第二章 エンゲージ
ベランダから室内へと朝のまぶしい光が降り注ぐ中で、武は身支度をしていた。
「なんで、こんなもんが支給されてんだ?」
後方支援部から送られてきた制服のスカートを手に取りながら顔をしかめる。誰が申請したのか知らないが、たつみは男だ。少なくともスカートはないだろ、スカートは。
いま彼は政府の要人用のマンションの一室でたつみの護衛をしている最中だ。護衛と対象は四六時中行動を共にする必要があるので、これから数日間共同生活を送ることになっている。それに関してはいまのところ全く問題ないのだが。
「手違いかよ。やれやれ。……えっと、俺が中学の頃のやつがあったよな」
武はマンションへ持ち込んだボストンバッグの中をあらためる。銃器弾薬、医薬品に加えて、衣類一式も詰めこんだはずだ。その中には念には念を入れて替えの制服も入っている。
「あった。これだ」
彼が手にとったのは、いま自分が着ている詰め襟よりもふた回りほどサイズの小さい学ランだ。武が中学生の時に来ていたもので、洗濯をめんどくさがって長い間ほったらかしにしていたためか、若干の異臭を放っていた。彼は鼻をつまみながらあわてて消臭スプレーをかける。
当然のことながら武が高校にいくとなると、護衛対象であるたつみも学校に通う必要がある。そこでたつみの分の制服を氷室が手配してくれたのだが、なにかの手違いで、ひらひらのスカートが届いてしまった。たつみは男なのに……。
「まあ今日一日ぐらいなら、これでなんとかなるだろ」
学業はあまり好きではないが、情操教育という訓練の一環なのだからしかたがない。それに任務で人を殺すよりも、学校でのんびりとした時間を過ごすほうがずっとよかった。
「なにしてるんだ?」
朝食を終えたたつみがこちらに気づいたらしい。
「ああ。これがお前の着るやつな」
そう言って、まだ若干の異臭と消臭剤の残り香がする学ランを手渡した。何気なく受け取ったたつみは一瞬それを見て時を停止させると、すぐに戸惑いの表情を見せた。
「な……っ、なんで、わたしが、こんなの着なくちゃならないんだっ!」
たつみはそう言って顔をかあっと赤らめながら、スカートを手にする。
「どう考えても、こっちの方が似合うだろ」
朝早いせいか、たつみは自分が男であることを忘れているらしい。
たつみが真顔でそう主張するので、武は腕を組んで考え込んだ。たつみは生っ白い(なまっちろい)肌をしているが、男のはずだ。それなのに、どうしてスカートを履こうとするんだっ!? 彼はこの護衛対象にはなにか特別な事情があるのではないかと思ってもみたが、辿りついたのはごくごく安直な答えだった。
「おまえって……もしかして、そういう趣味の人? ヘンタイさんとか」
「ち、ちがう、そういう趣味とかじゃない。誤解するな……っ!」
「あー、聞き方が悪かったんだよな。趣味とかじゃなくて、もう生き甲斐とかそういう領域に突入してるだよな」
「そそそ、そんなわけあるかっ!」
「なら、もっと上か。俺には想像もできないんだけど……」
「だから、そんなわけないと言ってるだろうがっ!」
たつみが紅潮しながら口を尖らせている。まだ日が昇ったばかりだというのに、これだけ大声を出させられたのははじめてのことだった。
「わかるよわかる。俺も秘蔵のエロ本とかが周りに理解されないときとか痛かった。ものすごーく心が痛かった」
どこかなげやりに言葉を発すると、武はたつみのことを思って少しだけ真面目な顔をする。
「でもな、学校でそういう特殊な趣味を貫き通すのはムリだから。これに着替えろよ」
「……ああ、わかったよ」
自分が男であることを思い出したたつみは、仕方なく詰め襟を着ることにする。
「どこ行くんだ?」
「着替えるんだ。覗くんじゃないぞ」
脱衣所へ向かうたつみ。
「男の着替えをのぞく趣味なんかねえよ。ってか、べつにここで着替えていいだろ!」
「わたしは恥ずかしがり屋なんだ」
少しして脱衣所から戻ってきたたつみは、男子高校生になりきっていた。詰め襟の黒とたつみの陶器のような白い肌のコントラストがとても印象的で、生まれもった整った顔立ちもあいまってどこか妖艶さを醸し出している。武はその美少年に見惚れた。どこかしらの中性的な魅力が目の前の少年にはあったからだ。
「くっせー。おまえ、これ洗濯したのかよ!」
だが、たつみの第一声はこれだった。すぐにこいつは男だったと思いなおす。
「してねえよ。ガッコから帰ったら洗ってやるから、今日はそれでガマンしろ」
「そんなことできるか。そっちをよこせよ」
武が今着てる制服を指す。無理やり脱がせて着てみたが、だぼだぼだった。
「サイズが合わねえよ。お前には、そいつで十分だ」
「なら、しょうがないな……。それはそうと、こんな風になってるんだ。なんか新鮮だ」
普段は着ることのない詰め襟に興味がわくたつみ。
「なにが新鮮なんだ?」
「な、なんでもないよ」
「そんなことより」と、たつみは切り出した。じつは彼女は誰かに尋ねたくて我慢できないことがあった。
「どうだ? わたし、制服、似合ってるか?」
リビングにおいてある鏡台の前で、たつみは体をひねったりしながら自分の容姿を確かめている。どこからどう見ても普通の女の子の仕草だ。武はなぜだかわからないが、急に気恥ずかしい思いに駆られた。なんというか、たつみは男のくせに、男としての本能に訴えかけるものを備えているのだ。
「えっと、そ、そのなんだ……」
彼は視線をそらしながら、コイツは男、コイツは男、と心の中で繰り返す。理由はわからないが、そうしなければどうにかなってしまいそうだった。
「なんつーか、女の子みたいだ。あんま……似合ってない」
少ししてなんとか武は理性を取り戻すと、怒られるかなと思いながら率直な感想を口にした。
「そうかそうか」
その言葉を受けて、たつみはむしろ上機嫌で頷きながら、こちらへ微笑んで見せる。その笑顔はとても快活な印象を与えるチャーミングなもので、武はどこかテレくさい気持ちに駆られてしまう。そしてすぐに、俺はどうかしてるじゃないだろうかと思い悩んだ。
「もうちょっと短ランにして、腰パンにしてワイルドにする方がカッコいいぞ」
それでも一応アドバイスしておく。中学の頃にきていた制服でも丈はあまっている。もう少し短くしてもいいくらいだろう。だが、たつみは意に介さないようで「これでいいんだ」と口にする。
「それと、お前のその格好はなんだ?」
脱がせられた制服を再び切る羽目になった武は、ワイシャツに黒いベストを着こんでいた。最近の男子の流行かなにかと思ったのだろう。
「念のためのベストだよ。ケプラー繊維が織り込んである」
羊毛やアクリルの類なのだろうかと、たつみは疑問に思って尋ねた。
「なんだ、それ?」
「防弾チョッキに使われる繊維で、鋼鉄の五倍の強度を持つやつだよ。職業柄、やっぱこれがないとな。もっともお前はこんなものとは縁がない方がいいだろうけどな」
命を狙われる経験なんてものとは無縁でいたいとのが心情だ、と武は言いたいらしい。
どうりで聞き慣れないはずだと納得したたつみは、どこか自嘲的に言う武の予想に反して好意的な印象を防弾ベストに抱いたようだ。
「すごいな、それ」
命のやり取りに使う道具を、たつみは不快に思わなかった。それどころか、大切なものを見るかのように防弾チョッキを眺めている。武はそんな様子を見て気丈だなと思う。ふつうの人間なら、関わりたくない知識のはずだ。
「まあ、念の為の装備だから使わずにこしたことはないがな。いざとなったら、こいつでお前の盾にでもなってやるよ」
「へー。お前、頼りになるじゃんか」
「野郎に誉められても、なんもうれしくねぇよ」
そういって武は人差し指で鼻のしたをこすってみせる。まんざらでもない武の様子にきづいたたたつみは、口元に手をあててくすっと笑った。
武たちが通う東京都立千章高校は、偏差値は中の下程度で、中には不良も混じっている、ごくごく一般的な学び舎だ。だが、警備体制はそこらへんの高校とはケタ違いの超一流のものを敷いている。これは各界の要人などが通うこともある、この学校ならではのことだ。学校周辺に監視カメラと各種センサーを設置し、ニ十四時間体制の警備を敷いている。それに加えて、生徒の中にも凄腕の戦士が混ざっていた。
「転校生を紹介します」
担任の先生がエリス(桐山たつみ)を生徒に紹介した。
簡単な自己紹介のあと、たつみは席に着かされる。武と同じクラスとなったが、残念なことに席が離れていた。窓側後ろの席で隣り合わせになるなんてことは、ドラマの世界だけだろうと彼女は思い直す。
「よろしく頼む」
となりの席の四角メガネの生徒に声をかける。そしてすぐに、窓側後ろの席を陣取っている武のもとへと視線を送る。できれば、隣になりたかった……。クールに取り繕って見せた彼女の視線からはそんな気持ちがあふれていたが、武は窓の外をぼんやりと眺めていて気づかない。どうやら異国の地で一人になるのは、寂しいものがあるようだ。
「なんだ? 武のことが気になるのか?」
「まあ。多少はな……」
武の知り合いなのだろう、四角メガネが話しかけてくる。
「やめとけやめとけ、アイツに関わるとロクなことにならんぞ」
「そうなのか?」
「ああ。あいつはこの学校中で一番のモテモテ男なのだ」
「そ、そんなに女に人気があるのかっ!?」
「ちゃうちゃう。あいつは男に人気があるんだよ」
「えっ、オトコ!?」
朝のホームルームを終えると先生は退出していく。それと入れ違いになるようにして、ガラの悪そうに制服を着こなした連中が武をどこかへと連れ出していった。
「噂をすれば影というところか。またまた、武のファンクラブの登場だ」
四角メガネは落ち着いている。それにクラスメートたちもだ。どうやら、ありふれた光景の中の一つらしい。
「おい、連れてかれたぞ。ほっといていいのか?」
心配そうなたつみ。
「いいのだろうな。いつものことだ。……っておい、転校生?」
丸メガネがこれから何かを語り始めようとするとき、たつみは武のことが気になって教室を抜け出していた。
「なんだよ。またフラれたのか?」
校舎裏に連れ出された武は仏頂面をみせながら、十人ばかりの不良に囲まれていた。どうやら武とは面識があるらしい。
「そんなところだ。また犠牲者が増えちまった」
不良の中の一人が答えた。名前は知らないが、ロクでもない方の意味でそれなりの付き合いがある。そういう連中だ。だからといって、不良に絡まれる原因が武にあるのではない。
武と不良連中の間には、美咲の存在があった。
なんでも不良らによると、美咲の野性的な容姿と性格は姉御肌に近いものがあり、不良社会における姉さんのようなポジションにあるらしい。そこで、こぞって美咲に告白したのだが、全員あっけなく撃沈してしまったようだ。
しかも、美咲に断られるときは決まって「武と付き合っているからムリ」と言われたらしい。では、どうしたら付き合ってくれるのかと問うと「武を倒せたら」具体的に返事をした。それ以来、武は不良たちにつきまとわれている。まったくもって厄介なことに巻き込まれたものだ。
「そんなことしても報われないぜ。お前らじゃ俺に勝てねえもん」
武はやれやれと思うが、こういう不良を嫌っているわけではない。本当の意味でとばっちりだが、彼は不良とのケンカを悪いものだとは感じなかった。むしろケンカで自分に敵わないことを知りつつも、あきらめずに向ってくる姿勢を気に入っている。千章高校の不良は温厚そうな人物を選んで暴力をふるうクズの集まりとは一線を画しているようだ。
「そう思って今日は頭数を揃えてきた」
総勢十人ほどの連中が揃って下卑た笑い声を上げると、武の方を睨みつけた。睨みつけられた武は怯むことなく、一人ひとりにガンを返していく。こういうやりとりで視線をそらさないのは本気の覚悟がある連中であることの証明だろう。
「こんだけの人数が告ってもダメだから、あきらめた方がはやいんじゃないか」
「ふっ、男にはムダだと分かっていても、やらなきゃならないときがあるんだぜ」
「不良のくせに、いい台詞だな」
そんな素っ気ない一言が殴り合いの始めを告げる言葉になった。武と不良連中との間にこれといって深い因縁があるわけでもないので、これといって語る言葉は必要ない。
そのあとは情け無用の殴り合い。互いにボコスカ殴り合うだけだ。
兵士として訓練された武の技能なら、彼らの打撃をいとも容易くかわすことができる。そうした上で、軍隊的な殺人パンチを打ち込むこともできた。
だが、軍隊仕込みの戦闘技能をこの場で用いようとはしない。
素人くさい大ぶりなパンチを敢えて受け止める。こちらは上手く手加減して、軽くケガする程度の拳を打ち込む。そんな子供だましのようなことをしていた。それに対して、相手の不良たちは本気だ。本気で殴りかかってくる。
まっすぐな瞳をして自分に向かってくる連中を、武はどこか優しそうな眼差しをしながらあしらっていった。
そんな光景を校舎の影から見守るものがいた。エリスだ。「な、殴り合いかよ」と、彼女はおもわずそう呟く。
この時代に、校舎裏で殴り合いする不良がいるなんて信じられなかった。そんなものフィクションの世界だけだと思っていた。さらに-どんな事情があの連中にあるかは知らないが、殴り合いをする両者は妙に生き生きとした表情で拳を交えている。まったくもってわけがわからない。
不良の一人が武の顔面に思いっきり拳をのめりこませる。
武は両足で踏ん張りをきかせて、それを耐え抜いた。
「へっ、いいパンチ持ってるじゃねえか」
「今日こそお前を倒して、美咲の姉さんに告白オッケーしてもらう」
「だから、俺はあいつと付き合ってないって」
「そんなこと、もう気づいてるんだ。だが、俺たち不良には不良品なりの誇りがあるからな。頭の悪い不良らしく、美咲の姉さんがついた露骨な嘘も信じなければならない」
「付き合わないための口実とわかっていてもかよ……」
「ああ。俺たちにはやらなくちゃならねえんだ」
「……かかってこいよ。そういうバカなやつら、嫌いじゃないぜ」
そうして、再び殴り合いが始まった。
「キ、キチガイなのか!?」
その光景を見守っているたつみは引きつった表情をする。心底わけがわからなかった。目の前の連中は不良のくせに、やけにすがすがしさがあるのだ。人数にものこそいわせているが、メリケンサックや金属バットなどの道具はなしだ。純粋に拳のチカラだけで武を倒そうとしている。
「それとはちょっと違うわね」
突然の声に驚いて後ろを振り向くと、千章高校の制服を纏っている美咲の姿があった。断っておくが女子生徒が着るものだ。
「あいつらのアレは好きな人に振りむいてもらいたいっていう、健気な努力なのよ」
まるでまぶしいものを見るかのような目で美咲はケンカする不良たちを眺めている。なら付き合ってやってもいいじゃないか、とたつみは首をかしげる。
「どうして誰とも付き合ってやらないんだ?」
見た目ほど悪いやつらじゃないことは、不良たちのケンカの仕方をみればすぐにわかった。それにどいつもこいつも目を輝かせている。荒んだ目をしているわけではなかった。美咲はふとケンカから目をはなすと、空を見上げ、つぶらな瞳を細める。
「いつ命が尽きるかわかないから、おいそれと誰かと付き合うわけにはいかないのよ。付き合ってる彼女が途中で死んじゃったりしたら、相手の方は心に傷を残すでしょ」
唐突な流れでたつみは少し戸惑ったが、美咲が何のことについて言っているかはだいたい察しがついた。美咲はふつうの女子高生とは違う。彼女は戦士の回廊を歩む者の一人なのだ。
「その……お前らの体となにか関係があるのか?」
尋ねてはいけないことかもしれない、そう考えたがたつみは思い切って口にする。戦場で目にした武のチカラは人知を越えたものだった。それを可能にするには常識では考えられない修業か何かが必要なことぐらいたつみでもわかる。
「あたしたちは造られた存在よ。あなたも知ってるそうね」
美咲はさらに目を細めた。
「遺伝子工学は未知の領域よ。成功例を生み出すために、多くの失敗作が生み出されたわ。あたしたちは生まれた瞬間から、すでに多くの犠牲の上に成り立っている。呪われた存在といってもいいわね。すでにこの時点でほかの人とは違うわ」
そしてそれ以上に最悪なことがあった。
「わたしたちの体のつくりは、ふつうの人とは根本的に違うのよ。それくらい体を弄くり回されて生まれてきたの。強化細胞、戦闘遺伝子、闘争本能……。いわゆる戦闘因子を移植された状態で生み出されたわ。そんな不安定な体の私たちがふつうの人と同じ時間を過ごせる保証なんてないじゃないの」
おそらく弄くり回されすぎたせいで、最早いつまで生きることができるか誰にもわからないのだろう。遺伝子工学の産物がオリジナルより平均寿命が短い傾向にあるのはよくある話だ。もしかしたら、高校生になるまで寿命が持っているだけでも奇跡なのかもしれない。
美咲はどこかうつろな瞳をしながら、そう口にしていた。ふつうの人生というものとは無縁とでもいわんばかりだし、事実そうだろう。たぶん彼女はふつうの女子高生でいたかったんだろうな、とたつみは内心で考えた。
戦闘因子という言葉を聞いてまっさきに思い浮かんだのは、武の底知れぬ動きだ。あの戦闘力はまるでアクション映画の主人公を見ているようなものだった。どこか思案顔のたつみに対し、美咲はさらに言葉を続ける。
「それに任務中に殉職することだってあり得るわ」
「殉職って……死ぬってことかっ!」
思わず大きな声にするたつみ。
「お前らの体には、ものすごい治癒能力があるんだろ。そう簡単にくたばることはないんじゃないのか」
「プログラムされた細胞の死の回数は生まれつき決まってるわよね。それって自らの死を早めることに繋がるんじゃないかしら。命を縮める点に関してはなにも変わりないわよね」
「えっと、無制限に分裂を繰り返すことができる細胞とかはないのか?」
「あるわよ」
「じゃあ、それを使えばいいじゃないか?」
「でもね……、それって突然変異細胞なの。ただでさえ、遺伝子安定剤で体への負荷を抑えてるあたしたちには、リスクが大きすぎるわ」
「その……すまない」
本当に申し訳なさそうな表情をしているたつみ。それに気づいた美咲もどこか申し訳なさそうな表情を見せた。
「こっちこそごめんね。あなたにあたしたちのことをよく知ってもらいたかったのよ」
たつみに出くわしたのは偶然ではない。これから武の護衛されることになるたつみに、自分の仲間のことについてよく知ってもらおうと思ったのだ。〈イージスの盾〉実働部隊のリーダーとしての美咲の心配りだろう。
彼女らは再び殴り合いへと目を遣った。
「あいつ……、手加減して、ケガさせないようにしてるな」
「よくわかるわね」
武と不良たちとのケンカ。
その光景はまだ続いていた。
何度倒れても彼はむくりと起き上がっては、不良たちと向かっていく。
「アイツの資料に目を通したと言っただろ。全力を出せば、本物の兵士を相手にすることができることぐらい知っているよ」
「怖くはないの?」
「なにがだ」
「一応あなたを守ることになってるけど、あたしたち、結局は人殺しよ」
美咲は拳を握りしめると、それをどこか哀しみを込めた瞳で見つめた。その様子がとても切ないように感じられたので、たつみは美咲の顔色をうかがおうとしたが、視線に気づかれて明後日の方を向かれてしまった。
「その気になれば、この拳一つで誰でも無力化することができるわ」
彼女がいまどんな表情をしているのか、たつみにはうかがうことができない。だが振り向く刹那に垣間見えた瞳はどこか遠い目をしていた。そういえば、戦場であったときのアイツがこんな表情を一瞬だけ見せたことがあったな。わたしに人殺しと貶されたときに、こんな具合だったはずだ。
「あのさ」と、たつみはどこかぎこちなく話しかけた。
「わたしは一度、戦場で死を覚悟したことがある。相手はわたしを執拗に追いまわす兵隊たちで、わたしを守るため仲間がに何人も命を落とした。そのことに嫌気がさしたわたしは、どこか憂鬱な気持ちに駆られてしまったんだ。自分が死ねば仲間が助かるのではないかと思い、単身でその兵隊たちと戦おうとしたんだ。そのときは本当に必死だった」
なんのことを指しているのか美咲にはさっぱりわからなかったが、どんなことを伝えようとしているのかは興味があったので、神妙に聞き入っていた。
「土壇場でわたしを守るために、ある男があらわれて、アクション映画の主人公みたいに周りの兵士を叩きのめしてくれたんだ。その甲斐あってことなきを得たんだけど。……命を救ってくれた恩人であるその男に、わたしはこう言い放ってしまっていたんだ。『この人殺しっ!』って。お前がもしその男の立場だったらどう思う?」
美咲はなにも答えない。沈黙したままだ。それにかまわずたつみは続ける。
「たしかにお前らは人殺しなのかもしれない。けど、わたしを守るために戦ったその男のことを正義の味方にしてはいけないんだろうか。それともやはり人を殺したから咎人なのだろうか。なあ、おまえにとっての正義とはなんだ?」
なにかを伝えるかと思いきや、曖昧な話をされて逆にこちらが質問されることになるとは。美咲は自分の見当違いに内心で苦笑いをすると、どこか哀愁めいた表情をみせた。
「懐かしいわね。そういうのを考えた時期って、あたしにもあったわ」
彼女は生まれたときから、兵士となることを運命づけられた子供だ。正義とは国を守ることだと、周りの大人たちに教え込まれてきた。だがあるとき、それを否定してくれる大人が現れ、彼女は今その人物の部下として働いている。その人に出会わなかったら、とっくに心が壊れていたことだろう。その人がいなかったら学校へ通うことさえなかっただろう。そして人を殺すことに、とっくに慣れてしまっていたはずだ。
そんな思い出を胸に秘め、美咲は微塵のためらいも感じさせず、はっきりと答える。
「あたしにとっての正義とはね、あたしの大事な仲間をゼッタイに殉職させないことよ。そのためには、どんな卑怯な手段でも尽くすわ」
その言葉を聞いて、たつみは力強く頷いてみせた。
「お前はいいやつだな。仲間を守るためには手段を選ばないという鋼鉄の意志を備えている。わたしもそうありたいと思う」
美咲の言う『卑怯な手段』には、こちらがやばくなったら護衛対象を見捨てることも含まれている。そのことにたつみが気づいているかどうかはわからない。ただ、たつみはまっすぐ美咲を見据えて答える。
「わたしにとっての正義とはまだよくわからない。だが、お前らのような人間に恥じないような正義を掲げてみせる」
自分を救ってくれた恩人であり、自国の平和を守るために身を投じている高貴な戦士。たつみの目に《血ぬられた子供たち》はそんな風に映った。
「あら、あたしを人間と認めてくれるの?」
まっすぐに見据えられたのが意外だったのか。美咲は少しとぼけてみせた。
「あたりまえだ」
「ふっ。女の子みたいな顔して、けっこう紳士なのね」
「ほめてもなにもでないぞ」
会話が終わりを迎えようとしたとき、武がボロボロになりながら、最後の一人をぶん殴っていた。
「あいつが正統王位継承者ね」
四階建てのビルの屋上から、双眼鏡越しに校舎の方を見ている人物がいた。昼休みになったのだろう。数人の生徒がたつみと一緒にお弁当をほ奪っている光景が映っていた。
ビルの屋上にいるのは、西洋人の二人組だ。一人は恰幅のいい中年の男で、もう一人は目つきの鋭い若い男性だ。
「そうじゃない、ローラン。元・正統王位継承者だ」
「そんなことどうでもいいだろ」
ローランと呼ばれた若い男性が答える
「で、俺の仕事はあいつを殺すことでいいんだな」
「それは困る。この国で彼女が暗殺されたことが公表されれば、反政府勢力は復讐心に燃えるだろう。もとより、わたしが国政を握っていることを気に入らなくて歯向かっている連中だから、あからさまな暗殺は我々の望むところではない」
「じゃあ、あの娘をひんむいて、そのまま海にドボンってのはどうだ? ヒルツさんよ。後腐れなく奇麗に処理できるぜ」
「それも理に適っているが、それでは政府軍の劣勢を覆すのに役立たない。拉致したうえで、こちらの象徴として機能してもらう」
「象徴?」
政治家であり陰謀屋でもあるヒルツの言葉は、ローランにはよくわからなかった。ただ、ヒルツはエルシア王国の政治家だ。それも政府側の主要な人物で、近日中に倭国内で開催される、エルシアと倭国の合同サミットに出席するために入国していた。それはマスコミには公表されていない極秘のサミットで、倭国政府がエルシア政府に便宜を図ってくれる内容らしい。平たく言えば、戦火を飛び火させない代わりの資金提供だ。
ヒルツはたっぷりとつけたあご肉をなでる。
「ああ。平和を望んだ政府軍が和平交渉を申し入れる。そして、反政府勢力の代表として元・正統王位継承者のあの娘が交渉の席に着く」
「そして、あの娘が政府側の和平特使を暗殺したことにするのか」
「そうだ。不幸なことに我が国の政府にも平和を望むウジ虫どもが生きづきはじめていてな。掃除をするのにちょうどいいころ合いだ」
「高くつくぜ」
「構わんよ。そのためにキミのような人物を雇ったんだ。期待しているよ、ミスタ・ローラン」
政治家と傭兵。
考え方は異なっても、自分の利益を求め続けるという目的は同じだ。そのために、手段を選ばない冷酷さも兼ね備えている。
ローランがふたたび双眼鏡をかまえた。
「ああ。だけど、俺だけじゃちょっとキツいな」
校舎の屋上には、エリスの姿がある。男に変装しているようだが、双眼鏡越しに一瞥しただけで、ローランはすぐにエリスだとわかった。それだけ彼の観察力が優れているということだ。
「どういう意味だ!」
なぜキツいなどという言葉が口をついたのか分からなかった。
「あの高校だよ。あそこは政府の要人が通う学校だ。素人のあんたが見ても気づかないだろうが、警備は一級品だぜ」
「馬鹿な。一般的な高校のはずだ」
「やれやれ、これだから政治家は困る」
経験豊富なプロの目から見れば、校舎周辺にセンサー・監視カメラの類が設置されていることが分かる。それも、素人には気づかれないような巧妙な隠ぺいを施されているものばかりだ。
ローランは双眼鏡から目を離すと、
「〈イージスの盾〉っていう組織を聞いたことはあるか?」
「ああ、この国の裏の治安組織のことだろう。国益のために手段を選ばず、どんなことでもやってのける倭国の守り手。……ふんっ、あらゆる邪悪を薙ぎ払うイージスの盾の名を冠するとは、ご大層なことだな」
「それがここにいるみたいだ」
「なぜそんなことがわかる」
「殺気むき出しでこっちの方を見てくるガキがいるんだよ」
彼の視線の先には、教室後ろの窓際の席からこちらを睨みつけてる、目つきの悪い少年の姿があった。
「北東三十メートル先のビルの屋上、不審者」
武は制服の襟元につけられている携帯無線で、速やかに連絡を入れる。
ビルの屋上にいる不審者とは、かなりの距離が開いている。常人なら双眼鏡がないと視認することさえも難しい距離だが、《血塗られた子供たち》である彼の双眸は目視することができた。
『了解。だけど、こっちはいま体育の着替え中よ』
片耳につけたイヤホンから声が入る。美咲の五時限目は体育のようだ。昼休みの内に着替えをしているらしい。
「わかった。俺がやる」
武はそう言うと教室から飛び出した。
『出席だけ取ったら、あたしも向かうから、張りつくだけにしときなさいよ』
「状況によるだろ。そこは、現場の判断に任せてもらうぞ」
武は昇降口から外へ出ようとはせず、まずロッカーからブリーフケースを取りだす。そしてそのまま屋上へと向かおうとする。
「僕は出席も成績も問題なしです」
武が振り向くと、高志の姿があった。バックアップに駆けつけてくれたのだろう。
「ついてきてくれ」
「どこへ向かうんです? 敵は北東のビルの屋上にいるんじゃないんですか?」
「そうだ。だが、いまから行ってもムダだろうぜ」
「なるほど。逃げられてしまうということですね。今日はとりあえず挨拶でもしておこうという魂胆ですか」
「ああ、人払いを頼む」
大急ぎで屋上へと辿りついた武は、急いで射撃ポジションの確保しようとする。通い慣れた学校の屋上なので、射撃に最適なポジションはあらかじめ選定していた。給水塔のタンクとタンクの隙間。そこならこちらは隠ぺいしやすく、相手をスコープに捉えやすい。
だが屋上には穏やかなお昼休みを過ごそうとしている生徒たちの姿があり、任務遂行へ向けての障害だった。あらかじめ避難させておかなければ、ここにいる生徒たちが流れ弾に当たって殺害されてしまうという状況であるなら、武は悩まず自分がテロリストを名乗って空へ向けて銃をぶちかまして立ち退かせるのだが、いまはそれほど切迫しているというわけでもなかった。
「すみませーん。いまからここで武が不良さんたちとケンカするんで、早く校舎内へ避難して下さい」
高志が穏やかな声でそう告げるのを聞いて、武は思わず顔を歪めてしまう。なんじゃそりゃ、と心の中で思わず突っ込みを入れてしまった。そして彼が顔を歪めている何よりの原因は、文句ひとつ言わずに生徒たちが校舎内へ退散していくことだ。
どうやら武のケンカ屋としてのネームバリューが屋上にいる生徒全員を動かしているらしい。「好きで不良たちとケンカしてやってるんじゃないぜ」と、武はどこか拗ねたような声でわずかに呟いた。
「お前、ここでなにをしてるっ!」
屋上にはたつみの姿もあった。天気もいいし、転校初日だから気を遣ってくれたクラスメートに誘われてのびのびとしたお昼休みを過ごしていたのだろう。
そんなたつみに構う余裕はなく、武は急いでブリーフケースの中身を組み立てた。中身は六つのパーツに分解して、丁寧に梱包されてあるライフル。手慣れた手つきで素早く組み立てて、最後にサイレンサーを取りつける。
「射線を確保。目標を視認。敵へ攻撃を開始する」
隠れるように向けられたスナイパーライフルの銃口の先にあるには、二人組の西洋人だ。スコープ越しに覗きこんで、必中のコースであることを確認する。そしてリーダーである美咲に発砲許可を求めた。
『初弾は威嚇よ。それで相手の出方を確かめてみて』
「了解だ」
スコープの先に見える若い方の西洋人が、こちらに気づいてにやりと笑ったようにみえた。煙草で黄ばんだ八重歯までみえる不気味なうすら笑いで、武は一瞬戸惑った。そしてその西洋人はこちらの方を見たまま、胸ポケットからなにかを取り出すしぐさを見せた。
その瞬間、武はとっさに給水タンクの陰に隠れる。
金属に何かが弾ける音。そんな音が聞こえると同時に、給水タンクに空いた小さな穴から水が漏れていた。
「ちっ!」
『どうした!』
「敵から攻撃を受けた。敵は西洋人の中年男性と若い男の二人組だ。拳銃で武装している」
『拳銃で反撃されたっていうの!!』
拳銃の殺傷距離はニ・三十メートル程度。弾丸の飛距離は百メートル程度だ。あのビルの屋上から狙うには至難の技だったはずだ。
「ああ、凄腕だ」
『了解。こっちはいまから突入するわ』
「どういうことだよ?」
『着替えを途中で中断してここまできたのよ』
どうやら美咲は例のビルの中にいるらしい。
武は援護射撃をしようと給水タンクの陰からライフルをかまえ、スコープを再び覗き込む。屋上に敵の姿は……見当たらない!?
いや、入口の方に一人いる。
慌ててスコープに捉えると、それは美咲だった。上着はボタンが一つしかかけられていなワイシャツ、下着は学校指定のハーフパンツを身につけていて、しなやかなボディーラインと所どころ艶めかしく肌が露出していた。
『あれれ……?』
「入れ違いになったようだな」
『年頃の乙女が半裸で飛び出したんですか。露出王も真っ青ですね』
高志がやんわりと突っ込みを入れる。人払いを終えてから手持ちぶさただったようだ。そのときちょうど五時限目の始まりを告げるベルが鳴った。キーンコーンカーンコーンという始業を告げる庫気味のよいベル音。その瞬間だけは、裏社会で恐れられる《血塗られた子供たち》全員があまりの気まずさに沈黙した。
『こ、これでも……、体育の出席取る前なんだからねっ!!』
美咲はそれだけ叫ぶと、脱力感に苛まれながらも大急ぎで屋上を降りて行った。
一日の授業が終わり、帰宅することとなる。
学校からの帰り道。たつみの護衛は武に加えて美咲と高志も一緒だったが、にこやかな雰囲気で会話をしながら帰るというお決まりのパターンとは大きく異なる。たつみを除く三人はさりげなく周囲に目を配っていて、はっきり言って気まずい空気が漂っていた。その真っ只中にいるたつみが重々しさに耐えかねて口を開く。
「なあ、お昼の騒動は、わたしが狙われたということなのか?」
「そうだろうな。だが、お前が心配するようなことじゃない」
気負いすぎかもしれないが、念には念を入れて周囲を警戒している武が返事をした。まさか異国の地まで暗殺者が追ってくるとは。そんなことを夢にも思っていなかったたつみは動揺を隠せない。
「とりあえず護衛体制の見直しが必要ね。あの引き際の良さ、相当の手だれよ」
「僕たちより経験が豊富ですね」
美咲と高志はお昼休みの騒動のあと、校舎周辺に設置してあった監視カメラの情報を見直してみたが、これといって不審な人物の姿はいなかった。いまのところ頼りになるのスコープ越しに犯人グループの素顔を目撃した武の証言だけで、そこから該当者をあらっている。
「うん。あたしたちもこのままじゃ、この子を守りきれるか微妙なところね」
状況を総合的に判断した美咲は苦渋を呈した。校舎周辺に仕掛けてあったセンサー類に気づかれ、その監視圏外から襲撃されるとは予想だにしていなかったようだ。幸いにしてたつみは無事だったが、警備体制の大きな見直しを図る必要があることに変わりはない。
「どんな秘密があるか、あたしたちに話すわけにはいかないのよね?」
いまだ護衛対象に関する情報は明らかにされていないことも、悩みの種の一つだった。目の前の少年の正体が何者であるかわかれば、襲撃者の方も大方察しがつくなはずなのに、どこかムズく感じられてしまう。
「その……なんだ……」
たつみは口ごもったまま次の言葉は一向に出てくる様子がない。
そんなとき不意に高志の携帯が鳴り、手短に問答するとすぐに電話を切る。穏やかな顔に磨きがかかっていることから察するに、どうやら朗報のようだ。
「敵の情報が割れました」
「教えて」
「一人はエルシア政府内でタカ派の筆頭のヒルツという人物です。先日から倭国政府と会談するために入国しているようですね。もう一人のエルシア人は、ローランと呼ばれる傭兵崩れのボディーガードようです」
「そいつの経歴は?」
「エルシアの内戦では、反政府組織相手に随分と華々しい戦果を挙げていて、相当な高給取りのようです。これは私見ですが、おそらく裏の仕事も引き受けているではないでしょうか」
まさか武の目撃証言から、犯人の正体を探し当てるとは。どんな手段を用いたかは定かではないが、高志の情報収集能力はかなりのものだ。それにしても、とたつみは思考を巡らした。今出てきた名前の人物に、たつみはこれといった面識がなかった。
「できれば、関わりあいになりたくない相手ね」
給料が高いということは、それだけリスクが大きい仕事を引きうけていることを意味している。おそらくローランは、通常の任務からでは想像もつかないような厳しく過酷な任務を引きうけながら、いままで生き延びてきた百戦錬磨の兵士だ。武たちも裏社会の住人だが、築いてきた屍の数は遥かにあちらの方が上だろう。実戦経験の違いによる不利がこちらにあることは否めない。
「武はどう思う?」
美咲はずっと押し黙ったままの武に話をふった。スコープ越しにローランを捉えた彼はこのメンバーの中で唯一ローランを視認していて、そのときに彼と視線を交えている。
「ローラン(アイツ)はドス黒く濁った瞳をしてたぜ」
そういう目をした人間を武はいままで何人も目にしてきた。そして、何人も処理してきた。裏の社会で忌避される存在は、決まってどす黒く濁った瞳――他人の命など蚊ほどにも思わない淀んだ瞳――をしていると、武の殺し屋としての経験が語っていた。
「人殺しを楽しむ人間の目だ」
武は確信してそう言った。
「で、どうしてこうなったんだ?」
たつみが政府から与えられたマンションの一室には、武たち〈イージスの盾〉実働部隊の全員が集まっていた。どうやら、時間が許す限り護衛として任務にあたるらしい。
それからしばらくすると美咲は近所のスーパーまで夕飯の材料を買いに出かけ、高志は緊急招集とやらがかかって、市ヶ谷にある情報管理局まで呼び出された。二人きりになった部屋で武とたつみはソファーに向かいあって座っている。
「相手の出方がわからないんだから、人数がいるに越したことはないだろ」
ソファーによっかかるように座りながら、武は面倒くさそうに答える。ちょこんとだけ腰かけるように座っているたつみがいると、彼の行儀の悪さがきわ立って見えた。
「でも、お前らだって、わたしの護衛以外にもいろいろがあるんだろ」
「いろいろって……、例えばなんだよ」
「友達と遊ぶとか、漫画読むとか、考えりゃいくらでもあるだろ。せっかくの人生なんだぞ。わたしのために尽くしてばかりとかじゃなくて、自分のためにも時間を使えよ」
そう言って、どっかいって遊んでこいとまで口にするたつみ。彼女は彼女自身を王宮から倭国まで護衛するために散っていった多くの命について想いを巡らしていた。武もそのうちのひとりになるのではないか、と不吉な予感が頭をよぎる。
「そんな気遣い、いらねえよ」
なんでそんなことを言うんだ? 心の中で疑問を抱えながら、武は素っ気なく返事を返した。 この世界に命を狙われて平気な人間なんているはずがない。……そういや、美咲があのこと話したって言ってたな。彼はふと自分たちの出生に関わるエピソードに思い当たった。
「美咲から聞いたぜ。お前、なかなか見所があるやつだってな」
たつみは正義とは何なのか良くわからないと口にしたらしいが、それは武も同じだった。
国を守るための任務として秘密裏に人間を処理することがある彼は、自分が正しいことをしているのか苦悩することはしばしばある。処理する多くは多くは救いようのない犯罪者ばかりだが、だからといって命を奪っていいかどうかは別の問題であるようだ。
「お前がどこの偉いやつかは知らないけどよ。お前みたいなやつが国を背負って立てば、オモシロい国ができるだろうぜ」
そう言った途端、武は額に手をやり「あー。ガラにもねえこと言っちまった。いまのなしな」と天井を仰ぐ。どこか恥ずかしいことを口にしたかのような振る舞いから察するに、それは彼の本音のようだ。正義とは何かはっきりと断言することができる人物よりも、どこか漠然としていて捉えようがないことを感じとっている目の前のコイツに心から共感できた。
「ホントにそう思うのか?」
ソファーからぱっと身を乗り出してこちらを見てくるたつみ。その表情はどこかうれしそうだ。
「だから、いまのはなしだって言ってんだろ」
「もう一回言えよ」
「いやだね」
「い・え・よっ!」
「い・や・だっ!」
リスのようにぷくっと頬を膨らませるたつみ。その仕草があまりにもかわいらしくて武の頬がうっすら赤みがかる。俺の体はどうしちまったんだ。コイツは男だぞ。まさか……俺にはそっちの性癖もあるのだろうか? 武は首を軽く横に振ると話題を変えた。
「それと、こうだ」
急にソファーから起き上がると、武はなぜか腰を低く落とした殴打を披露してみせた。
「なにがだよ」
さっぱり話の流れについていけないたつみ。
「軍隊式の殴り方だ。最小限の動きで、確実に相手にダメージを与えることができる」
「わたしの腕力じゃ、人を殴ってもそんなに威力はない」
たしかに女性の腕力では、体重を乗せる軍隊式の殴打でも十分な威力を発揮するとは思えない。たつみの白くか細い腕を見て、武は考えをあらためたようだ。
「じゃあ、ここを狙え」
彼が指さしたのは自分の股間だった。当然のことながら、たつみの顔は一気に赤く染まる。
「ち、ちょっと、このバカっ! い、いきなり、ど、どこ指さしてるんだっ!」
「お前は命を狙われてるんだぞ」
「そ、そんなこと、知ってるよ……っ!」
「なら、これは知っておいた方がいいぜ。マジでヤバいんだ」
大真面目な表情をして、武は自分の体験談を語り聞かせようとする。仕方のないことなのだろう。彼はたつみが少女であることに気づいていなければ、知らされてもいないのだから。武の悪意ない愚行に呼応して、たつみは悲鳴に叫び声をはり上げる。
「だから、どうしてそうなるんだっ!」
慌てて手近にあったクッションを放り投げたが、片手で受け止められてしまう。
「だってお前、女装趣味だろ。喧嘩なんかするようなやつには思えないぜ。どう考えても、股下を蹴りあげたことなんかないだろ」
言っていることは間違いっていないかもしれない。たつみが男だと信じ込んでいる彼には、草食系男子のようなかよわい少年に映るのだろう。
だが実際のところ、彼女は女の子だ。
「ここは痛いぜ」
繰り返し真顔でそうつげる武。その行為は混乱の極みに達していたたつみにさらに拍車をかけ、極みの上にあるさらなる境地へと辿りつかせた。
彼女は耳たぶまで真っ赤にしたまま席を立つと、何も言わずにキッチンへと向かった。それからまもなく、武へ向かってまっすぐに心臓を一突きしそうな勢いで文化包丁が飛んできた。
「刃物も有効だ。けどな、そんな投げ方では致命傷には程遠いぜ」
二本の指で刃物を華麗にキャッチした武は動揺することなく、スナップを利かせて投げ返す。この程度の投げナイフじゃ俺は殺せないぜ、とでも言うようなどこか勝ち誇る表情を見せていた。鋭く投げ出された包丁はひゅっと音を立てて、キッチンに立てかけてあったまな板に深々と突き刺さった。
「こんな具合で投げろ」
自信たっぷりに言う武。彼にしてみれば、自分が頼りになることをアピールしたつもりなのだが、たつみにとっては事実の認識が大きく異なる。料理用の包丁が凶器にさま変わりしたようにしかみえなかった。
そんな中、買い物袋ひきさげた美咲が元気よく帰ってくる。戸を開けて中の様子を目にした美咲は一瞬固まった。まな板にふかぶかと突き刺さっている包丁と脅えているたつみ。そして、どこか悦に入っているような得意顔の武。それら事実から目の前の状況を判断した彼女は、
「コラっ、なにやってんのよ、武っ!」
「護身術の指導してんだよ」
「どうみても脅えてんじゃないのよ! あんたこれから何しようとしてたのよ」
包丁を見て青ざめているたつみに目をやりながら、すぐに大きな声で武を非難した。
「どうだ、わたしの料理の腕前は?」
制服にエプロン姿のたつみが誇らしげにしている。テーブルには、ごはん、味噌汁、鳥の唐揚げ、シーフードサラダなどの料理が並べられていた。これらは全てたつみが調理したものだ。
「こりゃ、あたしよりも階級が二つ上だわ」
「あはは、僕までごちそうになってしまって、もうしわけないですね」
「気にするな。わたしの方こそ、おまえたちに少しでも感謝の気持ちを表すことができて、うれしい」
美咲と高志も戻ってきていて、二人ともおいしそうに箸を動かしている。
「おい、おまえはどうなんだ?」
そう話を振られたのは武だった。たつみが調理をすると自ら申しでたとき、「野郎のする料理なんておいしいわけがねえだろ」と公言してしまっていたが、それは前言撤回しなければならないようだ。目の前に並べられた料理の数々を見て、武はくるおしげな表情をしながら腹をうならせていた。そしていざ食事時になると誰よりも先に料理に食らいつき、常にあごを動かしている。彼は食べ物を口に含みながらも、
「うまい。ってか、この唐揚げ、すごくうめえ」
そのまま大急ぎで箸を動かしながら、口いっぱいにほうばっている唐揚げを絶賛する。
「揚げ物なのに脂っこさを感じさせず、ほのかにただよう食欲を誘う香り。んっ! これは生姜の香りだな。しかも、タレが鶏肉とよく馴染んでるぜ」
それを聞いて、たつみは得意げな表情をみせる。
「うん、よくわかるな。生姜入りの特製タレにじっくりと漬け込んだ、わたしの得意料理なんだぞ」
この場の全員から好評をもらえたことでたつみは大満足のようだった。特に武から大好評を貰えたことがうれしかった。これで少しは助けてもらった恩を返すことができたのではないだろうか。
その後しばしの間、とりとめのない会話をしながら四人は食卓を囲む。和やかな食事を終えると、みんな人心地ついた。そして、食事の片づけを終えたたつみがリビングに戻ってきたとき、武を含む三人は真剣な顔をして彼女を待っていた。
「さてと、食事も終えたところで、そろそろ本題に入りましょうか」
美咲が野性的な魅力あふれる瞳をぎらつかせる。
「あたしたちには、あなたに関して知る資格はないわ。でも、それはこちらが調べる場合の話で、あなたから直接口頭で情報を教えられる場合においては、この限りではないの」
「どこの誰かという話なら、わたしは答えられないぞ」
「それはもういいわ。今日の襲撃の件で、大方の察しはついてるから」
襲撃者はエルシア人。近日中に倭国内でエルシアの内戦に関するサミットが秘密裏に開かれるという噂もちらほら囁かれている(倭国政府の情報秘匿能力はざると言わざるを得ないだろう)。これらの情報を吟味した美咲は、たつみが何者なのか大体の察しがついていた。ここで高志が口を挟む。
「外務省の広報官が殺害されたそうです。なにやらキナ臭い情報を握っていたらしいのですが、詳細は不明ということになっています」
情報管理局から招集がかかったとき、高志は氷室から直接聞いたらしい。高志の発言を耳にしたとき、たつみの表情があきらかに曇った。キナ臭い情報というのがなにを指すのかはわからないが、その情報を握っていた本人が殺される理由になるほどの情報だ。かなり価値のある情報だろう。
「ということよ。あなたが答えなくても、状況は常に動いている。氷室監理官があたしたちに伝えたということは、あなたにも関連があるということよ。……最悪の場合、あたしとしてはこいつらを守るために、あなたを見捨てるというケースも考えられるわ」
「おい、それって任務放棄じゃ……」
「うっさいわね。指揮官はあたしよ。責任はあたしがとるわ」
どんな卑怯な手段を用いてでも仲間を守る。
この部隊が結成されて間もないころ、美咲はそう言い放った。それが彼女の正義とさえ断言しても過言ではないだろう。武は頭を捻った。確かにそういう正義もありだろう。俺も仲間を失うことは絶対にしたくない。その気持ちゆえに、仲間を守ろうと必死になる美咲に彼はもう何も言うことができなかった。
「これだけはどうしても断っておくべきことなのよ。護衛される側からしたら不快この上ない話だけど、あたしは仲間を守るためならあんたを見捨てる。そんな矛盾した覚悟でこの任務についてるわ」
本当は学校で会ったときにこのことを言おうとしたのだが、思いのほかたつみが立派だったため言いだせずにいた。だが、このことだけははっきりさせておく必要があると思った。《血ぬられた子供たち》を危険極まりない任務から守れるのは、同じ部署に所属する《血ぬられた子供たち》だけなのだから。
美咲が面と向かって言う。
「あなたの覚悟はどれほどのものなの?」
その言葉のあと、室内にこの上なく長く重い沈黙が訪れた。
人通りの少ない夜中の路地裏には、一台の乗用車が不気味に停められていた。
「いまならマンションにいるんだろ、仕掛けないのか?」
助手席にいるヒルツが尋ねた。黒塗りのクラウンの運転席には、ローランが座っている。
「だから、あそこは要人施設なんだよ。おいそれと手が出せるところじゃないんだ」
「なら、いつ実行できる?」
「簡単だよ。VIPを暗殺するには、罠を張って待ち構えるのが一番だ」
ローランがうすら笑いを浮かべると、煙草で黄ばんだ歯がむきだしになった。それはまるでこれから狩りでも楽しむかのような、どこか凶暴な肉食獣を連想させるものだった。
「どういうことだ?」
ヒルツが尋ねた。
「蜘蛛は自分よりも体が大きい獲物を網にかけて捕らえる。それと同じことだ。こっちは、相手のスケジュールを見越して、あらかじめ罠を張っておけばいい」
「まさか、サミットか!?」
「ちょうど、あんたも出席する予定なんだろ。なら、出入りしやすくてちょうどいいじゃねぇか。あんたの子飼いの部下たちも連れてくれば、人数的にも過不足なく遂行できる。倭国政府からの秘密連絡で、エルシアの元お姫様も出席することになったことは聞いてるんだろ」
「貴様っ、テロを仕掛けるつもりか!?」
「不満か」
そういって、ローランは胸ポケットから煙草を取り出し火をつける。煙草の煙が車内に立ち込めて軽くせき込んだヒルツは、パワーウィンドをいじりながら答えた。
「当たり前だ。ここは我が国ではないのだぞ。情報操作も限定されてしまう。気に入らないからといって大立ち回りをかますことはできない」
「そんなに気を遣う必要はねえよ」
ローランはさりげなくバックミラーを見る。後ろに一台の車が停車すると、車内から人が下りてくるのが映っていた。ローランは舌打ちすると煙草を灰皿にこすりつけた。
「ちょっと、あんたたち、ここでなにしてんの?」
運転席のローランに話しかけてきた人物は、体格のいい若い男性だ。「あんたは?」と尋ねると、その男は桜の代紋が入った黒い手帳を開いてこちらへ見せた。どうやら刑事らしい。路駐が怪しまれたのだろう。
不必要なほど緊張しているヒルツをローランは目で制止させると、刑事に指示されるがままエンジンを切って車から降りた。彼は何気なく周囲を見渡しながら、他に人がいないか確認する。
ローランと刑事が並び立つと、彼は刑事よりもさらに背が高いことがわかった。鋭い目つきで刑事を睨みつけるようにしながら、彼は相手の所持品を走査する。胸ポケットの辺りが僅かにつり下がっている。拳銃でも所持しているのだろう。
「刑事さんよ、あんた、人を撃ったことはあるか?」
「いきなりなんの話だ?」
「人を撃った経験があるか聞いてるんだよ」
ローランの狂気に満ちた会話に刑事は戸惑った。巡回途中にたまたま出くわした不審車両。普段なら注意するなり、応援を呼ぶなりの対処をするのだが、今回ばかりは相手が悪すぎた。
「そんな経験あるわけないだろ」
そう言って、刑事はローランを警戒しながら車へ戻ろうとする。車載無線で応援を呼ぶつもりなのだろう。戦場帰りのローランの雰囲気は、あきらかに彼を危険人物と認識させていた。
「おいおい、待てよ」
逃げようとする刑事の腕をローランは掴んだ。そして、そのまま強引に腕を捻りあげ、さらに無理やりねじ上げる。何かが折れる鈍い音ともに悲鳴が上がった。
「あーあ、夜遅くに近所迷惑だろ。時間と場所と目的(TPO)をわきまえろよ」
そう言って、腕を離すと同時に、素早く足払いをかける。刑事は腕を押えながら地面に突っ伏した。
「なに地面とキスしてんだ。頭でもイカれたのかな」
うすら笑いを浮かべるローランの表情は、いまにも獲物にとどめの一撃を与えようとする肉食獣のようですらあった。差し迫った死の恐怖と痛みに耐えながら、刑事は胸から拳銃を取り出した。ローランの圧倒的な迫力に平常心を失っているらしい。彼は銃口をローランに向けようとする。
だが、刑事がその引き金を引くことはなかった。
そのまえにローランが自分のポケットから取り出したナイフで、刑事の手首を容赦なく切りつけたからだ。そのまま刑事の手から拳銃を奪うと、痛みに悶える刑事の額にピタリと狙いをつけた。
「銃口を人に向けちゃいけないってならわなかったか」
それが刑事の聞いた最後の言葉となった。
銃声が深夜の住宅街にこだました。
ローランは何事もなかったかのような表情でヒルツのもとへ戻ると、車を発進させた。後部座席には刑事の遺体が積み込まれていた。
「平和ボケした国だぜ。警官なんてこんなもんだ」
自慢する声ではなく、淡々としている。彼にとって人を殺すことになんの感慨も抱くことはない。ただの作業だと断言できるのだろう。
「死体を処理するわれわれの身にもなってくれ」
ヒルツは冷や汗をかいているようだ。
ふとローランは最後まで煙草を満喫していなかったことを思い出し、運転しながら煙草を口に咥え火をつけた。
「俺が生まれ育ったところはな、警官がAK47(カラシニコフ)を標準装備してるんだよ。そんで怪しいやつらに遭遇したら、そいつをぶっ放す。そうしないと怪しいやつらに喰われちまうんだよ」
怪しいやつらとは、おそらくマフィアやギャングの類だろう。倭国と違い、エルシア王国の辺境は無法地帯となっている。なんでもありの世界だ。しかしだからといって、ヒルツはサミットを襲撃することに乗り気でないことに変わりはない。
「それはそうだがな。他国内でテロを実行するなど……」
「あんただって、いろいろとヤバい橋を渡ってるんだろ」
ローランがゆっくりと紫煙を吐き出す。
「国際司法裁判所があんたの国が大量虐殺条約に違反してるんじゃないかと疑っていないとでも思ってるのか?」
「ま、まさか……、虐殺の情報が流失したとでもいうのか!」
ヒルツの表情が青ざめる。ローランは証拠となる書類が込められた封筒を渡した。
「これを見ろよ」
中身に目を通すヒルツ。資料の中身は何枚かの写真とそれが撮影された地点が記載された地図だった。その場所には心当たりがあった。それはヒルツが抵抗の激しい反政府勢力に対して、非人道的な行為を行った場所だった。
「貴様っ、これをどこで入手した!?」
「倭国の外務省に匿名で届けられたらしい。もちろん、そっちの方は俺が処理しておいた」
「殺したのか?」
「ああ。自分が手にした情報の価値すら理解していない男だったからな。ラクな仕事だったよ」
「……感謝する」
「当然のことをしたまでさ。報酬は増額だぜ」
荒事に関しては、この男の指示通りに動いた方がいい。ヒルツは心底そう思った。
マンションの中には力なく落胆した表情をしているたつみと、どこか気まずげな表情をしている武の姿があった。美咲と高志の二人は緊急の任務とやらが入り、さきほどからどこかへと駆りだされていた。
数時間ほど前。美咲に覚悟のほどを尋ねられたたつみは、何も言葉を返すことができなかった。彼女は何かを守りたいと思う気持ちはあっても、それを成し遂げるためのチカラは何一つ持ち合わせていないと思っている。
そんな彼女に対して、《血塗られた子供たち》はみんななにかしらのチカラと覚悟を背負っている。そうしなければ、何も守ることができないと悟っているからだ。
なら、わたしはチカラとはなんだろう?
崩御した父に代わって国を治めようとして間もなく、内戦が勃発。ロクな統治もままならないまま、突如として暗殺者たちにつけ狙われ国を追われることとなった。しかもわたしを暗殺しようとしている者の正体は単独犯かどうかさえも曖昧で、その者に狙われる心あたりは全くない。もしかしたら、わたしを除いた政府全員がわたしに死ぬことを望んでいるのかもしれない。
その結論に辿りついたとき、たつみは自分がどうしようもない存在であるとの心境になった。そしてますます自虐的な思考に陥っていく。無能なわたしに果たして統治者たる資格があるのだろうか。……そんな負の連鎖を中断させたのは、どこかぶっきらぼうで不器用な武の声だった。
「あのよ」
「……なんだよ」
「美咲さ。悪気があって、あんなこと言ったんじゃないんだぜ」
「……知ってるよ」
そんなことはとうの昔に気づいている。だからこそ、こんなに凹んでいるのだ。
「けど、ショックだった」
「そうか」
「どうすればいいんだろうな」
「そうか」
「わたしはいったい……」
「そうか」
さきほどまでの落ち込んでいた顔が一変し、むっとした表情になるたつみ。
「さっきから、『そうか』しか言ってないじゃないか。ホントに、わたしの話、聞いてんのかよっ!」
「聞いてるよ。けど、あんまこういう話は好きじゃないだけだ」
「……そうか」
今度はたつみは素っ気ない返事をした。
「お前もいま言ったじゃねえかよ。苦手なんだろ、こういう気分の萎える話」
「まあな」
たつみの短い返事を最後に会話は途切れた。それからしばらくの間、彼女の発する憂鬱な雰囲気と嘆息が室内に漂った。
正直言って、武はこのような重苦しい雰囲気が大の苦手だ。耐性がまったくと言っていいほどない。それでもたつみのことは放っておけないので、席を立つわけにもいかず、どうにかして励まそうとした。
「最悪の場合だけどさ。俺は命に代えても、お前を守るぜ」
命に代えてもたつみを守る。
武は国を守るために文字通り身を削っている。そんな彼の口から出たその言葉は、決して軽い気持ちから出たものではない。彼は守るといったら必ず守り抜く。そういう種類の人間だ。
だがそんな彼の言葉を聞いても、たつみの表情はさえないままだ。彼女は国外へ退避する途中、大勢の人の死を目の当たりにしてきた。そしてそのほとんどは、無力な正当王位継承者である自分を守ろうとして死んでいった者たちだ。たつみはその事実といまの武の発言について考えた。
そして――
「お前の命は、そんなに安いものなのかよっ!」
思わずそんな言葉が口をついた。武の言葉はどことなく命の投げ売りをしているよう聞こえてしまったようだ。
「なんだよ。せっかく沈んでる気持ちを、盛り上げてやろうとしてやったのによ」
ふてくされながらどこか心外そうな表情をする武。
「いや、気持ちはうれしいよ。けど、わたしのために誰かが犠牲になるのはもう嫌なんだ」
自分の身を守るために犠牲となった大勢の人々に対して、彼女はどうすればいいかわからなかった。誰かを守るために命をかけることは正義なのだろうか。犠牲の上に生きているわたしはこんなにいたたまれない思いに駆られているというのに。
負の連鎖をいまだに断ち切れずにいるたつみ。どことなくそのことを察した武は、再度彼女を元気づけようと口を開こうとするが、ちょうどいい励ましの言葉が思い浮かばない。なにか人生の教訓にでもなる話しはないだろうか、と武は知恵を絞った。
「そういえばさ、唐揚げだよ」
突拍子のない言葉が武の口からが出てきた。前後文脈すべて無視してい発言に、たつみは、いきなり何を言い出すんだこいつは! とでも言いたげな表情で顔を上げて、彼の方をまじまじと見つめた。
「さっき食べた唐揚げだって、もともとは生きてた鶏なんだろ。カットされた状態でスーパーに並んでると忘れがちだけどさ、俺たちは常になにかを犠牲にしてるんだよ。ぶっちゃけた話、人って生きるために、何かを犠牲にしなくちゃならねえんだよ」
「それとこれとはべつだ。動物の命とヒトの命を比べることは出来ない」
そりゃたしかにそうだな、と武は思う。浅薄な知識しかもたない話題で話しかけても、くだらない会話になるだけだ。もっと自分が精通しているドメスティックな話題はないかと考えると、すぐに閃いた。
「昔さ、えーっと、俺たちが自我を持ち始めたころな。そんくらいガキの頃に、俺たちは一度処分されそうになったことがあるんだよ」
おもむろに口を開いた武は自分の幼いころの話をする。
「《血塗られた子供たち》(俺たち)の存在自体が危険だって判断されたんだろうな。ガキが持つには、大きすぎるチカラだろ。俺が大人でも、そう判断するやつがいても不思議じゃないと思う」
「それで、お前はどうしたんだよ」
「どうもしなかった。まじめに言うと、死んでもいいって思ってた。造りだされた命ってだけで、蔑む視線を浴びせてくる研究者も大勢いたからな。存在自体――生きること自体が罪なんじゃねえのかなって思い悩んでた時期だったんだよ。……でもよ、一人だけこう言ってくれた人がいたんだ。『生まれてきた者に罪はない。あるなら、それは造りだした我々にこそある』ってな。だからこそ、俺はこんな体でも、誰かのために戦い続けることができる」
これがたつみの悩みに対する答えになっているか、と問われれば全く自信がない。おそらく彼女にとっては役に立たない話だろう。だが、何もしないまま誰かが苦しんでいるのを彼はよしとしない。困っている人を助ける。そういう生き方を選んでいるのだ。
政府に指示された人間を処理するときも、武は政府に指示されたから処理するのではなく、自分が多くの人々を守りたいから処理を行う、と考えるようにしていた。そう考えなければ、いつか大事なものを失ってしまう気もする。
「自分のことを想ってくれる人がいるってことは、それだけで幸せなことなんだよ。だから、お前も元気出せよ」
その言葉を口にした彼の頭をよぎったのは、バケモノでなく、初めて人間としてとして認めてくれた氷室の姿だ。
だが、その言葉を聞いてもたつみの表情は浮かばれないままだ。
「わたしを想ってくれる人の多くは、もうこの世にはいない」
救われない表情をしながら、彼女は粛々と語り出す。
「右も左もわからない。そんな愚かなわたしを守るために、大勢が犠牲になった。子供も、大人も、友人も、そうじゃない人も、顔を見たことがない者さえも……。みんな、わたしを逃すために犠牲になってしまった」
その言葉を口と同時に、胸が張り裂けそうなほどの後悔の念が込み上げてきて、彼女は思わず両手で自分の体を抱きしめた。そうしないと気が狂ってしまいそうだった。
たつみがこれまでどんな人生を送ってきたか。どこの何者であるのか。そういった情報は武には知らされていない。美咲はすでに気づいてるようだが、教えてくれなかった。
だが、どんな人生を送ってきたかなど些細な問題でしかないと武は言い切れる。ロクでもない人生経験だったら、俺だってそこいらのやつには負けていない。そして、重要なのは過去ではなく、これからの未来であると信じているからだ。
「おまえがどんな人生を送ってきたかは興味ねえよ。俺たちと不幸の競争をしても、しょうがねえからな」
ふと部屋の時計に目をやる武。午後十一時半ごろに差し掛かっていた。彼はカーテンを開けて外を見ると、都会の人工的な明かりも落ち着きをみせていた。
「そろそろか」
そう口にすると、武はベランダの窓を開けると、夜風が室内へと入ってくる。まだ春先のためかその風は生温かいというよりは、ひんやりとしたものだった。
「ベランダに出るぞ。これでも、羽織っとけよ」
そういってたつみにカーディガンを投げ渡すと、武はそのままベランダへ出た。少し遅れて、たつみもカーディガンを羽織って外へ出る。
「見ろよ」
ベランダのフェンスに身を預けなら、武は夜空を見上げている。
「星はどっから見ても輝いて見える。東京でも街の明かりが薄れてくれば、夜空にはそれなりに星を見えるんだ」
都会の薄明かりの夜空に輝く星々を見上げる武の表情は、どこか満足げだった。
「ああ。きれいだな」
たつみも夜空を見上げた。星に悩みはあるだろうか。もしも夜空を照らす星々に迷いがあるならば、それは輝くことはないだろう。
「そうだろ。あれが北斗七星だ。ひしゃくの柄のカーブをそのままのばすと,うしかい座のアルクトゥルスにあたる。オレンジ色の明るい星な。さらにのばすと白く光るおとめ座のスピカへとつながる。北斗七星からアルクトゥルス,スピカまでのばした曲線を春の大曲線っていうんだぜ」
武がひと通り星座について説明を始めると、たつみは何もいわず静かにそれを聞いていた。そして全て聞き終えた後でぼつりと漏らす。
「なあ」
「どうした?」
「いったいなにが言いたいんだ?」
武は夜空を見上げたまま答えた。
「星ってさ、どこの国から見ても、夜空に明るく輝いて見えるんだ。任務でいろんな国に行ったからな。本当だぜ。世界中のどこから見ても、輝いて見えるんだよ」
たつみを励まそうとして武がわかったことは、自分の思いやりの拙さだ。どうにかして元気づけたいとは思っても、どうすることもできない。ならばいっそのこと、話題を変えてしまうことに思い至った。
そこで自分の好きな天文学の話をしてたつみを元気づけようとしたが、まだ彼女の表情にかかっている霧を晴らすことはできないようだ。
「だから、わたしも今からでも輝くことができるとでも言いたいのか。お前は知らないかもしれないが、わたしは、取るに足りない人間だぞ。肩書だけのどうしようもない役立たずだ。誰かに守ってもらう価値なんてないのかもしれない」
「だからこそ、俺が守ってやるって言ってるんだよ。社会から見れば、俺はロクでなし類だ。誰かを守るためにとはいえ、多くの命を奪ってきた。そんな俺なら犠牲になったところで誰も心が痛まねえよ」
夜空に輝く星々を眺める武の瞳も、負けず劣らずの輝きを放っている。任務で誰かを処理するたびに彼は自分の行いが正しいことなのか、正義であるのかどうか悩んできた。だがこのときになってはじめて、目の前のコイツを守るためになら、どんなことを許されるのではないかという考えに取りつかれた。それはたつみの純真さは守る価値がある、という感触を得たからだ。
「でも、人の命を奪ったのは誰かを守るためにだろ。わたしはお前とは違う。わたしは自分を守るために、誰かを犠牲にする立場の人間だ」
いまにも泣きだしそうな声をするたつみ。さきほど言葉にしてみて彼女ははっきりとわかったことがある。彼女は自分を信じる人々の犠牲によって生かされているが、そんな犠牲などは求めていないのだ。それなのにこの世からいなくなってしまった者たちから託された想いが、彼女の心の足かせになっている。
「知っているか?」
武が素っ気なく声をかけてきた。
「なにをだよ」
「星ってのは太陽の光に照らされて、輝いて見えるんだ。お前を守ろうとした人たちな、きっとお前のことを太陽だと思ったんだよ。そんだけ大事な存在だと思ったんだ。だから命を投げ出す覚悟ができた。お前を守るために犠牲になった人たちな、きっと後悔してないと思うぜ」
「なんで、そんなことお前に分かるんだよっ!」
たつみは思わず感情がむきだしになる。安い同情などお断りだ。
「俺はお前の護衛だからな。だれかを守るために戦う人の気持ちはよくわかってるつもりだ」
そういって、不敵に笑って見せる武。だが、目は笑っていない。真剣みを帯びたまっすぐな双眸だった。そのことから、今の発言がまぎれもなく彼の本心からでたものであることを、たつみは悟った。
「たとえ自分の命が危険にさらされても……か?」
「おれは死ぬつもりはないから問題ねーよ。そんでもってお前をゼッタイに守り抜く。それで全部丸く収まるだろ」
武は白い歯をみせて、にぃと笑った。今度は目までへの字になっている。
(ああ、そうか……。こいつは――バカなんだ。自分のことより他人のことを優先してしまう新種の人類なんだ)
たつみはどこか眩しいような表情を見る目で武を見た。彼女が目を細めて武を見ているのは、武の純粋さを垣間見ることができたからだろう。もしかしたら美咲が厳しい言葉をわたしに投げ掛けてきたのは、目の前のコイツを危険にさらしたくないからだったのだろうか。
まっすぐな瞳で夜空を見上げている武に、たつみはちょっとだけ甘えたくなった。彼女にとってすでに武はただの護衛でもなければ、ただの友達でもない。心の中でもっとなにか特別な位置を占めていることに、今になって気づいた。
「じゃあ、私を守ってくれた仲間たちのために、わたしはどうすればいいと思う?」
「知るか。自分で考えろ」
「なんだよ、少しくらい甘えさせてくれてもいいだろ」
「野郎に甘えられても、これっぽっちもうれしくねぇよ」
「そうかよ」
そっぽむくをするたつみ。
なんだよ。素っ気ないな。男だったらもう少し器が大きいところを見せてくれてもいいじゃないか。たつみは少しだけふてくされた気持ちになった。いままで夜空を見上げていた武がふとこちらへ向き直る。
「なあ」
そう声を掛けてきた武を、たつみはちらりと横目でうかがった。一途で純粋な忠犬のような目をしている。そんな瞳で見つめられたたつみはどこか照れ臭くなる。そんなまっすぐな瞳をしてこっちを見るんじゃない。恥ずかしいだろ。たつみはぷいっと視線を反らすが、それにかまわず武は言葉を続けた。
「俺がお前のことを想っていてやるよ」
(え……っ!?)
かぁとたつみの頬が赤く染まっていく。自分でもほっぺたが熱くなるのがよくわかった。い心臓の鼓動がいまにも張り裂けてしまいそうなほど急激に高まっていく。
「そ、そそそ……、そんなこと、されても……こまる」
萎らしく恥じらいながら、裏返った声でそう口にするたつみ。
なっ、なんだよ。意外と男らしいとこ、あ、あるじゃん。彼女は自分の心が温かくなっていくのがわかった。そんな彼女を見て、武は首を傾げた。
「なに勘違いしてんだ。その代わり、お前も俺のことを想え」
(はぁ……!?)
疑問符をつけた表情をしているたつみにかまわず、武は自分の言いたかったことを口にする。
「誰かが信じ続ける限り、〈イージスの盾〉が破れることはない。想ってくれる人、信じてくれる人がいるからこそ、俺は戦うことができる。俺はお前のいう犠牲には絶対にならない。だから、俺のことを想い続けてくれ。俺もお前のことを想い続けるから」
朱色に染まっているたつみの顔。その口元だけがすうっとつり上がった。武の言ったことはなんのことはない、ただの精神論だ。でも、気持ちの通った温かい言葉だった。それが元気の源になったのだろう。
「さ、寒いから……、中、戻るぞ」
男として武を意識してしまったことが急に気恥ずかしく感じられたたつみは、耐えきれずベランダを後にした。
「ああ、そうしようぜ」
武もたつみの後についていく。彼の目の前にあるのは男として華奢といわざるを得ない小さく、かよわい背中。でもそれはまっすぐそびえていて、すこしだけ大きく感じられた。




