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プロローグ

   プロローグ


 ゴーストタウンと化してしまった市街地は、静寂と瓦礫に埋もれていた。

ついこの間まで大勢の人で賑わいを見せたこの街も、いまや人の姿はまるで見当たらない。ユーラシア大陸の東の位置にするエルシア王国の内戦は、その国に住む人々を疲弊させていた。

 少年が運転する一台のジープがまるで死んだような街を走っている。あらかじめオフロード仕様のジープできたわけだが、それでも揺れは激しい。サスペンションはここに来る前に、新品のものに変えておいのだが、どうしても衝撃を吸収しきれないようだ。

道路のあちこちがでこぼこしているのは、砲撃の跡によるものだ。アスファルトが粉々に砕かれ、地面がむき出しになっている。少年は慎重に車を走らせた。

 ふと降車したのは、瓦礫と化した街の中で唯一そびえ立つようにしている建物の前だ。カーキ色の迷彩服を纏い、まるで訓練された兵士のように油断なく辺りを見回す少年の姿は、とてもハイティーンのものとは思えなかった。その少年の視線がある一点でとまると、いきなり声を張り上げた。

「こんなところでなにやってんだよ!」

 少年の視線の先には、うつろな目をした少女の姿があった。金糸を纏ったような長い髪と、整った目鼻と顔立ち。儚げな美しさとでも表現できそうな魅力をかねそなえた彼女は、廃墟と化したこの街に相応ふさわしい人間にはとても見えなかった。そもそもなぜこんなところに人がまだ残っているのか、少年は理解に苦しんだ。

 この街はつい最近まで戦場であり、多くの命が奪われた場所だった。少年の任務は、この街から追い出された人々を安全なところまで送り届けることだったのだが、まさか街の中にまだ人が残っているとは思いもしていなかったのだろう。

「なにってみりゃわかるだろ、戦ってるんだよ」

 男勝りな口調で、少女はそう言い返すとそのまま少年を睨みつけるように、ぐっと視線に力を込める。無色透明だった少女の瞳が、狂気に染め上げられていく。

 そう、狂気をはらんでいるのだ。

 こういう人間を見慣れている少年には、少女のまだ幼いその瞳に込められた覚悟がどんなものか察しがついた。もしもこの街に少女を置き去りにすれば、彼女の命運はここで尽きるだろう。どこか自暴自棄にちかいものがあった。

「んなことしてるヒマがあったら、とっとと逃げんだよ」

「逃げろだと……っ!」

 ガサツな少年のもの言いは、少女の癪に障ったらしい。

「どこみてそんなこと言ってんだよっ!」

 少女はその容姿に似合わない乱暴な口調で言い返してきた。彼女の目には少年の姿だけでなく、その背後に広がる、瓦礫となった街の光景が映っているようだ。

「わたしは、どうすればよかったんだ……」

 少女は、まるで何かを後悔するかのようにうつむいた。彼女にどんな経緯があってここにいるのかは知らないが、とりあえずここから退避させなければならない。ここにいては、いつ殺されてもおかしくないのだから。

「理由はよくわからねえが、とりあえず逃げるぞ。ここにいたら、正規軍の兵士のやつらに殺されちまう」

 エルシア王国では、国王が崩御して以来、内部は大きく二つに分裂していた。他国に対し、強行的な姿勢を取ることを目的とする政府派と、融和的政策を主張する反政府派である。

いつの間にかそれら二つの勢力は国内の至るところで、武力衝突を繰り返し、大勢の犠牲者を出している。聞くところによれば、エルシアの正統王位継承者である人物が、何者かに暗殺されたことが混乱に拍車をかけているそうなのだが、事実はさだかではない。

「あれだな。生きてりゃいろいろあるさ」

 少年が呆然としている少女の手を引っ張る。そのまま、ジープへ連れて行こうとすると、不意に静寂を破る乾いた音が鳴り、ジープの付近で土埃が起き上がる。慌てて少女の頭を下げさせると、目を凝らして周囲を索敵する。

(やべっ! どっから撃ってやがんだっ!)

 周囲にあるのは、瓦礫の山と、半壊したビルのみ。どこから狙撃されているのか、まるで見当もつかない。ジープに戻るのを危険だと判断した少年は、とっさに半壊したビルの中へ駆け込んだ。その後を追うようにして、銃声と土煙が巻き起こる。

「伏せろっ」

「きゃ……っ!」

 滑り込むようにしてビルの中へと駆け込む二人。少年が少女に覆いかぶさるように倒こむ。そのすぐ真上を銃弾が突き抜けていく。

「ケガはないか?」

「あ……、ああ……」

 少年は今にも崩れ落ちそうな階段を指さす。

「じゃあ、逃げるぞ。とりあえずニ階な」

「そんなとこ、すぐ見つかるだろ」

「しょうがねえだろ。お前と一緒じゃ、外へ逃げる方が危険だ」

「どういう意味だよっ!」

「見りゃわかんだろ」

 そう言って、少女の体をなぞらえるように見やった。薄手のタンクトップはまだしも、紺色のジーンズに、踵の高い靴を履いている姿は、命のやり取りをする場には、滑稽だと言われてもしょうがない。

「そんな服装のやつに足が速いやつはいねえよ」

「な、なんだと……っ!」

 バカにされたかのように声を荒げる少女。だが、身につけている服装は、どう見ても戦場では場違いなものだ。少女もそのことに気づいているのだろう、二の句を繋げずにいる。

 しぶしぶとニ階への階段へと向かう少女。だが、そうしている間にも、建物の外壁を叩く銃弾の音が激しさを増していく。どうやら敵は単独ではなく、仲間がいたようだ。ちらりと外の様子を覗うと、敵兵士の装備から、それが正規軍であることが分かった。少年が所属する組織は、エルシアのどちらの勢力とも抗争していないのだが、落ち着いて話し合いなどできそうな雰囲気ではない。

「だーもう、行くぞ」

 外壁を削りとるような銃弾の雨音に耐えかねた少年は、とぼとぼ歩く少女を抱きかかえて、階段を駆け上がる。

「え……、ちょっと!?」

「お前、意外と軽いんだな」

「あ、あたりまえだ」

「んっ、正気に戻ったんじゃないか」

「なんのことだ?」

 そんな短いやり取りをしながら、ニ階へとたどり着く。

 外からだと半壊しているように見えたビルだが、内部の方はそれほどでもないようだ。頑丈なコンクリートの造りであり、少なくとも足場はしっかりしていた。

「おい、こんな逃げ場のないところでなにするつもりだよ」

「時間稼ぎに決まってんだろ」

 少なくも見積もっても、外にいる政府軍の兵士は三〇人はくだらないだろう。そんな大勢と正面切って戦おうとするのは正気の沙汰ではない。だからといって、建物中から脱出することも出来ないのも事実だ。つまるところ、少年の見方は正しい。

「それって、死ぬつもりってことか!?」

「バカやろー、死なないための時間稼ぎだ……っ!」

「結局は死ぬんだろうが」

 その問いかけに少年は返事をしなかった。いや、できなかった。返事をするよりさきに、重低音の砲声が聞こえるとほぼ同時に、建物全体を揺すぶる衝撃が襲ってきたから。

立て続けに数発の砲弾を撃ち込まれ、振動によろめく二人。耐えきれず倒れこんだ少女は、起き上がろうとして顔を上げたとき、少年のカーキ色の迷彩服の一部が深紅に染まっているのに気づいた。

「お前、ケガしてるぞ!」

 そういって、少女は青ざめた表情をする。たしかによく見れば少年の腹部に、なにかの破片のようなものが突き刺さり、そこから出血していた。

「わかってるよ。ここに来る前にちょっとな」

「バカっ! 止血しないと死ぬぞ」

「いらねえよ、ツバつけときゃ治る」

「そんなわけあるか」

 少女は必死の形相になると、少年が腰に携えていたミリタリーナイフを手に取り、不慣れた手つきで衣服をはぎ取っていった。

「お、おい……!」

突然の行動に戸惑う少年。すでに砲声がやんでいる。もう間もなく、敵の兵士がここに突入してくるだろう。こんなところで治療する時間などない。だが、その事実は少女の頭から抜けおちているようだ。

 グロテスクな生々しい傷を見て、不安げな様子でこちらをみる少女。

 この程度の傷でこんな不安な顔されたら困る、と少年は思った。

「抜くなよ。こういうの抜くと、出血多量で死ぬとか聞いたことがあるぞ」

「大丈夫だ」

 少年は答えた。

「この程度の傷で死ぬような、やわな体のつくりはしてねえよ」

 心配そうな表情をしている少女のかたわらで、アルミ合金の破片を苦痛に顔を歪めながら、さりとてしっかりとした手つきで抜いてみせる少年。少女の甲高い悲鳴とともに、押さえられていた血流が息を吹き返し、血が湧き出るように流れ出し始めた。少年は素早く腰のポシェットから血止めパウダーを取りだし、大雑把に振りかけると、特殊な注射器を取りだし、腹部に打ち込んだ。

 少女はいまにも消え入りそうな情けない声を出す。

「わたしの言ったこと……、聞いてなかったのかよ」

「うるせーな。だから、俺は特別なんだって」

 少年は平然としていて、痛みを我慢しているようには見えない。さきほどの注射は鎮痛剤の類なのだろうか。

「ほらな」

 そう言って、少年は応急処置を施した箇所を少女に見せつける。そこには、注射をしてからものの数秒とたたないうちに、傷口がみるみる塞がっていく光景があった。

「な、なんだよ。これ……っ!」

「お前には知る資格がない」

「でも、人間の傷がこんな簡単に治るわけないじゃないか」

 少女は驚きを隠すことができず、目をこすって何度も見返している。それもそのはずだろう。少年の腹部に突き刺さっていた金属片の大きさは三センチ近くあった。ヘタしたら内臓まで貫いていたはずの傷だ。それなのに、皮下組織は完全に修復され、傷跡もほとんど見えなくなっている。

「おまえ……、これ、どうやって……?」

 人間の傷の治り方ではない。戦場には昔から幽霊が現れるというが、目の前にいる少年がその類なのだろうか。

「静かにしろ」

 少年の押し殺した声が、少女の思考を一時中断させた。

ミリタリーブーツが床を叩く音が聞こえてくる。忍び足でいて、それでいて急ぎ足でもあるこの独特な音は、訓練された兵士特有のものだ。どうやら、こちらのことを全力で狩りにきているらしい。

少年は通路の壁面に張りつくように体を寄せると腰からナイフを取り出した。独特の足音がニ階の踊り場へ近付いてきたとき、不意を突いて襲いかかろうという魂胆のようだ。

「ナイフだけで全員と戦えるわけないじゃないか」

「へっ、やってみなけりゃわかんねえだろうがよ」

 少年はあいにくと他に武器を持ち合わせていないようだ。ほこりまみれの迷彩服や、腰のホルスターが空っぽになっていることから察するに、ここへ来る前に、なにかあったらしい。

「……俺を口だけの男と一緒にするんじゃないぜ」

 そう口にした途端、少女の視界からは少年の姿が消失した。

(え……っ!)

 少女の瞳孔が大きく見開かれた。ついさきほどまで少年はたしかに目の前にいた。だが、まばたきをするかしないかのごく僅かの間に、少年の姿は視界から消え失せていた。さらに、少女の驚きは続くこととなる。さきほどまで聞こえていた兵士の足音が途絶えたからだ。階段まで来て引き返したのだろうか。いや、そんなことなどありえない。

 ぐちゃり……、びちゃり……。

 何かがえぐられるような音ともに、液体がしたたる音が聞こえきた。それに加えて、いやな匂いが鼻を突く。これは……血液が大量にばら撒かれたときの匂いだ。

 少女は恐る恐る階段へと近寄ってみることにした。それが単純な好奇心なのか、未知への恐怖心からなのかわからない。おそらく、両方ともなのだろう。

 踊り場へ近付いた少女は、恐怖に顔が歪むこととなった。


 そこには、消失したはずの少年と二人の兵士の姿があった。

 兵士の一人は大量の血液とともに床に伏し、もう一人は喉元に鋭利な刃物を押し当てられている。少年が屈伏させたのだ。二人一組ツーマンセルで警戒中の兵士をどうやればこのように無力化することができるのか、少女にはまるで見当がつかなかった。

「こ、殺さないでくれっ!」

 死の恐怖に怯えた兵士の表情は少女にはひどく憐れなものに思えた。

 隙のない面構えで少年は言う、

「武器を捨てろ。そうすれば、命だけは助けてやる」

 少年が首元からナイフをずらすと、兵士が手にしたアサルトライフルをゆっくりと床に置こうとする。しかし、次の瞬間。兵士はライフルを置くと同時に少女に駆け寄ると、腰のホルスターから拳銃を取り出し、彼女へと向けた。

「どうだ。これでお前は動けないだろう」

「そんなことはないぜ」

 その言葉を放つと同時に、少年の姿は再び消えた。

いや、消えたのではない。見えない速さで移動しているのだ。その事実に少女が気付いたときには、自分を盾にした兵士の喉元に冷たく鋭い刃が押し当てられているときだった。

「これでも、……殺したくはなかったんだぜ」

 兵士の喉もとから噴霧器のように吹き出た血は、そのまま少女の顔にも若干降り注いだ。顔についた血を拭う手に残るベタついた感触は、しばらくの間、忘れることができないだろう。そんなことお構いなしに、少年は敵兵士の装備をあさっていた。

 少女は唖然としてその場に立ち尽くすほかなかった。

 自分と同じ年頃の少年がためらいなく人の命を奪ったという事実は果てしなく重い。少年の目はぎらついた輝きを放ち、寄らば切るぞ、とでも言わんばかりの猛禽の輝きを放っている。いくら助けられたとはいえ、微塵も感謝する気持ちにはなれなかった。

「な……、なにしてんだよっ!」

 我にかえった少女は、脅えながら絞り出すように声を出す。恐怖のあまり、まだ体がうまく調子を取り戻していないらしい。

「なんかいったか」

「言ったよ。どういうつもりだよっ!」

「そう、カッカすんなよ。俺の方だってけっこうビビってたんだから」

「殺す必要なんてなかった。またさっきみたいに武装解除すればよかったじゃないか」

「わりぃな。俺はそこまで甘くはないんだ」

 まだ怒り醒めやまない少女に対し、少年はあるものを差し出した。

「……なんだよ、これ」

「あー、使い方も知らねえのか」

 わけがわからず戸惑う少女。少年は頭をポリポリ掻きながら、

「仕掛け爆弾だよ。それに設置してあるからいざというとき、な」

 少年は倒れている兵士を目をやり、

「敵が近づいてきたら、スイッチを入れるだけでいい」

そう言って、少女に起爆装置を握らせる。少しして、それがどういうことを意味するか理解したとき、おもわず彼女は叫んでいた。

「なにバカなこと言ってんだよっ! それって死んだ人間の体ごと、爆破するってことだろ。そんな人殺しの真似みたいなこと、できるわけがないだろうがっ!」

 少女は状況をわきまえず感情の赴くままに怒鳴りつけた。これでは、下の階にいる兵士たちが、ここへ大慌てで駆けつけることだろう。大声を上げたことを少年は咎めた。

「なんてことすんだっ!」

「うるさいっ! たとえここで命尽きようとも、わたしはこんなふざけたことをするつもりはないっ! お前の方こそ、こんなことをして良心が痛まないのかよっ!」

 はらわたが煮えくりかえらんばかりの少女の怒りは、最後の一言へと要約された。


「この人殺しっ!」


 そう怒鳴りつけられた少年のその口元が、一瞬だけ歪んだように見えた。

「あー、わかったわかった。どうせ、非人道的だとか言いたいんだろ」

「わかってんなら、なんでこんなこと残酷なことをするんだよ!」

「ここは戦場のど真ん中なんだぜ。そんなもん、安全なところにいるやつらの台詞だろうがよ。……そうだぜ。漫画やアニメのヒーローじゃないんだ。俺はたしかにお前の言うとおり人殺しなんだよ」

 少年の言葉はどこか開き直ったものに聞こえなくもないが、後半部分の言葉にはどこか自嘲めいた感情が込められていた。だが、怒りがおさまらない少女はそのことに気づかない。

「そんなことわかってるよ!」

「わかってんなら、訊くなよな」

「それとこれとはまったく違うだろうが。死者にだって尊厳はある」

「へいへい。こっちが生き残ったらいくらでも話を聞いてやるよ」

「いやだ。いま聞けっ! そんなことするぐらいなら――」

 死んだ方がマシだっ! 

少女がそう口にしかけたところで、階段を上る複数の足音が聞こえてきた。こちらを殺そうと迫ってくる敵兵士の集団のものだ。さきほど倒した敵から奪ったアサルトライフルの銃口を少年は階下へ向け、鋭い目をしながら叫んだ。

「上の階に逃げるぞ。すぐに連中が突入してくる」

 だが、少女は動こうとせず、ひどく不安定な様子で少年の方を見ている。

あまりにも衝撃的な出来事があったために、感情の奔流にのみ込まれて、まわりが見えなくなっているようだ。

「だからなんなんだよ。この人殺しっ!」

 その一言を口にしたあと、さきほどまで神経が高ぶっていた少女が、突如としてしゅんとなったかと思うと、こんどはいまにも泣きそうな表情をみせる。

「こんなことするなんて……、連中となにも変わらないじゃないか。あいつらとお前とで、人を殺したことに……、どんな違いがあるんだよ……」

 油断なく小銃を構えたまま、少年は毒づいてみせた。

「けっ、悪でけっこうだ。もともと、俺は人を殺すことが仕事だからな」

 少年は階下へ向けてライフルを斉射すると、その場を離れようとしない少女の体を抱きかかえて、さらに上の階へ逃れようとする。じたばたともがく少女の手が何度か顔面を捉えたが、少年は少女を手放すことは決してなかった。

「……人殺し上等だぜ」

 少年はわずかに躊躇ためらいの表情を見せながら、少女に握らせていた仕掛け爆弾のスイッチを押した。爆発と同時に聞こえてくる悲鳴と絶叫を背にして、少年はさらに階段を駆け上った。その腕の中でことさら少女がわめき散らす。

「はなせっ、はなせよっ!」

 なんとはなしに少女は軽蔑の表情をしているのではない。彼女の顔には恐怖や怯え感情もうかがえた。そのことに加え、こちらを殺そうとしている連中と同等かそれ以上の負の感情が、少年へと向けられている。

「ムチャ言うんじゃねえ。あのまま置きざりにしたら、殺されちまうだろうが」

「そんなことはどうでもいい。お前に助けられるよりいくぶんマシだ」

「死んじまったらなんにもなんねえだろうがよ」

「名誉や誇りだって命と同じくらい大事だ。人殺しになんか助けてほしくない!」

「それでも結局死んじまったら、やっぱりなんにもなんねえだろうがっ!」

 三階へ辿りつくと少年は少女を解放した。彼はそのまま背を向けると、奪ったライフルと予備弾倉を確認し、階下を警戒する。追ってくる敵の姿は見あたらない。ニ階の踊り場付近は半壊しているはずなので、こちらを追うのに手間どっているのだろう。

 そのままゆっくりと少年は階下の方へと足を向けようとする。執拗にこちらを追い回してくる連中に対し、単身で戦闘に臨む覚悟らしい。

ふつうに考えたら少年にもたらされる結果は死という事実だけなのだが、その表情に脅えた様子はなかった。それどころか、少女を気遣う言動さえみせた。

「後でいくらでも愚痴はきいてやる。……でも、いまだけは静かに待っててくれよ」

 少年はそう言い残すと階段をおりていく。少女は呆けた表情でその後ろ姿を見送った。

見ず知らずの少年だが、狼藉ろうぜきをはたらいてくる様子はなかった。残忍で冷酷な戦法で敵を葬った少年だが、こちらを気遣う優しさをかねそなえていた。そのことに気づいた少女は、高ぶる神経を落ちつけながら、しばし少年の身を案じることにした。


 ニ階に戻ってきた少年を迎えたのは、無遠慮にむけられた銃口だった。

 予想通り階段の踊り場は爆発の衝撃で半壊していて、状況把握に戸惑っていた敵の兵士五人ばかりの銃口が一斉にこちらをむく。自分たちが圧倒的に有利であることを確信しているのだろう、兵士の一人が口を開いた。

「投降する気にでもなったのか?」

 少年は投げやりに答える。

「どうせ、捕虜はとらないとか言って殺すんだろう」

「ああ。その通りだ」

 その言葉を皮切りにして、兵士たちの銃口が一斉に火を噴いた。秒速七百メートルを越える銃弾が措しみなく吐きだされ、弾雨だんうがコンマ五秒とたたず少年のもとへと襲いかかる。

これで少年は屍をさらすはずだ。

この場に居合わせた全員がそう確信した。

だが、次の瞬間。兵士たちはおのれの目を疑うことになる。それほどまで衝撃的な事実が彼らには突きつけられていた。

 そこにあるはずの少年の姿が――なくなっていたからだ。

「えっ!?」

 誰かが疑問を口にするのと時を同じくして、一人の兵士が地に伏すこととなった。そしてその兵士の後ろには、ついさきほどまで目の前にいた少年と手にしているライフルの銃口があった。

 一瞬、その場が完全に沈黙した。

 誰もが目の前の事実を理解するのに時間を必要としていた。なぜこの少年は生きているのか。まばたきするほどの一瞬の間に、どうやってこちらの後ろを取ることができたのか。わからないことだらけだった。

 そんな中で、二人目の兵士が地に伏すことになる。少年は思考停止に陥った兵士の集団に対して容赦なく手にした牙をむいたからだ。仲間がやられたことで、兵士たちはわれに返ると慌てて銃口を少年へ向け、引き金を絞った。

 吐きだされた銃弾は、再度宙ちゅうを裂くことになる。やはり少年の姿はどこにもなく、そこにあるのは、何もない空間だけだったからだ。このとき兵士の一人がたまたま少年の挙動を目撃していたが、それはあまりにも信じられないもので驚愕に顔を歪ませていた。

 よくよく目を凝らせば壁や天井には、何者かの靴の跡があった。このことが少年は宙を跳ねまわるようにして縦横無尽に移動している事実に示唆していたからだ。それに僅かばかりだが、少年の姿をその視界へとおさめることができた。衝撃的な事実を悟った兵士は、壁や天井へ向けて、驚愕に支配されるままにライフルを乱射したが、少年に命中することはなかった。なぜならば、少年の動きは簡単に捉えることができる類のものではないのだから。

人にして人にあらざる者の動き。

人外の動きをとらえることは困難だ。人間は自己が認識できる範囲においてのみ、現象の性質を理解しようとする。たとえば、ヒレをつかって泳ぐ魚の動きを予想することなど複雑きわまりないし、四本足で動く肉食獣の跳躍力を予想することなどもできない。なにが言いたいかというと、少年の動きはそういったたぐいのものであるということだ。

「クソっ……、なんであたらねえんだ!」

 ある兵士は、少年の動きをバッタに近いものだと思った。強靭な脚力を駆使して体長の数十倍もの距離を跳びまわることができる昆虫のことだ。たしかに少年の動きはそれに近いものがあった。重力を感じさせず、人間の目にはその姿をわずかに残すか残さないかといった俊敏さをかねそなえた少年の動きはまさにそれだろう。

もしかしたら少年には飛翔中の銃弾の軌跡を捉えることができるのかもしれない。屋内を文字通り縦横無尽にかけめぐり、銃弾の雨をかいくぐり、兵士たちの命を狩る捕食者プレデターとなっている少年の動きは天井知らずだ。まるで次元が違う動きだ。天井や壁を足場にして、慣性が作用しないかの如く素早く方向転換し、兵士たちの意表を突くことができる。人として鍛えられる肉体の範疇を遥かに凌駕する動きをこうもみせつけられては、兵士たちに動揺がはしるのも無理はない。乱雑な射撃が虚しく宙を裂いた。

「屋内戦では、お前らの武器の性能も十分に発揮できなくなる。もともと殺傷距離が拳銃よりも長いことがライフルの売りだもんな」

 どこかからかそんな声がしたとき、さらに兵士の一人が銃弾を喰らって倒れた。

「こういうときは、命令違反してでもトンズラこくんだよ……っ!」

 銃声がし、また一人兵士が倒れた。こめかみのあたりから血を流している。

 残った最後の兵士は、脅えた表情で銃を乱射する。壁や天井などへ向けて引き金を絞るその姿は、この場に居合わせない第三者からみれば狂っているとしか映らないだろう。だが、兵士の生存本能はすでに理性を凌駕していようで、ところかまわず引き金を引き続けた。

 カチカチという弾切れの音に兵士が気づくのには、数秒を要した。大慌てでマガジンを交換しようというときに、すっと後ろに何かが舞いおりた感触があった。兵士は瞬時に、舞いおりたものが死神であったことに気づいたはずだ。

「死にたくないなら、武器なんか持つんじゃない!」

 その声が闇黒あんこくふちに沈む間際まぎわに耳にした最後の声となった。


 無事に戻ってきた少年の姿が目に映ったとき、少女は素直に喜ぶことはできずにいた。それは、少年のカーキ色だった迷彩服にべっとりと血の色が染みついていたからだった。さえない表情をする少女を一瞥すると、少年はどこかからか携帯無線を取り出した。

「無線取れるか」

『とれるわよ。感度良好』

 強気そうな女性の声の返事が返ってきた。

「いま俺がいる建物の周辺に届け物を落としくれ。GPSで場所はわかるだろ」

『了解したけど……、もしかしてあんた、敵に包囲されてるの?』

「……まあな」

『何してんのよ、このドジっ! あんだけ口をすっぱくして、注意したでしょうが!』

「『指示どおりに動け』な。いまでも、ちゃんと覚えてるよ」

『覚えてても、動けなけりゃ意味がないのよ。このことは、報告書にも書かせてもらうよ』

「わかってるよ」

 無線越しに誰かとやりとりをしたあと、少年は三階の窓から建物の外を見おろした。集まっているのは政府軍の戦闘車両二台と歩兵三○ないしはニ五人ほどだろうか。彼の乗ってきたジープを漁っている者もいる。こっちは二人しかいないというのに、ずいぶんと贅沢な連中だ。

「おい、窓から離れろ」

 どこか心をなくしている少女にぶっきらぼうに告げると、少年は付近一帯の窓ガラスを銃床ストックで叩き割り始めた。

「なにしてるんだ?」

「爆風の衝撃で窓が割れて、破片が中に降り注いだりしたら大変だからな」

「だからなにを……?」

 少女が疑問を口にするのとときを同じくして、携帯無線から強気な女性の声を伝える。

『さてさて、こっから先は運任せだよ。間違って落としちゃっても恨まないでよね』

 今回はそれ加えて、もう一人穏やかな男性の声が入った。

『わざわざ不安にさせなくてもいいじゃないですか。爆撃担当は僕なんですから』

「期待してるぜ」

 少年が返事をした途端に窓の外から轟音が響いてくるが、地上にいる政府軍の部隊がなにしているというわけでもなさそうだ。これといって目立った動きはない。むしろ、どこから轟音が聞こえてくるのか彼らも気になっているようだった。そして、その轟音の主がなんであるかに気づいたとき、彼らはもう手遅れだった。

 地上に展開している政府軍には、空に浮かぶ点のようにすら見えないだろうが、上空一万ニ千メートルには機影があった。漆黒の三角形のフォルムに極薄のボディー。ステルス爆撃機だ。その機体のハッチが解放され、円柱状の爆弾を投下した。

 GPS連動方式による精密誘導弾の爆撃は、少年と少女がいるビルを囲むように展開していた政府軍の真上に狙いたがわず落下した。大地を覆うようにして広がった爆炎が、地上にいる政府軍を粉砕しながら、辺りを地獄の業火で焼き尽くそうとする。爆発の影響はビルの内部にも襲いかかった。耳をつんざくかのような爆音と肌を焼くような熱風に、少女は思わず顔を歪ませた。

『プレゼントをお届けしました。キレイさっぱりです』

爆音が鳴りやんだときには、なにもかもが灰塵と化していた。

「わかった。合流地点ランデブー・ポイントは予定通りで間に合う。援護を感謝するぜ。オーバー」

少年は地上に散らばっている残骸の山を眺める。さきほど発言した通り、なにもかもきれいさっぱり吹き飛んでしまっていた。こちらを殺そうとしていた連中も、ここまで乗ってきたジープも……。

まず移動するための手段を探さなければならないと思った少年は目を細めると、こちらのことをどこか呆けてみている少女に告げる。

「車まで吹っ飛んじまったから、まだ人殺しと仲よくしてもらう必要があるんだが」

 そんな言葉を受けて、少女はばつがわるい顔する。散々文句を言っておきながら、結局は彼に助けられ、しかも傷つけてしまっていることを悟ったからだ。


 移動手段を探すことは簡単だった。街中に乗り捨てられた車の中から、手頃なものを二台ほど選び出し、配線を強引にひっぱりだしてエンジンをかける。燃料はほかの乗り捨てられた車に残っていたものをかき集めてそれを補う。二人で共同作業だったが、これといって会話することなく、三○分ほどで作業は完了する。少年は少女の方を向くと――

「というわけで、ほら。これな」

「な、なんだよ」

「みりゃわかんだろ。地図とコンパスだよ。東の方へ進んでいけば、難民キャンプに着く」

「そ、そんなこと知ってるよ」

「フットペダルは右がアクセルで、左がブレーキだからな。じゃあな」

 そういって、少年は二台用意した車の一台へと向かう。途端に、少女はどこか申し訳なさそうな視線をむけた。

「行くのか?」

 少年は振りむかずに答えた。

「ああ」

「待てよっ!」

「なんだよ」

 足を止めて、少年はこちらへ振りむいた。すかさず少女が質問を投げかける。

「お前、名前なんて言うんだ?」

「人殺しに名前なんかねえよ」

「あの、その……。すまなかった」

 少女は心底申し訳なさそうな顔をする。

「気にすることはねえよ。お前が言ったのは、ホントのことだ」

「けどさ。ありがとう、人殺し……とか言っても、きまりがわるいだろ。教えろよ」

 その言葉を聞いて目つきの険しい少年の表情がどこかしら明るくなった気がした。

望月武もちづき・たけしだ。……所属部隊は〈イージスの盾〉」

 それだけ言うと、少年は車の中へと乗り込んでいく。

「武……っておい、ちょっと待てって」

 すたこらせっせと車へ乗り込んだ武は、すぐさま車を発進させ、どこかへと走りさってしまった。

「少しぐらい待ってくれてもいいだろ、このバカっ!」

 ほかには誰もいない廃墟で、少女は大声を出した。


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