第一章 高校生活
簡素な机が置かれた部屋には、起立している三人の子供たちの姿と、椅子に座ったまま彼らと対面している一人の女性の姿があった。室内には装飾品の類は一切見あたらなく、実用品ばかりが置かれた素っ気ない佇まいが、持ち主の気質を表していた。
「それで、どうして敵中に孤立したの?」
椅子に座っている女性が詰問した。年齢は四十代後半ぐらいで、後ろで長い髪を一括りにまとめている。その女性の役職は倭国情報管理局特別対策室室長というなんとも長ったらしいもので、名前は氷室しのぶという。彼女は目の前にいる三人の子供たちの監督責任者である。
「だから、作戦領域にガキが取り残されてたんですよ」
休めの姿勢を崩さないまま、どこか乱暴な口調で少年――望月武が答えた。彼の特徴といえば、目つきが著しく悪いことと、十七歳という年齢の割には老けて見えることだろう。それらの特徴とボサボサ髪が相まって、頭の悪そうな風貌に見えるが、これといって勉強はできない方ではない。とある事情から、まだ未成年にもかかわらず、特別対策室で極秘の任務に従事している。
武を含んだ三人の少年少女は、エルシア王国での内戦に伴う難民を保護する極秘任務の報告をしている最中だった。そんな中で、少女が提出した報告書が氷室の目にとまり、その場の空気が緊張に包まれたのだった。
武の返事を聞き、氷室は眉をひそめた。
「つまり、その子を守るために、戦ったとそういうことね」
「そうです」
迷うことなく武に返事を返され、氷室は考え込むそぶりをみせた。そして考えがまとまると、顔色一つ変えずに告げる。
「見捨てるという選択肢はなかったのかしら?」
今度は武が眉をひそめることになった。
氷室の言葉は、護衛対象であるどこぞの難民の娘を見捨てて、身の安全を確保するためにとっととその現場を放棄すべきではなかったのか、ということを指摘している。報告書に記載されていた現地の少女たった一人分の命など、助ける価値がどこにあるのかとでも言いたげだった。
武らはボランティアで難民の撤退を支援していたのではない。
彼らは倭国が独自に入手したある情報に基づいて行動していた。それは、難民の中にエルシアの正統王位継承者が紛れ込んでいるという情報だった。噂では死んだことになっているのその人物を倭国が保護することができれば、政治的取引に使えるという打算から、政府はエルシア難民の受け入れ承認し、それに先がけて、倭国情報管理局特別対策室の面々は、秘密裏に難民の保護をするためにエルシア国内へ潜入していたのだった。
即答することができない目の前の純粋な子供たちを見て、氷室は内心で毒気を抜かれる。
氷室の問いかけはハイティーンの武たちに、自分の命だけはどんなことがあっても守り通すことを考えさせることにあった。たとえそのことが、現地の難民一人を見捨てることになろうともだ。
氷室の目の前にいる武たちは、ただの子供たちではない。遺伝子操作によってつくりだされ、生まれる前から国を守ることを義務づけられ、平和のための生け贄となった子供たちだ。
着床前遺伝子操作(Preimplantation Genetic Diagnosis)。
遺伝子工学の進歩は、母胎内にいる子供のDNAの塩基配列を自由に置き換えることを可能にしていた。つまり、まるで雑誌のカタログからほしいものを選ぶかのように、生まれてくる子供の能力・容姿などを選択することができるのだ。
もっともこの技術は国際条約で禁止されているのだが、倭国政府は極秘裏にこれを決行し、成功例として、何人かの子供たちを生み出していた。それが武たちだ。彼らは生まれてからすぐに戦士としての訓練を受けさせられ、複雑化する国際情勢に対する実力として機能していた。つまるところ、国家の既得権益を守るための掃除屋だ。政府から内密に与えられる汚れ仕事を、文句ひとつ言わずに処理していくのが、彼らの任務だった。
「ありません」
武はしばらくして答えた。
「たしかに人命っていうのは大事よね。でも、他人の命と自分の命。どこかで割り切ってしまってもよかったんじゃないかしら?」
氷室が憂いているのは、目の前の子どもたちの行く末だった。生み出されたときから、汚れ仕事を引き受けさせるために育て上げられた武たちは、関係者からは《殺すためにうまれてきた》(ボーン・トゥ・キル)、と蔑まれてきた。成長した現在では、《血塗られた子供たち》(ブラッディ・チルドレン)と呼ばれたりしている。
「そりゃそうですけど、任務内容は難民の撤退支援だったはずです。そのガキも難民ですよ」
「たしかに正論ね。わたしもそういう言い方をするころがあるわ。大嫌いだけど」
そう言って、彼女は胸ポケットから煙草を取り出し、火をつける。特別対策室室長になってからというもの、子供たちの手前もあり禁煙を試みもしたが、それは失敗に終わった。喫煙は彼女にとってストレスのはけ口なのだ。
「でも、あなたがあの場でその一人を見捨てていれば、敵の兵士三十人分の命と総額約九千八百万円する精密誘導弾を消費せずに済んだわ。そのことに関して考証を述べなさい」
そう言われて、武は苦い顔をする。
「でも、相手はガキの命ですよ。敵の兵士は分別がある大人だ。自分たちがなにをしているかわかってるはずです。カネなんか命さえありゃどうにかなります。そんなもんと比べる価値もないですよ」
氷室は紫煙をゆっくりと吐き出してひと心地つく。
「だったら、回りくどい建前なんか使わないで、最初からそう言いなさい。こっちは、あんたのくだらない言い訳に付き合ってるヒマなんてないのよ」
「じゃあ、お咎めなしってことですか」
武は調子よく尋ねた。
「それとこれはべつよ。理由が何であれ、あなたのせいで不必要に資源を浪費したことは違いないわ。それに、エルシアへの干渉は最小限に抑えるべき、という作戦要綱を満たしていたとはいえない」
その言葉を受けて武は沈黙する。
「たしかに倭国政府は、戦争の放棄を唱えているわ。それでも、戦争に巻き込まれないというゼッタイの保証にはならないの。侵略戦争は否定しているけど、自衛戦争までは否定していない。わかるわよね」
残りの二人も神妙な表情をして、氷室の言葉を聞いている。いまはまだエルシアは内戦状態だが、その火の粉が近隣諸国まで飛び火しないとは言い切れない。もしもの事態に備えて保険をかけておくのは、当然のことだ。
「望月武の行動は不必要に倭国の立場を危険にさらすものであった。以後、自重しなさい。罰として全員でグラウンド十周。装備は十キロの背嚢を背負うように。ヘタな走り方をすると膝を壊すので、各自工夫すること」
そう言って、氷室は目の前を見渡す。武を含む三人の姿はどうみてもただのハイティーンだ。情報管理局のダークスーツではなく、高校の制服を着ていれば、それが当たり前に見える。そんな子供たちだ。
――血ぬられた子供たち、人殺し、バケモノ、汚れた人間、殺すために生まれてきた
そんな呼び方がふさわしい存在ではない。
氷室は引き締まった表情をわずかに緩める。
「それとこれは、あなたたちの育ての親としてだけど、今回の任務の成功とみんなの無事な生還をうれしく思うわ」
「なら、走らなくてもいいですか?」
いままで黙っていた少女が尋ねた。短めの艶のある黒髪に、まるく大きな瞳が特徴的だ。それでいて、どこか野性味あふれる活力を感じさせる顔をしている。まるでしなやかな黒猫を連想させるような少女だ。それにこの声はたしか、爆撃機の操縦担当と同じ声色だ。
氷室が眉を吊り上げた。
「そのふざけた口を閉じろ、折原美咲。わたしに向かって口を聞くのは、その貧相な足腰が一人前に鍛えられてからにしろ。貴様ら全員、陽が落ちるまでグラウンドを走り続けろ。水を飲んでいいのはわたしの許可を受けた者のみとする」
がっくりとうなだれた武と美咲。残りの一人。いままでずっと黙っていた長身痩躯の少年がやれやれと手を広げていた。
訓練場のグラウンドには、ジャージに着替えた武たち三人の姿があった。みんな揃ってトラックに沿ってランニングをしている。
「だーもう、なんでこんなことになるんだよ」
背中にパンパンに膨れ上がった背嚢を背負っている武が不満を口にする。かれこれ一時間ばかり走り続けて、終わりのみえないランニングに嫌気がさしていた頃だった。
「もとはといえば、あんたのせいじゃないの。あたしはただ、戦いに疲れた兵士一同の心情を代表しただけよ」
一緒に走っている美咲はどこかとげのある言い方をする。この三人組の中のリーダー的な役割を担っている彼女からすれば、どこか納得がいかないのだろう(美咲が余計な口をきいたのは、根本的な原因ではない)。
三人まとまっていると、つい無駄話をしてしまうのは、年相応といっところだろう。そもそも、このエンドレスなランニングが終わるのは、直属の上司である氷室の機嫌次第なのだ。そう考えると、武は真面目にやっているのがばからしく思えてしまう。
「偉そうに言うなよ。お前はただ、ステルス爆撃機操縦してただけだろ」
「うっさいわね、操縦だって神経使うのよ。あんたみたいに、ガサツで野蛮に戦うだけが戦闘じゃないの」
「お前の方がガサツだろ。この前の演習で、間違って標的から二百メートル離れたところにあった車を爆撃したくせに」
「うっさい。なんか、あの車から爆撃してくれっていう心の叫びが聞こえたのよ」
「どんな車だよ、それ」
武と美咲が言い争いを始める。一応彼らは十キロの背嚢を背負っていることになっているが、二人とも余裕の表情をしている。おそらく骨格系からして、そこいらの人間とは根本的に違うつくりになっているのだろう。そんな彼らの会話に、長身痩躯の少年が割って入った。
「あはは、たまにそういう車もありますよね」
日本人の平均身長よりも頭一つ背が高く、おおらかな話し方をする少年だ。名前は、立川高志。穏やかな態度をとり、人間関係を円滑にすることを心がけている。この三人の中では、調整役のような役割を果たすことが多い。
「こらこら。こいつに話を合わせても、ロクなことにならねぇぞ」
「それもそうですよね」
高志は注意されるとすぐに武に話を合わせた。こういうどっちつかずの態度が彼の持ち味だ。
「ですが、チームというはみんなで支え合うものですから、なにか一つくらい欠点があってもいいと思うんですよ。武のミスや欠点は、みんなでカバーすればいいんです」
「ホント、お前はうちの部隊の良心だよな」
「そんなに誉めても、なにもでませんよ」
「まったく、どっかの筋肉女とはえらい違いだぜ」
そう言いながら、武はすぐ隣を走っている美咲の方へ目をやった。美咲は一瞬首をかしげたが、すぐに我に返ると、
「テメェ、いま、あたしに言ったのか、こらっ! 出るとこでて白黒つけてやるぞ」
と怒鳴り散らす。
彼女の言葉づかいはどう考えてもいわゆる熱血な人種のものだ。それでもリーダーの立場にあるということは、ほかの二人から信頼されているということなのだろう。
ところで武があえて『筋肉女』と反感を買う言い方をしたのは訳がある。美咲が背中に背負っている背嚢に武は注目した。
「なあ、お前は俺たちになんにも疑問を抱かないのか?」
「なんのことよ」
美咲は怪訝な顔をする。さきほどの質問と、武のなかば呆れているような表情が心にひっかかるが、皆目見当がつかない。
「高志。そういえば、お前やけに涼しい顔をしているな」
あえて美咲を無視して、武は高志に話を振った。高志はやれやれと、手を広げた仕草をする。これは彼の癖のようなものだ。そうしてから、やんわりとした口調でこう切り出した。
「気づいてましたか。じつは、中身だけそっくり抜かせていただきました」
そう言って高志は背中に重そうに背負っていた背嚢の中をみんなに見せる。背嚢いっぱいに空のペットボトルが詰め込まれていた。
「なによこれ、ズルじゃないのよ」
口を尖らせる美咲。真面目にやっている彼女からみれば、これはチートでしかない。そのことに気づきながらも、高志は持ち前のやんわりとした雰囲気で、
「工夫して、とのことでしたので、ズルではないかと思ったのですが」
と切り出す。この流れにのって武も背嚢を中身を二人に見せた。
「そういうこったよ。俺も同じように工夫してる」
仲間が二人とも揃ってズルしていることに気づいた美咲は思わず、「な……っ!」と声を上げた。そんな彼女を武がからかう、
「つまり、どっかの筋肉女は、十キロのハンデを背負って、平然と俺たちと一緒に走ってるわけ。高志、これについて、なにかコメントしろ」
「そうですね……、頑張っている姿がとても凛凛しいと思います」
「以上、お優しい親友からの激励でした」
武のおちょくるような物言いに、腹を立てる美咲は、「ば、バカにして……っ!」と口にしてみたものも、口ゲンカではこの二人に勝てる気がしない。武はともかく、高志の独特な雰囲気が苦手だった。それに氷室室長の『膝を壊さないように工夫しろ』とは、たしかにこういう解釈もできないこともない。
だからといって、彼女の癇癪はおさめようがなかった。
口論では負ける、と悟った美咲は、背負っていた背嚢を武めがけて、棍棒のようにぶんぶんふり回し始めた。慌てて距離を取る武たち。
「あ、あぶねえじゃねえか。そんなもん喰らったら死んじまうぞ」
「なに言ってんのよ。戦場では、なにが起こるかわからないのよ。敵の兵士が背嚢を十万馬力でふりまわしてくるなんて可能性も捨てきれないじゃないの」
「ここは戦場じゃねえよ。室長にみつかったら、面倒だからいますぐしまえっ!」
「誰に向かって口訊いてんのよ、このカスっ!」
「筋肉女に決まってんだろうが」
武は威勢よくタンカをきったが、鬼の棍棒を連想させる背嚢をまえにして動けずにいた。美咲はそんな警戒する武に対し、丸太のように太い背嚢を右上段に構えた。
「乙女のハートをっ! ホームランっ!」
美咲はそう言いながら背嚢を叩きつけようとする。後ろに跳躍して距離を取った武は訝しげな顔を見せた。
「なんの比喩だよ!?」
「相手を倒すときに使う決め台詞よ」
美咲は臆面もなく答える。他人に聞かれたら、赤面するはずの台詞だ。それを平然と口にすることができる彼女は、根がまっすぐなのか、将来有望な大物なのかのどちらかだろう。 武はどんびきした様子で、
「……国語が赤点の理由はよくわかった。高志、ほかになんかつけたすことあるか」
「戦争ばかりしてるとバカになる、ということですかね」
「そんなところだな」
武は頭を抱えた様子で、高志はいつもの癖のやれやれとした仕草をとる。そんな彼らの間近には、こちらとの距離をじわじわ詰めようとする美咲の姿があった。
武たちが近くのグラウンドで工夫してランニングしている最中、倭国情報管理局特別対応室には訪問者があった。栗色で短めの髪、どこか深みのある瞳をした、エリス・ティーダとなのる小柄な少女だ。
執務室の来賓用のソファーに腰をかける姿は上品さが感じられた。まるで生まれてからこのかた、そうするように躾けられてきたかのように行儀がいい。しかし、その言葉づかいは粗野で乱暴、性格は短気のようだ。さきほどから、首相と面会させろの一点張りで、ろくに会話すらできていない。
エリスは先日受け入れたばかりのエルシア難民の一人だ。難民用の特別なビザを発行するためのリストに目を通していた氷室が見つけ、わざわざ自分のオフィスに呼び出したのだから、なにかふつうとは違う人物なのだろう。氷室はあらたまった口調で告げる。
「率直にお聞きします。あなたの本当の目的をお聞かせいただきたい」
本当の目的と尋ねられて、エリスの表情があからさまに曇る。彼女は、氷室からの呼び出しに応じる代わりにある条件を提示していた。それは倭国の首相と面会することである。たかだか一介の難民にすぎないエリスが、首相と会うことを望むのだからそれなりの狙いがあってのことだろう。
「エリス・ティーダ……。ファミリーネームを偽装しているようですが、情報に精通している人物なら、顔を見ればすぐにあなたがどなたなのか察しがつきます。たとえ、金糸のような髪を栗色に染めてしまっていても」
「く……っ!」
エリスはまるで何かを覚悟しているかのようだった。どうやら彼女はなにか重要な人物らしい。駆け引きが下手な彼女の様子に気づきながら、氷室は質問する。
「面会目的は?」
「難民受け入れに対する感謝を申し上げるためだ」
「そんなおためごかしいらないのよ。難民の受け入れ行為に、倭国政府が積極的な姿勢を取っているのは御存じでしょう」
「それはそうだが、念には念を入れておくにこしたことはないだろ」
エリスははっきりとした口調で述べたが、氷室にはそれが建前であることがすぐわかった。諜報活動のスペシャリストの彼女にとって、特別な訓練を受けていない人間の嘘を見破ることは児戯にも等しい。要は、ただ相手をよく観察していればいい。嘘を突く人間の顔には必ずどこか変化が現れるからだ。
なにか目的があってエリスが首相とコンタクトしようとしているのは明らかだった。氷室はその腹のうちを探ろうとする。
「これは例えばなのだけれど、あなたはなにかの重要な情報を握っていて、それを公表するためにここにきたのじゃないかしら」
「たとえばどんなだ?」
「そうね。戦場には多くの危険がつきまとうわ。そこに正義はないの。どこかの偉い誰かがつくったイデオロギーが当事者たちを支配するわ。エルシアもそうよね。政府軍は自分たちの強行的な政策に従わない人たちと戦争をしている」
「ああ。お前の言うとおりだ。そのせいで、エルシア王国には多くの難民がうまれている」
「そんな戦争に嫌気がさして、エルシアを捨て倭国へ逃げてきた人も大勢いるわ。その人たちは、わたしたちにいろんな情報を提供してくれた。もっとも提供された情報はあくまで証言だけであって、物的証拠はなにもないのだけれど」
まわりくどい氷室のセリフ回しに、エリスは苛立ちを隠すことができないようだ。エリスはその整った顔からは想像もつかないような表情で氷室を睨みつけた。だがそれにかまわず、氷室は言葉を続けた。
「つまり、エルシア国内でどんなことが起ころうと、それが国際社会に認知されなければ、なかったこととして扱われることになるわ」
結びの言葉を聞いても遠回しな表現ばかりがつかわれて、いまいちはっきりとしない。こういったまわりくどいことが嫌いなエリスは堪えきれずに大声を出した。
「つまり、なにが言いたいんだよっ!」
感情むきだしのエリスを見て氷室はにやりとする。目の前の少女には計り知れない利用価値があると確信めいたものを感じ取れたからだ。
「これは噂話なのだけど、エルシア政府軍は反抗勢力に対し、非人道的な手段も用いているらしいわね。村一つ焼き払ったり、反抗勢力の捕虜を平気で処刑したりするらしいわ。あらあら、そういえば、これって虐殺っていうのよね」
氷室はまるで巷で世間話をする主婦のように、黒い情報を口にする。それを聞いたエリスは激昴し、感情に任せて勢いよく椅子から立ち上がると、両手を机に叩きつけて叫んだ。
「そこまで知っていて、なぜ助けようとしない!」
そんなエリスとは対照的に、氷室は無機質で冷静な声で告げる。
「だって、わたしたちの国には関係ないもの」
「そんな理由で殺されていった人たちが納得するとでも思っているかよ!」
「我が国の理念は、自国の平和の維持に尽力することよ。この国の人々が平穏無事であれば、それでいいの。エルシアからの難民にあなたが紛れているという情報を入手したからこそ、難民受け入れには積極的になったようだけど、おそらく政府はそれ以外ことに関与するつもりはないわ」
氷室のしたたかな弁論に、エリスは言葉を失った。彼女がわざわざ難民にまぎれて倭国に訪れたのは理由があった。それは彼女の社会的立場が大きくかかわっている。
「では、なぜわたしをここまで連れてきた!」
エリスが泣き叫ぶように言う。その瞳には、怒りの色と悲しみが見て取れた。おそらく、無力であった自分自身への怒りと、国外へ逃亡する途中で犠牲になった大勢の信じてくれた人々への悲しみだろう、と氷室は思った。
――つまり、彼女の正体は――
「あなたが崩御した先のエルシア国王の娘だからよ」
なにも知らない第三者が聞けば衝撃的な事実なのだが、氷室の口調は普段となんら変わらなかった。さらにエリスの表情にはこれといった驚愕は見られなかった。おそらく特別対応室から呼び出されたことで、どこかしら覚悟をしていたのだろう。
「あなたの存在を有効に使えば、倭国への飛び火をなくすことができるわ。エルシア王国の内戦に、非公式ながらも倭国が介入しているのはご存知かしら。それは、自国の秩序を維持するためよ。そして、わたしはあなたを平和への切り札にしたいと思っているのよ」
いきなりの話の展開についていけずに、エリスが頭を抱えた。高度な政治的会話には不慣れだし、平和への切り札といわれても、なんのことやらさっぱりわからないといった表情だ。そこで氷室は噛み砕いて説明をすることにする。
「そもそもあなたが難民にまぎれて国外へ逃げる必要があったのは、何者かに暗殺されかかっているためと聞いているのだけど、間違いないわよね」
エリスは「ああ」と短く返事をする。たしかにエリスが逃亡したのは、暗殺されかかったためであった。彼女を暗殺しにきたのは、彼女に忠誠を尽くすはずの正規軍の兵隊たち。そのときはたまたま居合わせた護衛たちが助けてくれて難を逃れたが、キナ臭さは残ったままだ。
それから次の日には、ニュースで自分が行方不明になっていることが報道されていた。そんなわけがないと自分の生存を公表しようとした途端、再び正規軍の兵士たちが彼女のいる王宮を襲撃してきて、使用人や護衛たちとともに命かながら、その場をあとにした。それからというもの、どこへ行ってもおたずねもの扱いで、国内に居場所は存在しなかった。
「先王が崩御してまもなく、正統王位継承者が何者かに暗殺されかかり、ときを同じくして内戦が勃発する。……これってとてもデキすぎよ。エルシア政府の中に、権力の独占を狙う裏切り者がいるとみていいわね。そいつが今回の事件の黒幕でしょうね」
自分が考えも及ばない意見をエリスは注意して聞いた。氷室の言葉はとても有意義なものだった。いまのエリスに必要なのは、これからどうするべきかを考えてくれる参謀役だ。
「もうしばらくすると、倭国とエルシアのサミットが開催されることになっているの。そこに居合わせた両国の代表にあなたが生きていることを見せつけることができれば、あなたを狙っている連中もあきらめざるを得ないんじゃないかしら」
自信ありげな表情をする氷室の提案を、エリスはにべもなく受け入れた。
「あなたたちを呼び出したのはほかでもないわ。この子、死んでも守りなさい」
いきなり氷室のオフィスに呼び出されたら、すぐ任務だ。武はそう思ったが口にはしないでおく。理不尽には慣れているし、懲罰の無限ランニングよりずっとマシだ。
武たちの手元には、自分たちと同じくらいの年頃の人物の写真があった。短めの栗色の髪をした、小柄な人物だ。まずはとりあえずといった様子で、美咲が尋ねる。
「誰ですか、この人?」
「桐山たつみ、十七歳」
「そんなことじゃなくて」
もっと詳しい説明をしてくださいよ、と言おうとしたところで、
「他に質問はあるか?」
氷室の口調がきっぱりとしたものに変わっていた。どうやら、仕事用のスイッチが入っているらしい。こちらもそれに合わせた相応の態度を取らなければならない。美咲は表情を引き締めた。
「想定される敵はなんですか?」
「しかるべき訓練をうけた武装勢力で、規模は不明」
「そんな曖昧な情報じゃ戦えません」
「嫌ならおりてもいいわ。代わりのメンバーで対応するから」
「失礼。口が過ぎました」
「よろしい」
氷室と美咲の短めのやり取りがオフィス全体の空気を引きしめた。
「現状での脅威は、敵がやってくるかもしれないという可能性だけだ。あくまで可能性だが注意をするに越したことはない」
「察するに、この写真の人物はどこかのVIPなのでしょうか?」
写真を眺めながら、高志が質問する。
「その質問は受け付けられない。諸君らはこの人物を守りさえすればいい」
武が難しそうな顔をする。
「護衛任務……嘘だろ」
「不満か?」
「だって、俺たちは学校にも通わなけりゃならないんですよ。護衛対象に、四六時中へばりつく任務には不向きです」
たしかに武の言うことにも一理ある。彼らは戦闘訓練とは別に、情操教育を学ぶために学校へも通わされている。このことは氷室たっての希望でもあった。
「それなら問題ない。幸いにして、今回の任務は諸君らにうってつけだ」
氷室は表情を緩めた。
「勉強しながら任務ができる」
「はぁ」
武はなんともさえない相槌をした。
「こちらが今月末まで、あなたの護衛を担当する者です」
別室に待機させていたエリスと武たちを会わせると、氷室は山積みになっている仕事を片付けるために、すぐに部屋を出て行こうとする。しかし、そんな彼女の足を止めたのは、武を凝視しているたつみの様子だった。
「お、お前……っ!」
「ん、俺かっ?」
「わたしだぞ、わたし。覚えてないのか?」
まるでどこかで会ったかのような表情をする目の前の少年に武はきょとんとした。局員用のダークスーツに身を包んだ、華奢で色白の少年に心当たりはなかった。
念のために備えて、氷室はエリスに男装することを勧めていた。可能な限りリスクを抑えるために倭国風の名前にするだけでなく、性別まで変えさせていたのである。多少恥じらっていたのも、エリスはすぐに男装になれた。もともとそういう気質の持ち主らしい。
「ちょっと、あんたの知り合いなの?」
「知らねえよ。見たことも聞いたこともない」
美咲に訊かれても、知らないものは答えようがない。
「バカなこと言うな。望月武」
「げっ、なんで俺の名前を知ってんだ?」
「だから、わたしだって。覚えてるだろ!」
たつみが武のフルネームを口にしたことで、氷室は厳しい表情をする。
「ちょっといいかしら」
氷室は話に割って入ると、武に鋭い視線を浴びせた。
「なぜ部外者に貴様の名前が知られている!」
「だから、マジでわかないんっすよ」
本当に心当たりがない。武はそう言って氷室を説得しようとする。だが、命の恩人のしれっとした態度に、たつみはカチンときたようだ。なぜ武が知らないフリをするのか納得がいかないと見える。
「どうして知らんぷりするんだよ!」
バカにされたと勘違いしたたつみは、いきなり武を殴ろうとする。宮殿では淑女の嗜みをあれやこれやと教えられ、いざとなればきちんとできる彼女だが、その反動のせいか、普段は男のような言動を取ることが多い。
だが素人のパンチなど、武に当たるわけがない。
「そんな大ぶりなパンチじゃ蚊も殺せないぜ。殴るときはもっと脇を絞るんだよ」
軽やかにパンチをかわすと、武は余裕の笑みを浮かべた。
自分の部下にいきなり殴りかかるエリス姫の姿に、氷室はいささか当惑したが、はっと我に返るとすぐさまたつみを羽交い絞めにする。
「は、離せよ。……いきなりなにすんだっ!」
「こらっ! いい加減にしなさい。……それよりも、なぜ貴様の情報が流失している!」
詰問は武に向かった。特別対応室局員の情報が漏れているとは、あってはならないことだった。それに武たち血塗られた子供たちの情報は、通常よりも厳重に管理してある。
返事のしようがない武の代わりに、たつみが口を開いた。
「氷室監理官、すまない。さっきの冗談だ」
どうやら一連の流れから、武の情報を握っていることが問題であることに気づいたらしい。拘束を解いた氷室はたつみと向き直る。
「どこで彼らの情報を?」
「ここへくる以前、我が国の情報部で〈イージスの盾〉に関する資料に目を通していてな。そのときにこの者の顔写真が挙がっていたので、実際に確かめてみただけだ」
〈イージスの盾〉とは、特別対策室に付けられた裏社会での通り名のことだ。凄腕の始末屋がいる諜報機関が倭国にあり、国内へと降りかかるありとあらゆる邪悪を打ち払うとする聖なる盾のような役割を果たしていることが由来となっている。このことは裏社会ではまことしやかに囁かれていることで、エルシア政府が興味を示していてもなんら疑問に思うことはない。
「そうですか。貴国の情報部もなかなか有能な人材が揃っているのですね」
情報流失は痛手だが、完全な隠ぺいは不可能なので仕方ない。
「とりあえず、諸君らの中から一人、専属の護衛に就いてもらう。残りの二人は、通常任務の方を回すから、そのつもりで」
「誰が引き受けるんだ?」
真っ先に口を開いたの武だ。
「あたしはイヤよ。護衛なんてチマチマした任務、嫌いだわ」
美咲が露骨に嫌そうな顔をする。
「チームリーダーがそんな調子でいいのかよ!」
「むしろ、あたしはリーダーだから忙しいの」
「まあまあ、落ち着いてください。美咲は勉強もあって大変なんですから」
高志が和やかに会話に入り込む。武はそれを聞いて、うーんと首をうならせた。高志が言うとおり、美咲は勉強に励む必要もあるし、チームリーダーだ。あまり負担をかけるのは望ましくなかった。
「そうだな、一応リーダーだしな。……高志はどうなんだ?」
「僕は染色体に異常がないかを調べる検査があって、ここ数日は多忙になりそうなんですよ」
「……わかったよ。俺が引き受ける」
やはりこうなるのか。なぜかわからないが、この三人の中で貧乏くじを引かされるのはいつも自分だと思った。彼に比べると他の二人は要領がいい。
武は自分の胸くらいの高さの小柄な少年の前に向き直ると、
「お前の専属の護衛になった。知ってると思うが、望月武だ」
「お前が担当か? そっちのやつじゃダメなのか?」
たつみが指さしたのは美咲だ。繰り返すようだが、氷室の助言でエリスはたつみという名前の男性ということになっている。武は意外そうな表情をしながら、自分のことを指さした。
「俺じゃ不満か?」
「そうじゃないけど……」
さきほどまで威勢のよかったたつみの声が急に弱弱しくなる。命の恩人に不満などあるわけがない、たかが性別が違うという理由だけで。その恩人の好意からの申し出を断るわけにはいかなかった。どうやらこのお姫様はどこか義理堅いらしい。
「ならいいじゃねえか。よろしく頼むぜ」
武はまるで弟ができたかのような顔しながら肩を回してくる。多少なれなれしさが過ぎるように思われたが、もとから男の子のような性格のたつみはそのことを快く受けとった。




