真剣になって考えているのだ。世の中を甘く見過ぎている、と指摘されたことが相当こたえたらしい。いまのたつみは正直言って、塞ぎこんでいるようにしか見えない。悲観主義者ペシミストというほどでもないが、目の前のコイツは物事を深刻にとらえ過ぎだな。俺なら、ここまで思い悩んだりはしない。こいつ、野郎のくせに神経が繊細すぎるんじゃねえか?

 武はたつみが自力で立ち直るまで待っているつもりだった。しかし、もう限界だ。彼は重苦しい空気に長時間耐えられるような、洗練された精神を持ち合わせてはいない。

「おい、おまえ、男だったら、もっと図太い神経を…………んっ!」

とぼとぼと隣を歩くたつみがふと足を止めたかと思うと、そのまま商店街の電気屋の展示用テレビに視線が釘付けになる。

「んっ、テレビがそんなに珍しいのか?」

そんな冗談を言いながら、武もテレビを覗き込んだ。

放送されていたのは、ニュース番組だった。司会のアナウンサーがなにやら深刻そうな表情でエルシア王国の内戦に関する報道をしていく。それによると、次期国王になるはずのお姫様が失踪していることが混乱に拍車をかけているらしい。暗殺されたとの情報もあったが、エルシア政府があとになってそれを覆していた。そして失踪したお姫様に関しては、コメンテーターが『責任放棄』とか、『勝手気ままなお嬢様育ち』などと好き勝手にレッテルを貼っていた。

「行方不明の姫様ってか。エルシアは大変そうだな」

 ふと武は無遠慮な感想を口にする。それを聞いたたつみの表情がたちまち険しいものになったのだが、彼はそのことに気づかなかった。

武はわたしの正体を知らない。おそらくこのコメントは、その他大勢の人々も抱くものなのだろうとエリスは思う。だが、わかっていても彼女は心の苛立ちをぶつけないわけにはいかなかった。それもそのはずだ。彼女はまだ、たった十七歳の少女なのだから。

「お前になにがわかるっ!」

 たつみが憤怒を抑えきれずに叫んだ。人通りのある商店街で大きな声を出したため、驚いた通行人が何やら怪訝顔でこちらの様子をうかがっている。

 感情を表に出したたつみは、怒涛のように押し寄せてくる感情の渦に飲み込まれた。

いきなり国王が崩御して、わたしが右も左もわからないときに内戦が勃発して、よくわかんない連中に命を狙われて……。それなのに正統王位継承権という重荷を背負わされて、信じてくれた人々はわたしを身を守るために犠牲になった。そんなわたしの不幸を知らないお前に、いったい何がわかるんだよっ!

 荒らぶる感情の奔流をなんとか喉もとで堰き止めながら、たつみはいまにも泣きだしそうな表情で睨みつける。そんなたつみの様子に驚いた武は一瞬だけ双眸を大きく見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻す。

「なにも……さ」

 武はまるで子供をあやすかのような表情で語りかける。

「なにもわからねえから、こんなことが言えるんだよ。本気でそいつの苦労を知ってるやつだったら、絶対口にすることはできねえよ」

 そう言うと武は少しだけ規律違反を犯して、最近になって実施された極秘任務について教えてやろうと思った。なぜかわからないが目の前のコイツは、これからする話に興味を示しそうな気がしたからだ。

「俺さ、内緒のことだけど、ついこの間、任務でエルシア国内に潜入してた」

 彼の予想通り、たつみは食い入るような表情でこちらを見ている。

「そこで一人だけ逃げ遅れた難民を助けるために政府軍相手に大立ち回りかまして、始末書を書かされることになったんだけどな。……実は始末書に書かなきゃならねーことが、もう一つあるんだ。そのまえにも政府軍と一戦やらかして、反政府組織の何人かの命を助けちまったんだよ」

「どういうことだ?」

 自分の知らない事実にたつみは怪訝顔をする。

「そいつらはお姫様とやらを逃すために、政府軍の足止めにかかったそうだ。そんでもって大黒星。死んじまったら何にもならねえのに、さっき噂になっていたお姫様のために必死になって戦ってたんだよ」

「それでどうなったんだっ? その者の名前とかはわかるかっ?」

 予想以上に強い興味を示すたつみ。

そういえば武と初めて会ったとき、彼が拳銃の一丁すらも持ち歩いていなかったことを思い出す。建物内部で敵兵を倒したときも彼はナイフを使用していた。戦場を駆けるプロの兵士である武が、銃の一丁すら持ち歩かないなどいまにして思えば不自然だ。そんな疑問に答えるかのように武が告げる。

「わかんねえ。けど、持てる限りの装備で、できるだけの支援はしたからな。何人かは助けることができた。……けどよ、そいつら少し変なんだよ。ボロボロになってるのに、みんな口を揃えて、『自分のことは構わないでいい。それより、市街地に残られている姫様を助けてくれ』とか言ってたな」

「…………。ケガとかはしてなかったのか?」

 心底心配そうな表情でエリスは尋ねた。

「してたさ。けど、自分のこととかはそっちのけだった」

 武はにやりと微笑んだ。

「それほどまでみんなに慕われているお姫様なんだぜ。もし生きてたら、きっと国を立て直すために奮闘してるんだろうな」

 そう言ってどこか遠い空の方を武は見上げた。彼が見ている方向には、沈みかけている夕陽があった。そのずっと先――海を越えた遥かむこうには、たつみの故郷であるエルシア王国がある。彼女はそのことに気づいたとき、はっとした思いに駆られた。

ああ。そうだ。自分を守るために散って行った多くの命。その人々の想いに応えるには、その者たちの理想の姿を演じて見せればいい。わたしが名君に足ると信じて散ってくれた命に答えるには、わたしは名君を演じて見せればいい。国を守ると信じて散った命には、守る王を演じて見せればいいのだ。これは義務とか重荷とかそういう片っ苦しいもの類じゃない。期待を裏切るより、期待にこたえる方がわたしは好きだからそうするんだ。わたしがそうしたいからそうするんだ。

これがわたしの覚悟なんだ。

たつみがなにかの答えに近いものを得たとき、胸に打ち込まれた楔のようなものがすっとなくなっていく気がした。

彼女は美咲や高志の言葉を思い出す。たしかに彼らの言葉は合理的だ。だがそれゆえ、わたしには受け入れがたかった。合理性だけを追求した機械的な言葉では、たつみの心に届かない。むしろ彼女には、武のように心で話す人間の方が相性がいいようだ。

そういえば、大事なことを聞き忘れていた。ふと思い立ったたつみがどこかもじもじしながら尋ねる。

「……それで、お前はお姫様に会ったのか?」

「わかんねえ。女の子には会ったけど、そいつが姫様かどうかを訊くのを忘れてた。あんときはかなり必死だったからな」

 たつみの頬が少しだけ朱に染まる。

「その……。そ、その女の子は可愛かったかっ?」

「あぁん、いきなり何訊くんだよ」

「いいから、答えろよ」

「……可愛くはなかったな」

 しゅんとするたつみ。

 だが、武の言葉には続きがあった。

「どっちかっていうと、カッコよかった。俺みたいに特別なチカラがない、普通の女の子だったんだけどさ。何かを守るために必死な顔をしてたんだ。出会ったときは虚ろだったんだけどさ、戦闘が終わったことには、覚悟を決めた立派な顔つきになってたんだよ。それを可愛いって形容したら、その女の子に失礼だろ」

「……失礼じゃねえよ」

 呟くようなたつみの声。

「何か言ったか?」

「べつになんでもない!」

 ふてくされた返事をしたあと、ちょびっとだけ機嫌を直した声で、

「それよりさ……、今日は、わたしがたこ焼き奢ってやるよ」

「なんだよ、なんかいいことでもあったのか」

 いつの間にかエリスが機嫌を直したことに武は気づいた。まるで憑き物が落ちたかのように彼女は明るさを取り戻していた。

「なんでもないって言ってるだろっ!」

「なら、なんでそんなうれしそうな顔してんだ?」

「う、うれしくなんかねえよ」

 どこか訝しげな表情をする武を見ながら、たつみはいたずら好きの小悪魔のように微笑んでみせた。



「とりあえず、なにも異常はなかったようね」

「ええ。ですが、納得しかねます」

「そうね。むしろ、なにもないのがおかしいわ」

 情報管理局のダークスーツを纏った美咲は、サミット会場の視察に関する報告書を提出するために氷室の執務室へ顔を出していた。実際に会場一帯をこの目で見て確かめてきたが、これといって異常は見当たらなかった。

 しかし、彼女らはそんなことで安心する精神の持ち主ではないようだ。むしろ、何もないのが不自然に感じられてしまうくらいだ。

提出された報告書に目を通しながら氷室が話す。

「仮にあなたが桐谷たつみの暗殺を企てたとして、その計画を実行に移すのはいつかしら?」

 わずかに考えを巡らした後、美咲は答える。

「二通り考えられます。一つ目は、日常生活の場で桐谷氏を暗殺する方法。これは、それなりの警備体制を敷いている現在、事実上困難だと思われます」

「よろしい。二つ目は?」

「スケジュールを把握し、先を見越して罠を張ることです。公衆の面前で、暗殺される著名人が多いのはこのためです。……リンカーン、ガーフィールド、マッキンリー、ケネディ。あの大国の大統領でさえも、歴代四十四人のうち、四人は暗殺されています」

 氷室はふっと微笑む。百点満点の答えを導き出した自慢の娘。そんな子供を見るかのような目で美咲を見た。

「それが護衛任務の一番のネックなところよね」

 誰かを守るということは、誰かを攻めるということより遥かに難しい。攻め手は自分の好きな条件が整った状態を選べるのに対し、守り手はいつ何時でも柔軟に対処することが求められる。自分がもし攻め手の立場だったら……。氷室はそんなことを考えていた。

「わたしが暗殺する側なら、ただ殺すだけじゃもったいないと思うわ」

「もったいない……ですか?」

「そう。ただ殺すのではなく、同時に政治的パフォーマンスも狙う。あの子の正体が何者であるか、もう気づいてるわよね? そしてもうすぐサミットがあるわ」

「ええ、まあ。……でも、それとこれとどう関係するんですか? エリス姫がサミットに出席するにしても、そこを襲撃なんかしたらヒルツの立場が危うくなるだけなんじゃないですか?」

 たつみを狙っているのが、エルシア王国タカ派の筆頭であるヒルツであることは、彼がローランと一緒にいたことから類推するに間違いないだろう。そして、この時期に開催されるエルシアとのサミットの隠し玉としてエリス姫が出席することも美咲には容易に想像ができた。

おそらくサミット会場では、エリスがなんらかのカギとしての役割を果たすシナリオが氷室の脳内で出来上がっているはずだ。だが、そのサミットには当然のごとくヒルツも出席している。自分が出席する予定のサミットを襲撃させること事態が不可解だ。

 首をかしげる美咲。氷室はまるで学校で教鞭をとる先生のように自分の考えを述べる。

「例えば、こんなのはどうかしら? 襲撃者たちはエルシア政府側の代表を殺して、その暗殺犯に桐谷たつみを仕立てあげるの。ヒルツ以外にも、エルシアからは追加でもう一人出席すると連絡を受けているわ。それを利用すればエリス姫は国内外を問わず、世界の敵として扱われることになる。そのことでエリス姫を一部政府官僚が暗殺しようとしていると主張して、救国のために立ち上がっているエルシアの反政府組織は窮地に立たされるわね」

「そんなこと……」

 あるはずがない。

 そう思ったが、言葉を続けることは出来なかった。

自分が攻め手なら、そのような手段を取る可能性も考慮するだろう。例え周りから卑劣と罵られようと勝者になれればそれでいい。良識ある敗者に甘んじるのは素人だ。そういう考えもあることを彼女は知っている。幼いころから教育として教え込まれてきたのだから。

「ありえないとは断言できないわ。国家を背負うという重圧は、ときとして人の理性を失わせる。あなたたちのことだって、この国の利権を守るためなら政府は簡単に切り捨てるでしょうね」

 そんな氷室の言葉を聞いたとき、美咲の脳裏にふと疑問が浮かんだ。

いま自分の目の前にいる氷室監理官。あたしたちの育ての親であるこの人も、国益を守るために、あたしたちを切り捨てることをするのだろうか、と。

 美咲の違和感に気づいたのだろう。氷室が怪訝な顔をする。

「どうしたの?」

「その……政府には、氷室監理官も含まれるんでしょうか」

 訊きづらそうに尋ねる美咲。そんな彼女の表情を見て氷室は思わず吹きだした。

「わたしも含まれるのかですって!?」

 ひとしきり笑うと、氷室は真顔になって、

「公人としての立場ならイエス。私人としての立場ならノーよ」

 と返事をする。

まだ考えが追い付いていなのだろうか。美咲は自信なさげな表情のままだ。言い方が悪かったのかもしれない。そう思った氷室は言葉を付け足した。

「安心なさい。わたしはべつに鉄の女じゃないのよ。すぐに公私混同して、初志貫徹することができない、どこにでもいる普通の親よ」

 その言葉を聞いたとき、美咲の表情がぱっと明るくなった。

 さらに氷室の言葉には続きがあった。彼女はデスクの中からあらかじめ用意していた一本の特殊な注射器を取り出す。

「もしものときのために、これをもっていなさい」

 氷室が美咲に手渡したのは、《血塗られた子供たち》の細胞を一時的に活性化させることを目的として製造された遺伝子活性剤が込められた注射器だ。

「いいんですか?」

 この注射器は用法によっては拳銃よりも遥かに危険な威力を持つため、携帯には特別な許可が必要になっている。そんなものを唐突に預けられて、美咲は困惑を隠せない。

「あなただって、なにかあるかもって警戒しているんでしょ。いつもは胸に隠している拳銃をどこに置き忘れてきちゃったのかしら?」

 氷室は美咲の背広の胸ポケットの辺りに注目した。ふだん美咲は、胸に拳銃を隠しているから、どうしてもスーツ生地がつっぱってみえるのだが、いまの彼女にはそれがない。

「その……、すみませんでした」

 拳銃をどこかに放置するなどあってはならないことだ。美咲は自分のしでかしたことの大きさを痛感する。彼女は深々と頭をさげた。

「気にすることはないわよ。どうせ一般人が気づかないところに隠してきたんでしょ」

 そういってにっこりとほほ笑む氷室。

この会話の意味するところは後に明らかとなった。



 サミット会場の警備はかなり大掛かりなものだった。

おそらく総勢で二百名以上の警官が導入されているだろう。それにもかかわらず報道機関が押し寄せていないのは、これが極秘に開催されるものであるものだからだ。ざるな情報管理でもあくまで外務省という国家組織、表社会に極秘情報を流出することはないということだろう。

 入場ゲートには数人の警察官が待機している。簡単なボディチェックと持ち物検査が行われる警備体制が敷かれていて、これといって問題はないようにみえた。

 情報管理局のダークスーツを纏った武は入場ゲートに着くと、身分証を掲示する。役職は倭国外交官補佐。完全な偽物だ。身分証の年齢は二十五歳。年の割には老けて見えるとよく言われる武だが、それでもれっきとした青少年に見える。だが、警察官の審査をあっさり通過することができてしまった。

(な、なんかビミョーだぜ……)

 それに続くたつみも問題なく通過できた。こちらも情報管理局製の身分証明証で、役職はエルシア問題特別担当官などという、それらしいものが与えられているらしい。

 先にゲート向こうで待っていた武は、たつみが来るのに合わせて足を進める。

「お前が出席者なのはわかったけどよ。いったい何者なんだ!?」

「まだわたしの正体に気づかないのか?」

「まあな。美咲と高志はもう気づいているようだけど、俺にはさっぱりだ」

 たつみがエルシア人であることにはもう当たりをつけていた。栗色の短髪の根元から、ちらちら金糸のようなもの垣間見えたからだ。だが、目の前の少年がこのサミットでどのような役割を果たすのかは不明なままだ。

「なんだよ。お前、仲間外れにされてんのか」

「ちげーよ。護衛対象に関する情報は最小限に抑える。そうした方が、俺に何かあったときに流出する情報が少なくて済む。そういうことだろうぜ」

 効率よく任務を遂行するための合理性の追求だ。その手の軍事方面の専門的な知識を武は幼いころから叩きこまれている。ふとたつみが口を開いた。

「さっき思ったんだけど、やけにあっさりとした警備だな」

 さきほどの警備ゲートに関してのようだ。「ああ、それなら」。武にはたつみの言おうとしていることがすぐにわかった。

「警察の連中は、国内でテロが起こるなんて可能性、これっぽっちも考えてねぇよ。たぶん、暇つぶしか、体裁だけ整えてりゃ、それでいいと思ってるんだろうぜ」

 平時の場合の治安機関はどこでもそんなものだ。だが武は、こんなやつらに警備させて大丈夫かよ、と不安になった。ヘタに人数が多い分、変装した敵に紛れ込まれでもしてたら、その時点でアウトだぜ。

 なにやら考え込んだ表情をしている武を見て、たつみは尋ねた。

「お前も襲撃はないと考えてるのか?」

「ないに越したことはないだろ。……ああ、こりゃ願望だな。自分のみたいものしか、見えてないな。あれだ、たぶん襲撃はある」

「なんだよ、それ。とってつけた言い方すんなよな」

「いま取って付けたんだから、しょうがないだろ」

「それにしても、随分と人が多いんだな」

「ああ。警官だけでざっと二百人はいるらしいぜ。これだけの人数を導入しているんだから外からの侵入はほとんどムリだろうな」

 絶対ムリとは言い切らない。武は可能性の一つとして外からの襲撃も頭の片隅に置いてあることを意味している。

 そんな彼らにもとへ、歩み寄ってくる者がいた。白髪混じりの年季の入った強面こわもての中年男性だった。その人物はこちらへ近づくと警察手帳を見せた。

「失礼だが、身分証をみせてもらえるか?」

 どうやら職務質問を受けているらしい。武はさりげなく相手を走査しながら身分証を掲示する。なにか執念のようなものを宿した目が印象的な刑事だと思った。

「ああ。えっと……、これだ」

「ほう、この若さでもう外交官補か。有望なんですな」

 中年の刑事に誉められても、ちっともうれしくない。ただ、疑われるのは面倒なので適当に返事をする。向こうはこちらへ鋭い視線を幾度か浴びせてきたが、なんとかやり過ごした。もしかすると偽物だとバレているのかもしれないな。武はつい勘ぐってしまう。刑事がたつみの方を指す、

「そちらの方はお知り合いで?」

「ああ、俺の仲間だ」

言った途端、武の顔がわずかに歪んだ。あっ、間違った。仲間じゃなくて、VIPと言うべきだったかもしれない。そうすれば、この面倒な職質も避けられたかもしれないのに……。武は本音の方が口をついてしまったことを後悔する。

「望月外交官補、調子はどうだ?」

 不意に誰かが声をかける。振り向くと氷室監理官の姿があった。刑事は氷室の方を一瞥すると「失礼」とだけ言い残して去っていく。

久々に氷室と顔を合わせて武はどこか安心感を覚えた。彼女は自分たちの育ての親のような存在だ。お互いに立場というものもあって普段は遠慮しているが、いまは愚痴りたい気持ちになった。

「正直言って、良くないです。現場で仕事してる警官のほとんどはやっつけ仕事みたいなノリですよ。……そもそもこれって、極秘に開かれるサミットじゃなかったんですか?」

「そう文句を言うな。わたしも予想以上に盛況で驚いている」

「盛況って……、バーゲンセールじゃないんですよ。こっちは、コイツの命を守る役目があるんです。これじゃ、狙ってくださいと言わんばかりじゃないですか」

 盛況というのは、警察官が二百人体制で導入され警備にあたっていることを指していた。大雑把に考えてみても、二百人というのは敵の目を引く要素として十分過ぎる。幸いにしてマスコミにはサミットの存在を気づかれていないようだが、敵が狡猾ならこちらの情報を察知するのは容易いだろう。

武は苦い顔をする。例えば、弁当屋だ。警察から二百人分の弁当の注文が入っているはずだ。俺が敵の立場なら、その情報だけでもどこでサミットがあって規模がどのくらいか察しがつくだろう。ふと彼が氷室の方を見ると、彼女も苦い顔をしていた。おそらく自分と似たようなことを考えているのだろう。

「まあ、施設内への立ち入りは、制限されているわけだから、大丈夫だろうと思うけど。……これだけの大人数だと流石に手に余るわね」

 何か事件が起こったとき、これだけの数の人間が適切に動けるとは思えない。俺ならどうやってここを攻めるだろうか、と武は考えた。答えはすぐに浮かんだ。少数精鋭のユニットで大軍を撹乱する戦法を取ればいい。かつてスパルタ軍が三百人で六万人のペルシア軍を三日間足止めしたように。

 そんなことを考えながらしばし三人で雑談をしていると、黒塗りのセダンがゲートくぐってやってきた。警備施設内まで入ってくることができる車両は限られていて、VIP関係のものだけだ。その他大勢は九百メートルほど離れた駐車場に車を置いてきている。

「黒塗りのセダンがきたわね。さてと、あなたはわたしと一緒に中で首相を待ちしましょうか」

「わかった。……武、護衛、ご苦労だった」

 たつみはそれだけ言うと会議室のある建物へと入る。

「俺はどうすればいいんすか?」

 いくら護衛といってもついていける所には限界があった。VIPしか立ち入ることができない会議室がある建物には、立ち入り許可が下りていない。

「そうね。ここにいる人たちはみんな検問でボディチェックを済ませているから武器を携行していないわ。おそらく敵の襲撃があるとすれば、外からよ。だから、そっち方面を警戒しなさい」

 やわらかな口調に戻った氷室の言葉は、武に心底安堵させた。

「了解です。美咲たちを合流することにします」

 氷室に軽く会釈すると、武は踵を返した。背中を向ける間際に、どこか名残惜しそうな表情でたつみの横顔を見たが、きりっと引き締まった表情をしているたつみはこちらの視線に気づくことなかった。これからが勝負どころのようなので、目の前のことで頭がいっぱいなのだろう。

あまりにもあっさりとした別れに武はどこか切なさを覚えざるを得ない。例えるなら、自分の弟分がいなくなった気持ちとでも言うのだろうか、と武は普段することのない感傷的の気持ちに駆られて、いささかの戸惑いを覚えた。……んっ、そういえばアイツはただの護衛対象だったんだよな。あらためて考えてみると、ふとそんな事実に気づく。

 馴染みのない感情に別れを告げるかのように、武は足早に駐車場の方へ向かった。

 会場から駐車場までは一本道で、ゆっくりと歩いたつもりでも十分そこそこで駐車場に着く。そこにある多くの乗用車の中から情報管理局の専用車両を探し出し、ドアを開けて乗り込む。車内には暇を持て余しているといった表情の美咲と高志の姿があった。

「おや、王子様お一人で帰還ですか。お姫様はいいんですか」

「姫様ってだれだよ。アイツは男だぞ」

「はいはい、そういうことにしとくわ。それより、あんたの予想は?」

 美咲が助手席からこちらの方に話しかけてきた。武はすぐになんの予想を尋ねられているかピンときて気難しい表情をする。予想とは襲撃に関する想定のことだ。ロクでもないことを訊くもんだと思いつつ、彼は自分の考えを述べた。

「襲撃があるなら、外から。それも燃料満タンにした車を突っ込ませた後、重武装した兵隊を引き連れての荒業コース」

「やった! あたしと同じね」

「げっ、お前と同レベルかよ」

 美咲が自信ありげな表情をする。それに対し、高志はいささか落胆した様子だ。どうやら手の空いていた二人は、お互いに襲撃予想を出し合っていたらしい。

「みんな、どうしても外に目がいきがちですね。僕は中からの可能性も留意するべきだと思うのですが」

「でも、あんだけの数の警察がいるのよ。それに、一応検問を敷いているから、武器の持ち込みはできないでしょ」

「それなんです。僕が襲撃する側だったら、それで意表を突くことを考えるんですがね」

「あっ、それ……。俺も一度考えた」

 武が真顔をする。

「あんだけの数の警官がいるんだから、混ざっちまえばバレねぇんじゃねえのか」

「バカね。あれだけの数の警官でも、みんな警察庁警備局から派遣されたエリートなのよ。しかも現場部隊のほとんどは全国の警察署から集められた出向組だから、素人はいないわよ」

「それだよ。全国から集められたってことは、みんながみんな顔見知りでないってことだろ。学校のクラスメートみたいに毎日顔を合わせてるってわけじゃないってわけだ。紛れ込むことも簡単なはずだろ」

「仮に紛れ込むことができたとして、どうやって襲撃すんのよ? まさか二百人相手に組み手でもするっていうんじゃないでしょうね!」

「お前じゃないんだから、そんなことするわけないだろ。……だが、わかんねえのはそれなんだよ。俺の頭じゃ思い浮かばなかった」

 武の失礼な物言いに一瞬かっとなったが、美咲は思いとどまった。

武の想像にしては、イイ線をついているかもしれない。だが、武の発言は妄想の類だ。もしテロリストがいたとして、二百人の警察官の中にどれほどの人員が紛れ込むことができるだろうか。それに紛れ込めたとしても彼らは非武装だ。攻撃手段がない。だが、あらかじめどこかに武器を隠していたら――

「おい、どうしたんだ?」

 武の声にはっと我に帰った美咲。どうやらくだらない妄想に取りつかれていたらしい。考えすぎだろう。そう思い直すと彼女はすぐに表情を引き締めた。

「まあ、そんなもんでしょうね。いずれにせよ、あたしたちがここに待機してる限り、突然の事態にも柔軟に対応できるはずよ」

 この美咲の発言に見合うだけの実力を武たちは備えている。彼らは呼び名は《血塗られた子供たち》。戦うことを前提に生み出された、人々に死を撒き散らす存在なのだから。



 屈強そうな警官が十四、五人ばかりの集団となって行動していた。その威圧感あふれる集団の中でとりわけ異様な雰囲気を発している人物がいた。肉食獣のような鋭い目つき、痩せこけた頬、黄ばんだ歯をしている人物。ローランの姿がそこにあった。化粧でも施しているのだろう、肌の色が黄色人種に近いものになっている。

 彼のすぐ後ろに歩いていた部下が耳打ちする。

「倭国の首相、および、エリス姫の姿を確認したとの報告が入りました」

「そうか。客寄せパンダに火をつけろ」

「了解」

 ローランに指示された部下が携帯電話で弄くる。その直後、駐車場の方から大きな爆発音が聞こえた。おそらく即席時限爆弾(IED)の類だろう。駐車中の車の燃料タンクを爆破できるように細工を施し、携帯電話が遠隔操作で起爆できるようにしていたらしい。

「単純な奴らだな。まったく統制がとれていない」

 突如として空へ高々と舞い上がった火柱はここからでも確認することができた。吹き飛ばされた車の一台が木っ端みじんになりながら、空から地上へ降下しているところもだ。何らかの異変が勃発したことをこの場に居合わせたすべての人間が理解し終えたとき、会場は一気にパニックに陥った。右往左往している者、呆然としている者、とりわけ何かを叫ぶ者。大半はそのような人々だった。

 ローランはその人込みを掻き分けるようにして建物の入り口付近に立った。会議室のある建物の前だ。彼は堂々とそこに立つとよくとおる声で通達する。

「よく聞いてくれ、爆発は駐車場からだ。ここはわれわれの班が責任をもって警備する。残りの班は、現場の状況を確認してきてくれ。未確認の情報だが、国内に潜伏中のテロリストが襲撃してきたとの情報もある」

 ローランは堂々とした態度で発言する。口からのデマかせだが、冷静な判断力を失った人間を動かすには効き目があった。半分以上の警察官が大慌てで駐車場へと向かう。だが、何人かはこちらを凝視しながら動こうとしないので、ローランはもう一芝居打つことにした。彼は携帯無線機に耳を当て、何か連絡があったかのように装った。

「緊急の連絡が入った。現在、現場の警官がテロリストと交戦中。救援を求めている。いますぐに向かってくれ」

 子供でも考えつくような三文芝居だが、結果としてそれがダメ押しになった。

険しい顔をしてこちらを見ていた警察官は全員指示に従い、駐車場へと駆けていく。ローランの周りにいるのは、彼の部下たちだけになった。

「声の大きいやつにすぐ従っちまう。この国の連中は、自分で考えることをしないのかね」

 誰に言うまでもなくそう口にすると、ローランは平然と建物中へと入っていく。内部には警察官が二人残っていた。常駐警備を指示されていた者たちだろう。

「ここは立ち入り禁止のはずだろ」

 経験が豊富なのかそうでないのかはわからないが、良くも悪くも実に警察官らしい質問にローランは内心で小馬鹿にする。

「いやだな。確認してみてくれよ。許可が下りてるはずだぜ」

 律儀にも無線を使って確認を取ろうとする警察官。そんな姿を見て、ローランはせせら笑う。真面目さが滑稽に映るのだろう。

「ダメだ。原因不明の爆発のせいで、無線が混乱して……」

 まだ何か言葉が続くはずだったのだが、警察官は最後まで言葉を発することはなかった。話の途中でいきなりローランに首を締めあげられたからだ。抵抗もままならないまま、その者はこと切れることとなった。

「とりあえず怪しいやつは射殺する。これが戦場で生き残るコツだよ」

 ローランは瞳に射るような輝きを発しながら、死体に向かって舌なめずりをして見せた。彼にとってここは平和の話し合い場ではない。命をやり取りする戦場だ。

 ローランの部下たちは目の前で人が死んでも動揺したりしない。全員が黙々と任務をこなす殺人機械のような連中を選抜してここへ連れてきた。彼らはあらかじめ武器を隠して置いた場所へと向かう。換気ダクトの裏側、掃除用具入れの隅、ゴミ箱の中――。

隠すにはおざなりな場所に思えるかもしれないが、発見されることはなかった。それもそのはずだ。テロが起こるという前提で会場内を見回っているものなど、数えるくらいしかいなかったのだから。

「じゃあな、真面目なだけのお巡りさん」

 それだけ言い残すと、ローランは三階の会議場へと向かった。

 途中の通路では誰とも出くわすことはなかった。装備を整えた彼の部下たちの姿があるだけだ。タクティカルベストを身に纏い、アサルトライフルで武装した警察官たちの姿はここが倭国であることを疑わせた。

 ローランは会議室のドアを乱暴に開ける、

「こんにちは、みなさん。初めまして」

 猫撫で声で挨拶をしたが、出席者たちは乱入してきたローランを見て、当惑を隠せない表情のまま固まっていた。

ローランは出席者たちの顔ぶれを確認すると同時に、部下に指示を下す。手信号一つで、彼らはローランの意図を理解し、統率された動きで会議室内を包囲してみせた。

「愛想のないやつらばっかりだな。ヒルツ、こっちの準備は終わったぜ」

 ローランはエルシア政府代表のヒルツへ話しかける。そのヒルツの隣には、初老で痩身の男性の姿があった。察するにエルシア政府代表の一人だろう。

「どういうつもりだ。わたしはなにも聞いてないぞ」

「報せてないのだから、聞いてないのは当然でしょうな」

「貴様っ、謀ったな。姫様がいないのを理由に好き放題やりおって」

 初老の男性が声を荒げて、ヒルツを咎める。ローランは知らなかったが、その男性はエルシア政府の中で融和政策を唱える少数の穏健派の人物だった。主戦論を主張し、反政府組織を駆逐しようとするヒルツとは立場が異なる。

 この機会についで処理してしまおうと、ヒルツがわざわざエルシアから呼び寄せた人物だった。

 ローランが初老の男性に銃口を向ける。使っているのは全長三○センチほどの小型のサブマシンガン(SMG)だ。自動拳銃とほぼ同じ程度の携行性だろう。

「やれやれ、失礼だな、あんた。俺が話してる最中に口を開くんじゃない」

「黙れ、下衆め。わたしはいま、ヒルツと話しておるのだ」

「いいことを教えてやるよ。俺の話は黙って聞くもんだ」

ローランは拳銃の引き金を引くと同時に、初老の男性は椅子から崩れ落ちる。腹部から出血しているようだ。急所を狙わなかったのは彼の趣味だ。ローランは相手をできるだけ苦しませながら殺すやり方を好む。

「どうだ、そろそろ悪寒がしてきたんじゃねえか」

 床を這いつくばっている男性の下には血の絨毯じゅうたんが敷かれている。もう長くはないだろう。

 戦場で女子供問わず多くの人間を殺してきたローランには、どれぐらいの血液が流れ出せば人が死ぬのかわかる。この男の命はせいぜいもって一、二分というところだ。

 初老の男性は痛みに耐えながらなんらかの言葉を口にする。口ごもっていてよく聞こえなかったが、ローランにはしっかり聞こえていたようで、

「姫様なら、あんたの目の前にいるのに。もう目が見えなくなったのか、じいさん」

 その言葉に返事をするものはもういない。初老の紳士は何も喋ることはなく、苦しむ仕草もすでに止んでいた。

「あーあ、死んじまったよ。……いったい誰がこいつを殺したんだろうな」

 白々しいローラン。いまやこの場の支配者は完全に彼だ。

 武器を持ったテロリストに立ち向かおうとする者などいるはずもなかった。いや、一人だけローランを睨みつけている者がいた。

たつみだ。彼女は憎しみをこめた瞳でローランを睨みつけている。

その様子にいち早く気づいた氷室が目で彼女を制した。下手なことをして注意を引くべきでない。氷室の目はそう語っていた。そんな光景に気づかず、ヒルツがことさら堂々と、ふてぶてしい態度で発言する。

「倭国政府代表の方々に危害を加えるつもりは微塵もないので、みなさんは他の部屋へ移っていただけますか」

 出席者全員にヒルツは退場をうながした。倭国の代表たちは恐怖に顔をひきつりながら、会議室を後にしていく。

 その事態を氷室は妙だと思った。ヒルツがローランとつながりがあることをまるで隠そうとしていない。それにまだ会議は始まっていない。なんの成果もあげていないのに、倭国の代表たちを退室させるのか!?

もしや、裏ですでに話し合いはまとまっているのか。だとしたら、わざわざサミットに出席した連中の目的は――

「そこの娘はべつだ。こっちに残れ」

 ヒルツがたつみを呼びとめる。このとき、氷室は完全にしてやられたと思った。どうやら連中の狙いはたつみだったようだ。

 わざわざ髪を染めさせ、名前を変え、性別まで変えさせたというのに、この少年を娘と呼ぶとは……。氷室は思わず唇をかんだ。

「この子はわたしの部下よ。残るなら、わたしも残るわ」

 氷室はとりわけ部下想いの上司を装ってこの場に残ろうとする。最悪のケースを想定して、美咲にカマをかけておいたが、まさかどんぴしゃだったとは。サミットを襲撃するなんて正気の沙汰とは思えない。

「あんた、かなり度胸あるな。そういう女、嫌いじゃないぜ」

 ローランが話しかけてきた。氷室は相手をよく観察した。人を殺すことに慣れた人間特有のドス黒く濁った瞳をしている。しかも、その瞳は狂気を帯びていて、濁っているにもかかわらず邪悪な輝きを発している。わたしの子供たちにはこんな瞳をしてほしくないな。命の駆け引きの場にあって彼女はそんなことを思った。

 不意にローランがぐっと顔を近づけてきた。ヤニ臭い息が鼻を突く。とっさに氷室は相手の顔に唾をとばしてやった、

「この子に手を出したらタダじゃすまさないわ」

 それだけ言い残すと氷室は自分から出て行った。すでに目の前のクソ野郎に目をつけられている。ここで残ったとしても、下手に身動きすることは出来ないだろう。そう判断してのことだ。

 さらに、倭国政府首脳陣の引き際のよさも気にかかっていた。

 どうやら自分の知らないところで何か取り引きをしていたらしい。その情報を聞き出してからテロリストどもの駆除にかかっても遅くはないだろう。それに建物の外には、自分の育て上げた部下たちが警戒待機しているのだから、なんらかのアクションを起こすはずだ。

「そいつは危険だ。ちゃんと拘束しとけよ」

 ローランは袖で唾を拭いながら、氷室が退出するのを確認する。会議室の中にローランの他に、ヒルツ、部下たち、そしてエリスの姿があった。

「さてと、これからはビジネスの時間にするか」

 ケロッとした顔のローラン。そんな態度をとる彼に、たつみは怒りをあらわにする。

「ビジネスだとっ! ふざけるな。この人殺しッ!」

「ふざけてなんかねえよ。俺の仕事は傭兵マーセナリー。人を殺して、カネをもらう職業だぜ」

「そんなことして、どんな意味があるんだよ」

「意味か、そうだな。……人を殺せば人口が減るから、人類の増加に歯止めをかけられるんじゃねえか。ああ、これって社会貢献ってやつか」

「そんなわけあるかっ!」

「おいおい、あんまりなめた口を聞くんじゃねえぞ。じゃないと、そのきれいな顔が傷ものになっちまうからな」

 ローランはどこからとなくナイフを取り出して刃をエリスの頬に押しつける。

「ローラン、エリスに手を出すことは許さんぞ」

「わかってるよ。ちょっとしたジョークだよ」

 ヒルツが不敵な笑みをみせながら、エリスへと歩み寄る。

「やれやれ、行動力のある姫様にも困ったものです。まさかあの追撃を振りきって、そのまま倭国に亡命されてしまうとは」

「亡命などしていない。亡命とは国を追われた政治家が他国へ逃げることを指す。わたしは国を追われてなどいない」

「ふむ、面白いことを言いますな。では、これから亡命してもらうことにしましょう」

「どういう意味だっ!」

「あなたがこいつを殺したことにするんですよ」

 ヒルツは床で殺害されたエルシア政府代表補佐を足で小突く。

「理由はどうとでもなります。じつは姫様はテロに加担していた、なにかの調子に錯乱して殺してしまったなどと、いくらでもあと付けすることができますな」

「そんな理由、国民が納得するわけがないだろう」

「大衆は単純です。例えそれが嘘だと分かっていても、周りがそれを信じてしまえば、嘘は真実になってしまう。ガザーリ元国王暗殺の一件と同じですよ。つまるところ、バレずに上手くやればいいわけです」

「あれは……、貴様が犯人だったのか」

「これはこれは、口が滑ってしまいしたね」

 ヒルツは胸ポケットから薬瓶とハンカチを取り出し、薬液を十分に染み込ませた。

「さて、とりあえず、正常な判断力から奪わせてもらいましょうか」

 エリスは抵抗したがすぐに取り押さえられ、なにかを嗅がされたあと意識は遠のいていった。



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